やってきたのは柳生十兵衛最後の弟子! -止水流道場始末記-

中岡潤一郎

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第三話 それでも、俺は間違っていない

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「能登屋と話をつけてきた。うまくやれば、これで道は開ける」

 五郎が指をたてると、視線が集まった。怡与蔵、拓之進、弓子の三人は、口を結び、手を握りしめて、彼の話を聞いていた。

 彼が顔をあわせているのは井ノ瀬家の奥座敷で、三人は火鉢を囲み、前のめりになって話をしていた。表情は真剣だった。

 五郎は先をつづけた。

「第一に、相模屋がよい店であることを示すこと。かつての輝きを取り戻すか、あるいは、そのきっかけを見せよとのことだ。怡与蔵が主として、どれぐらいの働きができるのか、能登屋はそこにこだわっていた」

 五郎が顔を向けると、怡与蔵は硬い表情のままうなずいた。
「いずれにせよ、商いが上向いてこなければ、店は駄目になる。先につなげるためにも、怡与蔵が自ら動いて、新しいやり方で、相模屋を回す。そういうことだ」
「はい」
「二番目は、相模屋にからんでいる悪党を退治すること。連中は、他の店でも暴れ回って、ひどく迷惑を掛けているらしい。早々に取り除いてほしいと能登屋には言われた」
「おう。それは、私たちの仕事ですね」
「そうだ」

 五郎はうなずいた。

「だが、縛りがある。とにかく、目立たぬようにやって欲しいと。大きな騒ぎになれば、町方も動いて町に迷惑がかかるし、他の悪党が首を突っ込んできて、町の者が巻き込まれることもありうる。密かに、気がついた時には、奴らがいなくなっている。そんな形で片づけてほしいと」
「それは、大変です」
「だが、やらねばならない。さもなくば、能登屋は本気で相模屋をつぶしにかかる。俺も能登屋の手代を脅した件を表沙汰にされて、罪を問われる」

 五郎は、そこで拓之進に頭を下げた。

「いろいろとすまなかった」
「おう、五郎さん、どうしたのですか」
「お前をやっかんでいた。剣技で劣ることはわかっていたのに、それをうまく受けいれられず、どこかで見返してやろうと思って、無理をした。その結果がこれだ。お前の言うことを聞いていれば、よかった。本当に、すまなかった」

 拓之進に助けられてばかりで、情けない。自分にも何かができる。そう思って突っ走ったのがよくなかった。未熟だった。

 認めるのは悔しい。だが、事実だ。

 拓之進はしばし五郎を見ていた。その口元に笑みが浮かんだのは、やわらかい冬の日射しが障子越しに座敷の奥まで差し込んできた時だった。

「五郎さんはすごいですね。自分が間違っていることを認められるなんて。私にはとうてい無理です」
「拓之進……」
「悪くなんて、ちっともないです。五郎さんが手を差し伸べていなければ、今頃、怡与蔵さんは死んでました。あの時は関わりつづけることが大事だったのです。私は冷たかったです」
「そのとおりです。あの時、止めてもらえなかったら、どうなっていたか」

 怡与蔵が後を継いだ。

「話を聞いて、ようやくわかりました。自分はやった気になっただけで、肝心なところを見落としていました。若いことを理由に、父のやり方にあぐらをかいて、自らはまったく手を動かさずにいたのです。捨て身で突き進むべきところなのに、自分の身を可愛がるばかりで。情けないです」

 怡与蔵は顔をあげた。

「やりますよ、私は。できることは何でも。何だったら、能登屋さんからお客を横取りしても、店を建て直してみせます」

 若い主の顔は輝いていた。覚悟を決めた男の美しさが、そこにはあった。

 五郎は素直に感動した。自分もこんな顔ができるのだろうか。

「わかった。存分にやってくれ」
「でも、どうやるの」

 弓子が簪を手に取った。それは、怡与蔵が職人に作らせた新製品で、珊瑚の赤い輝きが目を惹いた。

「これ、確かにすごいけれど」
「そうなのか」
「うん。こんなの見たことがない」

 弓子が簪を見る視線は熱かった。頬も赤い。

 五郎は、その姿を静かに見ていた。

「売り方、むずかしいわよ。値も張りそうだし、できあがりまでに時もかかりそうだし。今、売り先、ないんでしょう。簡単にはいかないと思うけれど……」
「さすがは、お嬢様。よくお気づきで。おっしゃるとおりです」
「あら、褒められた」
「世辞はいいぞ。調子に乗るから」

 五郎の言葉に、弓子はきつい視線をそそぐ。

「いえ、お嬢様の見立ては間違っていません。それだからこそ、やる意味があると思ってますし、できると考えています」

 怡与蔵は、かたわらの風呂敷を解いて、書付を三人の前に差し出した。

「ここには、この十年、小間物の好みがどのように移り変わってきたか、記してあります。飾り物、袋物、紅といった小間物はもちろん、着物や髪形、履物についても知り得るかぎり書きとめてあります。商家や職人はもちろん、武家の方々についても記してあります」
「これは、すごいな」
「父の仕事です。私は少し付け足しただけです」
「見ていいか」
「もちろんです」

