龍は暁に啼く

高嶺 蒼

文字の大きさ
41 / 248
第一部 幸せな日々、そして旅立ち

第五章 第九話

しおりを挟む
 「ロウ、周囲を警戒していてくれ。大丈夫だとは思うけど、今日はもうこれ以上、こいつらに怖い思いをさせたくないんだ」

 雷砂のその言葉に答えるように、大きな体躯を翻し、銀の狼が草の間に消えていった。
 その姿を見送ってから、地面に横たえた幼馴染二人に目を移す。
 二人はまだ眼を覚まさない。
 眠る二人の表情は穏やかで、雷砂は微笑み、その傍らに腰を下ろした。
 周囲に不穏な気配は無く、小さな泉は清浄な水をたたえている。

 ここは雷砂の住居から程近くにある、秘密の場所だった。
 あまり大きな水場でないせいか、危険な獣が来ることはほとんど無く、知っているのは雷砂とロウ、そしてシンファだけ。
 他の誰も、ここへは連れて来た事がなかった。

 「連れて来てやりたかったけど、草原は危険だからな……」

 優しく瞳を細めて、ミルファーシカの柔らかな髪を指先ですく。
 この泉は穏やかで美しい。
 時には可愛らしい小動物が姿を見せることもある。
 ここへ連れて来てやっていたら、きっと彼女はとても喜んだに違いない。

 だが、この年下の少女と会う時は、いつも自分の方が会いに行っていた。
 草原は危険だから、決して彼女の事を自分の住居に招くこともしなかった。
 しかし、村の者の中にも腕に覚えのある者は居て。彼らはたまに、他の村人に頼まれて雷砂の住居を訪れる事もあった。
 その内の誰かから、彼女は雷砂の住処の場所を聞いたのだろう。
 話した方も、まさか少女が一人で草原に入るとは思っていなかったに違いない。
 実際にはお供が一人居たわけだが、それでも無理な話だ。そのお供が武術や剣術のとりえの無いただの子供であれば尚更の事。

 「おてんばだとは思っていたが、まさかここまでとはな。ったく、あんまり心配させてくれるなよ」

 答えが無いことは承知しつつも、呟くような声で話しかけながら苦く笑う。
 そして、今度はもう一人の少年の顔を覗き込んだ。
 彼は、少し寝苦しそうに眉をひそめていた。悪い夢を見ているのかも知れない。
 小さな手が胸元をぎゅっと握り締めていた。

 「キアル?」

 名前を呼び、起こしてやろうと手を伸ばし、身を寄せた瞬間、不快な匂いが鼻をついた。
 それは生き物が腐っていく時の匂い。ほんのかすかな匂いだが、雷砂の鼻にははっきりと感じられた。

 怪我をしているのかと、目線で少年の身体を精査する。
 傷口が化膿してその匂いを発しているのかと思ったからだ。
 見た感じ、特に怪我をしている箇所は見つからない。
 手を伸ばし、少年の細い身体を探るが、それでも怪我をしている部位は無いように思えた。
 そうこうしているうちに、小さく身じろぎをし、少年がうっすらと目を開いた。
 目線がしばらく宙をさまよい、それから雷砂の上に止まる。


 「ライ……」

 「ん?」

 「来てくれたんだね」

 「ああ。遅くなって悪かったな。よく、頑張った」


 微笑みかけると、彼もほっとしたように控えめな微笑を見せた。


 「怪我は、無いか?」

 「うん。大丈夫」


 その答えを聞いて、雷砂はしばし考え込む。
 怪我が無いならあの匂いは何なのか。何かの移り香なのか。だとすればいったい何から匂いが移ったのだろう。

 「怒ってる、よね?ごめん、危ない事をして」

 考え込み、難しい顔で黙ったままの雷砂に不安を感じたのだろう。少年がおずおずとそんな言葉を口にする。
 眉を八の字にして、申し訳なさそうに見上げてくる幼さの残るその顔を見て、思わず安心させるように微笑んでいた。
 本当は怒らなければいけないのだろう。
 だが、心の底から反省している相手に向かって、むやみやたらと怒る気にはなれなかった。
 手を伸ばし、少年の短い髪をかきまぜる。

 「悪い事したって、わかってるならいい。もう、しないだろ?」

 少年の顔を覗き込み、再び微笑んだ。
 間近で見た綺麗な笑顔に思わず頬を染めながら、少年は雷砂の目を見返し、しっかりと頷いた。


 「うん。しない」

 「よし、いい子だ」

 「そうだ、ミルは?ミルも大丈夫?」

 「ん。ミルも無事だよ。お前がちゃんと守ってくれたおかげだ。な、一体何があった?オレが来るまでの間に」

 「うん。それが……」


 その時の事を思い出したのか、少年は僅かに表情を曇らせ、それからゆっくりと言葉を紡ぎだした。






 「黒い、獣」

 「うん。あっという間だったよ。ほんとに、あっという間だった」


 あの時の光景が目に浮かぶようで、キアルは青い顔を更に青くした。
 そんな彼を気遣うように見ながらも、雷砂は更に問いを重ねる。


 「そうか。その獣の瞳の色はもしかして……」

 「うん。紅かった。まるで血の色みたいに」


 予想された答えだった。
 ただの獣にあれ程の惨状を引き起こせるわけが無いとは思っていた。
 十数頭であれば可能かもしれない。
 だが、あの場にあった獣の残骸は少なく見積もっても数十頭分はあった。
 下手をすれば百頭に届く規模の群れであったとしてもおかしくはなかった。
 それほどの数の獣を完膚なきまでに殺し尽くす……そんなことの出来る存在といえば……

