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第二部 旅のはじまり~星占いの少女編~
星占いの少女編 第十四話
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その日、享楽と占いの街レアンドルの占い師協会を一人の子供が訪れた。
黄金色の髪の綺麗な顔立ちをしたその子供は、受付をしていた職員に、ある占い師の名前を伝え、その情報を求めた。
レアンドルは占いを売りにしている街であり、占い師協会は占いを生業とする占い師達を管理し、助けるための場所でもある。
余程のことがない限り、ほとんどの占い師の記録が残されている。
もちろん、求められた人物の情報も残っていた。
その少女がこの街で占い師をしていたのはかれこれ十年以上前。
高名な占い師の元で修行をしていたが、素行が悪く、師匠に嫌われた。
対応した職員は当時も在籍しており、少女とも面識はあった。
大人しいが礼儀正しい少女で、素行が悪いなどという噂は信じがたかったが、彼女の師である占い師はこの街でも最高ランクといえる占い師であり、彼に逆らうことは難しかった。
推測ではあるが、恐らく兄弟子や姉弟子に、豊かな才能を疎まれたのではないだろうかというのが、協会内でのもっぱらの噂だった。
結局なにをしてやることも出来ず、少女は辻占いで生計を立てるようになった。
それでも、上手くやれば上にいくことも出来ただろう。それだけの、能力は十分にある子だったから。
だが、いかんせん、彼女は不器用すぎた。
しっかりとした客筋をつかむことも出来ないまま、彼女はどんどん疲弊していった。
みるみるうちにやせ細る彼女を見ていることが出来ずに、何度か食べ物を差し入れた事もあったが、しょせん焼け石に水だった。
そして、そうこうするうちにあの事故が起きたのだ。
先を急ぐ馬車の前に飛び出して、少女ははね飛ばされた。
見ていた人の話では、ほとんど即死だったという。
少女の遺体を協会でひとまず引き取って、家族に手紙を送った。
しかし、ただでさえ苦しい生活をしていたのであろう彼女の家族達が、少女を迎えに来れるはずもなく。
仕方ないから、職員たちで費用を出し合い、街の共同墓地に入れようかと相談をしていたら、そこに彼女を放逐したはずの占い師が現れた。
頑固なことで有名な年老いた占い師は、薄汚れて固くなった少女の頬をなでて、涙をこぼした。
もう一度素直に謝りさえすれば、受け入れるつもりだったのに、どうしてこんな、と。
結局、少女の遺体は彼女の師が連れ帰り、街の墓地へと埋葬したようだー個人的な主観を交えながら、そんな話をした。
彼女の話を聞きにきた子供は、真剣な眼差しで耳を傾け、聞き終わった後は、丁寧に頭を下げた。
彼女に優しくしてくれてありがとう、と。
君は彼女のご家族か何かかい?そう尋ねると、その子は綺麗な笑顔で微笑んで、いや、ただの友達だよ、とそう返した。
そして最後に、彼女の埋葬された墓地の場所と、彼女の故郷の村の場所を聞いてから、協会を出て行った。
黄金色の髪が美しい、色違いの瞳が印象的な子供だったと、受付をした職員は、後に同僚に語ったという。
子供なのに、まるで大人と話しているような印象だった、と。
街外れにあるその墓地は、綺麗に整頓されてはいたけれど、薄暗くて寂しい雰囲気の場所だった。
雷砂は名前の彫られた墓石を一つ一つ確認しながら歩く。
そして、求めていた名前を見つけて、その小さな墓石の前で足を止めた。
もう、訪れる者もいないのだろう。
そのちっぽけで古びた石に降り積もった土埃を手で払い、雷砂はそっと膝を折った。
ほんの一時、祈るように目を閉じて、それから石が置かれている土の状態をじっと見つめた。
手を伸ばし触れてみれば、案の定、最近掘り起こされたばかりのように土がまだ柔らかい。
「君は、ここからあいつに連れ出されたんだな、サテュラ」
少女にそっと話しかける。
だが、答える声はなく、雷砂は無言のまま、目の前の墓石を持ち上げた。
彼女の師が、己の行いを悔いて彼女の為に用意した墓石だ。
これも、彼女と一緒に連れて行ってやらないと、とそう思って。
立ち上がった雷砂は、少女が眠っていたはずの場所へともう一度目を落とす。
「サテュラ、君が一番帰りたがっていた場所へ、連れてってあげる。ここじゃあ、ちょっと寂しいだろうからさ」
そう言い置いて、雷砂はその墓地を後にした。
そして迷うことのない足取りで、今度は街の外へと向かった。
途中、さすがに墓石をむき出しで持ち歩くのはどうだろうと気づき、道ばたの露天で購入した大きな布で包んで持ち運ぶ。
