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第0章 神話に残る能力で
賢者の丘
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馬車の壁にもたれたまま、強い衝撃で目が覚めた。
どうやら道の整備が甘いようだ。
外はわずかに明るく、夜明けが近いらしい。
ふと体の右側の柔らかさと熱に気が付く。
目をやると、そこには――。
「……ッ……!」
プラムが、こちらにもたれかかって、すやすやと寝息を立てていた。
よく考えたら、プラムは二日連続の長距離移動だ。そりゃ疲れるよな。
だけど……この状態、警護のエルフに見られたら俺の命が危ないのでは……?
「おい、プラム、起きてくれ、プラム……」
俺は小声でプラムを呼ぶが、一向に目覚める気配がない。
むにゃむにゃと寝言をいって、逆にしがみついてくる。
なんだこれ、かわいいな。
警護のエルフは何をしてるんだ?
プラムが男の隣で無防備になってるぞ。
柔らかそうな頬、小さな唇。
やけに良い匂いがして、背筋がゾクゾクとした。
ごうんっ、とまた小さく馬車がバウンドして、我に返る。
一体どこを走っているのだろう。
俺は、こちらからギリギリ見える右の窓から外を見た。
木、木、木……。薄明りに照らされた緑が大量に車窓を駆け抜けていく。
その向こうに、とてつもなく巨大な人工物が見えた。
「あ……?」
俺は思わず立ち上がり、窓へと駆け寄った。
「あれが……賢者の塔……?」
途中で折れて、内部の様子がわずかにうかがえる。
その直径から、おそらくは今残っているものの2倍以上の高さがあったのだろう。
それがまさに、『真っ二つ』。鉄骨のようなものが、むなしく天に向かって伸びていた。
ごぢんっ、と鈍い音が後ろで響く。プラムがずり落ちていた。
「いだッ……!? な、何奴じゃ!?」
「あ……」
興奮して、寄りかかられていたことを忘れていた。
「ご、ごめん」
「なんじゃ……お、お主か、ワシを襲ったのは! この変態がッ!」
「ち、違うって! そうじゃなくて、それよりも!」
窓の外を指さす。
「あれ」
「……ああ、着いたな」
なんじゃそんなことか、そう口を尖らせ、おそらくは強打したであろう側頭部をさすっている。
「はぁ……お主がさっさと寝るせいで、ワシは一睡も出来んかったぞ……警戒感というものが足らんのじゃ、まったく……」
「え?」
「なんじゃ」
寝起きのプラムは、明らかに機嫌が悪そうだ。
何でもないです……、そう誤魔化して、俺はまた窓の外に目をやった。
ここが。
「町に着いたら、まずは朝飯じゃな。直してもらうのは早いほうがいいが、食うや食わずじゃ仕事にならんじゃろ」
プラムの声が、体を通り抜けていく。
ここが、賢者の丘……。
◇◇◇
賢者の丘は、アンサスに比べて遥かに発展していた。
路上では陽気な吟遊詩人が弦楽器を奏で、魚市場から新鮮な青魚を奪った猫が路地裏へと逃げ込んでいく。
プラムのような耳の長いエルフ族が大半を占め、ラウラのようなハーフエルフと、少しの人間がいる。
町から見える塔は、まさにランドマークと呼べるサイズだ。
街の中心部から少し離れた低山の頂上に建てられているのだが、その存在感と威圧感は圧倒的である。
しかしそれが、真っ二つにへし折れている。
もし犯人が俺だとバレたら、町中の人たちから袋叩きにされるだろう。
プラムに連れられて入った店は、食堂のようなところだった。
「A定食を。こやつにも」
プラムは慣れた様子で注文を勝手に済ませると、店の奥、人気のないエリアに腰を下ろした。
「なんでわざわざ大衆食堂に?」
「うむ……」
プラムはテーブルに据え置かれたガラスコップに手を伸ばし、水差しから水を入れる。
俺の目の前にも、先に1つ置いてくれた。
「昔からこの店が好きでな。行きつけなんじゃ」
「仮にもトップなんだろ? 危険じゃないのか」
もらったコップを傾ける。ほんのり柑橘の香る水だった。
「仮にも、とは何じゃ。心配せんでも、誰もワシの命なんぞ狙わんわい」
「でも、野盗だっている世界なわけだし」
プラムが頬杖をついて、ため息をつく。
「ワシの身を案じる前に、自分の身を案じよ。狙われているのはお主じゃぞ」
「俺……というか、プレイヤーの力だろ?」
「いいや違う。プレイヤーは既に居ないというのが、この世界の常識じゃ。ワシだって隠しておる」
「そうなんだ」
「だからこそ、今のところお主はプレイヤーなどとは微塵も思われておらん。そもそも、プレイヤーは神話に出てくる存在じゃぞ? 自分に当てはめて考えてみよ。いくら欲しいからといって、お主は本物の神が目の前に出て来たときに、そいつからアイテムを奪おうとするか?」
「……しない。多分殺される」
「そうじゃろうが。つまり、お主の事は『奇妙な神の残滓を持った獣人』程度の認識なんじゃ。ワシだって自分にプレイヤーとしての記憶がなければ、『目の前にいる獣人は神話に出てくる存在だ』などと話されても信じはしない」
「でも、俺が持ってるアイテムなんて……」
「自動建築機、一括採取ツール、プレイヤー用の装備……このあたりは完全に神話アイテムじゃぞ? 本当に持っとらんのか?」
「……持ってます」
そうか。分かってはいたが、MODで動くようなものは、いわゆる『神の残滓』は……存在しない技術で作られたオーパーツなんだ。
「もちろん、お主の建築能力も『神の残滓』由来のものと皆思うておるはず。ルグトニアや賊にさらわれぬよう気を付けるんじゃぞ。……ま、変に逆らったりしなければ、拷問されるようなこともないとは思うがの」
「拷問!?」
「声がデカい! 案ずるな。賊ならいざ知らず、ルグトニアはお主を丁重にもてなすハズじゃ」
プラムの目が鋭く光る。
「ここに定住してもいいんじゃぞ? もちろん、大工としてたっぷり働いてもらうことにはなるが」
「……考えとく」
本心だった。
俺がこの世界でなすべきこと……それが何なのかは分からないが、大工として働くのは悪くない。
「A定食2つ、お待ち~」
陽気なエルフのおばちゃんが、奥から湯気の立つ盆を持ってくる。
エルフでおばちゃんに見えるってことは……もしかしてもう500歳とかなのかな……。
……ん? って事は、プレイヤーが居たのはもっと昔の事なのだろうか。
なら、それより若い見た目のプラムって……どういう存在なんだ?
