龍は暁に啼く

高嶺 蒼

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第三部 新たな己への旅路

SS 雷砂とシンファ③

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 「おいで、雷砂。集落のみんなにお前を紹介するぞ」


 朝食の後、シンファにそう言われ、雷砂は素直にこっくりと頷いた。
 シンファはそんな雷砂に優しく目を細めた後、ふと雷砂の前に置かれた皿に目をとめ、首を傾げた。


 「ん?食事はもういいのか??腹はいっぱいになったか??」


 問われた雷砂は、自分の為に用意された皿に目を落とし、それから申し訳なさそうにシンファを見上げるとおずおずと頷く。
 正直に言えば、腹は減っている。
 だが、雷砂の目の前にあるのは申し訳程度に焼かれた肉の塊で。
 雷砂の幼い歯と顎では、うまくかみ切って咀嚼する事が難しいくらいには固かった。
 だが、雷砂の脳裏にそのことに対する不満はなく。
 ただあるのは、自分の為に用意された食事を残すことに対する申し訳なさだけだった。


 「ん、そうか。ならいいんだ。じゃあ、いくか」


 シンファはあっさり頷いて天幕の外へ出ると、おいでと雷砂を手招いた。
 小走りにシンファに追いついた雷砂は、ついついいつもと変わらぬ様子で歩くシンファの後を一生懸命について行く。
 その結果、シンファが目指す場所に着いた頃にはもうすっかり息が上がっていた。


 「みんな、ちょっといいか?」


 井戸の周辺に集まっていた数人の女達にシンファが声をかけると、彼女達は仕事の手を休めてシンファと雷砂の方へと目を向けた。
 彼女達はまずシンファへと視線を注ぎ、それから彼女の横に立つ見慣れない子供へと視線を落とす。
 悪気の無いものではあったが、好奇心に満ちた視線にさらされて、雷砂は少しだけシンファの足の方へと近づいた。

 何ともいえずに心細くて、その足にしがみつきたい気持ちではあったが、そうするだけの勇気はまだ無く、雷砂は困った顔で自分を見ている大人達を見上げた。
 そうこうするうちに、雷砂の顔立ちの綺麗さと、その宝石のような色違いの瞳に気づいた彼女達の口許からは感心したようなうなり声や、小さな吐息がこぼれる。
 そして彼女達の一人が、みんなを代表するように口を開いた。


 「びっくりするくらい、綺麗な子だねぇ。シンファ、どうしたんだい?その子??あんたの隠し子にしちゃあ、あんまり似ていないみたいだけど」


 冗談とも本気ともとれるそんな言葉を言いながらからかうようにシンファを見て、それから再び雷砂に視線を戻すとにっこり笑って膝を折った。
 そうやって雷砂の目線に自分の目線をあわせて、


 「初めまして、ぼうや。アタシはリチアっていうんだ。アタシにもぼうやと同じくらいのが二人いるから、後で一緒に遊んでやっとくれね?」


 優しい声音でそう話しかけてきた。
 彼女達と同じ言葉を話せはしないものの、なぜか理解は出来ている雷砂は、彼女の言葉におずおずと頷く。
 それを見たリチアは再び破顔すると、


 「素直そうないい子じゃないか。名前は?」


 言いながらシンファを見上げた。


 「名は雷砂。恐らく人族の子供だ。昨夜、巡回中に拾ってきた。今後は、拾った私が親代わりとなって面倒をみる事になったから、その事を伝えにきたんだ。言葉は話せないが、こちらの話す言葉の意味は分かっている。だから、今みたいに普通に話しかけてやってくれ。聡い子だから、きちんとこちらの言葉の意図する事は理解してくれるはずだ。慣れるまで時間はかかるだろうが、どうかよろしく頼む」


 雷砂を誉められた事が嬉しかったのだろう。
 少し、得意げな顔をしたシンファが、いつもより饒舌に雷砂の事情を説明し、目の前の女達に頭を下げた。
 彼女達はそんなシンファの様子を面白そうにながめ、それから憐れむように雷砂を見る。

 巡回中に拾われた……それは即ち、草原で拾われたと言うことであり、シンファが育てるということは、雷砂には身内がいないということ。
 そこから導き出される答えはそれほど多くない。

 雷砂が身内と一緒に草原に入った場合、その身内はすでに獣の腹の中ということになるだろうし、雷砂が一人で草原に入ったなら、恐らく口減らしか何かの為に身内から捨てられたということになる。
 どちらにしろ、幼い雷砂が不憫だと、女達の眼差しは自然と同情的になった。


 「そうかいそうかい。大変だったねぇ、雷砂。でも、ここにいればもう大丈夫だよ。ここの連中はみんな気のいい奴らばっかりだし、シンファも母親役としてはどうかと思うけど、頼りになることは間違いなさ。でも、可哀相にねぇ……ガリガリじゃないか。年は三つくらいかねぇ?子供はもっとまんまるじゃないと……」

