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序章
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序
僕が訪ねたその人は、地方の比較的、発展している街に屋敷を構えていた。
屋敷と言っても、ささやかなものである。駅から近いのは助かった。
使用人もいないようで、当の取材相手が出迎えてくれて、飲み物を出してくれた。
「それで、お手紙によると、彼の話でしたね」
「そう、あの剣聖の話です」
僕は手帳を開いて、ペンを手に持って、まるで挑みかかるような姿勢を取っていた。
相手はそれがおかしかったのか、
「もっと力を抜きましょう」
と、苦笑いで言った。僕はその一言を真面目に受け取り、姿勢を正し、身じろぎした。それもまたおかしかったらしく、微笑みが返ってくる。
「よろしくお願いします」
僕がそう言うと、相手は頷き、
「これは伝え聞いたことも多いのですが、おおよそ、一人の英雄の記録です」
英雄。
僕は手帳にそう書いて、そこを丸で囲んだ。
相手が話し出した。
「大戦の初期の頃から、始まります」
ペンを走らせた。
◆
空に穴ができたのは、僕がまだ幼いときだった。
空に前触れもなく生まれる、黒い穴。そしてそこから差す、黒い光。
この黒い光に照らされた場所には、悪魔が生まれる。
異形の魔物は人間を、その家を、耕作地を、そして城砦までも飲み込んでいく。
剣を取らない人間はいない。最初は自分の家族を守るため。そして悪魔の攻勢が強くなるうちに、人間そのものを守るために、剣を手に取る。
僕もそんな一人だった。
剣を握り、振るい、悪魔を倒していく。
最初こそ、斬り伏せた悪魔の数を数えていた。でもそのうち、そんな余裕はなくなった。
悪魔は際限なく現れる。
しかし人間は際限なく増えるわけにはいかない。
来る日も来る日も、僕は戦った。
朝も昼も夜も、気を緩めることはできない。
眠れる日もあれば、眠れない日もある。
常に、戦場に身を置いていた。
その日も、そんな一日だった。
粗末な鎧、棍棒のような武器を持った、言葉も解さないような下級の悪魔を、無造作に切っていく。
俗に人類軍と呼ばれる人間の兵士は、すでに取り返しのつかない摩耗を強いられている。
しかしそれが逆に、人間の兵士の質を向上させていた。
力のない人間は、あっという間に悪魔に殺されていく。もちろん、運がなくて死んでいく奴もいるけれど、運に頼る人間は長生きは出来ない。
僕の剣も、自分でも信じられないほど冴え渡り、剣は冗談のように手に馴染んだ。
狙いを定めた相手の動き、反撃、防御、回避、その全ての可能性が脳裏に浮かび、自然と相手を効率的に切ることができた。
何体の悪魔を切ったのか、わからないほどに戦い、そして人間と悪魔の乱戦の中で、僕の前に、その悪魔はやってきた。
「そこのヒトよ」
奇妙に濁っているが、 しかし明確な発音の人語だった。
目の前の下級悪魔を切り捨てて、声の主に視線を向ける。
立派な鎧を着た、背の高い悪魔だった。
その鎧からは黒い炎が揺らめいている。人間には決して行使できない、悪魔の異能、魔法の気配。
僕はその悪魔を黙って見返した。
面頬の向こうに赤く燃える双眸が見える。
「聞こえているか?」
僕は返事をせず、背後から殴りかかってきた下級悪魔を一撃で切った。
「控えろ」
突然、僕の周囲の悪魔たちが動きを止め、空間を作ったのがわかった。そうなって、やっと僕はことの重大さを知った。
それでも鎧の悪魔の方に向き直っている僕は、不思議なほど平静な気持ちだった。