 「魔鬼、だな」

 それしか考えられなかった。
 草原の覇者とも言えるヴィエナスタイガーやグラスウルフ等の大型肉食獣であっても、1対多数で戦って勝利を収めることは難しい。
 相手の数が多ければその勝率は極端に下がっていく。そんなことが出来るほどにでたらめな存在などそうそう居るものではない。

 「たぶん、そうだと思う」

 雷砂の言葉に同意するように、キアルも青ざめた顔をうなずかせた。

 「そうか……。最近この辺りを騒がせてるのと同じ奴なのかもな。……それにしても」

 微笑み、年下の少年の、まだあどけない頬に手を伸ばす。


 「本当に無事で良かった。やつはお前達を襲おうとはしなかったのか?」

 「うん。むしろ、助けに来てくれたような感じだった」

 「助けに……?」


 思わず首をかしげた。魔鬼という存在にとって、人間は捕食対象でしかないはず。
 少なくとも、今まで雷砂が関わった件や数少ない文献で調べた件ではそうだった。
 人に味方する魔鬼など聞いたことが無い。
 だが、何事にも例外はある。今回がその例外だったのかもしれない……雷砂は半ば無理やり自分を納得させた。
 とにかく、二人はその魔鬼の例外的な気まぐれのおかげで助かったのだ。
 そうでなければ、二人もあの場所で幼い命を散らしていたに違いない。そう考えてぞっとし、それから二人の無事を思い心底ほっとした。
 ふと見ると、キアルの瞼が今にも落ちてしまいそうだった。無理も無い。疲れているのだ。

 「眠っていいぞ?村まで、オレとロウできちんと連れて帰るから」

 そう言って笑いかけると、キアルも安心した顔で笑った。
 それから目を閉じると、あっという間に寝息を立て始めた。

 しばし静寂が落ちる。
 聞こえるのは風が奏でる草のささやきと、子供達の小さな寝息だけ。
 色々と気にかかる事はある。だが今は。
 二人のあどけない寝顔を見つめながら、雷砂は微笑を深める。
 危険な状況の中、二人は無事だった。怪我一つ無く。今はただ、その幸運だけを思いながら。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

『召喚ニートの異世界草原記』

KAORUwithAI
ファンタジー
ゲーム三昧の毎日を送る元ニート、佐々木二郎。  ある夜、三度目のゲームオーバーで眠りに落ちた彼が目を覚ますと、そこは見たこともない広大な草原だった。  剣と魔法が当たり前に存在する世界。だが二郎には、そのどちらの才能もない。  ――代わりに与えられていたのは、**「自分が見た・聞いた・触れたことのあるものなら“召喚”できる」**という不思議な能力だった。  面倒なことはしたくない、楽をして生きたい。  そんな彼が、偶然出会ったのは――痩せた辺境・アセトン村でひとり生きる少女、レン。  「逃げて!」と叫ぶ彼女を前に、逃げようとした二郎の足は動かなかった。  昔の記憶が疼く。いじめられていたあの日、助けを求める自分を誰も救ってくれなかったあの光景。  ……だから、今度は俺が――。  現代の知恵と召喚の力を武器に、ただの元ニートが異世界を駆け抜ける。  少女との出会いが、二郎を“召喚者”へと変えていく。  引きこもりの俺が、異世界で誰かを救う物語が始まる。 ※こんな物も召喚して欲しいなって 言うのがあればリクエストして下さい。 出せるか分かりませんがやってみます。

ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。

タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。 しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。 ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。 激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
コミカライズ企画進行中です!! 2巻2月9日電子版解禁です!! 紙は9日に配送開始、12日ごろに発売となります。 【書籍版 大ヒット御礼!オリコン18位&2巻出版!】 皆様の熱狂的な応援のおかげで、書籍版『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』が、コミカライズ決定いたしました!現在企画進行中!!そしてオリコン週間ライトノベルランキング18位、そしてアルファポリス様の書店売上ランキングでトップ10入りを記録しました! 本当に、本当にありがとうございます! 皆様の応援が、最高の形で「続刊(2巻)」へと繋がりました。 市丸きすけ先生による、素晴らしい書影も必見です! 【作品紹介】 欲望に取りつかれた権力者が企んだ「スキル強奪」のための勇者召喚。 だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。 彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。 【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc. その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。 欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。 気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる! 【書誌情報】 タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』 著者: よっしぃ イラスト: 市丸きすけ 先生 出版社: アルファポリス ご購入はこちらから: Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/ 楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/ 【作者より、感謝を込めて】 この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。 そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。 本当に、ありがとうございます。 【これまでの主な実績】 アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得 小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得 アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞 第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過 復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞 ファミ通文庫大賞 一次選考通過

異世界ビルメン~清掃スキルで召喚された俺、役立たずと蔑まれ投獄されたが、実は光の女神の使徒でした~

松永 恭
ファンタジー
三十三歳のビルメン、白石恭真(しらいし きょうま)。 異世界に召喚されたが、与えられたスキルは「清掃」。 「役立たず」と蔑まれ、牢獄に放り込まれる。 だがモップひと振りで汚れも瘴気も消す“浄化スキル”は規格外。 牢獄を光で満たした結果、強制釈放されることに。 やがて彼は知らされる。 その力は偶然ではなく、光の女神に選ばれし“使徒”の証だと――。 金髪エルフやクセ者たちと繰り広げる、 戦闘より掃除が多い異世界ライフ。 ──これは、汚れと戦いながら世界を救う、 笑えて、ときにシリアスなおじさん清掃員の奮闘記である。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

処理中です...