 「三つ?五つくらいかと思ってたんだが」

 「おや、そうかい?五つにしちゃあ小さすぎると思うけどねぇ」

 「雷砂は人族の子供だからな。獣人族の子供の大きさを基準にしたらダメなんじゃないか?」

 「ああ、いわれてみれば確かに……」


 この子は本当は何歳なんだろうか、と二人の視線が自分に向くのを感じた雷砂は少し考えてから、開いた手のひらを二人に向けて突き出した。
 これで伝わるといいけれどと、そう思いながら。


 「五歳、か?ほら、リチア。やっぱり五歳だぞ?」

 「五歳……それなのにこんなに小さくて細っこいだなんて、心配だねぇ。ちょいと、シンファ。ちゃんとご飯は食べさせてるのかい?」

 「それはもちろん、今朝もちゃんと食事の用意はしたぞ?なあ、雷……」


 シンファの言葉にかぶるように、雷砂のお腹がクゥと小さな音を立てた。
 それを聞いたシンファは、あれ?と首を傾げ、リチアの眉がつり上がる。
 当の本人の雷砂はと言えば、恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいの気持ちでその顔を俯かせた。


 「雷砂はお腹を空かせているようだけど、これはどう言うことなんだい?」

 「いや、まて、リチア。私はちゃんと食事の用意はしたんだぞ?雷砂は小食で全部は食べられなかったみたいだが……」

 「小食で全部は食べられなかったって、あんた、いったいなにを作ってやったのさ?」

 「なにをって、いつも私が食べているのと同じものだぞ?ちょうど新鮮な肉があったから、その固まりを軽くあぶって味をつけてだな……」


 自分の説明が進むにつれて、リチアの目が細くすわっていく事に気がついたらしい。
 シンファの言葉は尻すぼみになり、最後には、


 「……そ、その。私はなにか間違った……のか?」


 恐る恐るリチアにそんな質問をぶつけた。
 リチアは困った奴だねぇとばかりに腕を組んで、ふんっと鼻から息を吐き出すと、


 「そりゃあ、アタシら獣人族の子供は小さくったって肉の塊を見れば目の色を変えて食らいつくだろうけど、人族の子供じゃあそうはいかないんじゃないのかい?」


 そう言いながら、リチアは再び雷砂の前に膝をついた。


 「ちょっといいかい、雷砂。大きくお口をあーんってして、おばさんに歯を見せておくれよ」


 リチアが手を伸ばすと、雷砂は素直に彼女に向かって口を開いて見せた。
 リチアはまず自分でその小さな口の中をのぞき込み、次いでシンファを手招くとその中を見てみるように促した。


 「ほら、思った通り、人族ってのは満足な犬歯なんてありゃあしない。顎だってまだ細いし、肉の塊を食べるなんて無茶をさせたら可哀相だよ」


 もう閉じていいよ、と促され、雷砂は口を閉じるとしょんぼりした様子で俯いた。
 自分ではよかれと思ってやったことで、シンファが叱られている。
 その事が申し訳なくて。

 ごめんなさいと謝りたくても言葉がわからず、悪いのはシンファじゃないとかばうことも出来ない。
 そんな雷砂の頭に、女性にしては大きな手のひらがそっと乗せられる。
 シンファの手だ、と気がついた雷砂が恐る恐る顔を上げると、思ったよりずっと近くにシンファの顔があって。


 「そうか。あの肉は、お前には食べにくかったんだな。気づいてやれなくてすまなかった」


 申し訳無さそうに告げられた彼女の言葉に、雷砂は慌てて首を横に振る。
 謝る事なんてないのだ。
 だって、雷砂は嬉しかったんだから。
 自分の為に用意された温かな食事。そして、それを一緒に食べてくれる人。
 確かに、あの肉を食べるのは大変だったけれど、でも嬉しかったのだ。
 シンファが自分のために料理をしてくれて、一緒にご飯を食べてくれて、本当に嬉しかった。
 だから。

 謝らないでほしいと伝えたくて、雷砂は必死に首を振る。
 シンファが困った顔をしているのはわかったが、それでも止めることなく。


 「優しい子だね。シンファ、アンタは悪くないって、雷砂は言ってるんだよ」


 雷砂の必死な思いに、先に気付いてくれたのはリチアの方だった。
 流石二人の子供の母親なだけあり、子供の言葉にならない思いを読み解くことには一日の長があったようだ。

 その言葉に、シンファははっとしたような顔をし、それから何ともいえない顔で微笑んで雷砂をそっと抱き寄せた。
 やっと動きを止めた雷砂だが、こんどはシンファの胸に抱かれてどうしていいかわからずに固まってしまう。


 「そうか。私を守ろうとしてくれたんだな……いい子だ、雷砂。強い子だな」


 耳元で聞こえるのは優しい優しい言葉。
 温かな温もりとその言葉に背中を押されるように、雷砂はおずおずと手を伸ばしてシンファの服をぎゅっと掴む。
 その温もりも、包み込まれる感触も、大好きな母のものとは少し違う。
 だが、与えられるその優しさは少しだけ、母のくれるそれに似ている気がした。
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