そして、街の外へでたところで、雷砂はロウを呼び出した。
時を置かずにロウは来てくれたが、なぜか不満そうな顔で雷砂をじっと見ている。
「ん?どうした?ロウ??」
小首を傾げた雷砂が尋ねると、ロウは唇を尖らせて、
「マスタ、戦いに、ロウを呼んでくれなかった……」
拗ねたようにそう漏らした。
どうしてバレたんだろうと不思議に思いつつ、最近とみに感情表現が豊かになってきたロウの様子に笑みを誘われた。
雷砂は微笑み、ロウの頭に手を伸ばして、機嫌をとるように頭や耳を優しく撫でる。
「うーん。ごめんな?ロウ。でも、ロウはイルサーダの用事をしてただろう?」
「してた。けど、ロウにとってはマスタが最優先。呼んでくれたらすぐに行ったのに」
恨めしそうに見つめられ、苦笑が漏れる。
「そうだなぁ。その気持ちも嬉しいけど、ロウはオレ以外の人との付き合いも大切にしてほしいな。本当に必要な時は、ロウがなにしてたって呼びつける。けど、それ以外の時は、ロウはもっと自由にしていいし、出来たらオレよりも、セイラやリイン達の事を守ってほしい」
まじめな顔でそうお願いすると、ロウは少し困った顔をした。
「……それがマスタの願いなら、ロウは努力する。けど、ロウにとって一番大事なのは、やっぱりマスタ。そのことだけは、ちゃんと覚えておいてほしい」
「ありがとな、ロウ。わがまま言ってごめんな?」
「別にマスタはわがままじゃない。むしろもっとわがまま言って、甘えてほしいくらい」
ロウはそう言って、なぜか自分の胸をぺたぺた触った。
その大きさを確かめるように。
「やっぱり、もう少し大きくないと、マスタ、甘えにくい?」
真顔で問われ、雷砂はきょとんと目を丸くした。
「甘えるのに、大きさは関係ないんじゃないかな……?」
それに、ロウのはそれほどちっちゃくないよ??そう返すと、ロウは難しい顔で首を振り、
「でも、ロウよりセイラの方がちょっぴり大きい。マスタが一番甘えるのはセイラ。ということは、やっぱり大きさも要素の一つ、なんじゃないかと、ロウは考察する」
そういって、一人納得したようにうんうんと頷いた。
だが、ロウのそんな思考に、雷砂がストップをかける。
「いやいや、待って!その理論はおかしいから!その考えで行くと、オレが一番甘えるのは、現状、ミカって事になるでしょ?でも、オレは別にそんなにミカに甘えてないし」
むしろ甘やかす方だし、と雷砂はロウに反論した。
それを受けたロウが再び考え込む。
「むぅ、確かに。完璧な考えだと思ったのに、おかしい」
「完璧もなにも、穴だらけだったろ?」
思わずつっこみを入れた雷砂を、ロウがじっと見つめる。
雷砂が思わずたじろいでしまうほど、じぃぃぃ~っと。
「……じゃあ、大きさは関係ない?」
「関係ないよ」
「……じゃあ、マスタ。ロウにも甘える?」
「えーっと、そう言う機会があれば?」
「むぅ」
ちょっぴり不満そうに唸るロウ。
雷砂はそんなロウを愛おしそうに見つめ、もふもふしている耳を優しく触った。
「甘えたいと思ったらちゃんと甘えるよ。それじゃ、ダメ?っていうか、ロウには結構甘えてると思うけどなぁ」
「ちょっと不満。でも、仕方ない。ロウはもっと、人間について学ばないと。ロウには、まだ、ほーよーりょく、が足りない」
「ゆっくりでいいんだよ。それに、包容力はともかく、ロウはずいぶん感情が豊かになってきたと思うよ?」
「そう?」
「うん。オレはそう思うけど」
「ふへへ。ありがと、マスタ。ロウ、もっと頑張る」
ロウはそう言って、嬉しそうなゆるい笑顔で可愛らしく笑った。
以前のロウなら、こんな自然な笑い方は出来ていなかったように思う。
そんなロウの成長を嬉しく思いながら、微笑みを浮かべるのだった。
「それはそうと、マスタ。ロウに何か用事?」
そんな雷砂の顔を見ながら、小首を傾げるロウに尋ねられ、雷砂はロウをここに呼んだ目的を思い出した。
自分が両腕に抱えている大小二つの包みを見下ろして、雷砂はきゅっと唇を噛む。
「ロウ?」
「なに?」
「オレを背中に乗せて、連れて行って欲しい場所があるんだ」
ロウに乗っていくのが、一番速いと思ってさーそんな雷砂の言葉に張り切ったロウは、喜び勇んで雷砂にとってもなじみ深い巨狼の姿にその姿を変えたのだった。
その日の仕事を終えて、木の切り株に腰掛けて一息入れる。
今日は、娘も息子も、他に用事があるからと、仕事が終わると早々に引き上げていった。
最後まで残っていたのは母親である彼女一人。
若い頃と違い、無理のきかなくなった体が悲鳴を上げていたので、ほんの少し、休憩をしてから帰ろうと思っていたのだ。
(でも、さすがにそろそろ帰ろうかねぇ)
