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第4章 守る力・守り抜く覚悟
依頼 ~要人警護
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フィクサーとニュットに連れられて訪れたのは、会議室だった。
執行人数十人が並んで座れる部屋の広さと、打ち放しコンクリートが物々しい。
だが、勝手知ったる舞奈も明日香は今さら動じることもない。
「あちしもそれなりの期間ここに勤めてるつもりなのだが」
セーラー服を着こんだ糸目のニュットが舞奈を見やる。
「お茶請けをそこまで美味そうに喰う人を、舞奈ちん以外に見たことないのだよ」
ニュットは追加の菓子を皿に盛る。
だが飢えた舞奈はそんなものじゃ満足できない。
置かれた袋のほうを引ったくり、手を突っこんで喰らい始めた。
そのあさましい姿に、
「すいません。お恥ずかしい限りです……」
思わず明日香は苦笑する。
「気遣いは無用だ。明日香君も遠慮せず食べてくれたまえ」
フィクサーは何食わぬ顔で言った。
彼女はたかだか数年のキャリアで小姑面しているニュットとは違う。
本当にそれなりの期間【機関】に勤めている。
だから依頼さえ滞りなく引き受けてもらえれば、お茶請けの菓子などどれだけ食おうが問題ではないとの考えたのだ。
「……麦茶のほうが良かったかね?」
見やると舞奈は口を半開きにして、熱さにうぉうぉ言っていた。
口いっぱいの菓子を茶で流しこもうとしたらしい。
ニュットは困惑を隠せない様子だ。
明日香は穴があったら入りたかった。
そしてしばらくして、
「落ち着いたところで、依頼について話したい」
舞奈と明日香の対面に座ったフィクサーが言った。
暴食の余韻で舞奈は満足そうに、明日香は無言でうなずく。
「実は、舞奈ちんたちの学校に脅迫状が届いたのだよ」
フィクサーの側に座ったニュットが言った。
「脅迫状?」
「うむ。これなのだよ」
立て付けの悪い会議机に、一枚のコピー用紙を広げる。
2人の小学生は、ぐらぐらするパイプ椅子から身を乗り出してコピーを見やる。
どうやら元は手紙のようだ。
『キサマの学校にいる九杖サチは、軍國主義に与する悪女デある』
『よつて我々は九杖サチを我々はサツ害する』
「なんだこの文法おかしい怪文章は」
舞奈は眉をひそめる。
「特定人権団体のものですね」
物知りな明日香が手紙の主を特定してみせる。
「えっと、人間に化けた泥人間の巣窟だっけ」
舞奈も負けじとおぼろげな知識をほじくり返す。
「あら、あなたにしては物知りね」
「うるせぇ」
軽口に、思わず明日香を睨みつける。
泥人間は整形によって人間に成りすまし、人里に近づき人を襲う。
その中でも、特に狡猾で邪悪な個体は人間社会に潜伏する。
そして、より多くの破壊と混乱をもたらそうとする。
中には政治にすら関わる者もいる。
特定人権団体とは、権力を掠め取った泥人間たちの活動母体である。
表向きの目的は特定アジアからの難民受け入れ。
だが本来の目的は、人の姿を偽った同族を人間社会に潜りこませること。
そして、怪異に対抗し得る人間の勢力を弱体化させること。
彼らが憎む敵は、治安を維持する警察。
有事の際に実行戦力と成り得る自衛隊。
そしてなにより、人に仇成す怪異を狩る【機関】。
だから【機関】を表舞台に引きずり出して攻撃したい人権団体と、怪異の正体を暴いて社会的に抹殺したい【機関】の間で政治的な攻撃が交わされることもある。
「けどなあ、こんなのが絡んだら警察の出番なんじゃないのか?」
「無論、今回の件については公安当局とも連携して調査を進めているのだ。事件の首謀者が発覚した場合は刑事事件として対処することも可能だ」
ニュットが答える。
「だが、九杖サチの身柄は死守されなければならない」
フィクサーが後を継いだ。
サングラスの奥の表情は読めない。
いつもの冷たい声色で、だが重い口調で、脅迫された被害者の名を呼ぶ。