「うぉぉ! 来たぞ! ほれ! A定! A定じゃ!」
プラムはさっきまでの真面目な顔を崩して、上半身を小躍りさせていた。
◇◇◇
町の北へと続く道を歩いていくと、町並みは途切れ、やがて塔のそびえる低山のふもとにたどり着いた。
巨大だとは思っていたが、その付け根まで来ると、いかにそれが大きな建築物だったかわかる。
塔の本体は巨大な石英と鋼玉のブロックで組み上げられてキラキラと輝き、門は金属、おそらくはオリハルコンのような強固な合金製になっていた。
門に設置された燭台には、昼間なのに煌々と火が燃えている。衛兵も、アンサスの冒険者たちに比べて遥かにガタイがいい。
上を見上げていくと、ところどころにアーチ状の小窓がついており、採光性、通気性も考えて建てられていることがよく分かった。
これは、それなりに名の知れた建築家……建築勢がやった仕事だろう。
「これが……折れたのか」
「うむ、そうじゃ。ただ最近は老朽化が激しくてな。正直、いつかこうなるんじゃないかとは思っておった」
プラムは、塔の断面を指さした。
「あそこらへん、中が見えておるじゃろ?」
「ああ……」
「ワシの執務室や寝室があるのがその少し下なんじゃ。命拾いしたわい」
ふーっ、と小さくため息が漏れ聞こえる。
俺は申し訳なくて、目を伏せた。
「塔には設計図がある。それを見て、どれほどで建物が直せるかの目安を立ててくれ」
「分かった」
「……なんじゃイツキ、まだ落ち込んどるのか?」
ばしっ、と強く、プラムが俺の背中を叩いた。
「しゃきっとせい。塔は御覧の有様じゃが、残骸はちょうど立ち入り禁止の裏山に落ちたおかげで怪我人すらおらぬ。お主が塔を直せばすべて元通りじゃ」
俺はその声に押されるように、重たい脚を前に進めた。
◇◇◇
賢者の塔の一階、その奥の玉座にプラムが腰を下ろしている。
サイズは合っていないのだが、それなりの風格を感じさせた。
俺は、すぐそばの少し小さな椅子に腰掛けて、プラムが部下に持ってこさせた塔の概略図を眺めている。
「どうじゃ?」
「んー……この塔、上はほとんど居住空間がないみたいだけど……何があったんだ?」
「まあ、エネルギー生産施設じゃな。いわゆる「そーらーぱねる」っちゅうやつじゃ。故に、人の出入りはない」
「実際の研究は下か」
「そうじゃな。衛兵の宿舎や研究室が上の階では、効率が悪いからのう」
「じゃあ、研究成果が消えてる可能性は低い?」
「分からん。なにせ装置が丸ごと使えないんじゃから」
発電施設の異常で研究室の設備が丸ごと壊れていて、最高位の魔法MODでどうこうみたいな内容だったらいつまで掛かるか分からない。
逆に、発電装置程度ならすぐに対応できる。
普通の方法で作られているなら、安全装置があるから大丈夫だとは思うけど……。
「ここのすぐ上が整備のための設備、最上部がソーラーパネル、って感じで作っていけばいいか?」
「そうじゃな……元々のレイアウトは逆じゃったが、どうせならそう作り変えてもらったほうが助かるのう」
「あと……」
俺は図面を持って、プラムの横へ。
お付きの衛兵が一瞬矛を握る手に力を込めたが、俺にまったく害意がなさそうなのを理解して、その手を緩めた。
「この塔、中心部に螺旋階段が1つしかないみたいだけど……これで合ってるのか?」
「うむ」
「……何かあった時に、上階から緊急避難できるルートがここしかない?」
「例えば、獣人の若造が鉄クズを投げ飛ばしてくる、とか」
俺の表情を見て、プラムは「すまぬ」と笑った。
「……景観のこともあるし、あまり大幅な改造はしたくない。だけど、移動用の設備はもう1つくらいあったほうが安全だと思うよ」
「なるほどな。塔全体の修繕が済んでから、追加で考えることにしよう」
プラムは、ふんふん、とうなずいて目を閉じた。
「で、どれくらいかかる」
「そうだな……外側の壁を積むだけなら、素材さえあれば1日か2日……でも、中の床板を戻したりしながら、バランスを考えて作りたいから、もうちょっとかかると思う」
「具体的には」
「5日あれば、確実に塔の見た目は直せる。ソーラーパネルも元通りに設置出来るはずだ。だけど、実際に使えるようになるにはもう少しかかる。それと、俺の知らないものが壊れている場合は、もっと時間が必要だ」
「もっと、とは」
「もっとはもっとだよ。具体的に何が壊れてるのか確認しなくちゃ、直せるかどうかの判断もできない」
そうか、とプラムは声を小さくした。
「終わるまで、お主の身柄はこちらで預からせてもらうぞ」
「……どういうこと?」
「どういうことも何も、そのままの意味じゃ。身の安全を保障するため、お主にはこの塔に住み込みで修繕作業をしてもらう」
「住み込みって……住める場所あるのか?」
「衛兵の詰め所やワシの寝床もあるくらいじゃぞ。そりゃお主1人くらいどうとでもできるわ……と言いたいところじゃが」
ごほん、と咳払いを1つする。
「……実は今、空き部屋が1つしかなくてのう」
「それじゃあ、そこでいいんじゃないのか?」
「それが、元地下牢なんじゃ」
「……は?」
体温がすうっと下がっていくのを感じる。
「地下牢って、あの地下牢?」
「うむ。元々モンスターの研究をしていた所じゃ」
「待てよ……俺の身の安全は保障されてるんじゃないのか!?」
「ちょっと落ち着いて聞け!」
プラムがむくれている。
いやいや、むくれたいのはこっちなんですけど!?
