龍は暁に啼く

第二部 旅のはじまり～小さな娼婦編～

小さな娼婦編 第十八話

（雷砂）


　酒を飲むミカにひっつかれたまま器用に食事をこなし、そろそろお腹も一杯になったし帰ろうかなぁと考えていると、不意に名前を呼ばれたような気がして、雷砂は店内を見回した。


　「んぁ？どうした？？」


　お酒をたらふく飲んでほぼ酔いつぶれ状態のミカが寝ぼけたような声を上げる。
　雷砂はその背中をあやすようにぽんぽんと叩きながら、店内を見回したが、それらしい人物は見あたらなかった。

　どんな声だったかと言えば、女の声だったように思う。
　それも、まだ幼ささえ残る、少女の声の様な感じだった。
　そんな年頃の女の子が、こんな時間の酒場に居るはずがない。


　（気の、せいか？）


　その割には、やけに鮮明に響いた声だった。
　考え込む雷砂の様子が面白くなかったのか、ミカが雷砂の頭を抱え込んでむちゅーっと頬に吸いついてくる。
　酔っぱらったミカは、以外と甘えん坊なのだ。
　もっと自分の事を考えてくれと鼻を鳴らす様子は、飼い主に甘える大型の肉食獣の様だった。
　仕方ないなぁと微笑んでミカの頭を撫でていると、


　「おいおい、ミカ。僕がいくら誘ってもつれない様子なのに、そんな子供とくっついて、今日はどうしたんだよ？」


　空気を読まないそんな声が割り込んでくる。
　ちらりと目線を投げれば、そこにいたのは体格の良い、だがどこか上品な顔をしたそこそこの二枚目だった。


　「お兄さん、ミカの友達？」


　雷砂が首を傾げて問いかけると、


　「いや、彼女の恋人候補と言ってもらった方が嬉しいな」


　そう答えて気取った笑みを見せた。
　白く輝く歯が、なんとなくうっとおしい。
　自分の容姿に自信があるのが、見え見えだった。


　（うーん。オレはガッシュの方がいいなぁ）


　そんなことを思いつつガッシュの方に目をやると、彼は面倒な奴が来やがったとばかりに額を押さえている。
　その様子から、突然の闖入者の立ち位置を理解した雷砂は、面倒な事は本人同士で解決してもらおうと、自分に抱きついたまま再びうとうとしていたミカを揺すり起こす。


　「ミカ？ミカの恋人候補が来てる。相手をしてあげたら？」

　「あぁ？恋人ぉ？？」


　不機嫌そうに反目を開けたミカが、傍らに立つ男を睨みあげる。
　オレと雷砂の時間を邪魔する奴はどいつだ、とばかりに。
　空気を読まない不幸な男はニコニコしながらミカの肩に腕を回す。


　「そう、君の恋人になりたい男がここにいるよ。そんな子供と飲んでないで、僕と飲み直さないか？」

　「誰だよ、てめぇ」

　「なんだ、忘れちゃったのかい？この間君に愛を告白したじゃないか」

　「あぁ？告白ぅ？」


　覚えがないとばかりに、ミカは自分の肩を馴れ馴れしく抱く男を再び睨んだ。
　雷砂が、そろりとミカの腕の中から逃げ出そうとするが、気づいたミカがそれを阻止して自分の膝の上に抱き上げる。


　「ねぇ、ミカ・・・・・・」


　男が猫なで声でミカの名を呼ぶ。
　奥に欲望が隠れたその声に鳥肌を立てたミカは、


　「お前、さっきからごちゃごちゃうっさい！」


　そう言って拳にモノを言わせた。
　つまり、げんこつをお見舞いした訳である。
　真正面から鼻を殴られた男が、顔を押さえて尻餅をつく。その指の隙間からつぅーっと鼻血が流れた。


　「ミ、ミカ？」

　「オレはお前なんかに興味はねぇよ。折角の雷砂との時間を邪魔すんな」


　情けなさ全開の男に向かって吐き捨てるようにそう言うと、膝の上に抱え込んだままの雷砂の頬を片手で愛おしそうに撫でた。


　「オレが興味があるのも、オレに触っていいのも、雷砂。お前だけだぜ」


　うっとりとした表情で雷砂の顔を見つめ、雷砂がやばいと思って避けるまもなく、彼女の唇に唇をふさがれた。
　最初はむちゅぅっと押しつけられただけ。
　だが、雷砂が逃げようとじたばたするのを押さえ込みながら、その唇は徐々に角度を変えた。
　深く、激しく重なり合うようにと。
　熱い舌が唇を割り、愛撫するように口の中を動き回る。
　雷砂は目を白黒させながら、それでも一応相手を女と認めているため全力で抵抗するのもためらわれ、結局随分と長い時間、彼女の唇を受け入れざるを得なかった。
　やっと彼女に開放され、さっき男が座り込んでいた場所を見ると、もうそこにその姿はなかった。
　ガッシュは呆れたような顔で外を示すと、


　「なんつーか、泣きながら出て行ったぜ？」


　そう教えてくれた。
　悪いことをしたなぁと思いつつ、ミカの様子を伺うと、彼女は雷砂にキスをぶちかましたことで満足したのか、気持ちよさそうに寝息を立てている。
　困ったようにガッシュに目を向ければ、彼は盛大なため息をもらして立ち上がると、その肩にミカを担ぎ上げた。


　「ったく、ミカの奴もはしゃぎすぎたな。今日はぼちぼちお開きにしようぜ。・・・・・・その、悪かったな？」


　なぜか謝られ、首を傾げながら見上げると、ガッシュはバツが悪そうにぽりぽりと頬を指でかきながら、


　「そのぉ、ミカが、よ」


　少し照れたようにそう言った。
　そこで初めて、ミカに無理矢理キスをされた事について言っているのだと気づき、雷砂は微笑んで首を振る。

　少し困った事は確かだが、不快感は無かった。
　ミカのことは嫌いじゃないし、むしろ好きな方なのだ。
　ただ、少し後ろめたいとは思う。
　セイラ以外の女性に唇を許してしまったことを。彼女とのキスが気持ちよかったと感じるから尚更に。
　外へ向かうガッシュの背を追いながら内心ため息をつき、


　（オレって、けっこう好色なのかなぁ・・・・・・）


　普通だったら１０歳の子供が考えもしないことを考えながら、セイラ、ごめんーと、脳裏に浮かぶ愛おしい人に雷砂はそっと謝るのだった。