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第13章 神話怪盗ウィアードテールズ
NO LOVER NO LIFE
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「アアァァァァァ!!」
天井から鎖で吊るされた脂虫が、狂ったように絶叫する。
唇に煙草を癒着させた、若い男の脂虫だ。
全身に開いた傷口からはヤニ色に濁った体液が止め処もなく流れている。
ここは支部の地下に位置する、とある部屋。
普段は実験室として使用されている、コンクリート打ちっぱなしの小部屋だ。
窓はなく、蛍光灯の鈍い明りだけが照らしている。
そんな密室で、黒曜石の短剣が脂虫めがけて振り下ろされる。
脂虫をいたぶっているのは、もちろん小夜子だ。
「煙立つ鏡よ! 我は汝に贄を捧げん! 穢れた血と魂を捧げん!」
絶叫に劣らぬ怒声を叩きつけながら、黒光りする石の短剣を振りかざす。
振り下ろす。
鈍い刃がヤニで汚れた肉を裂く。
脂虫は苦痛に叫ぶ。
相手が人間であるなら如何な理由があろうと許されない非道な拷問。
だが脂虫――喫煙者は煙草の悪臭と犯罪を振りまく害虫だ。
殺されるために存在する害畜だ。
そのために彼らは普段から悪臭を振りまき、横柄に振る舞い、誰かが自分を苦しめて殺す心理的ハードルを下げている。
だから脂虫への暴行や殺害は倫理にかなった善行だ。
法的な問題も【機関】が引き受けてくれるので問題はない。
「我に力を与えよ! 更なる力を与えよ! 煙立つ鏡よ!」
小夜子は狂ったように叫びつつ、脂虫めがけて黒曜石の短剣を振り下ろす。
石のナイフが叩き潰して裂く音。
鉄の鎖がこすれる細い音。
絶叫。
衝撃で、薄汚い身体が激しく揺れる。
「我に与えよ! 我に更なる高みへと至る道を示せ! 煙立つ鏡よ! 煙立つ鏡よ!!」
吊られた脂虫めがけて斬撃を叩きつけながら、神の名を呼ぶ。
何度も。
急所こそ避けているとはいえ、一撃毎に全霊をこめた強撃だ。
小夜子は力が欲しかった。
長く【機関】に努める彼女は、強力なナワリ呪術師だ。
贄によって仲間を強化し、天変地異を引き起こし、今のように情報収集もできる。
だが以前にチャビーが誘拐された際、小夜子は【機関】【組合】合同部隊の一員として救出作戦に加わることしかできなかった。
それすら敵に欺かれ、楓たちの機転がなければ最悪の事態になっていた。
肉人壺を破壊すべく敵の根城を襲撃したものの、火力不足で撤退したこともあった。
結局はSランクに援護されて脱出し、鷹乃の大魔法で目的を果たした。
つい先日も、チャビーたちが脂虫に襲われた。
だが彼女らを救ったのは見知らぬ男だった。
そんな自分が不甲斐ないと、小夜子は思った。
このままでは、いつか側に居る大事な人を守れない時が来ると。
チャビーの兄であり自身の幼馴染である彼を、失ったあの日のように。
だから脂虫を贄にして儀式を執り行っていた。
新たな力を得るため。
あるいは、そのための手段を知るために。
そんな小夜子の願いに答えるように、脂虫はビクンと痙攣した。
そして、ひときわ長く激しく絶叫する。
ヤニと拷問で歪んだ身体が、引き絞られた弓のようにえびぞりになる。
絶叫の中、ヤニ色をした汚物のような胸がひとりでに裂ける。
そこから大量の体液が吹き出る。
汚水は胸の穴から噴水のように溢れ、コンクリートの床に汚い水たまりを作る。
そんな薄汚い水鏡に、影が映った。
「おお! 煙立つ鏡よ!」
小夜子は歓喜する。
『力ガ欲シイカ――?』
贄の体液に映った影――煙立つ鏡は小夜子に告げた――
――同じ頃。
澄み渡った青空の下、休日で賑わう商店街の一角で、
「――そもそも、紳士服っていう言葉そのものがおかしいんだよ」
「わわっ、どうしてだろう?」
舞奈と園香は2人、他愛もない話をしながら並んで歩く。
舞奈の真神家への出入り禁止(自業自得)が取り消される気配はない。
だが休日に、外で待ち合わせてデートするのなら問題はない。多分。
「紳士が服なんか着たら、そいつは紳士って言わんだろ」
「紳士って、そういうんじゃないと思うな」
「えへへ、そうかな」
可愛らしい園香の反応に、舞奈は相好を崩して笑う。
今日のデートに特に決まった予定はない。
なので適当に店を冷やかし、園香が歩き疲れたらお茶でもしてから帰る算段だ。