「そういうことになるやも知れぬと思うてな。ワシがここを発つ前に『ある者』に命じて掃除をさせておいたんじゃ。そやつがしっかりこなせておれば、ある程度は快適に暮らせるはずじゃぞ」
「いやいや……掃除したって言っても、地下牢は地下牢だよね? 下水臭い中で生活するのとか勘弁してほしいんだけど……」
「下水臭なんてするワケなかろう……」
あきれ顔のプラムが、じとっとした目で俺を見ている。
「太陽の光が差し込まんだけで、ワシの寝室と同程度の部屋じゃぞ?」
「は?」
「扉には内側から鍵もかけられるし……」
「ま、待って……牢屋なんだよね?」
「『元』じゃ。今はただの客間になっとる……とは言っても、陽の光が入らんから、基本は使わんところじゃがな」
「なんだ……」
肩に入った力が、すうっと抜けていく。
「これ、ミアを呼んで来い」
申しつけられた従者が、駆け足で玉座の間から出ていく。
「……そういうわけで、お主にはこれから3食寝床付きでこの塔を修繕してもらう。異論はないな?」
「異論っていうか……」
ほとんどアンサスでやっていたことと同じだ。
鹿の脚亭の部屋が、地下の客間(元牢屋)に置き換わっただけ。
やかましい冒険者たちに酒臭い息で絡まれない分、ちょっとだけ待遇は良くなったかもしれない。
「俺がやったことだから……直さないと」
俺のつぶやきを、プラムは黙って受け止めていた。
少しの間、俺たちの間に流れていた沈黙を削り取るような扉の音がした。
「賢者様……呼んだ?」
その奥から、女の子が顔をのぞかせている。
プラムより年上で、俺と同年代くらいの印象だ。
「来るんじゃ、ミア」
ミア、と呼ばれた女の子は、プラムの近くまで駆けていく。黄金色の髪が、柔らかくなびいた。
「この娘は孤児(みなしご)でな。近くの森で捨てられておったところをワシが見つけたんじゃ」
プラムの手が、ミアの頭を柔らかく撫でた。
「ここまで大きくなって……今や立派な臣下じゃな」
「……ありがと、賢者様」
「地下の客間掃除はしてくれたか?」
「はい……ホコリとかクモの巣とかスゴかったけど……」
「うむ……確かにちょっとミアもホコリっぽいのう……」
手櫛で彼女の髪を梳かして、プラムは「今日は早めに風呂に入るといい」とつぶやいた。
「……というわけじゃ」
プラムが俺を見て、ニコっと笑った。
「どういうわけだ?」
「ミアがお主の部屋の準備をしてくれたんじゃ。礼を言え」
「……どうも……」
俺はおずおずと頭を下げる。
ミアも、獣人である俺が珍しいのか、怯えたように伏し目がちに軽く会釈した。
「ミアよ、もう1つ、お前に重大な任務を言い渡すぞ」
「……なんでしょう?」
プラムの指先が、俺を指した。
「今日からしばらくの間、お前にこの男の目付役を命じる」
「え?」
俺が「えっ」と言うよりも先に、ミアが俺とプラムの顔を交互に見た。
「あの男には、ちょっとやってもらわねばならんことがあってな。じゃが、ワシは手が離せないことも多い。そこで、ミアに案内を頼みたいのじゃ」
「……賢者様……」
「引き受けてくれるな?」
優しくも、圧のあるお願い。彼女に断れるはずもないだろう。
ミアは首を深々と垂れ、「仰せのままに」と、苦しそうに漏らした。
◇◇◇
俺はミアの後ろに続いて、ろうそくの明かりだけが頼りの薄暗い階段を下りていく。
「石壁……」
俺はこの階段を覆っている壁に触れ、その感触を楽しんでいた。
長年踏まれてツルツルになってしまった石の床とは違う、ざらりとした手触り。年季が相当に入っているのだろう。天井から壁にかけて、水が滴ったような茶色いシミがいくつも見える。
歴史の厚みを感じて、素敵だ。
だが、今日からしばらくここに寝泊まりすると思うと、少し気が重たい。
「ねえ、獣人さん」
ミアが立ち止まり、ぶっきらぼうに声を掛ける。
振り返ってはいるが、伏し目がちで、俺と視線を合わせようとしない。
「俺はイツキっていうんだ」
「……あちこち触らないで」
ミアは再び前を向いて階段を降り始めた。
「……俺さ、悪い獣人じゃないよ」
ミアは何も答えない。
「まあ……悪い事をしたかしなかったかで言うと、したかもしれないけど」
「……そう」
「そうなんだ。それでこの塔を直しに来たんだよ。ミアさん……ちゃん?」
彼女は勢いよく振り返り、俺の顔をぎりっと睨んだ。
「ミアって言わないで」
「……え……」
「名前で呼んでいいのは、賢者様だけよ」
彼女の声が石壁に反響して、こだましている。
「……それじゃあ、なんて呼べば……」
ミアはそれに答えず、また前を向いて歩いていく。
俺もゆっくり、さっきよりもずっと距離を取って、歩き始めた。
◇◇◇
「ここ」
