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第3章
【3.1.1】 消えゆく精霊。
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「何かが、そこに…いるの?」
菅原が、ぼそぼそと聞こえるか聞こえないかぐらいの声で呟いた。無意識に閉じられたファイルが、菅原の目の前の机に置かれる。
積まれたファイル、薄暗い部屋、先生たちの労働環境が伺える、その顔色。伸びっぱなしの髪。
「見えますか?」
「いや、見える気も、しないことも、ない、けど、たぶん、見えて、いない。」
倫太郎の手元から目を離さずに紡いだ菅原の言葉は、どこか落胆したような憂いを帯びながらも、面白いぐらい片言で、倫太郎は思わず苦笑する。
ギンに会ったばかりの自分は、きっとこんな感じだったのだろう。
先生になら、もしかしたら見えるかもしれないと思ったが、ここまで小さくなってしまった精霊は、もう形として捉えることができないのかもしれない。手元でふわふわと泳ぐそれが、ひどく嬉しそうにしているように感じるのは、倫太郎という食料にありついて、喜んでいるからかもしれないと、倫太郎は目を細めて微笑んだ。その姿が見えるということが、単純に嬉しかった。
その時だ。
コツコツコツ。
何かを叩く乾いた音がして、三人が揃って顔を上げる。妙な緊張感が、余計に増したような気がした。
「や、やだ。今度は、何?」
神田が、倫太郎の袖を握って揺らす。菅原も、少し青ざめているだろうか。音の出所を探すかのように、忙しなく頭を動かしている。
倫太郎は音のした方、窓の方を見るが、カーテンが閉め切られていて外を見ることはできない。倫太郎に近づかれて焦って脇に避けた菅原の横を、「失礼します。」と言って通り過ぎて窓に近づくと、そのカーテンをシャッという音と共に勢いよく開けた。
「ひやあああああ!」
カーテンが開けられて、部屋に差し込んだ光が、奇声をあげて蹲った神田を照らす。窓の向こうでは、ギンが腹を抱えて笑い、クロがその肩に乗って呆れたような顔をしていた。
校舎の二階に位置する社会科準備室の外で、太陽が照らす銀色の髪の毛が、キラキラと輝いていた。
「図書室とかいうところの奥で見つけた。」と言ってギンが持って来たのは、「郷土史」と書かれた分厚い本だった。
窓から入ってきた彼らの姿に、神田と菅原は完全に固まってしまった。子供の見た目のギンは、窓を開けてやれば難なくその窓枠をくぐり抜け、一度だけ周りを見回すと、「ここもまた、気持ち悪い場所だな。」と言った。
倫太郎の肩に飛び移ったクロは、倫太郎の首にその身体を擦りつけてから、見下ろすようにしてその手元を覗き込んだ。尻尾がゆらゆらと揺れ、倫太郎の顔をくすぐる。
「もうすぐ、逝くのか。」
「消えちゃう?」
「わからん。でももう、意思疎通ができるような力は無い。」
優しく守るように、もう片方の手でそれを包み込む。倫太郎の何かを食べて、少しでも力を取り戻してほしいと、そう願う。
「安売りするな。お前は私のものだ。」
「減るものなの?」
「実際に、お前以外の人間たちのそれは、減っているだろう?」
この精霊がついていたのは、菅原だ。この精霊にとっての餌であるはずの菅原を見れば、日差しが入って明るくなった部屋の中、驚き固まったままのその目は、黒縁眼鏡でも隠せないほどに隈が酷く、疲れ切っているように見える。
倫太郎に目を向けられた菅原は、はっと意識を取り戻し、頭を左右に振ると「それは、猫?」と倫太郎の肩にいるクロを指差して聞いた。
「下等動物と一緒にするな。」
クロがお決まりの台詞を言うと、菅原の目はより一層大きくなった気がする。少し赤く見えるそれは、寝不足か、ひどいドライアイか。明らかに疲れているその姿に、今のこの状況は少し申し訳ないなと倫太郎は心の中で頭を下げた。
「卒業文集とかいうのにくっついていた精霊がいたんだ。」
菅原の質問などどうでも良いとでも言うように、ギンが言った。楽しい玩具でも見つけたかのような雰囲気は、見た目のままで、その実情を知らなければとても微笑ましいものに見えるだろう。
「もう、そいつもだいぶ消えかかっていたけど。で、これを教えてくれた。」