「それにしても、その古臭い名前の奴は誰なんだ?」
「そうか、君たちとは面識はなかったのだったな」
そう言って、ニュットは1枚の写真を取り出す。
「名前のことは言わんでやってくれ。本人もちょっと気にしてるのだよ」
そこにはひとりの少女が写っていた。
ふんわりボブカットの、おっとりした雰囲気の少女だ。
年の頃は高校生ほどか。
「コードネーム【思兼】。諜報部の占術士なのだ」
「諜報部のお嬢ちゃんか。どうりで見ないはずだ」
諜報部とは【機関】各支部において怪異に関する情報の収集・分析、ひいいては一般市民から怪異の存在を隠すための各種工作を行う部署だ。
特定人権団体からの政治的な攻撃に対処するのも諜報部の役目だ。
大量の執行人と舞奈のような仕事人を擁して怪異との直接戦闘を担う執行部とは逆に、少数による諜報活動を行う。
その為、属する執行人は少数精鋭だ。
そして占術士をも擁する。
占術士とは、極めて高度な探知魔法を扱う魔道士である。
彼女らの主な役割は、社会の裏側に潜む怪異を術によって発見することだ。
数百の執行人《エージェント》を擁する【機関】各支部も、占術士を欠かせば怪異の出現を察知するどころか、報奨や給金の査定すらできない。
いわば彼女たちは【機関】の目である。
現在、巣黒支部の諜報部に所属する占術士は3名。
高度な仏術を用いて時空そのものから情報を引き出す【心眼】。
古神術により森羅万象から啓示を受け取る【思兼】。
古代アステカ文明に由来するナワリ呪術により心臓を占う【デスメーカー】。
その中のひとりが、特定人権団体の恨みを買ったのだろう。
あるいは、たまたま諜報部という部署についていたという理由で狙われたのか。
「サチ以外の2名について明確な犯行予告は送られてきていない。だが念のため、我が方のSランクに【心眼】中川ソォナムの護衛をさせる」
フィクサーは言った。
舞奈も明日香も、それは妥当な判断だと思った。
「高い戦闘能力を持つ【デスメーカー】如月小夜子に護衛は必要ないと判断した。ただし、彼女は以前に怪人の襲撃を受けた真神園香君の護衛をしている。本来の護衛対象に危険が及ぶのを防ぐため、任務を他の執行人《エージェント》に引き継がせる」
こちらも納得できる。
舞奈も明日香も、実は如月小夜子とは面識がある。彼女は有能な呪術師だ。
そして護衛を狙った襲撃という本末転倒を防ぐためには、護衛の引継ぎが最良の選択だ。誰が任務を引き継ぐかは気になる所ではあるが。
「そして、【思兼】九杖サチの護衛は君たちに一任したい」
最も襲撃を受ける可能性の高い彼女を、舞奈と明日香に護衛させるのも妥当だ。
だが舞奈の口元には、乾いた笑みが浮かぶ。
3人をあえて別々に護衛するのは、最悪の事態を考慮してのことだろう。
占術士が1人、あるいは2人が殺害されても、1人は残る。
まとめて全滅するよりはましだ、と。
舞奈はこの考え方が嫌いだった。
3人ともまとめて守り抜けばいいのにと思う。
だが舞奈に、この考え方を否定することはできない。
なぜなら舞奈自身が、これと同じ冷たい判断によって生きながらえたからだ。
ピクシオンが全滅するより、幼い舞奈ひとりだけでも生き残るほうがましだ。
そう判断したかつての仲間を、非難することなどできない。
だから舞奈は、口元の笑みを無理やりに歪める。
いつもの軽薄な笑みに。
「おやすいご用さ。こんなべっぴんさんに、薄汚い泥人間なんかに指一本触らせやしないよ。そうだろう明日香?」
軽い調子の舞奈の言葉に、明日香は無言でうなずく。
そう、それでいい。そう舞奈は思った。
舞奈と明日香で、割り当てられた彼女を守り抜く。
最強だけど、ただそれだけでしかない舞奈には、それしかできないから。
それがきっと、舞奈の守りたいもの全てを守ることに繋がっている。
そう信じるしかなかった。
「引き受けてくれてよかった」
フィクサーはあくまで感情を抑えて声で、言った。