よっこらせと立ち上がり、固くなった背中をぐぅぅっとのばして、さて行こうかと思ったとき、前から歩いてくる人影に気がついた。
この辺りでは見かけたことのない子供だった。
その子は黄金色の髪に色違いの宝石のような瞳の、驚くほどに美しい顔立ちをしていた。
(あんな綺麗な顔、初めてお目にかかったわねぇ)
そんなことを思いつつ、ついぼーっと見つめていると、なぜはその子はまっすぐにこちらに近づいてきて、彼女の目の前でぴたりと足を止めた。
そして、彼女を見上げてにこりと微笑んで、
「あなたが、サテュラのお母さん、でしょ?」
そんな風に話しかけてきた。
その子が告げた、サテュラという名前の懐かしい響きに彼女は思わず目を見開いた。
「そう、だけど……どうして、サテュラの名前を?」
反射的にそう返した彼女を、その子はとても優しい眼差しで見つめる。
「やっぱり親子だ。においも似てるけど、目元がサテュラとよく似てる。でも、髪の色と瞳の色は違うんだね?サテュラの薄墨の髪と瞳はお父さん譲りなのかな?」
返ってきたのはそんな言葉。
それをきいた瞬間、この子は確かに彼女の亡くした娘・サテュラの知り合いなのだと分かった。
サテュラは三人の子供達の中で唯一、父親の色彩を受け継いだ子供だった。
下の二人は、サテュラと違い、母親譲りの髪と瞳の色をしている。
だから、サテュラという名前の娘が薄墨の髪と瞳をしているということは、生前の彼女を知るものしか知らない情報であった。
そうと分かっても、彼女はなお、信じられない者をみるまなざしでその子を見つめた。
子供の年齢はどう見ても十歳前後に見える。
でも、サテュラが亡くなってから、もう十年以上の時が過ぎた。
目の前の子供がサテュラと知り合いだったとすると、少々年齢が足りてない気がするのだ。
「あなたは、サテュラを、娘を知ってるの?」
あり得ないことと思いながら尋ねた彼女の問いに、しかし目の前の子供ははっきりと頷いて返した。
「ああ。友達だ。今日は、サテュラを連れてきたんだ。彼女はずっと、ここへ帰りたがっていたはずだから」
サテュラを連れてきたーその残酷な響きに、彼女は怒りがこみ上げるのを感じた。
だが、次の瞬間には針でつつかれたようにその怒りは小さくしぼんでしまう。差し出された包みの中身を、見た瞬間に。
その子は抱えていた包みの一つを地面におろしてから、もう一つの包みを開いて彼女の方へ差し出した。
そこにあったのは、長い年月が経ち、朽ちかけた古い人の骨。
所々欠けた頭蓋骨は、大人のものというには少し小さく、彼女はなぜかそこに、娘の面影を見た。
差し出された包みを、そろそろと受け取りその小さな頭蓋骨を見つめた。
娘が帰ってきた、そんな想いがこみ上げ、知らず知らずのうちに涙が溢れ頬を伝い落ち、娘の骨を静かに濡らした。
かつて、出稼ぎにでていたはずの娘が死んだとの連絡を貰ったときは、生活に余裕が無く、迎えにいってあげることすら出来なかった。
しばらくして、娘の死を伝えてくれたのと同じ人から、娘の遺体は娘が師事していた占い師の方が引き取り、埋葬してくれた旨を伝えられた。
以来、自分達の足だけで行くには遠すぎるその場所へ、墓参りに行くことすら叶わずに、時だけが過ぎてしまったのだ。
だが、今、その娘が帰ってきた。
どういう経緯でそうなったのかは分からない。
しかし、彼女は純粋に、娘が帰ってきたことが嬉しかった。
礼を言おうと顔を上げると、子供は彼女から少し離れた場所に生えた大きな木に手をおいて見上げていた。
そして、彼女が自分を見ていることに気付くと、
「ねえ、この木の根本に、サテュラのお墓を作ってあげていいかな?」
そう問いかけてきたので、彼女は大きく頷いた。
「ええ。お願いできるかしら。暖かくなると、その辺りはたくさん花が咲くの。サテュラは花が好きだったから、きっと喜ぶと思うわ」
「そうか。なら、ちょうどいい」
その子は微笑み、足下のもう一つの包みを開くと、それなりの大きさの石を取り出した。
そしてそれをまずは木の根本にしっかりと安定させ、それからサテュラの為に地面を掘り返してくれた。
「この石はさ、サテュラの占いのお師匠さんが作ってくれたものなんだって」
「そうなのね……」
その説明に頷きながら、彼女は膝を折ってしゃがみ込み、指先で石に彫られた文字をなぞった。
そこにはこう書かれていた。
星を司る占い師ラザルの弟子・星を占う占い師サテュラ、ここに眠る……と。
「サテュラはさ、きっとこの石も一緒に持ってきて欲しいだろうなぁって思って、一緒に連れてきたんだよ」
いいながら、彼女の腕の中からサテュラをそっと抱き上げたその子は、優しい眼差しを落とし、優しい手つきで包みごと掘った穴へゆっくりと下ろした。
そして、許可を得るように見上げてきたので、彼女は静かに頷きを返した。
少しずつ、少しずつ、土がサテュラを覆い隠していく。
彼女は涙に濡れた瞳で、瞬きすることなく、その様子を見守った。
穴をしっかり埋め直した後、その子は墓石の前にそっと数枚の硬貨をおいた。
古くて薄汚れた硬貨を、何だろうと見つめていると、その子は彼女を振り向き、
「これは、サテュラが貯めていたお金。あなた達家族に仕送りしたくて、貯めてたんだ。金額は少ないけど、どうか、あなた達のために使って欲しい」
その言葉に目を見開き、それから震える手を伸ばして硬貨を一枚一枚、丁寧に拾い上げた。
「そう。あの子が、私達の為に……大切に、大切に使うわ」
「うん。そうしてあげて」
優しく優しく、その子が微笑んだ。
その微笑みに彼女もまた微笑みを返し、それから一瞬墓石に目を落とした。
そして、
「ありがとう、本当に。この子をここに連れてきてくれて。この子にあなたみたいな友達がいてくれて良かったわ。ねえ、あなたの名前は……」
そう言って顔を上げたとき、そこにはもう、誰の姿もなかった。
慌てて立ち上がり、周囲を見回すが、さっきまでいたはずの子供の姿は影も形もなくなっていた。
狐に摘まれたような気持ちで立ち尽くし、彼女は思う。
あの、恐ろしいくらいに美しい子供は、サテュラを哀れに思った神様が使わしてくれた、神の使いだったのかもしれない、そんな風に。
翌日、木の根本に突然出来た小さな墓に、これはどうしたんだと騒ぐ子供達へ、彼女はにこにこしながら語った。
神様のお使いが、あんた達のお姉ちゃんを連れて帰ってくれたのよ、と。
兄弟は、なにを言ってるんだと怪訝な顔をしたが、母親はかまわず嬉しそうに笑っていた。
やがて、この地に春が訪れ、この場所を花が覆い尽くす。
大好きだった景色の中で穏やかに眠る娘の姿を思い浮かべると、なんだか胸が暖かくなり、娘を失ってからずっと痛みを訴えていた心が、少しだけ癒されていくのを確かに感じた。
「……ちゃーん!ねぇちゃぁーん」
春の日差しの中で、花の香りに包まれてまどろんでいたサテュラは、弟が自分を呼ぶ声にゆっくりと目を開けて起きあがる。
「もぉ、ねえちゃん、いつまで寝てんだよ?かあちゃんが呼んでるよ」
走ってきた弟が、肩で息をしながら唇を尖らせる。
「おかあさんが?なんだろう?」
おっとりと首を傾げる彼女の手をつかんで、弟が早く行こうと引っ張った。
年々生意気になっていくが、いつまでたってもかわいい弟だ。
サテュラは弟にひかれるままに前に進み、ふと何かに呼ばれたように足を止めて後ろを振り向いた。
そこに、風に揺れる黄金の髪をみた気がした。
サテュラは懐かしいような想いにかられて、瞬きをする。
だが、瞬きをした後に改めて見たその場所に黄金の髪をした誰かの姿を見つけることは出来ず、サテュラは再び弟に手を引かれて歩き出す。
「ねえちゃん!もっといそげよなぁ……ってねえちゃん、どうした?」
「え?」
「何で泣いてんだよ!?どっか痛いのか?」
「ううん。痛くない、けど、わたし、泣いてるの?」
「うん。泣いてる。なんかやなことあったなら、話聞くぞ?」
「つらい、訳じゃないの。ただ、すごく懐かしい人を見たような、そんな気持ちになって……」
弟にそう答えながら、サテュラは不意に首を傾げた。
確か自分は出稼ぎの為に、占い師として別の街へ行っていたのではなかっただろうか。
そこで、自分は……。
「……ねぇ?わたし、占い師で働くために、村を出ていたんじゃなかったかしら?」
心にわき起こったそんな疑問を、弟にそっとぶつける。
だが、弟はそれを笑い飛ばした。
「なにいってんだよ、ねえちゃん。ねえちゃんは、この間やっと出稼ぎから帰ってきたんじゃないか」
「わたし、帰ってきたの?」
「そうだよ。帰ってきたんだ。これからは家族四人で、ずーっと、ずーっと一緒さ」
「……そっか。帰ってきたんだ。わたし」
小さく呟き、微笑む。
他人しかいない都会の街で、いつだって寂しくて仕方なかった。
ずっと、ずっと、ここへ帰って来たかったのだ。
少女はふと何かを思いついたように、もう一度後ろを振り向いた。
そして黄金の髪の幻が見えた場所へむかって、
「……ありがとう、雷砂。わたしを故郷へ帰してくれて」
そっと囁くようにそう言った。
「ねえちゃん?」
弟の心配そうな声。
「大丈夫。何でもないよ。さ、おかあさんのところへ行こうか」
微笑んでそう返し、弟の手を引く。
そして母親と妹が待つであろう家へ向かって、まっすぐに走り出した。
弟の驚いたような顔。