おっとりした園香にとっては、そのくらいゆるい休日のほうが楽しめたりする。
予定に追われるより、何気ない優しさで誰かを喜ばせる方が得意だからだ。
舞奈にとっても、誰かを襲撃する予定のない休日がたまにあるのは悪くない。
だから園香は、舞奈のおバカなトークに微笑みを返す。
園香の笑顔を見やって舞奈も笑う。
そうやって2人が仲睦まじく歩いていると、
「あっ! マイちゃんとゾマちゃんだ」
「志門さんに真神さん。こんなところで奇遇なのです」
「おっ、桜に委員長じゃないか」
「2人ともこんにちは」
桜と委員長と会った。
相も変わらず桜はやかましく、委員長は礼儀正しい。
舞奈は軽く手をあげ、園香も笑顔で会釈を返す。
「お2人は買い物なのですか?」
「買い物っつうか……デート?」
「きゃー。2人とも大人なのー」
返答に園香は頬を赤らめ、桜ははしゃぐ。
「それは仲良しでなによりなのです」
委員長は並ぶ2人を見やって微笑む。
いつか放課後の教室で、園香としていたことを委員長に見られていたことに舞奈は珍しく気づいていない。そんな園香は、
「2人もお買い物なの?」
にこやかに2人に問いかける。
「今日は違うのです。わたしはこれから教会に行くのです」
「そうなのー! 委員長と歌の練習をしに行くのー」
「教会は歌の練習するところじゃないだろ」
2人の返事に、舞奈はやれやれと苦笑する。
だが桜は笑顔のまま、
「だからシスターにおやつを買って行くのー」
手にしたスーパーの袋を持ち上げてみせた。
なるほどなあと舞奈は思う。
シスターは教会裏の畑で採れた野菜を、肉と物々交換で付近の住民に配っている。
だから歌う日には場所代がわりにお菓子を差し入れようと思ったか。
桜らしからぬ気の回りようだ。
……まあ、言い出したのは委員長だろうが。
「シスターさんが喜んでくれるといいのです」
「ま、そういう意味合いでもらえるんなら、シスターは何だって大歓迎――」
言って微笑みつつ、委員長が桜と同じように提げた袋に目をやり、
「……そりゃ大ウケするだろうがなあ」
袋の口からはみ出た台紙付きの駄菓子を見やって苦笑した。
でかでかと『ずらスルメ』と書かれた台紙いっぱいに男性の顔が雑なタッチで描かれていて、髪にあたる部分にスルメが貼りつけられている。
スルメをはがすと下から何がでてくるのやら。
シスターはハゲの話題が笑いのツボなのだ。
桜が提げた袋からはみ出た類似品らしい『ずらスコンブ』の髪は少しずれていて、台紙に描かれた不適切な肌色の部分があらわになっている。
舞奈はやれやれと肩をすくめる。
このメーカーには若くして髪を失くしたロッカーの気持ちがわかる奴はいないのか?
「そうだ。志門さんたちも少し聞いていきますか?」
委員長は舞奈の思惑など知らぬ様子で申し出た。
幸いにも、これから決まった目的もない。
なので2人は委員長たちの歌を聞いていくことにした。
……舞奈としてはシスターが少し心配だし。
そんなこんなで4人が教会を訪れると、
「紗羅さんに桜さん。今日もいらっしゃったんですね」
「シスターさん、こんにちはなのです」
「こんにちはなのー」
シスターがにこやかに出迎えた。
「(紗羅って誰だ?)」
「(委員長のことだよ。梨崎紗羅ちゃん)」
小声で隣に問いかけると、そんな返事が返ってきた。
もちろん園香は、明日香みたいな知識の収集家ではない。
だが礼儀正しいのでクラスメートの名前は全員分覚えているらしい。
普段の呼び名しか知らない舞奈とは雲泥だ。
「あら、舞奈さんに園香さんも、いらっしゃい」
「ちーっす」
「こんにちは、シスター」
舞奈は園香と並んで挨拶を返し、
「それではよろしくお願いするのです」
委員長は荷物を降ろし、どこからともなくギターを取り出す。
桜もミカン箱の上に載る。
そんな2人をニコニコ笑顔のシスターと、舞奈と園香が見守る。
構図としては委員長(と桜)の野外コンサートを貸し切りで聞く形になる。
悪くない。
委員長は普段の地味な私服のまま、髪も普段の三つ編みのままだ。
だが練習とはいうものの、歌の方は折り紙付きなことは知っている。
いっそステージで歌ってもいいんじゃないかと思えるくらいだ。
そんな舞奈の思惑をよそに、委員長と桜はちょこんと一礼する。
委員長は眼鏡をずらして鼻先に乗せる。
そして慣れた調子でギターを奏でる。
――夕暮れふとキミの横顔を♪
――ひとめ見た途端にゾッコンになったよ♪
――My Angel!
