72 / 96
第五章 竜が啼く
闇の誘い 3
しおりを挟む
──来るがいい。
どこかで声がした気がして、啼義は飛び起きた。
部屋は灯りを落としたまま暗く、夜明けにはほど遠いようだ。
<何?>
辺りを伺ったが、イルギネスが隣のベッドで眠っている以外の気配はない。しかし今確かに、頭にはっきり響く声で聴こえたのは?
背中に、いつの間にか妙な汗をかいている。アディーヌの言葉が、脳裏に浮かんだ。
『ダリュスカインの波動が──山脈を越えてこちらへ』
<あいつは今、どこまで来ているんだろう>
今日明日でここに着くことはないだろうと、アディーヌは言った。実際に、今のところ、大きく位置が動いた形跡はないようだ。しかし、ダリュスカインは、短距離の瞬間移動を会得している魔術師だ。羅沙の社を抜け出した日も、それで追いつかれた。瞬間移動は多大な魔力を使うゆえ、日に何度も使えないとは言え、もしダリュスカインが、啼義の位置を掴んで動き出せば、そんなに日数は稼げないだろう。
出発は、明日。
こちらにある魔の刻石を頼れば、おおよその位置も分かることから、もうそんなに時間をかけずに、再会することになるのは明白だ。思った以上に気持ちが昂っているのかも知れない。
<焦ったって、仕方ねえ>
言い聞かせたところで、恐怖心をゼロになど出来ない。それでも今、精一杯の虚勢を張ることが、自分に出来る唯一のことだ。
啼義は何気なく、眠っているイルギネスに視線を移した。彼は、旅立ちを前にしても、いつもと変わらず、安定した寝息を立ててよく寝ている。
穏やかに眠っている銀髪の相棒を見つめていると、不思議と不安や恐怖が薄れてきた。ダリュスカインの追撃に倒れ、見知らぬ街で目覚めたところに現れた彼に、ナイフを投げつけたことを思い出す。あの時から、いろんなことがあった。
<大丈夫だ>
イルギネスと一緒なら、きっと。
啼義はしばらく、眠っているイルギネスを眺めていたが、やがて、再び眠気が頭をもたげてきたのを感じると、ベッドに身体を横たえ、そっと目を閉じた。
翌日、朝食を済ませると、いよいよ旅立ちの時となった。
玄関口の外まで見送りに出たアディーヌが、リナに、濃紫の布に包んだ魔の刻石を手渡す。
「波動の読み解き方は、きちんと覚えているわね?」
リナは、私の瞳をしっかりと見つめ、深く頷いた。
「大丈夫です」
「魔法杖の扱いにも、くれぐれも気をつけるように。自分の魔力の残り値を、決して超えないよう。無理は禁物ですよ」
「はい」
リナは凛とした声で答えた。
出発が決まってからのリナの変わりようには、目を見張るものがあった。啼義は思った。彼女が、自分のために意志を強く持って共に来てくれるのなら、自分も負けてはいられない。
アディーヌは続いて、二人の剣士に向き直る。
「イルギネス、驃。啼義様のお命、そして神殿の将来は、あなた方に懸かっています。必ず、啼義様を護り抜くように」
今までのアディーヌとは違って、和んだ雰囲気のない毅然とした口調に、二人もまた、引き締まった表情で頷く。
「かしこまりました」
二人の返事を受けたアディーヌは再度頷き、左右色違いの瞳に柔らかな光を湛えて啼義を見上げた。
「啼義様」
呼ばれ、緊張した面持ちで見返すと、アディーヌは和やかに微笑んだ。
「お帰りをお待ちしております。竜の加護と共に、最良の道が開けますよう」
啼義も微笑みを返す。
「ありがとう。必ずみんなで一緒に戻ってきて、今度はイリユスへ向かうから。それまで待っててくれ」
それは本心だった。これだけの仲間を巻き込む以上、失敗は許されない。
啼義が差し出した手を、アディーヌの手が包んだ。
「承知いたしました。信じてお待ちしております」
アディーヌが、恭しく頭を垂れる。
「行ってらっしゃいませ。どうぞ、お気をつけて」
言葉にこもる温もりを受け、啼義は胸の奥に熱を感じながら、「行ってきます」と力強く答えた。
アディーヌは、その瞳に言葉にならないほどの願い、思いを浮かべていたが、啼義たち一行が道を曲がるまで、何度か手を振りながら、あくまでも穏やかな表情で見送ってくれた。
街はもう目覚めていて、市場の通りも賑わい始めている。
丘を上がり、先日抜け出した門の手前で振り返ると、眼下には今日も、ずっと遥かまで海が広がっていた。
ダリュスカインの状況が分からない今、どのように決着をつけるべきか、どんな結果が待っているのかは分からない。出来れば話をしたいと思う一方で、やはり、話すどころではなく攻撃を仕掛けられる可能性もある。それでも。
<絶対に、道はあるはずだ>
ここまで来たのだ。
蒼空の竜の加護の継承が本当なら、その力にとっても、今ここで自分を失うことは大きな損失となるはずだ。
<そうだと言うなら、護ってくれよな>
啼義は初めて、それまで半信半疑だった蒼空の竜の存在に言い聞かせるように、心の中で呟いていた。
<一緒に生き抜いて、ここにいる仲間と共に、その先の大海原に漕ぎ出そう>
海から上がる風を吸い込むように大きく深呼吸をし、イルギネスと驃、リナ、それぞれに目を合わせた。三人は、啼義に答えるように、澄んだ眼差しで彼の黒い瞳を見返す。
啼義は今一度しっかりと顔を上げ、笑顔で出発の合図を告げた。
「さあ、行こう」
どこかで声がした気がして、啼義は飛び起きた。
部屋は灯りを落としたまま暗く、夜明けにはほど遠いようだ。
<何?>
辺りを伺ったが、イルギネスが隣のベッドで眠っている以外の気配はない。しかし今確かに、頭にはっきり響く声で聴こえたのは?
