龍は暁に啼く

高嶺 蒼

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第二部 旅のはじまり~小さな娼婦編~

小さな娼婦編 第六十三話

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 旅立ちは、結局翌日の昼過ぎになった。
 宿を引き払い、馬車に荷物を積み込み、旅支度を終えた一座は、順に馬車へと乗り込んでいく。
 雷砂の乗る馬車は一座の女達がのる馬車。乗り込もうとした時、後ろから名前を呼ばれた。


 「雷砂」


 振り向き、声の主を見つめて雷砂は微笑む。


 「アレサ、見送りに来てくれたのか」

 「うん」

 「お母さんの調子はどう?」

 「元気だよ。本当はお母さんも一緒に来るって言ったけど、無理させないように置いてきたの」

 「そうか、良かった」

 「うん……」


 言葉が途切れ、アレサが俯く。
 雷砂は手を伸ばし、自分より少し上にあるアレサの頭をそっと撫でた。


 「見送り、ありがとな。そろそろ行くよ」


 そう言って背を向けた雷砂の服の裾を、アレサがつかんで引き留めた。
 振り向いた雷砂の胸にぶつかるようにアレサが抱きつき、勢いよく唇を押し当てられた。
 柔らかな唇の感触と共に、がちっと音がして歯に衝撃。
 そんなに痛くは無かったが、二人揃って反射的に口元を手でおさえる。
 そして目を見合わせて、どちらからともなく笑みがこぼれた。アレサは少しだけ照れくさそうに、だが、色々と吹っ切れたように笑っていた。


 「えっと、餞別?」


 小首を傾げて雷砂が問うと、


 「違うわ。いってらっしゃいのキス。また、会いに来てくれるのよね?」


 アレサは胸を張って答える。最後の問いかけだけは、少し不安そうだったが。
 心配そうにこちらを見るアレサを見つめ返して微笑む。


 「そっか。そうだな。うん。また、会いに来る」

 「私の夜を、買ってるんだから、たまには様子を見に来ないとだめよ?」


 言い募る彼女を、優しく目を細めて眺め、


 「分かった。ちゃんと様子を見に来るから、お母さんと仲良くな?」


 そう答えてさっきより少し強めにわしわしと頭を撫でた。
 アレサは撫でられて乱れた頭を両手で整えながら、少しだけ唇を尖らせる。


 「……もう、子供扱いして。私より、年下のくせに」

 「ん?」


 アレサはぼそっと呟くが、雷砂は聞き損ねたのか、不思議そうな顔をする。


 「……なんでもない。気をつけてね?雷砂。あんまり無茶はダメだよ」

 「ああ。アレサも元気で。じゃあな?」


 そう言って、雷砂はあっさりと馬車に乗り込んでいった。
 雷砂が馬車に消えると、馬車の列はすぐに動き出し、アレサは一人、それを見送る。
 土煙を上げて走る馬車は、あっという間に姿を消して、辺りには静寂が戻った。

 アレサは、一筋こぼれた涙をぐいっと拭い、街の中へと帰って行く。母親が待つ、自分の家へと。
 そこがアレサの帰る場所、そしてアレサが生きていく場所だった。





 馬車の中に入ると、雷砂を待つ女が5人。
 恋人であったり、友人であったり、面倒を見なければいけない相手であったり。
 関係性は様々だが、みんなそれぞれ大切な相手でもある人達。

 セイラに手招きされて、その腕の中に飛び込むと、彼女はにっこり笑って雷砂の唇に顔を寄せた。
 キス?と思ったがそうじゃなく、彼女はぺろりと雷砂の唇を舐めて、


 「口、切れてるわよ?」


 そんな指摘。
 それを受けて、さっきぶつかってきたアレサの唇の事を思い出す。
 キスと言うにはつたない口づけだったが、キスはキスだ。
 怒ってるのかな~、とチラリとセイラを見上げれば、雷砂の目線を受けたセイラが苦笑を漏らして雷砂の頭をくしゃっと撫でる。


 「言っておくけど、別に怒ってないからね?」

 「ほんと?」

 「でも、雷砂が悪いと思ってるなら、お詫びはいつでも受け取るわよ?」

 「お詫び?」

 「そ。お詫び」


 セイラは微笑むが、なにをもってお詫びにしたらいいのか全くもって思いつかない。
 言葉で謝るだけではお詫びに足りないような気がするし、なら何か贈り物でもすればいいのだろうか?


 「えーっと、なにをしたら、お詫びになる、かな?」


 そんなことも分からないのかと、怒られることは覚悟の上で、おずおずと問いかける。
 セイラは雷砂の頬を両手で包み、雷砂の瞳をのぞき込んで、


 「キス、でいいわよ?」


 笑みを深めてそう答えた。
 その答えに、雷砂は拍子抜けしたようにセイラを見つめた。そんなことでいいのかと。キスなんて、毎日何度も、交わしあっているのに、と。
 だが、そんな雷砂の考えを見透かすようにセイラは唇を尖らせる。


 「そんなことでいいのかって、思ってるでしょ?」

 「えっと……うん」


 申し訳なさそうに頷くと、セイラは可笑しそうに笑って雷砂の鼻先にキスを落とした。
 そして言葉を紡ぐ。


 「そんな事じゃない。大事な事よ、雷砂。もし他の人にキスをしたなら、私にも同じだけキスをして。他の人を抱いたなら、私も同じだけ抱いてほしい。そして、他の人を愛したなら、私にも同じだけの愛を与えてくれなくちゃダメ」

 「セイラ……」

 「ね。大変でしょ?私、結構欲張りなのよ」


 重たくて、イヤになった?ーそう問いかけるセイラの言葉を吸い取るように唇をあわせ、彼女の体を痛いほど抱きしめる。
 そうして、しばらく触れ合うだけのキスをして、それから雷砂はセイラを見上げて微笑んだ。重たくなんかない。大好きだよ、と。


 「歯も、ぶつけなくちゃ」


 悪戯っぽいセイラの言葉を聞きながら、雷砂はその頬に唇を滑らせる。
 そして耳元でささやいた。歯がぶつかるのは痛いからやだよ、と。


 「痛いのも良いじゃない?青春って感じがして」

 「オレは痛いより、気持ちいい方がいいな」

 「エッチね」

 「セイラだって、その方が好きなくせに」


 唇と尖らせて主張すれば、違いないわねとセイラも笑い、それから不意に真剣な表情になって雷砂を見つめた。


 「私は雷砂が誰かを好きになるのを止めるつもりはないし、自分に縛り付けて置くつもりもない。これは本当。でも、一つだけ、覚えていて欲しいのは、誰を愛しても良いから、私のことも忘れずに愛して欲しいってことだけ」

 「セイラ」


 困ったように自分を見上げてくる雷砂を愛しそうに見つめて、


 「ま、私が雷砂の一番だって事は、絶対に変わりはしないと思うけどね」


 そう言って鮮やかに笑う。雷砂はまぶしそうにその笑顔を見つめ、それからもう一度彼女の唇にキスをした。
 そして照れくさそうな笑顔を見せ、


 「うん、セイラが一番だよ」


 ともにょもにょと呟くように伝えると、もじもじと上目遣いでセイラを見つめた後、彼女の体にぎゅっと抱きついた。
 セイラの肩に隠れ顔は見えなかったが、黄金色の髪からのぞく耳は見事に真っ赤だ。
 そんな雷砂の後ろ頭を、セイラは愛おしくてたまらないというように、何度も何度も、優しく撫でる。

 そうして抱き合う二人を、リインもロウもクゥもミカも、何とも羨ましそうに見ているが譲る気などない。
 今はまだ、雷砂の一番は自分のもの。
 その位置を自分から進んで譲る気など毛頭ない。
 美しい、高貴な獣のようなこの少女の内側に、誰よりも先に勇気を出して踏み込んだのは自分なのだから。
 セイラはそんな思いをかみしめながら、大切に大切に、愛しくてたまらない少女を、ただ抱きしめる。腕の中のぬくもりを、抱き返してくれる腕の締め付けを感じながら、セイラはこの上もなく幸せそうな微笑みを浮かべるのだった。

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