曲目はファイブカードの『NO LOVER NO LIFE』。
委員長が舞奈と園香を見やる視線に、少し思わせぶりな何かを感じた。
だが気のせいだと思った。
――だけどキミと僕とじゃ月とスッポン♪
――どうせ吊り合うはずなんてないんだって♪
――あきらめる僕にも君は優しく微笑んでくれたから♪
――Burning!
相変わらず桜の歌は微妙だ。
だが元気の良さと、委員長のテクニックが絶妙にカバーしていた。
何より2人ともが楽しそうに歌っているのが良い。
――キミの王子様になりたくて僕は♪
――柄にもなく張り切ってしまったよ♪
――だけど、やること成すこと全部、空回り♪
――そんな自分が嫌になっちゃって♪
歌に身をまかせるうち、何故だか無意識に園香の手を握っていることに気づく。
慌てて手を引こうとして、けれど園香も嫌がってはいない。
だからそのまま手を握ったまま、何となく園香の横顔を盗み見る。
不思議な気持ちだった。
園香とは、今更そんなことで照れるような仲じゃないはずなのに。
――それでも君はいつもまぶしくて♪
――そんな君に手をのばしたくてボクは♪
――Baby!
そして再び【機関】支部の地下室。
『――力ガ欲シイカ?』
脂虫の胸から噴き出した体液に影――煙立つ鏡が映った。
小夜子は無言で頷く。途端、
「アアァァァァァ!!」
鎖で吊られた脂虫は激痛に叫ぶ。
裂けた胸から噴き出す体液が量を増し、床に描かれた水溜りが何かを形作る。
小夜子の目には、それが何かのシルエットのように見えた。
ふんわりボブカットの少女だ。
『汝ガ側ニ居ル者ニ目ヲ向ケヨ』
形を変えた水鏡に映った煙立つ鏡は語る。
その言葉がサチを指し示しているのだと、小夜子はすぐに気づいた。
いつも小夜子の隣にいる同僚であり、友人。
純朴で心優しい彼女は、以前の救出作戦でも小夜子と共に戦ってくれた。
肉人壺の破壊の際も、彼女は古神術を駆使して小夜子を守ってくれた。
そして先日にチャビーが襲われた際も、その事実を知って動揺する小夜子を励ましてくれた。1年前に幼馴染を失った時と同じように。だから、
『其ハ汝ノ力ナリ。汝ハ其ノ力ナリ』
その短いメッセージを最後に、影は消えた。
吊られた脂虫も事切れていた。
汝が側に居る者。
煙立つ鏡が遺した言葉をかみしめる。
小夜子は贄を用いて呪術を強化し敵を滅ぼすナワリ呪術。
そしてサチは舞いと祈りによって仲間を守る古神術士。
つまり小夜子はサチに代わって敵を討つ銃弾で、サチは小夜子を守る盾だ。
どちらが欠けても、2人は今以上の高みには登れない。
その事実を煙立つ鏡は教えてくれた。
否、思い出させてくれた。
友人であり同僚への想いと共に。だから、
「首尾はどうだったかね?」
背後からのニュットの問いに、
「……煙立つ鏡からは既知の情報しか得られなかったわ」
ぶっきらぼうに答える。
だが、その口元には珍しく隠し切れない笑みが浮かんでいた。
「これはしばらく残しておくかね?」
ニュットは水たまりを見下ろしながら言った。
彼女にも、このシルエットが小夜子と同じものに見えているのだろうか?