そう言って、その手に持った「郷土史」と書かれた分厚い本を両手で掲げて見せた。少し黄ばんだ表紙が、その古さを物語っている。裏には、図書の管理に使うバーコードが貼られていた。
きっと、勝手に持ってきてしまったのだろう。後で貸し出しの申請をしなければ、というところまで考えて、ギンの顔を見れば、「お前、ほんとバカだな!」と声が聞こえそうな顔で倫太郎を見ていた。
ルールを破るということに、妙に恐怖心があるのは、そう育てられてきたからだろうか。倫太郎の根本の部分に根付いているそれを、今更どうこうできるとは思えない。後付けの思い込みを無くすことにさえ、こんなにも苦労しているのだから。
「郷土史、ですね?」
菅原が、おそるおそるとでもいった様子でギンに話しかけた。見た目は子供だ。恐怖の存在としての認識は、少し薄いのかもしれない。
かたやもう一方は小さな黒猫だ。言葉を話せるというそれは、未知なるものでありながら、その容姿については全くの恐怖心を抱かせない。しかも、喋る猫というのは、アニメの中ではテンプレでさえある。他の動物が言葉を喋るよりかは、ずいぶんと受け入れやすいだろう。
「お前、バカにしているだろう。」と、クロが倫太郎の顔にパンチを入れる。繰り広げられる猫パンチに、菅原の目が少し細められたような気がする。
(これがお岩さんだったら、神田は腰を抜かしただろうな。)
倫太郎がそんなことを考えて思わず苦笑すると、蹲ったままだった神田がゆっくりと立ち上がり、「怖い、ものじゃ、ない?」と倫太郎の袖を引っ張った。
「怖いものじゃないよ。」と言い切ってあげたいが、実際は「まだわからない。」というのが正しい答えだろう。どう伝えるべきか、倫太郎が考えあぐねていると、神田は焦らすように「ねぇえぇ!」と袖を揺らした。
「うるさい。」
クロが、神田に向かって言った。
クロに睨まれたらしい神田が、「ひぃいいいい!」と奇声をあげ、袖から手を離し後ずさる。
アニメのようなその動きに、「いちいち、わざとらしいな。」と倫太郎が苦笑すると、その笑顔に少し安心したのか神田が「へ?」と言って、しばらく倫太郎の顔を見た後、「もおぉおおお。」という不思議な声を上げて肩の力を抜いたのがわかった。
菅原が、ぼそぼそと聞こえるか聞こえないかぐらいの声で呟いた。無意識に閉じられたファイルが、菅原の目の前の机に置かれる。
積まれたファイル、薄暗い部屋、先生たちの労働環境が伺える、その顔色。伸びっぱなしの髪。
「見えますか?」
「いや、見える気も、しないことも、ない、けど、たぶん、見えて、いない。」
倫太郎の手元から目を離さずに紡いだ菅原の言葉は、どこか落胆したような憂いを帯びながらも、面白いぐらい片言で、倫太郎は思わず苦笑する。
ギンに会ったばかりの自分は、きっとこんな感じだったのだろう。
先生になら、もしかしたら見えるかもしれないと思ったが、ここまで小さくなってしまった精霊は、もう形として捉えることができないのかもしれない。手元でふわふわと泳ぐそれが、ひどく嬉しそうにしているように感じるのは、倫太郎という食料にありついて、喜んでいるからかもしれないと、倫太郎は目を細めて微笑んだ。その姿が見えるということが、単純に嬉しかった。
その時だ。
コツコツコツ。
何かを叩く乾いた音がして、三人が揃って顔を上げる。妙な緊張感が、余計に増したような気がした。
「や、やだ。今度は、何?」
神田が、倫太郎の袖を握って揺らす。菅原も、少し青ざめているだろうか。音の出所を探すかのように、忙しなく頭を動かしている。
倫太郎は音のした方、窓の方を見るが、カーテンが閉め切られていて外を見ることはできない。倫太郎に近づかれて焦って脇に避けた菅原の横を、「失礼します。」と言って通り過ぎて窓に近づくと、そのカーテンをシャッという音と共に勢いよく開けた。
「ひやあああああ!」
カーテンが開けられて、部屋に差し込んだ光が、奇声をあげて蹲った神田を照らす。窓の向こうでは、ギンが腹を抱えて笑い、クロがその肩に乗って呆れたような顔をしていた。
校舎の二階に位置する社会科準備室の外で、太陽が照らす銀色の髪の毛が、キラキラと輝いていた。
「図書室とかいうところの奥で見つけた。」と言ってギンが持って来たのは、「郷土史」と書かれた分厚い本だった。
