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第1章

悪役令嬢は自分を見つめ直す。

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「なんだか、私がしてきたことは全て無駄だったのではないかと、そう思ってしまいます。」


 それは、エリザベスの正直な感想だった。皇太子殿下との間に、恋愛事は必要の無いものだと思っていたし、あっては逆に良くない物とさえ思っていた。お互い、国のためにある存在。そう教わってきたはずなのに、読み終えた後に残ったのは、今まで教わってきたそれらに対する疑問ばかりであった。

 愛に飢えていたマーガレットと、次期国王という重責に押しつぶされそうになりながら孤独と戦っていた皇太子。始めはお互いの勘違いや、エリザベスの妨害などもあって、すれ違っていた二人だったが、愛し合うようになるのは必然のように思えた。
 マーガレットの立場で読んでしまえば、「今まで不幸だった分頑張って、マーガレット!」と応援さえしてしまう自分がいる。でもふとした時に、自分はエリザベスだということを思い出すのだ。

 皇太子は、マーガレットに厳しく当たっていたエリザベスとの婚約を破棄すると宣言し、国王陛下のいるその場でマーガレットとの婚約を発表した。思わず微笑んでしまいそうな感動的な場面ではあったが、エリザベスとして実際に婚約破棄された時の衝撃もまだ残っている。悪夢を見たと目を覚ましたお陰で、少し朧気ではあるけれど。

 その後、我が家から皇太子妃が出るのなら否やは無しという両親に怒り狂ったエリザベスは、マーガレットに復讐を試みる。そんなエリザベスを、小説の中の登場人物として見ているエリザベスは、(だからといって、復讐はやりずぎなのでは?)と思うほどに冷静であった。
 でもそれは、客観的に見たエリザベスという人間と、いままで全く考えたことも無かったマーガレットの気持ちというものに気が付けたからこそわかるものであって、あの場にもし自分がいたら、小説の中のエリザベスのように「なぜ?」と思っていただろうということも理解できた。


「まあ、でも良かったんじゃない? 結婚する前に気が付いて。」


 そう言って、友梨がニヤリと笑う。その言葉の意味を、エリザベスもわかっていたが、言葉に出来ずに思わず口籠る。


「だって、ヤンデレはダメっしょ。ヤンデレは。」


 そう、ヤンデレ皇太子。小説に描かれているフィリップ殿下は、ヤンデレだったのだ。それでも、愛に飢えていたマーガレットにとっては、どうやら理想の伴侶となるらしい。


「ヤンデレ…。確かに、少しどうかとは思いましたけれど。」


 ヤンデレの意味も、今なら少しわかるわ!―――と、心の中で喜ぶエリザベス。わからなかったことがかわるようになる喜びは、それが自分に関わっていたことだとしても、変わらないらしい。しかし、段々とその内容が思い出されて、「ああっ」と顔をしかめた。

 小説の序盤では、もし殿下のそのヤンデレとも言われる強い想いが、自分に向いてくれていたらと思わなくも無かった。エリザベスの知る常に張り詰めた空気を纏っていた殿下が、マーガレットと出会い、交流を深めることによって徐々にその心を溶かしていくところなど、自分がその立場であれば…とも思った。
 マーガレットに囁く、熱を帯びた愛の言葉。皇太子と皇太子妃の間に愛は不要と言われても、それでも憧れてしまう自分がいたことを否定できない。

 しかし、話を読み進めていく内に、その考えが甘いものだとエリザベスは思い知る。

 
(まさか、あの殿下に皇太子妃の仕事などしなくて良いと、寝室に閉じ込められるとは! し、し、しかも、あんなあられもない恰好で!)


 エリザベスがとあるシーンを思い出し、真っ赤になった顔を両手で覆っていると、そんなエリザベスを生ぬるい目で見ていた友梨が「はは、何を思い出しているかはだいたい想像できるけど、お姉ちゃんが照れてるとか、超キモイ。」と言った。


(きもい、とは?)


 また意味のわからない言葉が出て、エリザベスがまだ赤いはずの顔をそっとあげると、それを覗き込むようにしていた友梨が、「でも、エリザベス。」と言葉を続けた。


「本の中のエリザベスとは、ずいぶん雰囲気が違うよね。そっちが本性?」


 エリザベスは、どうやらずいぶんと項垂れていたらしいことに気が付いて、んんっと咳払いをし、照れたようにしながら慌てて背筋を伸ばした。顔の赤味が少しでも引くように、貴族としての矜持を思い出そうとする。


「小説の中のツンデレエリたんも好きだけど、今の隠しきれていないエリザベスも好きだよ。見た目は、まああれだけど。お姉ちゃんだし。」


 そう言って、友梨が笑った。確かに、ずいぶんと気を抜いていたが、友梨の笑顔にまた力が抜けた。妹と姉の距離感というのは、本来こんなものなのだろうか。———そんな風に考えれば、やはり思い出すのは妹マーガレットの姿だ。


(そういえば、彼女の笑顔を最後に見たのはいつだっただろう。)


「そう、気になっていたのですが。」と、エリザベスは心に引っかかっていた言葉を聞いてみた。


「…ツンデレというのは、どのような意味なのですか?」


 すると、友梨は笑うでもなく、馬鹿にすることもなく、「そうだなぁ。」と顎に手を当てて考えるようにした。その様子に、ずいぶんとホッとしている自分がいることに、エリザベスは気が付いていた。片肘を張らなくても良いこの状況の心地良さに、先ほどからずっと力が抜けていくばかりだ。どれほど緊張していきてきたのだろうとさえ、思っていた。


「いつもはツンツンして冷たい感じなのに、本当はデレデレな人?」

「デレデレ?」

「んー、なんて言ったら良いんだろう? 本当はみんなと仲良くしたいと思っているのに、思わず厳しい態度をとってしまう人ってことかな。」


(なるほど。)


 思い当たる節が、たくさんあった。皇太子殿下と笑顔で話せるマーガレットが羨ましかったし、妬ましかった。キツくあたってしまって後悔したり、笑顔の練習をしてみたりもした。それを母親に相談したこともあったが、国母がそれをすればナメられると一蹴されただけだった。しかも、母親にそう言われて、自分も納得してしまったのだ。


(そうか、私はツンデレなのね。)


 思わず笑みが溢れる。友梨もそれを見て、笑ってくれる。心の中が何かで満たされていくような、そんな気がした。









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