「片づけて構わないわ」
小夜子は普段と変わらぬ口調で、少しだけやわらかな声色で答える。
この場所に彼女の現身は必要ない。
何故なら小夜子の大事な人は、会いに行ける場所にいるから。
――何でもないってカラ元気出して♪
――痛み隠して胸張って♪
同じ頃。
讃原町の一角にある九杖邸で、
『――貴女の友人が、呪術的な手段により貴女との絆を再確認したようです』
縁側で編み物をしていたサチの背後に、狐の面をつけた少女が立った。
呪術的な示唆だ。
古神術士によるそれは、神使と呼ばれる。
それは小夜子にとっての煙立つ鏡と同様、サチ以外の余人には認識できない。
呪術師と世界を結ぶインターフェースの一種だ。
その役割は術者を利する情報を、術者に相応しい姿によって伝えること。だから、
「小夜子ちゃんったら、心配性なんだから」
編み棒を片手に、サチも笑った。
その微笑みは、儀式の後に小夜子が浮かべた笑みとどこか似ていた。
――キミの笑顔を守るためならば♪
――地の果てだって駆けつける、なんて♪
所変わって、日比野邸の2階のチャビーの部屋で、
「終わった……」
「よく頑張ったわね、日比野さん」
テーブルに突っ伏したチャビー。
向かい合って、珍しく気づかわしげに微笑むのは明日香。
テーブルの上には教科書や算数のドリルが散乱している。
明日香はチャビーの宿題を手伝っていた。
舞奈と園香はデート中だから、部屋にいるのはチャビーと明日香のふたりだけだ。
一行の中でもずば抜けて勤勉だが容赦のない明日香。
だが今日だけは、何故か優しく教えることができた。
いつも明日香が厳しいから、チャビーがいつも以上に頑張ったからかもしれない。
フォロー役がいないから自身もツッコミを控えめにしたという理由もある。
それに……
「ママにおやつもらってくるねー! いっしょに食べよ」
「ちょっと、まだお昼ご飯の前よ」
「いいのー!」
苦笑しつつ、ぴょんと跳び上がって部屋を出て行ったチャビーを見送る。
そして元気な足音が1階へと消えた後、口元にはやわらかな笑みが浮かぶ。
無邪気で無防備な、お子様チャビー。
かつて明日香は、平穏な世界に暮らす彼女を自分とは縁のない人間だと思っていた。
1年前に兄を失った彼女も、ただ被害者だと認識しただけだった。
だが彼女と語らい、成し遂げ、同じ時間を共有した今では少し考えが異なる。
騒がしくて善良な彼女の言動が、彼女の匂いが、今は嫌いではなかった。
そんな物思いにふける明日香の目前。
テーブルの上に飛び乗ってきたネコポチが「にゃぁ~」と鳴いた。
側には、いつも重力綱引きに使っている重力場。
明日香は不意をつかれ、それでも何食わぬ風を装って重力場を生成してみせた。
――失敗だらけの僕だけど♪
――キミの前だけでもヒーローになれたらいいな♪
――Fantasy!
そして再び、教会。
委員長の軽快なギターが、委員長と桜の歌を締めくくった。
舞奈たちもシスターも、自然に拍手をしていた。
さらに、
「いつもながら見事なものだねえ」
不意に拍手が聞こえた。
振り向くと、妙齢の女性がそこにいた。
ライブハウス『Joker』のオーナーだ。
オーナーは委員長たちに歩み寄り、ひとしきり労った後、
「けど、やっぱりファの音が半音ずれてるよ。ま、それも個性さね――」
言って微笑む。
そして短くいくつかのアドバイスをする。
その内容を、舞奈も園香も理解できなかった。
たとえば術者同士の会話が余人には理解できないように。
あるいは舞奈が戦闘技術についてアドバイスしても誰も真似などできないように。
彼女の音楽は、そういう域に達しているのだろう。
だから舞奈は園香と寄り添ったまま、歌の余韻に浸りつつ2人を見守る。
今度は園香を盗み見ることはしなかったけど、彼女も微笑んでいるのはわかった。
側で桜が手持無沙汰にしていた。
そうこうした後、3人は舞奈たちのところにやってきた。
「そういやあ、あの黒髪の子は今日は一緒じゃないのかい?」
オーナーは舞奈に問いかける。
「聞くには歌が苦手だっていうじゃないか。あんたたちには恩もあるし、今度来た時にでも何処が悪いのか見てやろうかい?」
「いや、それは……」
隣で委員長が苦笑する。
「……あいつが中で歌おうとしたら、全力で止めてやってください」
舞奈が言うと、オーナーは不思議そうに首を傾げた。
「それより、なんでまた、あんたがここに?」
続く問いに、
「実は、来週の日曜にあずさのライブがあるんだけど、場繋ぎのロッカーが急に出られなくなっちゃってね」
オーナーは苦笑しつつ答えた。
舞奈はそれが、萩山光のことだと思った。
悪魔術師にしてロッカーの彼は、以前にあずさのコンサートの場繋ぎを受け持った。
だが今や、彼は【協会】の構成員だ。