ミアが扉を開いた先には、想像していたよりも遥かにラグジュアリーな設備が整っていた。
シャンデリア。天蓋付きのベッド。小さめのタンスに、本がぎっちり詰まった本棚。
確かにこれは、牢屋なんかじゃない。ちゃんとした『客間』だ。
ただ、大きな問題があった。明かりがないということだ。
どうやらシャンデリアはMODによる光源で動いているらしく、設備が壊れているので動作していないようだった。
今は、置かれたろうそくだけが光を灯している。
「私は賢者様と話してくるから、貴方はここにいて。……絶対に動かないで」
「あ、うん。わか――」
俺が返事をし終える前に、バタンと大きな音を立てて扉が閉まった。
参ったな。塔を直すのも急がなきゃだけど、ミアがこのままあの調子じゃ、気まずくてしょうがない。
俺はベッドに腰を下ろして、本棚を見る事にした。
六法全書ほど分厚い、賢者の丘観光案内。
歴史書『賢者の丘のすべてがここに! ヒミツのヒストリー』。
プレイヤー神話大全『イチから解説、分かるプレイヤー神話』。
本棚の荘厳さと装丁の美しさに騙されたが、タイトルだけ見ると小学校の学級文庫だ。
左を見る。入ってきたドアのある壁には、使われていない暖炉が備え付けられており、冬の時期に誰かが使ったのか、煤まみれのまま放置されていた。
右の壁には、美しい風景画が飾られている。油絵のような風合いで、賢者の丘を描写しているようだった。
立ち上がり、振り返る。
後ろの壁には、ドレッサーと小さいタンス。あとは、謎のドアが1つある。
客が泊まれる部屋ということを考えると、シャワールームとトイレ、とかなのかな。
まあ、明日以降もしばらくはこの部屋と作業場所を往復するだけだろうから、あとでチェックすればいいか……。
ぐぐっ、と大きく背伸びする。
ここは暗いが、まだ昼前だ。
今日はまず、立ち入り禁止地区に落ちているという残骸を拾うところからスタートだろう。
効率を考えたら、残骸を全部拾ってから組み立てなおすほうが早いはず。
どれほどの残骸があるかは分からないけど……とりあえず、インベントリは空っぽにしておいたほうがいいよな。
特に、この塔に土とかは使わないだろうし……。
インベントリを開く。
アンサスの壁を作るのに集めた材料が、まだ結構残っていた。
そのまま、タンスの前へ。
そしてここに土ブロックを……入れていいのか?
ゲームのロークラなら土を入れても「そういうアイテム」として処理されるが、この世界だと土は具現化されて「土」になる。
もしこれがタンスの中にぶちまけられたら、回収は至極困難……というより、せっかく掃除しただろうミアが黙っちゃいないはずだ。
鉄や石みたいに固形で形を維持してくれるものならまだしも、土……。
「ねえ」
「ひょぅ!?」
突然声を掛けられて変な声が出た。
俺は右手に持った土を握りしめて振り返る。
「……なんだ、ミ――キミか……」
ミア、と呼びそうになって、さっきの彼女の怖い顔が脳内を駆け抜けていった。
「その手のもの、どこから持ってきたの」
「……え」
そうだ。ミアは俺がプレイヤーだということを知らない。インベントリの存在も理解していないだろう。
「お、落ちてた」
とっさに、俺はうそをつく。
ミアは、けげんな顔で俺をじっと見ている。
「……どこに」
「あ、あはは……」
さすがに、この石で囲われた室内に土なんて落ちてるはずはない。
俺はきょろきょろと目で探したが、そんなものが出てきそうな場所はなかった。
「変な人」
ミアはぷいと俺に背中を見せる。
「賢者様から許可をもらった」
「な、なんの?」
「私のこと、ミアって呼んでもいい」
「えっ、わざわざその確認のために、あの長~い階段を往復してきたのか!?」
ミアは、その質問には答えてくれなかった。
「……早く行くよ。土は置いていって」
「どこに置けば……」
「元あった場所」
ミアはそれだけ言うと、さっさと部屋を出て行った。
「元あった場所、かぁ……」
インベントリの中に入れておいて、外でこっそり捨てようか。
それか、暖炉のそばにまとめて積んでおいて……でもそうすると絨毯汚しちゃうよな……せっかくミアが掃除してくれたんだし、それは悪いよなぁ……。
俺は迷って、結局土をインベントリの中に戻した。
どうやら道の整備が甘いようだ。
外はわずかに明るく、夜明けが近いらしい。
ふと体の右側の柔らかさと熱に気が付く。
目をやると、そこには――。
「……ッ……!」
プラムが、こちらにもたれかかって、すやすやと寝息を立てていた。
よく考えたら、プラムは二日連続の長距離移動だ。そりゃ疲れるよな。
だけど……この状態、警護のエルフに見られたら俺の命が危ないのでは……?
