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第一部 幸せな日々、そして旅立ち
第五章 第八話
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草原の風が鉄臭い、嫌な匂いを運んできた。
それは血の匂いだ。まだ遠いが、かなり大量に流された、血の香り。
ただの人ではまだ気付かぬであろうその匂いを敏感に嗅ぎ取り、雷砂は足を緩めることなく駆け続けながら、密かに眉をひそめた。
何があったのか、ここからではまだ分からない。
だが、この所、村の周辺で嫌な事件が立て続けに起こっている。旅芸人の一座の件、相次ぐ行方不明者……
何かが狂い掛けているのだ。この世の理の何かが。
頭の隅を、不安がよぎる。
脳裏に浮かぶのは、幼く愛らしい、妹の様にも思っている少女の姿。
間に合うだろうかー唇をきつく噛み、そんな事を思う。この血の匂いが、もしミルファーシカのものだったら……
そんな考えたくも無い想像が胸を塞ぐ。
まだ、10にも満たないのだ。神世に招かれるには早すぎる。
匂いが、近付いてくる。もう少し行けば見えてくるだろう。
ここまで近くに来て分かったが、漂う血臭の殆どが同種の獣のものだった。
恐らくラグディンガと呼ばれる獣のものだろう。
ほんの少しだけ息をつく。安堵の息を。
だが、安心しきるのはまだ早かった。獣の血の匂いが強すぎて、流石の雷砂にもその中に人の血の匂いが混じっているかどうかまでは判別出来なかったのだ。
「ミルファーシカ……」
どうか、無事でー祈るように彼女の名を唇に乗せ、雷砂は更に足を早めた。
早く。少しでも早く。
彼女はきっと、待っているに違いないから。
最初に見えたのは草原をまだらに染める赤い色。
やがて、その中に獣達の引き裂かれた抜け殻が見えて、そして……折り重なるように倒れる小さな人影が二つ、見えた。
息を呑み、足を早める。
視界の中、どんどん大きくなるその人影はどちらも動かない。恐怖に気を失っているのか、あるいはもしや……
不吉な予感に恐怖が沸き起こる。
雷砂にとって失うことは恐怖だった。
幼い頃、親もなく草原に投げ出された雷砂は、失う事を極端に恐れた。大切なものが自分の指の隙間から逃げて消えてしまう事を。
恐怖に足がすくむ。
あと少しで倒れた人影の元にたどり着く。
だが、雷砂の足どりは徐々にその勢いをなくし、ついには止まってしまった。
折り重なるようにうつぶせに倒れているから、まだ二人の顔は見えない。
僅かに乱れている呼吸を整えるように足を止めたまま、ぎゅっと目を閉じた。祈るように。自分に言い聞かせるように。
そして己に命じる。あの子はまだ生きている。早く助けに行けと。
震える息を吐き出し、足を踏み出した。後ほんの数メートル。その距離がやけに遠く感じた。
倒れた二人の、そのすぐ側に膝をつく。
最初に見えたのは少女の顔だ。
手を伸ばし頬に触れると、長いまつげがかすかに震えた。生きている。
ほっと息をつき、少女を守るように意識を失っている少年の身体にも手を伸ばした。
手に伝わってきたのは、生きている人間の暖かさ。見たところ、二人とも怪我はなさそうだった。
雷砂は一つ頷き、まずは少年の体を抱き上げる。
雷砂がその存在を求め顔を巡らせると、いつの間にかすぐ近くに大きな銀狼の姿があった。
忠実な友に微笑みかけ、抱き上げていたキアルの体をその背に預ける。
そして再び膝をつくと、今度はミルファーシカの体を優しく抱き上げた。
眼差しでロウに合図をし、極力振動の無い様に気をつけながら、だがなるべく急いでその場を後にした。
二人が眼を覚まし、血に染まった大地を再び目にしてしまうことが万に一つも無いように。
少しでも早く、この凄惨な現場から二人を離したい一心で雷砂は足を早め、ロウもまたそれに従うのだった。
それは血の匂いだ。まだ遠いが、かなり大量に流された、血の香り。
ただの人ではまだ気付かぬであろうその匂いを敏感に嗅ぎ取り、雷砂は足を緩めることなく駆け続けながら、密かに眉をひそめた。
何があったのか、ここからではまだ分からない。
だが、この所、村の周辺で嫌な事件が立て続けに起こっている。旅芸人の一座の件、相次ぐ行方不明者……
何かが狂い掛けているのだ。この世の理の何かが。
頭の隅を、不安がよぎる。
脳裏に浮かぶのは、幼く愛らしい、妹の様にも思っている少女の姿。
間に合うだろうかー唇をきつく噛み、そんな事を思う。この血の匂いが、もしミルファーシカのものだったら……
そんな考えたくも無い想像が胸を塞ぐ。
まだ、10にも満たないのだ。神世に招かれるには早すぎる。
匂いが、近付いてくる。もう少し行けば見えてくるだろう。
ここまで近くに来て分かったが、漂う血臭の殆どが同種の獣のものだった。
恐らくラグディンガと呼ばれる獣のものだろう。
ほんの少しだけ息をつく。安堵の息を。
だが、安心しきるのはまだ早かった。獣の血の匂いが強すぎて、流石の雷砂にもその中に人の血の匂いが混じっているかどうかまでは判別出来なかったのだ。
「ミルファーシカ……」
どうか、無事でー祈るように彼女の名を唇に乗せ、雷砂は更に足を早めた。
早く。少しでも早く。
彼女はきっと、待っているに違いないから。
最初に見えたのは草原をまだらに染める赤い色。
やがて、その中に獣達の引き裂かれた抜け殻が見えて、そして……折り重なるように倒れる小さな人影が二つ、見えた。
息を呑み、足を早める。
視界の中、どんどん大きくなるその人影はどちらも動かない。恐怖に気を失っているのか、あるいはもしや……
不吉な予感に恐怖が沸き起こる。
雷砂にとって失うことは恐怖だった。
幼い頃、親もなく草原に投げ出された雷砂は、失う事を極端に恐れた。大切なものが自分の指の隙間から逃げて消えてしまう事を。
恐怖に足がすくむ。
あと少しで倒れた人影の元にたどり着く。
だが、雷砂の足どりは徐々にその勢いをなくし、ついには止まってしまった。
折り重なるようにうつぶせに倒れているから、まだ二人の顔は見えない。
僅かに乱れている呼吸を整えるように足を止めたまま、ぎゅっと目を閉じた。祈るように。自分に言い聞かせるように。
そして己に命じる。あの子はまだ生きている。早く助けに行けと。
震える息を吐き出し、足を踏み出した。後ほんの数メートル。その距離がやけに遠く感じた。
倒れた二人の、そのすぐ側に膝をつく。
最初に見えたのは少女の顔だ。
手を伸ばし頬に触れると、長いまつげがかすかに震えた。生きている。
ほっと息をつき、少女を守るように意識を失っている少年の身体にも手を伸ばした。
手に伝わってきたのは、生きている人間の暖かさ。見たところ、二人とも怪我はなさそうだった。
雷砂は一つ頷き、まずは少年の体を抱き上げる。
雷砂がその存在を求め顔を巡らせると、いつの間にかすぐ近くに大きな銀狼の姿があった。
忠実な友に微笑みかけ、抱き上げていたキアルの体をその背に預ける。
そして再び膝をつくと、今度はミルファーシカの体を優しく抱き上げた。
眼差しでロウに合図をし、極力振動の無い様に気をつけながら、だがなるべく急いでその場を後にした。
二人が眼を覚まし、血に染まった大地を再び目にしてしまうことが万に一つも無いように。
少しでも早く、この凄惨な現場から二人を離したい一心で雷砂は足を早め、ロウもまたそれに従うのだった。
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