歌う以外にもやらなければならない仕事があるのだろう。
訳知り顔でそんなことを考える舞奈を尻目に、
「そこでだ、今度の日曜日にステージに立ってみるかい?」
オーナーは委員長に申し出た。
「桜の歌唱力はあずさちゃん並ってことなのね! でも桜、まだ心の準備が」
「……おまえじゃないから、向こうで座ってろ」
きゃーっと喜ぶ桜の寝言に、舞奈はやれやれと苦笑する。
一方、当の委員長は目を丸くして驚いていた。
無理もない。
ロックの腕前は確かなものの、委員長は桜と違って常識人だ。
それでも、
「いいんじゃないのか?」
「うんうん、委員長なら素敵なステージができると思うな」
「桜も応援するのー!」
皆に促され、
「皆の期待に応えられるよう、頑張るのです!」
委員長はその申し出を引き受けることにした。
彼女はクラス委員長にして、ロッカーだ。
だから緊張した面持ちながらも、照れたような満面の笑みを浮かべていた。
天井から鎖で吊るされた脂虫が、狂ったように絶叫する。
唇に煙草を癒着させた、若い男の脂虫だ。
全身に開いた傷口からはヤニ色に濁った体液が止め処もなく流れている。
ここは支部の地下に位置する、とある部屋。
普段は実験室として使用されている、コンクリート打ちっぱなしの小部屋だ。
窓はなく、蛍光灯の鈍い明りだけが照らしている。
そんな密室で、黒曜石の短剣が脂虫めがけて振り下ろされる。
脂虫をいたぶっているのは、もちろん小夜子だ。
「煙立つ鏡よ! 我は汝に贄を捧げん! 穢れた血と魂を捧げん!」
絶叫に劣らぬ怒声を叩きつけながら、黒光りする石の短剣を振りかざす。
振り下ろす。
鈍い刃がヤニで汚れた肉を裂く。
脂虫は苦痛に叫ぶ。
相手が人間であるなら如何な理由があろうと許されない非道な拷問。
だが脂虫――喫煙者は煙草の悪臭と犯罪を振りまく害虫だ。
殺されるために存在する害畜だ。
そのために彼らは普段から悪臭を振りまき、横柄に振る舞い、誰かが自分を苦しめて殺す心理的ハードルを下げている。
だから脂虫への暴行や殺害は倫理にかなった善行だ。
法的な問題も【機関】が引き受けてくれるので問題はない。
「我に力を与えよ! 更なる力を与えよ! 煙立つ鏡よ!」
小夜子は狂ったように叫びつつ、脂虫めがけて黒曜石の短剣を振り下ろす。
石のナイフが叩き潰して裂く音。
鉄の鎖がこすれる細い音。
絶叫。
衝撃で、薄汚い身体が激しく揺れる。
「我に与えよ! 我に更なる高みへと至る道を示せ! 煙立つ鏡よ! 煙立つ鏡よ!!」
吊られた脂虫めがけて斬撃を叩きつけながら、神の名を呼ぶ。
何度も。
急所こそ避けているとはいえ、一撃毎に全霊をこめた強撃だ。
小夜子は力が欲しかった。
長く【機関】に努める彼女は、強力なナワリ呪術師だ。
贄によって仲間を強化し、天変地異を引き起こし、今のように情報収集もできる。
だが以前にチャビーが誘拐された際、小夜子は【機関】【組合】合同部隊の一員として救出作戦に加わることしかできなかった。
それすら敵に欺かれ、楓たちの機転がなければ最悪の事態になっていた。
肉人壺を破壊すべく敵の根城を襲撃したものの、火力不足で撤退したこともあった。
結局はSランクに援護されて脱出し、鷹乃の大魔法で目的を果たした。
つい先日も、チャビーたちが脂虫に襲われた。
だが彼女らを救ったのは見知らぬ男だった。
そんな自分が不甲斐ないと、小夜子は思った。
このままでは、いつか側に居る大事な人を守れない時が来ると。
チャビーの兄であり自身の幼馴染である彼を、失ったあの日のように。
だから脂虫を贄にして儀式を執り行っていた。
新たな力を得るため。
あるいは、そのための手段を知るために。
そんな小夜子の願いに答えるように、脂虫はビクンと痙攣した。
そして、ひときわ長く激しく絶叫する。
ヤニと拷問で歪んだ身体が、引き絞られた弓のようにえびぞりになる。
絶叫の中、ヤニ色をした汚物のような胸がひとりでに裂ける。
そこから大量の体液が吹き出る。
汚水は胸の穴から噴水のように溢れ、コンクリートの床に汚い水たまりを作る。
そんな薄汚い水鏡に、影が映った。
「おお! 煙立つ鏡よ!」
小夜子は歓喜する。
『力ガ欲シイカ――?』
贄の体液に映った影――煙立つ鏡は小夜子に告げた――
――同じ頃。
澄み渡った青空の下、休日で賑わう商店街の一角で、
「――そもそも、紳士服っていう言葉そのものがおかしいんだよ」
「わわっ、どうしてだろう?」
舞奈と園香は2人、他愛もない話をしながら並んで歩く。
舞奈の真神家への出入り禁止(自業自得)が取り消される気配はない。
だが休日に、外で待ち合わせてデートするのなら問題はない。多分。
「紳士が服なんか着たら、そいつは紳士って言わんだろ」
「紳士って、そういうんじゃないと思うな」
「えへへ、そうかな」
可愛らしい園香の反応に、舞奈は相好を崩して笑う。
今日のデートに特に決まった予定はない。
なので適当に店を冷やかし、園香が歩き疲れたらお茶でもしてから帰る算段だ。
おっとりした園香にとっては、そのくらいゆるい休日のほうが楽しめたりする。
予定に追われるより、何気ない優しさで誰かを喜ばせる方が得意だからだ。
舞奈にとっても、誰かを襲撃する予定のない休日がたまにあるのは悪くない。
だから園香は、舞奈のおバカなトークに微笑みを返す。
園香の笑顔を見やって舞奈も笑う。
そうやって2人が仲睦まじく歩いていると、
「あっ! マイちゃんとゾマちゃんだ」
「志門さんに真神さん。こんなところで奇遇なのです」
「おっ、桜に委員長じゃないか」
「2人ともこんにちは」
桜と委員長と会った。
相も変わらず桜はやかましく、委員長は礼儀正しい。
舞奈は軽く手をあげ、園香も笑顔で会釈を返す。
「お2人は買い物なのですか?」
「買い物っつうか……デート?」
「きゃー。2人とも大人なのー」
返答に園香は頬を赤らめ、桜ははしゃぐ。
「それは仲良しでなによりなのです」
委員長は並ぶ2人を見やって微笑む。
いつか放課後の教室で、園香としていたことを委員長に見られていたことに舞奈は珍しく気づいていない。そんな園香は、
「2人もお買い物なの?」
にこやかに2人に問いかける。
「今日は違うのです。わたしはこれから教会に行くのです」
「そうなのー! 委員長と歌の練習をしに行くのー」
「教会は歌の練習するところじゃないだろ」
2人の返事に、舞奈はやれやれと苦笑する。
だが桜は笑顔のまま、
「だからシスターにおやつを買って行くのー」
手にしたスーパーの袋を持ち上げてみせた。
なるほどなあと舞奈は思う。
シスターは教会裏の畑で採れた野菜を、肉と物々交換で付近の住民に配っている。
だから歌う日には場所代がわりにお菓子を差し入れようと思ったか。
桜らしからぬ気の回りようだ。
……まあ、言い出したのは委員長だろうが。
「シスターさんが喜んでくれるといいのです」
「ま、そういう意味合いでもらえるんなら、シスターは何だって大歓迎――」
言って微笑みつつ、委員長が桜と同じように提げた袋に目をやり、
「……そりゃ大ウケするだろうがなあ」
袋の口からはみ出た台紙付きの駄菓子を見やって苦笑した。
でかでかと『ずらスルメ』と書かれた台紙いっぱいに男性の顔が雑なタッチで描かれていて、髪にあたる部分にスルメが貼りつけられている。
スルメをはがすと下から何がでてくるのやら。
シスターはハゲの話題が笑いのツボなのだ。
桜が提げた袋からはみ出た類似品らしい『ずらスコンブ』の髪は少しずれていて、台紙に描かれた不適切な肌色の部分があらわになっている。
舞奈はやれやれと肩をすくめる。
このメーカーには若くして髪を失くしたロッカーの気持ちがわかる奴はいないのか?
「そうだ。志門さんたちも少し聞いていきますか?」
委員長は舞奈の思惑など知らぬ様子で申し出た。
幸いにも、これから決まった目的もない。
なので2人は委員長たちの歌を聞いていくことにした。
……舞奈としてはシスターが少し心配だし。
そんなこんなで4人が教会を訪れると、
「紗羅さんに桜さん。今日もいらっしゃったんですね」
「シスターさん、こんにちはなのです」
「こんにちはなのー」
シスターがにこやかに出迎えた。
「(紗羅って誰だ?)」
「(委員長のことだよ。梨崎紗羅ちゃん)」
小声で隣に問いかけると、そんな返事が返ってきた。
もちろん園香は、明日香みたいな知識の収集家ではない。
だが礼儀正しいのでクラスメートの名前は全員分覚えているらしい。
普段の呼び名しか知らない舞奈とは雲泥だ。
「あら、舞奈さんに園香さんも、いらっしゃい」
「ちーっす」
「こんにちは、シスター」
舞奈は園香と並んで挨拶を返し、
「それではよろしくお願いするのです」
委員長は荷物を降ろし、どこからともなくギターを取り出す。
桜もミカン箱の上に載る。
そんな2人をニコニコ笑顔のシスターと、舞奈と園香が見守る。
構図としては委員長(と桜)の野外コンサートを貸し切りで聞く形になる。
悪くない。
委員長は普段の地味な私服のまま、髪も普段の三つ編みのままだ。
だが練習とはいうものの、歌の方は折り紙付きなことは知っている。
いっそステージで歌ってもいいんじゃないかと思えるくらいだ。
そんな舞奈の思惑をよそに、委員長と桜はちょこんと一礼する。
委員長は眼鏡をずらして鼻先に乗せる。
そして慣れた調子でギターを奏でる。
――夕暮れふとキミの横顔を♪
――ひとめ見た途端にゾッコンになったよ♪
――My Angel!