はじけるような笑い声。
それは束の間の夢。
魂が天に召されるまでの、ほんの短い間の、幸せで愛おしい、そんな夢だった。
黄金色の髪の綺麗な顔立ちをしたその子供は、受付をしていた職員に、ある占い師の名前を伝え、その情報を求めた。
レアンドルは占いを売りにしている街であり、占い師協会は占いを生業とする占い師達を管理し、助けるための場所でもある。
余程のことがない限り、ほとんどの占い師の記録が残されている。
もちろん、求められた人物の情報も残っていた。
その少女がこの街で占い師をしていたのはかれこれ十年以上前。
高名な占い師の元で修行をしていたが、素行が悪く、師匠に嫌われた。
対応した職員は当時も在籍しており、少女とも面識はあった。
大人しいが礼儀正しい少女で、素行が悪いなどという噂は信じがたかったが、彼女の師である占い師はこの街でも最高ランクといえる占い師であり、彼に逆らうことは難しかった。
推測ではあるが、恐らく兄弟子や姉弟子に、豊かな才能を疎まれたのではないだろうかというのが、協会内でのもっぱらの噂だった。
結局なにをしてやることも出来ず、少女は辻占いで生計を立てるようになった。
それでも、上手くやれば上にいくことも出来ただろう。それだけの、能力は十分にある子だったから。
だが、いかんせん、彼女は不器用すぎた。
しっかりとした客筋をつかむことも出来ないまま、彼女はどんどん疲弊していった。
みるみるうちにやせ細る彼女を見ていることが出来ずに、何度か食べ物を差し入れた事もあったが、しょせん焼け石に水だった。
そして、そうこうするうちにあの事故が起きたのだ。
先を急ぐ馬車の前に飛び出して、少女ははね飛ばされた。
見ていた人の話では、ほとんど即死だったという。
少女の遺体を協会でひとまず引き取って、家族に手紙を送った。
しかし、ただでさえ苦しい生活をしていたのであろう彼女の家族達が、少女を迎えに来れるはずもなく。
仕方ないから、職員たちで費用を出し合い、街の共同墓地に入れようかと相談をしていたら、そこに彼女を放逐したはずの占い師が現れた。
頑固なことで有名な年老いた占い師は、薄汚れて固くなった少女の頬をなでて、涙をこぼした。
もう一度素直に謝りさえすれば、受け入れるつもりだったのに、どうしてこんな、と。
結局、少女の遺体は彼女の師が連れ帰り、街の墓地へと埋葬したようだー個人的な主観を交えながら、そんな話をした。
彼女の話を聞きにきた子供は、真剣な眼差しで耳を傾け、聞き終わった後は、丁寧に頭を下げた。
彼女に優しくしてくれてありがとう、と。
君は彼女のご家族か何かかい?そう尋ねると、その子は綺麗な笑顔で微笑んで、いや、ただの友達だよ、とそう返した。
そして最後に、彼女の埋葬された墓地の場所と、彼女の故郷の村の場所を聞いてから、協会を出て行った。
黄金色の髪が美しい、色違いの瞳が印象的な子供だったと、受付をした職員は、後に同僚に語ったという。
子供なのに、まるで大人と話しているような印象だった、と。
街外れにあるその墓地は、綺麗に整頓されてはいたけれど、薄暗くて寂しい雰囲気の場所だった。
雷砂は名前の彫られた墓石を一つ一つ確認しながら歩く。
そして、求めていた名前を見つけて、その小さな墓石の前で足を止めた。
もう、訪れる者もいないのだろう。
そのちっぽけで古びた石に降り積もった土埃を手で払い、雷砂はそっと膝を折った。
ほんの一時、祈るように目を閉じて、それから石が置かれている土の状態をじっと見つめた。
手を伸ばし触れてみれば、案の定、最近掘り起こされたばかりのように土がまだ柔らかい。
「君は、ここからあいつに連れ出されたんだな、サテュラ」
少女にそっと話しかける。
だが、答える声はなく、雷砂は無言のまま、目の前の墓石を持ち上げた。
彼女の師が、己の行いを悔いて彼女の為に用意した墓石だ。
これも、彼女と一緒に連れて行ってやらないと、とそう思って。
立ち上がった雷砂は、少女が眠っていたはずの場所へともう一度目を落とす。
「サテュラ、君が一番帰りたがっていた場所へ、連れてってあげる。ここじゃあ、ちょっと寂しいだろうからさ」
そう言い置いて、雷砂はその墓地を後にした。
そして迷うことのない足取りで、今度は街の外へと向かった。
途中、さすがに墓石をむき出しで持ち歩くのはどうだろうと気づき、道ばたの露天で購入した大きな布で包んで持ち運ぶ。
そして、街の外へでたところで、雷砂はロウを呼び出した。
時を置かずにロウは来てくれたが、なぜか不満そうな顔で雷砂をじっと見ている。
「ん?どうした?ロウ??」
小首を傾げた雷砂が尋ねると、ロウは唇を尖らせて、