「では早速、明日の放課後に九杖サチと接触するのだよ。サチに話は通してあるのだ」
ニュットの言葉に、舞奈と明日香は不敵な笑みで答えた。
執行人数十人が並んで座れる部屋の広さと、打ち放しコンクリートが物々しい。
だが、勝手知ったる舞奈も明日香は今さら動じることもない。
「あちしもそれなりの期間ここに勤めてるつもりなのだが」
セーラー服を着こんだ糸目のニュットが舞奈を見やる。
「お茶請けをそこまで美味そうに喰う人を、舞奈ちん以外に見たことないのだよ」
ニュットは追加の菓子を皿に盛る。
だが飢えた舞奈はそんなものじゃ満足できない。
置かれた袋のほうを引ったくり、手を突っこんで喰らい始めた。
そのあさましい姿に、
「すいません。お恥ずかしい限りです……」
思わず明日香は苦笑する。
「気遣いは無用だ。明日香君も遠慮せず食べてくれたまえ」
フィクサーは何食わぬ顔で言った。
彼女はたかだか数年のキャリアで小姑面しているニュットとは違う。
本当にそれなりの期間【機関】に勤めている。
だから依頼さえ滞りなく引き受けてもらえれば、お茶請けの菓子などどれだけ食おうが問題ではないとの考えたのだ。
「……麦茶のほうが良かったかね?」
見やると舞奈は口を半開きにして、熱さにうぉうぉ言っていた。
口いっぱいの菓子を茶で流しこもうとしたらしい。
ニュットは困惑を隠せない様子だ。
明日香は穴があったら入りたかった。
そしてしばらくして、
「落ち着いたところで、依頼について話したい」
舞奈と明日香の対面に座ったフィクサーが言った。
暴食の余韻で舞奈は満足そうに、明日香は無言でうなずく。
「実は、舞奈ちんたちの学校に脅迫状が届いたのだよ」
フィクサーの側に座ったニュットが言った。
「脅迫状?」
「うむ。これなのだよ」
立て付けの悪い会議机に、一枚のコピー用紙を広げる。
2人の小学生は、ぐらぐらするパイプ椅子から身を乗り出してコピーを見やる。
どうやら元は手紙のようだ。
『キサマの学校にいる九杖サチは、軍國主義に与する悪女デある』
『よつて我々は九杖サチを我々はサツ害する』
「なんだこの文法おかしい怪文章は」
舞奈は眉をひそめる。
「特定人権団体のものですね」
物知りな明日香が手紙の主を特定してみせる。
「えっと、人間に化けた泥人間の巣窟だっけ」
舞奈も負けじとおぼろげな知識をほじくり返す。
「あら、あなたにしては物知りね」
「うるせぇ」
軽口に、思わず明日香を睨みつける。
泥人間は整形によって人間に成りすまし、人里に近づき人を襲う。
その中でも、特に狡猾で邪悪な個体は人間社会に潜伏する。
そして、より多くの破壊と混乱をもたらそうとする。
中には政治にすら関わる者もいる。
特定人権団体とは、権力を掠め取った泥人間たちの活動母体である。
表向きの目的は特定アジアからの難民受け入れ。
だが本来の目的は、人の姿を偽った同族を人間社会に潜りこませること。
そして、怪異に対抗し得る人間の勢力を弱体化させること。
彼らが憎む敵は、治安を維持する警察。
有事の際に実行戦力と成り得る自衛隊。
そしてなにより、人に仇成す怪異を狩る【機関】。
だから【機関】を表舞台に引きずり出して攻撃したい人権団体と、怪異の正体を暴いて社会的に抹殺したい【機関】の間で政治的な攻撃が交わされることもある。
「けどなあ、こんなのが絡んだら警察の出番なんじゃないのか?」
「無論、今回の件については公安当局とも連携して調査を進めているのだ。事件の首謀者が発覚した場合は刑事事件として対処することも可能だ」
ニュットが答える。
「だが、九杖サチの身柄は死守されなければならない」
フィクサーが後を継いだ。
サングラスの奥の表情は読めない。
いつもの冷たい声色で、だが重い口調で、脅迫された被害者の名を呼ぶ。
「それにしても、その古臭い名前の奴は誰なんだ?」
「そうか、君たちとは面識はなかったのだったな」
そう言って、ニュットは1枚の写真を取り出す。
「名前のことは言わんでやってくれ。本人もちょっと気にしてるのだよ」