曲目はファイブカードの『NO LOVER NO LIFE』。
委員長が舞奈と園香を見やる視線に、少し思わせぶりな何かを感じた。
だが気のせいだと思った。
――だけどキミと僕とじゃ月とスッポン♪
――どうせ吊り合うはずなんてないんだって♪
――あきらめる僕にも君は優しく微笑んでくれたから♪
――Burning!
相変わらず桜の歌は微妙だ。
だが元気の良さと、委員長のテクニックが絶妙にカバーしていた。
何より2人ともが楽しそうに歌っているのが良い。
――キミの王子様になりたくて僕は♪
――柄にもなく張り切ってしまったよ♪
――だけど、やること成すこと全部、空回り♪
――そんな自分が嫌になっちゃって♪
歌に身をまかせるうち、何故だか無意識に園香の手を握っていることに気づく。
慌てて手を引こうとして、けれど園香も嫌がってはいない。
だからそのまま手を握ったまま、何となく園香の横顔を盗み見る。
不思議な気持ちだった。
園香とは、今更そんなことで照れるような仲じゃないはずなのに。
――それでも君はいつもまぶしくて♪
――そんな君に手をのばしたくてボクは♪
――Baby!
そして再び【機関】支部の地下室。
『――力ガ欲シイカ?』
脂虫の胸から噴き出した体液に影――煙立つ鏡が映った。
小夜子は無言で頷く。途端、
「アアァァァァァ!!」
鎖で吊られた脂虫は激痛に叫ぶ。
裂けた胸から噴き出す体液が量を増し、床に描かれた水溜りが何かを形作る。
小夜子の目には、それが何かのシルエットのように見えた。
ふんわりボブカットの少女だ。
『汝ガ側ニ居ル者ニ目ヲ向ケヨ』
形を変えた水鏡に映った煙立つ鏡は語る。
その言葉がサチを指し示しているのだと、小夜子はすぐに気づいた。
いつも小夜子の隣にいる同僚であり、友人。
純朴で心優しい彼女は、以前の救出作戦でも小夜子と共に戦ってくれた。
肉人壺の破壊の際も、彼女は古神術を駆使して小夜子を守ってくれた。
そして先日にチャビーが襲われた際も、その事実を知って動揺する小夜子を励ましてくれた。1年前に幼馴染を失った時と同じように。だから、
『其ハ汝ノ力ナリ。汝ハ其ノ力ナリ』
その短いメッセージを最後に、影は消えた。
吊られた脂虫も事切れていた。
汝が側に居る者。
煙立つ鏡が遺した言葉をかみしめる。
小夜子は贄を用いて呪術を強化し敵を滅ぼすナワリ呪術。
そしてサチは舞いと祈りによって仲間を守る古神術士。
つまり小夜子はサチに代わって敵を討つ銃弾で、サチは小夜子を守る盾だ。
どちらが欠けても、2人は今以上の高みには登れない。
その事実を煙立つ鏡は教えてくれた。
否、思い出させてくれた。
友人であり同僚への想いと共に。だから、
「首尾はどうだったかね?」
背後からのニュットの問いに、
「……煙立つ鏡からは既知の情報しか得られなかったわ」
ぶっきらぼうに答える。
だが、その口元には珍しく隠し切れない笑みが浮かんでいた。
「これはしばらく残しておくかね?」
ニュットは水たまりを見下ろしながら言った。
彼女にも、このシルエットが小夜子と同じものに見えているのだろうか?