「マスタ、戦いに、ロウを呼んでくれなかった……」
拗ねたようにそう漏らした。
どうしてバレたんだろうと不思議に思いつつ、最近とみに感情表現が豊かになってきたロウの様子に笑みを誘われた。
雷砂は微笑み、ロウの頭に手を伸ばして、機嫌をとるように頭や耳を優しく撫でる。
「うーん。ごめんな?ロウ。でも、ロウはイルサーダの用事をしてただろう?」
「してた。けど、ロウにとってはマスタが最優先。呼んでくれたらすぐに行ったのに」
恨めしそうに見つめられ、苦笑が漏れる。
「そうだなぁ。その気持ちも嬉しいけど、ロウはオレ以外の人との付き合いも大切にしてほしいな。本当に必要な時は、ロウがなにしてたって呼びつける。けど、それ以外の時は、ロウはもっと自由にしていいし、出来たらオレよりも、セイラやリイン達の事を守ってほしい」
まじめな顔でそうお願いすると、ロウは少し困った顔をした。
「……それがマスタの願いなら、ロウは努力する。けど、ロウにとって一番大事なのは、やっぱりマスタ。そのことだけは、ちゃんと覚えておいてほしい」
「ありがとな、ロウ。わがまま言ってごめんな?」
「別にマスタはわがままじゃない。むしろもっとわがまま言って、甘えてほしいくらい」
ロウはそう言って、なぜか自分の胸をぺたぺた触った。
その大きさを確かめるように。
「やっぱり、もう少し大きくないと、マスタ、甘えにくい?」
真顔で問われ、雷砂はきょとんと目を丸くした。
「甘えるのに、大きさは関係ないんじゃないかな……?」
それに、ロウのはそれほどちっちゃくないよ??そう返すと、ロウは難しい顔で首を振り、
「でも、ロウよりセイラの方がちょっぴり大きい。マスタが一番甘えるのはセイラ。ということは、やっぱり大きさも要素の一つ、なんじゃないかと、ロウは考察する」
そういって、一人納得したようにうんうんと頷いた。
だが、ロウのそんな思考に、雷砂がストップをかける。
「いやいや、待って!その理論はおかしいから!その考えで行くと、オレが一番甘えるのは、現状、ミカって事になるでしょ?でも、オレは別にそんなにミカに甘えてないし」
むしろ甘やかす方だし、と雷砂はロウに反論した。
それを受けたロウが再び考え込む。
「むぅ、確かに。完璧な考えだと思ったのに、おかしい」
「完璧もなにも、穴だらけだったろ?」
思わずつっこみを入れた雷砂を、ロウがじっと見つめる。
雷砂が思わずたじろいでしまうほど、じぃぃぃ~っと。
「……じゃあ、大きさは関係ない?」
「関係ないよ」
「……じゃあ、マスタ。ロウにも甘える?」
「えーっと、そう言う機会があれば?」
「むぅ」
ちょっぴり不満そうに唸るロウ。
雷砂はそんなロウを愛おしそうに見つめ、もふもふしている耳を優しく触った。
「甘えたいと思ったらちゃんと甘えるよ。それじゃ、ダメ?っていうか、ロウには結構甘えてると思うけどなぁ」
「ちょっと不満。でも、仕方ない。ロウはもっと、人間について学ばないと。ロウには、まだ、ほーよーりょく、が足りない」
「ゆっくりでいいんだよ。それに、包容力はともかく、ロウはずいぶん感情が豊かになってきたと思うよ?」
「そう?」
「うん。オレはそう思うけど」
「ふへへ。ありがと、マスタ。ロウ、もっと頑張る」
ロウはそう言って、嬉しそうなゆるい笑顔で可愛らしく笑った。
以前のロウなら、こんな自然な笑い方は出来ていなかったように思う。
そんなロウの成長を嬉しく思いながら、微笑みを浮かべるのだった。
「それはそうと、マスタ。ロウに何か用事?」
そんな雷砂の顔を見ながら、小首を傾げるロウに尋ねられ、雷砂はロウをここに呼んだ目的を思い出した。
自分が両腕に抱えている大小二つの包みを見下ろして、雷砂はきゅっと唇を噛む。
「ロウ?」
「なに?」
「オレを背中に乗せて、連れて行って欲しい場所があるんだ」
ロウに乗っていくのが、一番速いと思ってさーそんな雷砂の言葉に張り切ったロウは、喜び勇んで雷砂にとってもなじみ深い巨狼の姿にその姿を変えたのだった。
その日の仕事を終えて、木の切り株に腰掛けて一息入れる。
今日は、娘も息子も、他に用事があるからと、仕事が終わると早々に引き上げていった。
最後まで残っていたのは母親である彼女一人。
若い頃と違い、無理のきかなくなった体が悲鳴を上げていたので、ほんの少し、休憩をしてから帰ろうと思っていたのだ。
(でも、さすがにそろそろ帰ろうかねぇ)
よっこらせと立ち上がり、固くなった背中をぐぅぅっとのばして、さて行こうかと思ったとき、前から歩いてくる人影に気がついた。
この辺りでは見かけたことのない子供だった。
その子は黄金色の髪に色違いの宝石のような瞳の、驚くほどに美しい顔立ちをしていた。