「おい、プラム、起きてくれ、プラム……」
俺は小声でプラムを呼ぶが、一向に目覚める気配がない。
むにゃむにゃと寝言をいって、逆にしがみついてくる。
なんだこれ、かわいいな。
警護のエルフは何をしてるんだ?
プラムが男の隣で無防備になってるぞ。
柔らかそうな頬、小さな唇。
やけに良い匂いがして、背筋がゾクゾクとした。
ごうんっ、とまた小さく馬車がバウンドして、我に返る。
一体どこを走っているのだろう。
俺は、こちらからギリギリ見える右の窓から外を見た。
木、木、木……。薄明りに照らされた緑が大量に車窓を駆け抜けていく。
その向こうに、とてつもなく巨大な人工物が見えた。
「あ……?」
俺は思わず立ち上がり、窓へと駆け寄った。
「あれが……賢者の塔……?」
途中で折れて、内部の様子がわずかにうかがえる。
その直径から、おそらくは今残っているものの2倍以上の高さがあったのだろう。
それがまさに、『真っ二つ』。鉄骨のようなものが、むなしく天に向かって伸びていた。
ごぢんっ、と鈍い音が後ろで響く。プラムがずり落ちていた。
「いだッ……!? な、何奴じゃ!?」
「あ……」
興奮して、寄りかかられていたことを忘れていた。
「ご、ごめん」
「なんじゃ……お、お主か、ワシを襲ったのは! この変態がッ!」
「ち、違うって! そうじゃなくて、それよりも!」
窓の外を指さす。
「あれ」
「……ああ、着いたな」
なんじゃそんなことか、そう口を尖らせ、おそらくは強打したであろう側頭部をさすっている。
「はぁ……お主がさっさと寝るせいで、ワシは一睡も出来んかったぞ……警戒感というものが足らんのじゃ、まったく……」
「え?」
「なんじゃ」
寝起きのプラムは、明らかに機嫌が悪そうだ。
何でもないです……、そう誤魔化して、俺はまた窓の外に目をやった。
ここが。
「町に着いたら、まずは朝飯じゃな。直してもらうのは早いほうがいいが、食うや食わずじゃ仕事にならんじゃろ」
プラムの声が、体を通り抜けていく。
ここが、賢者の丘……。
◇◇◇
賢者の丘は、アンサスに比べて遥かに発展していた。
路上では陽気な吟遊詩人が弦楽器を奏で、魚市場から新鮮な青魚を奪った猫が路地裏へと逃げ込んでいく。
プラムのような耳の長いエルフ族が大半を占め、ラウラのようなハーフエルフと、少しの人間がいる。
町から見える塔は、まさにランドマークと呼べるサイズだ。
街の中心部から少し離れた低山の頂上に建てられているのだが、その存在感と威圧感は圧倒的である。
しかしそれが、真っ二つにへし折れている。
もし犯人が俺だとバレたら、町中の人たちから袋叩きにされるだろう。
プラムに連れられて入った店は、食堂のようなところだった。
「A定食を。こやつにも」
プラムは慣れた様子で注文を勝手に済ませると、店の奥、人気のないエリアに腰を下ろした。
「なんでわざわざ大衆食堂に?」
「うむ……」
プラムはテーブルに据え置かれたガラスコップに手を伸ばし、水差しから水を入れる。
俺の目の前にも、先に1つ置いてくれた。
「昔からこの店が好きでな。行きつけなんじゃ」
「仮にもトップなんだろ? 危険じゃないのか」
もらったコップを傾ける。ほんのり柑橘の香る水だった。
「仮にも、とは何じゃ。心配せんでも、誰もワシの命なんぞ狙わんわい」
「でも、野盗だっている世界なわけだし」
プラムが頬杖をついて、ため息をつく。
「ワシの身を案じる前に、自分の身を案じよ。狙われているのはお主じゃぞ」
「俺……というか、プレイヤーの力だろ?」
「いいや違う。プレイヤーは既に居ないというのが、この世界の常識じゃ。ワシだって隠しておる」
「そうなんだ」
「だからこそ、今のところお主はプレイヤーなどとは微塵も思われておらん。そもそも、プレイヤーは神話に出てくる存在じゃぞ? 自分に当てはめて考えてみよ。いくら欲しいからといって、お主は本物の神が目の前に出て来たときに、そいつからアイテムを奪おうとするか?」
「……しない。多分殺される」
「そうじゃろうが。つまり、お主の事は『奇妙な神の残滓を持った獣人』程度の認識なんじゃ。ワシだって自分にプレイヤーとしての記憶がなければ、『目の前にいる獣人は神話に出てくる存在だ』などと話されても信じはしない」
「でも、俺が持ってるアイテムなんて……」
「自動建築機、一括採取ツール、プレイヤー用の装備……このあたりは完全に神話アイテムじゃぞ? 本当に持っとらんのか?」
「……持ってます」
そうか。分かってはいたが、MODで動くようなものは、いわゆる『神の残滓』は……存在しない技術で作られたオーパーツなんだ。
「もちろん、お主の建築能力も『神の残滓』由来のものと皆思うておるはず。ルグトニアや賊にさらわれぬよう気を付けるんじゃぞ。……ま、変に逆らったりしなければ、拷問されるようなこともないとは思うがの」
「拷問!?」
「声がデカい! 案ずるな。賊ならいざ知らず、ルグトニアはお主を丁重にもてなすハズじゃ」
プラムの目が鋭く光る。
「ここに定住してもいいんじゃぞ? もちろん、大工としてたっぷり働いてもらうことにはなるが」
「……考えとく」
本心だった。
俺がこの世界でなすべきこと……それが何なのかは分からないが、大工として働くのは悪くない。
「A定食2つ、お待ち~」
陽気なエルフのおばちゃんが、奥から湯気の立つ盆を持ってくる。
エルフでおばちゃんに見えるってことは……もしかしてもう500歳とかなのかな……。
……ん? って事は、プレイヤーが居たのはもっと昔の事なのだろうか。
なら、それより若い見た目のプラムって……どういう存在なんだ?
「うぉぉ! 来たぞ! ほれ! A定! A定じゃ!」
プラムはさっきまでの真面目な顔を崩して、上半身を小躍りさせていた。
◇◇◇
町の北へと続く道を歩いていくと、町並みは途切れ、やがて塔のそびえる低山のふもとにたどり着いた。
巨大だとは思っていたが、その付け根まで来ると、いかにそれが大きな建築物だったかわかる。
塔の本体は巨大な石英と鋼玉のブロックで組み上げられてキラキラと輝き、門は金属、おそらくはオリハルコンのような強固な合金製になっていた。
門に設置された燭台には、昼間なのに煌々と火が燃えている。衛兵も、アンサスの冒険者たちに比べて遥かにガタイがいい。
上を見上げていくと、ところどころにアーチ状の小窓がついており、採光性、通気性も考えて建てられていることがよく分かった。
これは、それなりに名の知れた建築家……建築勢がやった仕事だろう。
「これが……折れたのか」
「うむ、そうじゃ。ただ最近は老朽化が激しくてな。正直、いつかこうなるんじゃないかとは思っておった」
プラムは、塔の断面を指さした。
「あそこらへん、中が見えておるじゃろ?」
「ああ……」
「ワシの執務室や寝室があるのがその少し下なんじゃ。命拾いしたわい」
ふーっ、と小さくため息が漏れ聞こえる。
俺は申し訳なくて、目を伏せた。
「塔には設計図がある。それを見て、どれほどで建物が直せるかの目安を立ててくれ」
「分かった」
「……なんじゃイツキ、まだ落ち込んどるのか?」
ばしっ、と強く、プラムが俺の背中を叩いた。
「しゃきっとせい。塔は御覧の有様じゃが、残骸はちょうど立ち入り禁止の裏山に落ちたおかげで怪我人すらおらぬ。お主が塔を直せばすべて元通りじゃ」
俺はその声に押されるように、重たい脚を前に進めた。
◇◇◇
賢者の塔の一階、その奥の玉座にプラムが腰を下ろしている。
サイズは合っていないのだが、それなりの風格を感じさせた。
俺は、すぐそばの少し小さな椅子に腰掛けて、プラムが部下に持ってこさせた塔の概略図を眺めている。
「どうじゃ?」
「んー……この塔、上はほとんど居住空間がないみたいだけど……何があったんだ?」
「まあ、エネルギー生産施設じゃな。いわゆる「そーらーぱねる」っちゅうやつじゃ。故に、人の出入りはない」
「実際の研究は下か」
「そうじゃな。衛兵の宿舎や研究室が上の階では、効率が悪いからのう」
「じゃあ、研究成果が消えてる可能性は低い?」
「分からん。なにせ装置が丸ごと使えないんじゃから」
発電施設の異常で研究室の設備が丸ごと壊れていて、最高位の魔法MODでどうこうみたいな内容だったらいつまで掛かるか分からない。
逆に、発電装置程度ならすぐに対応できる。
普通の方法で作られているなら、安全装置があるから大丈夫だとは思うけど……。
「ここのすぐ上が整備のための設備、最上部がソーラーパネル、って感じで作っていけばいいか?」
「そうじゃな……元々のレイアウトは逆じゃったが、どうせならそう作り変えてもらったほうが助かるのう」
「あと……」
俺は図面を持って、プラムの横へ。
お付きの衛兵が一瞬矛を握る手に力を込めたが、俺にまったく害意がなさそうなのを理解して、その手を緩めた。
「この塔、中心部に螺旋階段が1つしかないみたいだけど……これで合ってるのか?」
「うむ」
「……何かあった時に、上階から緊急避難できるルートがここしかない?」
「例えば、獣人の若造が鉄クズを投げ飛ばしてくる、とか」
俺の表情を見て、プラムは「すまぬ」と笑った。
「……景観のこともあるし、あまり大幅な改造はしたくない。だけど、移動用の設備はもう1つくらいあったほうが安全だと思うよ」
「なるほどな。塔全体の修繕が済んでから、追加で考えることにしよう」
プラムは、ふんふん、とうなずいて目を閉じた。
「で、どれくらいかかる」
「そうだな……外側の壁を積むだけなら、素材さえあれば1日か2日……でも、中の床板を戻したりしながら、バランスを考えて作りたいから、もうちょっとかかると思う」
「具体的には」
「5日あれば、確実に塔の見た目は直せる。ソーラーパネルも元通りに設置出来るはずだ。だけど、実際に使えるようになるにはもう少しかかる。それと、俺の知らないものが壊れている場合は、もっと時間が必要だ」
「もっと、とは」
「もっとはもっとだよ。具体的に何が壊れてるのか確認しなくちゃ、直せるかどうかの判断もできない」
そうか、とプラムは声を小さくした。
「終わるまで、お主の身柄はこちらで預からせてもらうぞ」
「……どういうこと?」
「どういうことも何も、そのままの意味じゃ。身の安全を保障するため、お主にはこの塔に住み込みで修繕作業をしてもらう」
「住み込みって……住める場所あるのか?」
「衛兵の詰め所やワシの寝床もあるくらいじゃぞ。そりゃお主1人くらいどうとでもできるわ……と言いたいところじゃが」
ごほん、と咳払いを1つする。
「……実は今、空き部屋が1つしかなくてのう」
「それじゃあ、そこでいいんじゃないのか?」
「それが、元地下牢なんじゃ」
「……は?」
体温がすうっと下がっていくのを感じる。
「地下牢って、あの地下牢?」
「うむ。元々モンスターの研究をしていた所じゃ」
「待てよ……俺の身の安全は保障されてるんじゃないのか!?」
「ちょっと落ち着いて聞け!」
プラムがむくれている。
いやいや、むくれたいのはこっちなんですけど!?
「そういうことになるやも知れぬと思うてな。ワシがここを発つ前に『ある者』に命じて掃除をさせておいたんじゃ。そやつがしっかりこなせておれば、ある程度は快適に暮らせるはずじゃぞ」
「いやいや……掃除したって言っても、地下牢は地下牢だよね? 下水臭い中で生活するのとか勘弁してほしいんだけど……」
「下水臭なんてするワケなかろう……」
あきれ顔のプラムが、じとっとした目で俺を見ている。
「太陽の光が差し込まんだけで、ワシの寝室と同程度の部屋じゃぞ?」
「は?」
「扉には内側から鍵もかけられるし……」
「ま、待って……牢屋なんだよね?」
「『元』じゃ。今はただの客間になっとる……とは言っても、陽の光が入らんから、基本は使わんところじゃがな」
「なんだ……」
肩に入った力が、すうっと抜けていく。
「これ、ミアを呼んで来い」
申しつけられた従者が、駆け足で玉座の間から出ていく。
「……そういうわけで、お主にはこれから3食寝床付きでこの塔を修繕してもらう。異論はないな?」
「異論っていうか……」
ほとんどアンサスでやっていたことと同じだ。
鹿の脚亭の部屋が、地下の客間(元牢屋)に置き換わっただけ。
やかましい冒険者たちに酒臭い息で絡まれない分、ちょっとだけ待遇は良くなったかもしれない。
「俺がやったことだから……直さないと」
俺のつぶやきを、プラムは黙って受け止めていた。
少しの間、俺たちの間に流れていた沈黙を削り取るような扉の音がした。
「賢者様……呼んだ?」
その奥から、女の子が顔をのぞかせている。
プラムより年上で、俺と同年代くらいの印象だ。
「来るんじゃ、ミア」
ミア、と呼ばれた女の子は、プラムの近くまで駆けていく。黄金色の髪が、柔らかくなびいた。
「この娘は孤児(みなしご)でな。近くの森で捨てられておったところをワシが見つけたんじゃ」
プラムの手が、ミアの頭を柔らかく撫でた。
「ここまで大きくなって……今や立派な臣下じゃな」
「……ありがと、賢者様」
「地下の客間掃除はしてくれたか?」
「はい……ホコリとかクモの巣とかスゴかったけど……」
「うむ……確かにちょっとミアもホコリっぽいのう……」
手櫛で彼女の髪を梳かして、プラムは「今日は早めに風呂に入るといい」とつぶやいた。
「……というわけじゃ」
プラムが俺を見て、ニコっと笑った。
「どういうわけだ?」
「ミアがお主の部屋の準備をしてくれたんじゃ。礼を言え」
「……どうも……」
俺はおずおずと頭を下げる。
ミアも、獣人である俺が珍しいのか、怯えたように伏し目がちに軽く会釈した。
「ミアよ、もう1つ、お前に重大な任務を言い渡すぞ」
「……なんでしょう?」
プラムの指先が、俺を指した。
「今日からしばらくの間、お前にこの男の目付役を命じる」
「え?」
俺が「えっ」と言うよりも先に、ミアが俺とプラムの顔を交互に見た。
「あの男には、ちょっとやってもらわねばならんことがあってな。じゃが、ワシは手が離せないことも多い。そこで、ミアに案内を頼みたいのじゃ」
「……賢者様……」
「引き受けてくれるな?」
優しくも、圧のあるお願い。彼女に断れるはずもないだろう。
ミアは首を深々と垂れ、「仰せのままに」と、苦しそうに漏らした。
◇◇◇
俺はミアの後ろに続いて、ろうそくの明かりだけが頼りの薄暗い階段を下りていく。
「石壁……」
俺はこの階段を覆っている壁に触れ、その感触を楽しんでいた。
長年踏まれてツルツルになってしまった石の床とは違う、ざらりとした手触り。年季が相当に入っているのだろう。天井から壁にかけて、水が滴ったような茶色いシミがいくつも見える。
歴史の厚みを感じて、素敵だ。
だが、今日からしばらくここに寝泊まりすると思うと、少し気が重たい。
「ねえ、獣人さん」
ミアが立ち止まり、ぶっきらぼうに声を掛ける。
振り返ってはいるが、伏し目がちで、俺と視線を合わせようとしない。
「俺はイツキっていうんだ」
「……あちこち触らないで」
ミアは再び前を向いて階段を降り始めた。
「……俺さ、悪い獣人じゃないよ」
ミアは何も答えない。
「まあ……悪い事をしたかしなかったかで言うと、したかもしれないけど」
「……そう」
「そうなんだ。それでこの塔を直しに来たんだよ。ミアさん……ちゃん?」
彼女は勢いよく振り返り、俺の顔をぎりっと睨んだ。
「ミアって言わないで」
「……え……」
「名前で呼んでいいのは、賢者様だけよ」
彼女の声が石壁に反響して、こだましている。
「……それじゃあ、なんて呼べば……」