「片づけて構わないわ」
小夜子は普段と変わらぬ口調で、少しだけやわらかな声色で答える。
この場所に彼女の現身は必要ない。
何故なら小夜子の大事な人は、会いに行ける場所にいるから。
――何でもないってカラ元気出して♪
――痛み隠して胸張って♪
同じ頃。
讃原町の一角にある九杖邸で、
『――貴女の友人が、呪術的な手段により貴女との絆を再確認したようです』
縁側で編み物をしていたサチの背後に、狐の面をつけた少女が立った。
呪術的な示唆だ。
古神術士によるそれは、神使と呼ばれる。
それは小夜子にとっての煙立つ鏡と同様、サチ以外の余人には認識できない。
呪術師と世界を結ぶインターフェースの一種だ。
その役割は術者を利する情報を、術者に相応しい姿によって伝えること。だから、
「小夜子ちゃんったら、心配性なんだから」
編み棒を片手に、サチも笑った。
その微笑みは、儀式の後に小夜子が浮かべた笑みとどこか似ていた。
――キミの笑顔を守るためならば♪
――地の果てだって駆けつける、なんて♪
所変わって、日比野邸の2階のチャビーの部屋で、
「終わった……」
「よく頑張ったわね、日比野さん」
テーブルに突っ伏したチャビー。
向かい合って、珍しく気づかわしげに微笑むのは明日香。
テーブルの上には教科書や算数のドリルが散乱している。
明日香はチャビーの宿題を手伝っていた。
舞奈と園香はデート中だから、部屋にいるのはチャビーと明日香のふたりだけだ。
一行の中でもずば抜けて勤勉だが容赦のない明日香。
だが今日だけは、何故か優しく教えることができた。
いつも明日香が厳しいから、チャビーがいつも以上に頑張ったからかもしれない。
フォロー役がいないから自身もツッコミを控えめにしたという理由もある。
それに……
「ママにおやつもらってくるねー! いっしょに食べよ」
「ちょっと、まだお昼ご飯の前よ」
「いいのー!」
苦笑しつつ、ぴょんと跳び上がって部屋を出て行ったチャビーを見送る。
そして元気な足音が1階へと消えた後、口元にはやわらかな笑みが浮かぶ。
無邪気で無防備な、お子様チャビー。
かつて明日香は、平穏な世界に暮らす彼女を自分とは縁のない人間だと思っていた。
1年前に兄を失った彼女も、ただ被害者だと認識しただけだった。
だが彼女と語らい、成し遂げ、同じ時間を共有した今では少し考えが異なる。
騒がしくて善良な彼女の言動が、彼女の匂いが、今は嫌いではなかった。
そんな物思いにふける明日香の目前。
テーブルの上に飛び乗ってきたネコポチが「にゃぁ~」と鳴いた。
側には、いつも重力綱引きに使っている重力場。
明日香は不意をつかれ、それでも何食わぬ風を装って重力場を生成してみせた。
――失敗だらけの僕だけど♪
――キミの前だけでもヒーローになれたらいいな♪
――Fantasy!
そして再び、教会。
委員長の軽快なギターが、委員長と桜の歌を締めくくった。
舞奈たちもシスターも、自然に拍手をしていた。
さらに、
「いつもながら見事なものだねえ」
不意に拍手が聞こえた。
振り向くと、妙齢の女性がそこにいた。
ライブハウス『Joker』のオーナーだ。
オーナーは委員長たちに歩み寄り、ひとしきり労った後、
「けど、やっぱりファの音が半音ずれてるよ。ま、それも個性さね――」
言って微笑む。
そして短くいくつかのアドバイスをする。
その内容を、舞奈も園香も理解できなかった。
たとえば術者同士の会話が余人には理解できないように。
あるいは舞奈が戦闘技術についてアドバイスしても誰も真似などできないように。
彼女の音楽は、そういう域に達しているのだろう。
だから舞奈は園香と寄り添ったまま、歌の余韻に浸りつつ2人を見守る。
今度は園香を盗み見ることはしなかったけど、彼女も微笑んでいるのはわかった。
側で桜が手持無沙汰にしていた。
そうこうした後、3人は舞奈たちのところにやってきた。
「そういやあ、あの黒髪の子は今日は一緒じゃないのかい?」
オーナーは舞奈に問いかける。
「聞くには歌が苦手だっていうじゃないか。あんたたちには恩もあるし、今度来た時にでも何処が悪いのか見てやろうかい?」
「いや、それは……」
隣で委員長が苦笑する。
「……あいつが中で歌おうとしたら、全力で止めてやってください」
舞奈が言うと、オーナーは不思議そうに首を傾げた。
「それより、なんでまた、あんたがここに?」
続く問いに、
「実は、来週の日曜にあずさのライブがあるんだけど、場繋ぎのロッカーが急に出られなくなっちゃってね」
オーナーは苦笑しつつ答えた。
舞奈はそれが、萩山光のことだと思った。
悪魔術師にしてロッカーの彼は、以前にあずさのコンサートの場繋ぎを受け持った。
だが今や、彼は【協会】の構成員だ。
歌う以外にもやらなければならない仕事があるのだろう。
訳知り顔でそんなことを考える舞奈を尻目に、
「そこでだ、今度の日曜日にステージに立ってみるかい?」
オーナーは委員長に申し出た。
「桜の歌唱力はあずさちゃん並ってことなのね! でも桜、まだ心の準備が」
「……おまえじゃないから、向こうで座ってろ」
きゃーっと喜ぶ桜の寝言に、舞奈はやれやれと苦笑する。
一方、当の委員長は目を丸くして驚いていた。
無理もない。
ロックの腕前は確かなものの、委員長は桜と違って常識人だ。
それでも、
「いいんじゃないのか?」
「うんうん、委員長なら素敵なステージができると思うな」
「桜も応援するのー!」
皆に促され、
「皆の期待に応えられるよう、頑張るのです!」
委員長はその申し出を引き受けることにした。
彼女はクラス委員長にして、ロッカーだ。
だから緊張した面持ちながらも、照れたような満面の笑みを浮かべていた。
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