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第一部 幸せな日々、そして旅立ち
第四章 第十話
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右手に持った剣を収めることもせず、その場に立ち尽くしていた。
傷ついて疲れていたがそのせいではなく、ただ心に広がる悲しみが、その体をそこに縫い付けていた。
後ろから足音が聞こえてくる。
二種類の足音。
軽やかに駆けてくる音は、さっきの女性のものだろう。その後ろを追うように、もう一つの少し重めな足音が追いかけてくる。
それに気がついても雷砂は動かない。凍りついたように。
足音はゆっくりと近付いて―雷砂の前で止まった。
ふわりと花のような香りがして、頬に柔らかな掌の感触。
見開いたまま、何も景色を写していなかった瞳に徐々に光が戻り、地面に膝を着いて心配そうにこちらを覗き込んでいる女性の姿を映し出した。
彼女は両手を伸ばし、雷砂の頬を包み込むように触れていた。
伝わるぬくもりが気持ちよくて、張り詰めた表情がかすかに緩んだ。
「大丈夫?どこか痛い?怪我でもしたの?辛そうな、顔をしてる」
そう言われて、雷砂は首を傾げる。
全身に大小様々な傷はあるが、然程痛くは無い。
元々痛みには強いほうだし、行動に支障が出るほどの傷は受けなかった。放っておいても2、3日で綺麗に直ってしまう、そんな些細な傷だ。
「大した怪我じゃない。大丈夫。痛くないよ」
目の前の女性を安心させたい一心で微笑んでみせる。
でも、彼女の心配そうな顔は晴れない。
「なら、どこが痛いの?」
その問いかけに自問する。
どこが痛いのか?体は痛くない。深刻な打撃は一切受けなかったのだから。
なら、どこが痛むのだろう?
目の前の人をこれほど心配させるほどの痛みを、自分はどこに受けたのだろうか。
そんな事を考えながら、ふっと右手に目をやった。
握ったままの短剣。
その剣にも、右手にも、あの獣を貫き浴びたはずの血は一滴たりとも残っていない。
彼の存在が消滅すると共に、その体液も大気に溶けて消えてしまった。
もうどこにも彼の痕跡は無い。その事を思うと、胸が―。
あぁ……かすかな吐息と共に思い至る。
どこが痛むのか―その問いかけに対する答えは唯一つ。
「……心」
搾り出すように言葉を紡いだ瞬間、瞳から熱い何かが溢れた。
それを拭うように女性の掌がそっと動き、それからいたわる様に雷砂の体を優しく抱きしめた。
体全体を包み込むような暖かさが心地よくて、雷砂はそっと目を閉じた。その耳に、柔らかな声が降ってくる。
「あの黒い大きな子、君の友達だったの?」
「そうじゃない。友達なんかじゃ、無かったよ。でも一度だけ会った事がある。まだ若くて、やんちゃで、怖いもの知らずで……精一杯、楽しそうに生きてた」
「そう……」
背中に回された腕に力が込められ、「ごめんね」と彼女の声が届く。戦わせてしまってごめん、と。
雷砂は首をふる。
彼女が謝る必要など無いのだと。戦う事を選んだのは自分。守りたいと思ったのも自分。
誰かがそうしなければならなかった。
それにたとえ、自分以外の誰かが、あの獣を倒してくれると言ったとしても譲りはしなかっただろう。彼を知る者として。
自分の手で送ってやれて良かったのだ。心からそう思っている。
ただ、悲しさはある。その想いから浮上するのには少しだけ時間が必要だった。
つたない言葉で、そんな思いを彼女に伝えた。
彼女は頷き、ただ雷砂を抱きしめてくれていた。雷砂も、無理にそこから抜け出そうとはしなかった。
「君の涙が止まるまでこうさせていて。しっかり泣いたほうがすっきりするから」
その言葉に甘える事にした。
強張った身体から、余分な力が抜けていく。彼女のぬくもりに身を預け、ほっと息をついた時、
「ありがとう、助けてくれて。あなたのおかげで、私、今もこうして生きていられる。あなたが、助けに駆けつけてくれたおかげで……。本当に、ありがとう」
耳に響いた吐息のような感謝の言葉。
その言葉は優しく心の痛みを包みこんでくれた。
傷ついて疲れていたがそのせいではなく、ただ心に広がる悲しみが、その体をそこに縫い付けていた。
後ろから足音が聞こえてくる。
二種類の足音。
軽やかに駆けてくる音は、さっきの女性のものだろう。その後ろを追うように、もう一つの少し重めな足音が追いかけてくる。
それに気がついても雷砂は動かない。凍りついたように。
足音はゆっくりと近付いて―雷砂の前で止まった。
ふわりと花のような香りがして、頬に柔らかな掌の感触。
見開いたまま、何も景色を写していなかった瞳に徐々に光が戻り、地面に膝を着いて心配そうにこちらを覗き込んでいる女性の姿を映し出した。
彼女は両手を伸ばし、雷砂の頬を包み込むように触れていた。
伝わるぬくもりが気持ちよくて、張り詰めた表情がかすかに緩んだ。
「大丈夫?どこか痛い?怪我でもしたの?辛そうな、顔をしてる」
そう言われて、雷砂は首を傾げる。
全身に大小様々な傷はあるが、然程痛くは無い。
元々痛みには強いほうだし、行動に支障が出るほどの傷は受けなかった。放っておいても2、3日で綺麗に直ってしまう、そんな些細な傷だ。
「大した怪我じゃない。大丈夫。痛くないよ」
目の前の女性を安心させたい一心で微笑んでみせる。
でも、彼女の心配そうな顔は晴れない。
「なら、どこが痛いの?」
その問いかけに自問する。
どこが痛いのか?体は痛くない。深刻な打撃は一切受けなかったのだから。
なら、どこが痛むのだろう?
目の前の人をこれほど心配させるほどの痛みを、自分はどこに受けたのだろうか。
そんな事を考えながら、ふっと右手に目をやった。
握ったままの短剣。
その剣にも、右手にも、あの獣を貫き浴びたはずの血は一滴たりとも残っていない。
彼の存在が消滅すると共に、その体液も大気に溶けて消えてしまった。
もうどこにも彼の痕跡は無い。その事を思うと、胸が―。
あぁ……かすかな吐息と共に思い至る。
どこが痛むのか―その問いかけに対する答えは唯一つ。
「……心」
搾り出すように言葉を紡いだ瞬間、瞳から熱い何かが溢れた。
それを拭うように女性の掌がそっと動き、それからいたわる様に雷砂の体を優しく抱きしめた。
体全体を包み込むような暖かさが心地よくて、雷砂はそっと目を閉じた。その耳に、柔らかな声が降ってくる。
「あの黒い大きな子、君の友達だったの?」
「そうじゃない。友達なんかじゃ、無かったよ。でも一度だけ会った事がある。まだ若くて、やんちゃで、怖いもの知らずで……精一杯、楽しそうに生きてた」
「そう……」
背中に回された腕に力が込められ、「ごめんね」と彼女の声が届く。戦わせてしまってごめん、と。
雷砂は首をふる。
彼女が謝る必要など無いのだと。戦う事を選んだのは自分。守りたいと思ったのも自分。
誰かがそうしなければならなかった。
それにたとえ、自分以外の誰かが、あの獣を倒してくれると言ったとしても譲りはしなかっただろう。彼を知る者として。
自分の手で送ってやれて良かったのだ。心からそう思っている。
ただ、悲しさはある。その想いから浮上するのには少しだけ時間が必要だった。
つたない言葉で、そんな思いを彼女に伝えた。
彼女は頷き、ただ雷砂を抱きしめてくれていた。雷砂も、無理にそこから抜け出そうとはしなかった。
「君の涙が止まるまでこうさせていて。しっかり泣いたほうがすっきりするから」
その言葉に甘える事にした。
強張った身体から、余分な力が抜けていく。彼女のぬくもりに身を預け、ほっと息をついた時、
「ありがとう、助けてくれて。あなたのおかげで、私、今もこうして生きていられる。あなたが、助けに駆けつけてくれたおかげで……。本当に、ありがとう」
耳に響いた吐息のような感謝の言葉。
その言葉は優しく心の痛みを包みこんでくれた。
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