(あんな綺麗な顔、初めてお目にかかったわねぇ)
そんなことを思いつつ、ついぼーっと見つめていると、なぜはその子はまっすぐにこちらに近づいてきて、彼女の目の前でぴたりと足を止めた。
そして、彼女を見上げてにこりと微笑んで、
「あなたが、サテュラのお母さん、でしょ?」
そんな風に話しかけてきた。
その子が告げた、サテュラという名前の懐かしい響きに彼女は思わず目を見開いた。
「そう、だけど……どうして、サテュラの名前を?」
反射的にそう返した彼女を、その子はとても優しい眼差しで見つめる。
「やっぱり親子だ。においも似てるけど、目元がサテュラとよく似てる。でも、髪の色と瞳の色は違うんだね?サテュラの薄墨の髪と瞳はお父さん譲りなのかな?」
返ってきたのはそんな言葉。
それをきいた瞬間、この子は確かに彼女の亡くした娘・サテュラの知り合いなのだと分かった。
サテュラは三人の子供達の中で唯一、父親の色彩を受け継いだ子供だった。
下の二人は、サテュラと違い、母親譲りの髪と瞳の色をしている。
だから、サテュラという名前の娘が薄墨の髪と瞳をしているということは、生前の彼女を知るものしか知らない情報であった。
そうと分かっても、彼女はなお、信じられない者をみるまなざしでその子を見つめた。
子供の年齢はどう見ても十歳前後に見える。
でも、サテュラが亡くなってから、もう十年以上の時が過ぎた。
目の前の子供がサテュラと知り合いだったとすると、少々年齢が足りてない気がするのだ。
「あなたは、サテュラを、娘を知ってるの?」
あり得ないことと思いながら尋ねた彼女の問いに、しかし目の前の子供ははっきりと頷いて返した。
「ああ。友達だ。今日は、サテュラを連れてきたんだ。彼女はずっと、ここへ帰りたがっていたはずだから」
サテュラを連れてきたーその残酷な響きに、彼女は怒りがこみ上げるのを感じた。
だが、次の瞬間には針でつつかれたようにその怒りは小さくしぼんでしまう。差し出された包みの中身を、見た瞬間に。
その子は抱えていた包みの一つを地面におろしてから、もう一つの包みを開いて彼女の方へ差し出した。
そこにあったのは、長い年月が経ち、朽ちかけた古い人の骨。
所々欠けた頭蓋骨は、大人のものというには少し小さく、彼女はなぜかそこに、娘の面影を見た。
差し出された包みを、そろそろと受け取りその小さな頭蓋骨を見つめた。
娘が帰ってきた、そんな想いがこみ上げ、知らず知らずのうちに涙が溢れ頬を伝い落ち、娘の骨を静かに濡らした。
かつて、出稼ぎにでていたはずの娘が死んだとの連絡を貰ったときは、生活に余裕が無く、迎えにいってあげることすら出来なかった。
しばらくして、娘の死を伝えてくれたのと同じ人から、娘の遺体は娘が師事していた占い師の方が引き取り、埋葬してくれた旨を伝えられた。
以来、自分達の足だけで行くには遠すぎるその場所へ、墓参りに行くことすら叶わずに、時だけが過ぎてしまったのだ。
だが、今、その娘が帰ってきた。
どういう経緯でそうなったのかは分からない。
しかし、彼女は純粋に、娘が帰ってきたことが嬉しかった。
礼を言おうと顔を上げると、子供は彼女から少し離れた場所に生えた大きな木に手をおいて見上げていた。
そして、彼女が自分を見ていることに気付くと、
「ねえ、この木の根本に、サテュラのお墓を作ってあげていいかな?」
そう問いかけてきたので、彼女は大きく頷いた。
「ええ。お願いできるかしら。暖かくなると、その辺りはたくさん花が咲くの。サテュラは花が好きだったから、きっと喜ぶと思うわ」
「そうか。なら、ちょうどいい」
その子は微笑み、足下のもう一つの包みを開くと、それなりの大きさの石を取り出した。
そしてそれをまずは木の根本にしっかりと安定させ、それからサテュラの為に地面を掘り返してくれた。
「この石はさ、サテュラの占いのお師匠さんが作ってくれたものなんだって」
「そうなのね……」
その説明に頷きながら、彼女は膝を折ってしゃがみ込み、指先で石に彫られた文字をなぞった。
そこにはこう書かれていた。
星を司る占い師ラザルの弟子・星を占う占い師サテュラ、ここに眠る……と。
「サテュラはさ、きっとこの石も一緒に持ってきて欲しいだろうなぁって思って、一緒に連れてきたんだよ」
いいながら、彼女の腕の中からサテュラをそっと抱き上げたその子は、優しい眼差しを落とし、優しい手つきで包みごと掘った穴へゆっくりと下ろした。
そして、許可を得るように見上げてきたので、彼女は静かに頷きを返した。
少しずつ、少しずつ、土がサテュラを覆い隠していく。