 五郎は、書付を手に取った。一瞥しただけで、小間物の売れ行きと流行の様子が見てとれる。町の声や商人の評判も記されていて、時間と手間をかけて調べていたことがよくわかった。

「この書付を参考にして、先様が好む品物を選び出し、手直しして、品物を作りあげていくのが手前どもやり方でした。ですが、今は他の方々に真似されてしまい、うまくいっていません。そこで、もう一歩、踏み出して、こちらから仕掛けていきたいと考えます」

 相模屋が相手にしているのは武家や商家の奥方や娘だ。

 彼女たちは、少しでも新しく、美しい品物を望む。それは持っているだけで、華やかな気持ちにさせてくれるから。

 ならば、こちらから、今、江戸の町で、何が華やかで、素敵な品物であるかを提示し、それを相手の好みにあわせて手直しした上で売る。皆が欲しいと思っている品を人よりも少し早めに持たせて、余人に羨んでもらう。

 流行に乗るのではなく、流行を作る。怡与蔵はそう語った。

「今は、吉原で新しい髪形が流行っていて、それが町中に広がりつつあります。それを生かせば……」
「おう。いいですね。一気に売れるかもしれません」
「そうね。あたしだって、はやりの簪があれば使ってみたいもの」
「父上は、これを使って、自らはやりを作ろうとしていました。そのための備えも整えていたのです」

 怡与蔵は書付を見つめた。

「私は父の望みがわかっていたのに、やらなかった。失うことが怖くて。でも、それでは駄目だったのですね。もっと踏みこむべきだった」
「今からでも間に合いますよ。大丈夫です」
「そうだ。とにかく動かないと、何も変わらない」

 それは、五郎も同じだ。技量のなさを嘆いても、世界は変わらない。

「では、はじめよう。どうする」
「商いは手前どもでやります。お武家さまの手を借りても、うまくはいきませぬ」
「そうだな。それは骨身に染みた」
「でしたら、私たちは、例の悪党を追いかけましょう」
 拓之進の言葉に、五郎はうなずいた。
「それがいいと思う。まずはねぐら探しだ」
「だったら、あたしは、出入りの小間物屋に話をしてみる。手助けできるかもしれないから」
「よし、では行くか」

 五郎は立ちあがった。

 方針は定まった。あとはやるだけだ。



 翌日から、四人は動いた。

 弓子が出入りの商人に声をかける一方で、怡与蔵は自ら取引先を回って、新しい商品の見せて回った。三日後には得意先を相模屋に集めて、商品の展示会も実施した。

 職人にも改めて声をかけ、新しい素材や京の技法について詳しく説明した。

 反応は上々で、怡与蔵が直に声をかけた大店の女房や女房、さらには武家の奥方には好意的に受けいれられた。小間物を好みの形に調整できるだけでなく、さらに踏みこんで、流行の意匠や素材を提供できることに興味を惹かれたらしい。

 職人と話をして、率直に自らの不明を詫びたことも好感を持って迎え入れられた。相模屋の主は変わったという声は、たちまち日本橋界隈に広がり、同業者の見る目も変わってきた。

 一方、五郎と拓之進は、作次の一党について調べて回った。彼らは長谷川町の近辺を派手に荒らし回っており、わざと騒ぎを起こして、店に脅しをかけ、裏から金をせしめるという悪事で大儲けしていた。

 金がなくなると、日本橋界隈に下って、商家に押しかけるのだから、質が悪い。ひどく嫌われていたが、彼らはそれを逆手にとって、わざと目立つように歩いて、道行く者に脅しをかけ、金を奪い取るという悪行も重ねていた。

 相手の手口が見えたところで、二人が網をはっていると、富沢町の古着屋に、作次の一党が現れた。知ったのは彼らが暴れた後だったので、助けることはできなかっが、去って行く彼らを見つけて後をつけ、ねぐらを突きとめることに成功した。

 作次の一党は、下谷の使われていない武家屋敷に居座っていた。その数は二十人で、日常的に附近の農家に押し入って、食べ物を奪っていた。そこには、例の黒田与次郎も加わっていた。

 涙を流す百姓の姿を見て、怒りがこみあげてきたが、簡単に動くことはできなかった。正面から仕掛ければ、騒ぎが大きくなって、孝右衛門との約束が守れないかもしれない。追い出すためには、それなりの策がいる。

 五郎と拓之進は顔を突き合わせて、計画を練った。

 ようやくそれがまとまってきた時、思わぬ話が怡与蔵から飛び込んできた。
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