窓から入ってきた彼らの姿に、神田と菅原は完全に固まってしまった。子供の見た目のギンは、窓を開けてやれば難なくその窓枠をくぐり抜け、一度だけ周りを見回すと、「ここもまた、気持ち悪い場所だな。」と言った。
倫太郎の肩に飛び移ったクロは、倫太郎の首にその身体を擦りつけてから、見下ろすようにしてその手元を覗き込んだ。尻尾がゆらゆらと揺れ、倫太郎の顔をくすぐる。
「もうすぐ、逝くのか。」
「消えちゃう?」
「わからん。でももう、意思疎通ができるような力は無い。」
優しく守るように、もう片方の手でそれを包み込む。倫太郎の何かを食べて、少しでも力を取り戻してほしいと、そう願う。
「安売りするな。お前は私のものだ。」
「減るものなの?」
「実際に、お前以外の人間たちのそれは、減っているだろう?」
この精霊がついていたのは、菅原だ。この精霊にとっての餌であるはずの菅原を見れば、日差しが入って明るくなった部屋の中、驚き固まったままのその目は、黒縁眼鏡でも隠せないほどに隈が酷く、疲れ切っているように見える。
倫太郎に目を向けられた菅原は、はっと意識を取り戻し、頭を左右に振ると「それは、猫?」と倫太郎の肩にいるクロを指差して聞いた。
「下等動物と一緒にするな。」
クロがお決まりの台詞を言うと、菅原の目はより一層大きくなった気がする。少し赤く見えるそれは、寝不足か、ひどいドライアイか。明らかに疲れているその姿に、今のこの状況は少し申し訳ないなと倫太郎は心の中で頭を下げた。
「卒業文集とかいうのにくっついていた精霊がいたんだ。」
菅原の質問などどうでも良いとでも言うように、ギンが言った。楽しい玩具でも見つけたかのような雰囲気は、見た目のままで、その実情を知らなければとても微笑ましいものに見えるだろう。
「もう、そいつもだいぶ消えかかっていたけど。で、これを教えてくれた。」
そう言って、その手に持った「郷土史」と書かれた分厚い本を両手で掲げて見せた。少し黄ばんだ表紙が、その古さを物語っている。裏には、図書の管理に使うバーコードが貼られていた。
きっと、勝手に持ってきてしまったのだろう。後で貸し出しの申請をしなければ、というところまで考えて、ギンの顔を見れば、「お前、ほんとバカだな!」と声が聞こえそうな顔で倫太郎を見ていた。
ルールを破るということに、妙に恐怖心があるのは、そう育てられてきたからだろうか。倫太郎の根本の部分に根付いているそれを、今更どうこうできるとは思えない。後付けの思い込みを無くすことにさえ、こんなにも苦労しているのだから。
「郷土史、ですね?」
菅原が、おそるおそるとでもいった様子でギンに話しかけた。見た目は子供だ。恐怖の存在としての認識は、少し薄いのかもしれない。
かたやもう一方は小さな黒猫だ。言葉を話せるというそれは、未知なるものでありながら、その容姿については全くの恐怖心を抱かせない。しかも、喋る猫というのは、アニメの中ではテンプレでさえある。他の動物が言葉を喋るよりかは、ずいぶんと受け入れやすいだろう。
「お前、バカにしているだろう。」と、クロが倫太郎の顔にパンチを入れる。繰り広げられる猫パンチに、菅原の目が少し細められたような気がする。
(これがお岩さんだったら、神田は腰を抜かしただろうな。)
倫太郎がそんなことを考えて思わず苦笑すると、蹲ったままだった神田がゆっくりと立ち上がり、「怖い、ものじゃ、ない?」と倫太郎の袖を引っ張った。
「怖いものじゃないよ。」と言い切ってあげたいが、実際は「まだわからない。」というのが正しい答えだろう。どう伝えるべきか、倫太郎が考えあぐねていると、神田は焦らすように「ねぇえぇ!」と袖を揺らした。
「うるさい。」
クロが、神田に向かって言った。
クロに睨まれたらしい神田が、「ひぃいいいい!」と奇声をあげ、袖から手を離し後ずさる。
アニメのようなその動きに、「いちいち、わざとらしいな。」と倫太郎が苦笑すると、その笑顔に少し安心したのか神田が「へ?」と言って、しばらく倫太郎の顔を見た後、「もおぉおおお。」という不思議な声を上げて肩の力を抜いたのがわかった。
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