彼女は涙に濡れた瞳で、瞬きすることなく、その様子を見守った。
穴をしっかり埋め直した後、その子は墓石の前にそっと数枚の硬貨をおいた。
古くて薄汚れた硬貨を、何だろうと見つめていると、その子は彼女を振り向き、
「これは、サテュラが貯めていたお金。あなた達家族に仕送りしたくて、貯めてたんだ。金額は少ないけど、どうか、あなた達のために使って欲しい」
その言葉に目を見開き、それから震える手を伸ばして硬貨を一枚一枚、丁寧に拾い上げた。
「そう。あの子が、私達の為に……大切に、大切に使うわ」
「うん。そうしてあげて」
優しく優しく、その子が微笑んだ。
その微笑みに彼女もまた微笑みを返し、それから一瞬墓石に目を落とした。
そして、
「ありがとう、本当に。この子をここに連れてきてくれて。この子にあなたみたいな友達がいてくれて良かったわ。ねえ、あなたの名前は……」
そう言って顔を上げたとき、そこにはもう、誰の姿もなかった。
慌てて立ち上がり、周囲を見回すが、さっきまでいたはずの子供の姿は影も形もなくなっていた。
狐に摘まれたような気持ちで立ち尽くし、彼女は思う。
あの、恐ろしいくらいに美しい子供は、サテュラを哀れに思った神様が使わしてくれた、神の使いだったのかもしれない、そんな風に。
翌日、木の根本に突然出来た小さな墓に、これはどうしたんだと騒ぐ子供達へ、彼女はにこにこしながら語った。
神様のお使いが、あんた達のお姉ちゃんを連れて帰ってくれたのよ、と。
兄弟は、なにを言ってるんだと怪訝な顔をしたが、母親はかまわず嬉しそうに笑っていた。
やがて、この地に春が訪れ、この場所を花が覆い尽くす。
大好きだった景色の中で穏やかに眠る娘の姿を思い浮かべると、なんだか胸が暖かくなり、娘を失ってからずっと痛みを訴えていた心が、少しだけ癒されていくのを確かに感じた。
「……ちゃーん!ねぇちゃぁーん」
春の日差しの中で、花の香りに包まれてまどろんでいたサテュラは、弟が自分を呼ぶ声にゆっくりと目を開けて起きあがる。
「もぉ、ねえちゃん、いつまで寝てんだよ?かあちゃんが呼んでるよ」
走ってきた弟が、肩で息をしながら唇を尖らせる。
「おかあさんが?なんだろう?」
おっとりと首を傾げる彼女の手をつかんで、弟が早く行こうと引っ張った。
年々生意気になっていくが、いつまでたってもかわいい弟だ。
サテュラは弟にひかれるままに前に進み、ふと何かに呼ばれたように足を止めて後ろを振り向いた。
そこに、風に揺れる黄金の髪をみた気がした。
サテュラは懐かしいような想いにかられて、瞬きをする。
だが、瞬きをした後に改めて見たその場所に黄金の髪をした誰かの姿を見つけることは出来ず、サテュラは再び弟に手を引かれて歩き出す。
「ねえちゃん!もっといそげよなぁ……ってねえちゃん、どうした?」
「え?」
「何で泣いてんだよ!?どっか痛いのか?」
「ううん。痛くない、けど、わたし、泣いてるの?」
「うん。泣いてる。なんかやなことあったなら、話聞くぞ?」
「つらい、訳じゃないの。ただ、すごく懐かしい人を見たような、そんな気持ちになって……」
弟にそう答えながら、サテュラは不意に首を傾げた。
確か自分は出稼ぎの為に、占い師として別の街へ行っていたのではなかっただろうか。
そこで、自分は……。
「……ねぇ?わたし、占い師で働くために、村を出ていたんじゃなかったかしら?」
心にわき起こったそんな疑問を、弟にそっとぶつける。
だが、弟はそれを笑い飛ばした。
「なにいってんだよ、ねえちゃん。ねえちゃんは、この間やっと出稼ぎから帰ってきたんじゃないか」
「わたし、帰ってきたの?」
「そうだよ。帰ってきたんだ。これからは家族四人で、ずーっと、ずーっと一緒さ」
「……そっか。帰ってきたんだ。わたし」
小さく呟き、微笑む。
他人しかいない都会の街で、いつだって寂しくて仕方なかった。
ずっと、ずっと、ここへ帰って来たかったのだ。
少女はふと何かを思いついたように、もう一度後ろを振り向いた。
そして黄金の髪の幻が見えた場所へむかって、
「……ありがとう、雷砂。わたしを故郷へ帰してくれて」
そっと囁くようにそう言った。
「ねえちゃん?」
弟の心配そうな声。
「大丈夫。何でもないよ。さ、おかあさんのところへ行こうか」
微笑んでそう返し、弟の手を引く。
そして母親と妹が待つであろう家へ向かって、まっすぐに走り出した。
弟の驚いたような顔。
はじけるような笑い声。
それは束の間の夢。
魂が天に召されるまでの、ほんの短い間の、幸せで愛おしい、そんな夢だった。
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