そこにはひとりの少女が写っていた。
ふんわりボブカットの、おっとりした雰囲気の少女だ。
年の頃は高校生ほどか。
「コードネーム【思兼】。諜報部の占術士なのだ」
「諜報部のお嬢ちゃんか。どうりで見ないはずだ」
諜報部とは【機関】各支部において怪異に関する情報の収集・分析、ひいいては一般市民から怪異の存在を隠すための各種工作を行う部署だ。
特定人権団体からの政治的な攻撃に対処するのも諜報部の役目だ。
大量の執行人と舞奈のような仕事人を擁して怪異との直接戦闘を担う執行部とは逆に、少数による諜報活動を行う。
その為、属する執行人は少数精鋭だ。
そして占術士をも擁する。
占術士とは、極めて高度な探知魔法を扱う魔道士である。
彼女らの主な役割は、社会の裏側に潜む怪異を術によって発見することだ。
数百の執行人《エージェント》を擁する【機関】各支部も、占術士を欠かせば怪異の出現を察知するどころか、報奨や給金の査定すらできない。
いわば彼女たちは【機関】の目である。
現在、巣黒支部の諜報部に所属する占術士は3名。
高度な仏術を用いて時空そのものから情報を引き出す【心眼】。
古神術により森羅万象から啓示を受け取る【思兼】。
古代アステカ文明に由来するナワリ呪術により心臓を占う【デスメーカー】。
その中のひとりが、特定人権団体の恨みを買ったのだろう。
あるいは、たまたま諜報部という部署についていたという理由で狙われたのか。
「サチ以外の2名について明確な犯行予告は送られてきていない。だが念のため、我が方のSランクに【心眼】中川ソォナムの護衛をさせる」
フィクサーは言った。
舞奈も明日香も、それは妥当な判断だと思った。
「高い戦闘能力を持つ【デスメーカー】如月小夜子に護衛は必要ないと判断した。ただし、彼女は以前に怪人の襲撃を受けた真神園香君の護衛をしている。本来の護衛対象に危険が及ぶのを防ぐため、任務を他の執行人《エージェント》に引き継がせる」
こちらも納得できる。
舞奈も明日香も、実は如月小夜子とは面識がある。彼女は有能な呪術師だ。
そして護衛を狙った襲撃という本末転倒を防ぐためには、護衛の引継ぎが最良の選択だ。誰が任務を引き継ぐかは気になる所ではあるが。
「そして、【思兼】九杖サチの護衛は君たちに一任したい」
最も襲撃を受ける可能性の高い彼女を、舞奈と明日香に護衛させるのも妥当だ。
だが舞奈の口元には、乾いた笑みが浮かぶ。
3人をあえて別々に護衛するのは、最悪の事態を考慮してのことだろう。
占術士が1人、あるいは2人が殺害されても、1人は残る。
まとめて全滅するよりはましだ、と。
舞奈はこの考え方が嫌いだった。
3人ともまとめて守り抜けばいいのにと思う。
だが舞奈に、この考え方を否定することはできない。
なぜなら舞奈自身が、これと同じ冷たい判断によって生きながらえたからだ。
ピクシオンが全滅するより、幼い舞奈ひとりだけでも生き残るほうがましだ。
そう判断したかつての仲間を、非難することなどできない。
だから舞奈は、口元の笑みを無理やりに歪める。
いつもの軽薄な笑みに。
「おやすいご用さ。こんなべっぴんさんに、薄汚い泥人間なんかに指一本触らせやしないよ。そうだろう明日香?」
軽い調子の舞奈の言葉に、明日香は無言でうなずく。
そう、それでいい。そう舞奈は思った。
舞奈と明日香で、割り当てられた彼女を守り抜く。
最強だけど、ただそれだけでしかない舞奈には、それしかできないから。
それがきっと、舞奈の守りたいもの全てを守ることに繋がっている。
そう信じるしかなかった。
「引き受けてくれてよかった」
フィクサーはあくまで感情を抑えて声で、言った。
「では早速、明日の放課後に九杖サチと接触するのだよ。サチに話は通してあるのだ」
ニュットの言葉に、舞奈と明日香は不敵な笑みで答えた。
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