背中に、いつの間にか妙な汗をかいている。アディーヌの言葉が、脳裏に浮かんだ。
『ダリュスカインの波動が──山脈を越えてこちらへ』
<あいつは今、どこまで来ているんだろう>
今日明日でここに着くことはないだろうと、アディーヌは言った。実際に、今のところ、大きく位置が動いた形跡はないようだ。しかし、ダリュスカインは、短距離の瞬間移動を会得している魔術師だ。羅沙の社を抜け出した日も、それで追いつかれた。瞬間移動は多大な魔力を使うゆえ、日に何度も使えないとは言え、もしダリュスカインが、啼義の位置を掴んで動き出せば、そんなに日数は稼げないだろう。
出発は、明日。
こちらにある魔の刻石を頼れば、おおよその位置も分かることから、もうそんなに時間をかけずに、再会することになるのは明白だ。思った以上に気持ちが昂っているのかも知れない。
<焦ったって、仕方ねえ>
言い聞かせたところで、恐怖心をゼロになど出来ない。それでも今、精一杯の虚勢を張ることが、自分に出来る唯一のことだ。
啼義は何気なく、眠っているイルギネスに視線を移した。彼は、旅立ちを前にしても、いつもと変わらず、安定した寝息を立ててよく寝ている。
穏やかに眠っている銀髪の相棒を見つめていると、不思議と不安や恐怖が薄れてきた。ダリュスカインの追撃に倒れ、見知らぬ街で目覚めたところに現れた彼に、ナイフを投げつけたことを思い出す。あの時から、いろんなことがあった。
<大丈夫だ>
イルギネスと一緒なら、きっと。
啼義はしばらく、眠っているイルギネスを眺めていたが、やがて、再び眠気が頭をもたげてきたのを感じると、ベッドに身体を横たえ、そっと目を閉じた。
翌日、朝食を済ませると、いよいよ旅立ちの時となった。
玄関口の外まで見送りに出たアディーヌが、リナに、濃紫の布に包んだ魔の刻石を手渡す。
「波動の読み解き方は、きちんと覚えているわね?」
リナは、私の瞳をしっかりと見つめ、深く頷いた。
「大丈夫です」
「魔法杖の扱いにも、くれぐれも気をつけるように。自分の魔力の残り値を、決して超えないよう。無理は禁物ですよ」
「はい」
リナは凛とした声で答えた。
出発が決まってからのリナの変わりようには、目を見張るものがあった。啼義は思った。彼女が、自分のために意志を強く持って共に来てくれるのなら、自分も負けてはいられない。
アディーヌは続いて、二人の剣士に向き直る。
「イルギネス、驃。啼義様のお命、そして神殿の将来は、あなた方に懸かっています。必ず、啼義様を護り抜くように」
今までのアディーヌとは違って、和んだ雰囲気のない毅然とした口調に、二人もまた、引き締まった表情で頷く。
「かしこまりました」
二人の返事を受けたアディーヌは再度頷き、左右色違いの瞳に柔らかな光を湛えて啼義を見上げた。
「啼義様」
呼ばれ、緊張した面持ちで見返すと、アディーヌは和やかに微笑んだ。
「お帰りをお待ちしております。竜の加護と共に、最良の道が開けますよう」
啼義も微笑みを返す。
「ありがとう。必ずみんなで一緒に戻ってきて、今度はイリユスへ向かうから。それまで待っててくれ」
それは本心だった。これだけの仲間を巻き込む以上、失敗は許されない。
啼義が差し出した手を、アディーヌの手が包んだ。
「承知いたしました。信じてお待ちしております」
アディーヌが、恭しく頭を垂れる。
「行ってらっしゃいませ。どうぞ、お気をつけて」
言葉にこもる温もりを受け、啼義は胸の奥に熱を感じながら、「行ってきます」と力強く答えた。
アディーヌは、その瞳に言葉にならないほどの願い、思いを浮かべていたが、啼義たち一行が道を曲がるまで、何度か手を振りながら、あくまでも穏やかな表情で見送ってくれた。
街はもう目覚めていて、市場の通りも賑わい始めている。
丘を上がり、先日抜け出した門の手前で振り返ると、眼下には今日も、ずっと遥かまで海が広がっていた。
ダリュスカインの状況が分からない今、どのように決着をつけるべきか、どんな結果が待っているのかは分からない。出来れば話をしたいと思う一方で、やはり、話すどころではなく攻撃を仕掛けられる可能性もある。それでも。
<絶対に、道はあるはずだ>
ここまで来たのだ。
蒼空の竜の加護の継承が本当なら、その力にとっても、今ここで自分を失うことは大きな損失となるはずだ。
<そうだと言うなら、護ってくれよな>
啼義は初めて、それまで半信半疑だった蒼空の竜の存在に言い聞かせるように、心の中で呟いていた。
<一緒に生き抜いて、ここにいる仲間と共に、その先の大海原に漕ぎ出そう>
海から上がる風を吸い込むように大きく深呼吸をし、イルギネスと驃、リナ、それぞれに目を合わせた。三人は、啼義に答えるように、澄んだ眼差しで彼の黒い瞳を見返す。
啼義は今一度しっかりと顔を上げ、笑顔で出発の合図を告げた。
「さあ、行こう」
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~
紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。
そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。
大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。
しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。
フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。
しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。
「あのときからずっと……お慕いしています」
かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。
ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。
「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、
シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」
あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
捨てられた王妃は情熱王子に攫われて
きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。
貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?
猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。
疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り――
ざまあ系の物語です。
【最強モブの努力無双】~ゲームで名前も登場しないようなモブに転生したオレ、一途な努力とゲーム知識で最強になる~
くーねるでぶる(戒め)
ファンタジー
アベル・ヴィアラットは、五歳の時、ベッドから転げ落ちてその拍子に前世の記憶を思い出した。
大人気ゲーム『ヒーローズ・ジャーニー』の世界に転生したアベルは、ゲームの知識を使って全男の子の憧れである“最強”になることを決意する。
そのために努力を続け、順調に強くなっていくアベル。
しかしこの世界にはゲームには無かった知識ばかり。
戦闘もただスキルをブッパすればいいだけのゲームとはまったく違っていた。
「面白いじゃん?」
アベルはめげることなく、辺境最強の父と優しい母に見守られてすくすくと成長していくのだった。
『召喚ニートの異世界草原記』
KAORUwithAI
ファンタジー
ゲーム三昧の毎日を送る元ニート、佐々木二郎。
ある夜、三度目のゲームオーバーで眠りに落ちた彼が目を覚ますと、そこは見たこともない広大な草原だった。
剣と魔法が当たり前に存在する世界。だが二郎には、そのどちらの才能もない。
――代わりに与えられていたのは、**「自分が見た・聞いた・触れたことのあるものなら“召喚”できる」**という不思議な能力だった。
面倒なことはしたくない、楽をして生きたい。
そんな彼が、偶然出会ったのは――痩せた辺境・アセトン村でひとり生きる少女、レン。
「逃げて!」と叫ぶ彼女を前に、逃げようとした二郎の足は動かなかった。
昔の記憶が疼く。いじめられていたあの日、助けを求める自分を誰も救ってくれなかったあの光景。
……だから、今度は俺が――。
現代の知恵と召喚の力を武器に、ただの元ニートが異世界を駆け抜ける。
少女との出会いが、二郎を“召喚者”へと変えていく。
引きこもりの俺が、異世界で誰かを救う物語が始まる。
※こんな物も召喚して欲しいなって
言うのがあればリクエストして下さい。
出せるか分かりませんがやってみます。
処刑された勇者は二度目の人生で復讐を選ぶ
シロタカズキ
ファンタジー
──勇者は、すべてを裏切られ、処刑された。
だが、彼の魂は復讐の炎と共に蘇る──。
かつて魔王を討ち、人類を救った勇者 レオン・アルヴァレス。
だが、彼を待っていたのは称賛ではなく、 王族・貴族・元仲間たちによる裏切りと処刑だった。
「力が強すぎる」という理由で異端者として断罪され、広場で公開処刑されるレオン。
国民は歓喜し、王は満足げに笑い、かつての仲間たちは目を背ける。
そして、勇者は 死んだ。
──はずだった。
十年後。
王国は繁栄の影で腐敗し、裏切り者たちは安穏とした日々を送っていた。
しかし、そんな彼らの前に死んだはずの勇者が現れる。
「よくもまあ、のうのうと生きていられたものだな」
これは、英雄ではなくなった男の復讐譚。
彼を裏切った王族、貴族、そしてかつての仲間たちを絶望の淵に叩き落とすための第二の人生が、いま始まる──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる