風は遠き地に

香月 優希

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第五章 竜が啼く

闇の誘い 3

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 ──来るがいい。


 どこかで声がした気がして、啼義ナギは飛び起きた。
 部屋は灯りを落としたまま暗く、夜明けにはほど遠いようだ。

<何?>

 辺りを伺ったが、イルギネスが隣のベッドで眠っている以外の気配はない。しかし今確かに、頭にはっきり響く声で聴こえたのは?
 背中に、いつの間にか妙な汗をかいている。アディーヌの言葉が、脳裏に浮かんだ。

『ダリュスカインの波動が──山脈を越えてこちらへ』

<あいつは今、どこまで来ているんだろう>
 今日明日でここに着くことはないだろうと、アディーヌは言った。実際に、今のところ、大きく位置が動いた形跡はないようだ。しかし、ダリュスカインは、短距離の瞬間移動を会得している魔術師だ。羅沙ラージャやしろを抜け出した日も、それで追いつかれた。瞬間移動は多大な魔力を使うゆえ、日に何度も使えないとは言え、もしダリュスカインが、啼義の位置を掴んで動き出せば、そんなに日数は稼げないだろう。
 出発は、明日。
 こちらにある魔の刻石を頼れば、おおよその位置も分かることから、もうそんなに時間をかけずに、再会することになるのは明白だ。思った以上に気持ちが昂っているのかも知れない。
<焦ったって、仕方ねえ>
 言い聞かせたところで、恐怖心をゼロになど出来ない。それでも今、精一杯の虚勢を張ることが、自分に出来る唯一のことだ。
 啼義は何気なく、眠っているイルギネスに視線を移した。彼は、旅立ちを前にしても、いつもと変わらず、安定した寝息を立ててよく寝ている。
 穏やかに眠っている銀髪の相棒を見つめていると、不思議と不安や恐怖が薄れてきた。ダリュスカインの追撃に倒れ、見知らぬ街で目覚めたところに現れた彼に、ナイフを投げつけたことを思い出す。あの時から、いろんなことがあった。

<大丈夫だ>

 イルギネスと一緒なら、きっと。
 啼義はしばらく、眠っているイルギネスを眺めていたが、やがて、再び眠気が頭をもたげてきたのを感じると、ベッドに身体を横たえ、そっと目を閉じた。


 翌日、朝食を済ませると、いよいよ旅立ちの時となった。
 玄関口の外まで見送りに出たアディーヌが、リナに、濃紫の布に包んだ魔の刻石を手渡す。
「波動の読み解き方は、きちんと覚えているわね?」
 リナは、私の瞳をしっかりと見つめ、深く頷いた。
「大丈夫です」
魔法杖ワンドの扱いにも、くれぐれも気をつけるように。自分の魔力の残り値を、決して超えないよう。無理は禁物ですよ」
「はい」
 リナは凛とした声で答えた。
 出発が決まってからのリナの変わりようには、目を見張るものがあった。啼義は思った。彼女が、自分のために意志を強く持って共に来てくれるのなら、自分も負けてはいられない。
 アディーヌは続いて、二人の剣士に向き直る。
「イルギネス、しらかげ。啼義様のお命、そして神殿の将来は、あなた方に懸かっています。必ず、啼義様を護り抜くように」
 今までのアディーヌとは違って、和んだ雰囲気のない毅然とした口調に、二人もまた、引き締まった表情で頷く。
「かしこまりました」
 二人の返事を受けたアディーヌは再度頷き、左右色違いの瞳に柔らかな光を湛えて啼義を見上げた。
「啼義様」
 呼ばれ、緊張した面持ちで見返すと、アディーヌは和やかに微笑んだ。
「お帰りをお待ちしております。竜の加護と共に、最良の道が開けますよう」
 啼義も微笑みを返す。
「ありがとう。必ずみんなで一緒に戻ってきて、今度はイリユスへ向かうから。それまで待っててくれ」
 それは本心だった。これだけの仲間を巻き込む以上、失敗は許されない。
 啼義が差し出した手を、アディーヌの手が包んだ。
「承知いたしました。信じてお待ちしております」
 アディーヌが、うやうやしく頭を垂れる。
「行ってらっしゃいませ。どうぞ、お気をつけて」
 言葉にこもる温もりを受け、啼義は胸の奥に熱を感じながら、「行ってきます」と力強く答えた。

 アディーヌは、その瞳に言葉にならないほどの願い、思いを浮かべていたが、啼義たち一行が道を曲がるまで、何度か手を振りながら、あくまでも穏やかな表情で見送ってくれた。


 街はもう目覚めていて、市場の通りも賑わい始めている。
 丘を上がり、先日抜け出した門の手前で振り返ると、眼下には今日も、ずっと遥かまで海が広がっていた。

 ダリュスカインの状況が分からない今、どのように決着をつけるべきか、どんな結果が待っているのかは分からない。出来れば話をしたいと思う一方で、やはり、話すどころではなく攻撃を仕掛けられる可能性もある。それでも。

<絶対に、道はあるはずだ>
 ここまで来たのだ。
 蒼空の竜の加護の継承が本当なら、その力にとっても、今ここで自分を失うことは大きな損失となるはずだ。
<そうだと言うなら、護ってくれよな>
 啼義は初めて、それまで半信半疑だった蒼空の竜の存在に言い聞かせるように、心の中で呟いていた。
<一緒に生き抜いて、ここにいる仲間と共に、その先の大海原に漕ぎ出そう>
 海から上がる風を吸い込むように大きく深呼吸をし、イルギネスと驃、リナ、それぞれに目を合わせた。三人は、啼義に答えるように、澄んだ眼差しで彼の黒い瞳を見返す。
 啼義は今一度しっかりと顔を上げ、笑顔で出発の合図を告げた。
「さあ、行こう」
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