ミアはそれに答えず、また前を向いて歩いていく。
俺もゆっくり、さっきよりもずっと距離を取って、歩き始めた。
◇◇◇
「ここ」
ミアが扉を開いた先には、想像していたよりも遥かにラグジュアリーな設備が整っていた。
シャンデリア。天蓋付きのベッド。小さめのタンスに、本がぎっちり詰まった本棚。
確かにこれは、牢屋なんかじゃない。ちゃんとした『客間』だ。
ただ、大きな問題があった。明かりがないということだ。
どうやらシャンデリアはMODによる光源で動いているらしく、設備が壊れているので動作していないようだった。
今は、置かれたろうそくだけが光を灯している。
「私は賢者様と話してくるから、貴方はここにいて。……絶対に動かないで」
「あ、うん。わか――」
俺が返事をし終える前に、バタンと大きな音を立てて扉が閉まった。
参ったな。塔を直すのも急がなきゃだけど、ミアがこのままあの調子じゃ、気まずくてしょうがない。
俺はベッドに腰を下ろして、本棚を見る事にした。
六法全書ほど分厚い、賢者の丘観光案内。
歴史書『賢者の丘のすべてがここに! ヒミツのヒストリー』。
プレイヤー神話大全『イチから解説、分かるプレイヤー神話』。
本棚の荘厳さと装丁の美しさに騙されたが、タイトルだけ見ると小学校の学級文庫だ。
左を見る。入ってきたドアのある壁には、使われていない暖炉が備え付けられており、冬の時期に誰かが使ったのか、煤まみれのまま放置されていた。
右の壁には、美しい風景画が飾られている。油絵のような風合いで、賢者の丘を描写しているようだった。
立ち上がり、振り返る。
後ろの壁には、ドレッサーと小さいタンス。あとは、謎のドアが1つある。
客が泊まれる部屋ということを考えると、シャワールームとトイレ、とかなのかな。
まあ、明日以降もしばらくはこの部屋と作業場所を往復するだけだろうから、あとでチェックすればいいか……。
ぐぐっ、と大きく背伸びする。
ここは暗いが、まだ昼前だ。
今日はまず、立ち入り禁止地区に落ちているという残骸を拾うところからスタートだろう。
効率を考えたら、残骸を全部拾ってから組み立てなおすほうが早いはず。
どれほどの残骸があるかは分からないけど……とりあえず、インベントリは空っぽにしておいたほうがいいよな。
特に、この塔に土とかは使わないだろうし……。
インベントリを開く。
アンサスの壁を作るのに集めた材料が、まだ結構残っていた。
そのまま、タンスの前へ。
そしてここに土ブロックを……入れていいのか?
ゲームのロークラなら土を入れても「そういうアイテム」として処理されるが、この世界だと土は具現化されて「土」になる。
もしこれがタンスの中にぶちまけられたら、回収は至極困難……というより、せっかく掃除しただろうミアが黙っちゃいないはずだ。
鉄や石みたいに固形で形を維持してくれるものならまだしも、土……。
「ねえ」
「ひょぅ!?」
突然声を掛けられて変な声が出た。
俺は右手に持った土を握りしめて振り返る。
「……なんだ、ミ――キミか……」
ミア、と呼びそうになって、さっきの彼女の怖い顔が脳内を駆け抜けていった。
「その手のもの、どこから持ってきたの」
「……え」
そうだ。ミアは俺がプレイヤーだということを知らない。インベントリの存在も理解していないだろう。
「お、落ちてた」
とっさに、俺はうそをつく。
ミアは、けげんな顔で俺をじっと見ている。
「……どこに」
「あ、あはは……」
さすがに、この石で囲われた室内に土なんて落ちてるはずはない。
俺はきょろきょろと目で探したが、そんなものが出てきそうな場所はなかった。
「変な人」
ミアはぷいと俺に背中を見せる。
「賢者様から許可をもらった」
「な、なんの?」
「私のこと、ミアって呼んでもいい」
「えっ、わざわざその確認のために、あの長~い階段を往復してきたのか!?」
ミアは、その質問には答えてくれなかった。
「……早く行くよ。土は置いていって」
「どこに置けば……」
「元あった場所」
ミアはそれだけ言うと、さっさと部屋を出て行った。
「元あった場所、かぁ……」
インベントリの中に入れておいて、外でこっそり捨てようか。
それか、暖炉のそばにまとめて積んでおいて……でもそうすると絨毯汚しちゃうよな……せっかくミアが掃除してくれたんだし、それは悪いよなぁ……。
俺は迷って、結局土をインベントリの中に戻した。
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