「それで」僕は服の袖で顔に浴びた悪魔の血飛沫を拭う。「そちらはどなた?」
「それがヒトの冗談という奴か?」
「らしいね」
自分の剣を確認する。わずかな刃こぼれがあるが、歪みも少なく、切れ味は落ちていない。人間の中でも優秀とされる職人による剣だ。
鎧の悪魔が、一歩、こちらへ進み出る。その手は腰の剣の柄に触れていた。
無意識に、間合いを図るように僕も移動する。悪魔と僕が円を描くようにゆっくりと立ち位置を変え、それと同時に、周りの悪魔たちも間合いを取る。
「さっきの言葉で」
僕は思っていることを口にした。呼吸を読まれる、ということは考えなかった。
「周りの悪魔を遠ざけてくれたのか?」
「余計な邪魔は好まぬのでな」
「一対一とは、ありがたくて涙が出る」
僕は剣の位置を変え、八双に構えた。攻撃的な構え。
正直、この鎧の悪魔の動きは、まったく読めなかった。
悪魔の中には位階がある、という情報は聞いている。人間はそれを特級、上級、中級、下級の四段階で分けているが、上級以上の悪魔は滅多に出てこない。
目の前にいる鎧の悪魔は、おそらく上級だろう、と僕は思っていた。
剣術を使いこなし、魔法を使い、そしてその肉体も超常のものである。
人間一人で相手にできるわけがない。
つまり、僕には勝ち目は少しもない、ということだ。
それでも剣を構えているのは、死を受け入れられないから、とか、諦めが悪い、とか、そういうことではなかった。
戦場で戦いを続けるうちに、僕の中には一つの思いが浮かんでいた。
それは、剣を試したい、ということだ。
ここまで僕を生かしてきた剣術、その技術を試してみたい。
下級悪魔では、とてもじゃないが、話にならない。
だが、この上級悪魔なら、試すことができる。
あるいは返り討ちに会うかもしれないが、何もしなくても斬られることに変わりはない。
僕は相手の隙を伺いながら、間合いを調整する。
鎧の悪魔が柄に置いている手に力を入れ、ゆっくりと剣を抜いている。遅すぎるほどの動きだが、隙が見いだせない。それだけで冷や汗が流れる。
悪魔は剣を抜き払い、構える。
「ヒトよ。名は?」
名前を聞くとは、変な奴だ。
「ラグーン。そちらさんは?」
「名はない。魔宮遊撃軍団特務隊長である」
やたら長いが、そういう役職らしい。
別に僕としても、名前が知りたいわけじゃない。
短い沈黙の後、悪魔が無造作に間合いに踏み込んできた。
僕の体は自然と動いた。
繰り出された相手の斬撃を払いざま、返す剣で切りつける。
間合いが想定より遠く、切っ先が鎧を掠めるだけ。相手の剣が長い!
素早く身を翻し、悪魔の剣を回避する。銀色に輝く、冷え冷えとするような刀身がすぐそばを通過した。
回避できたのは偶然に近い、次はないと直感が告げている。
捨て身の突きを繰り出す!
切っ先が悪魔の肩を捉える。
手応えが硬い、いや、硬すぎる!
反動で後ろにひっくり返っていく自分の視界で、僕の剣が悪魔の剣で弾かれるのが見えた。
激烈な手応え。
もちろん、剣を持ち続けられるわけもない。柄が手からもぎ取られ、遠くへ回転して飛んでいって見えなくなった。
背中から地面に落ち、しかし素早く姿勢を整える。
立ち上がった僕の眼の前で、悪魔が剣を構えていた。相手の肩の鎧には、少しの傷もない。
「命を捨てるつもりか?」
切っ先を突きつけながら、悪魔がまるで叱るような口調で話しかけてくる。
思わず、怒りが湧いたが、すぐに冷静になれた。
「人間は」
僕は間合いを計り、相手の動きを観察する。少しでも長く観察するために、僕は話をする。
「悪魔ほど強くはないんだ。命を捨てなければ、勝てない勝負もある」
「勝てない勝負、か。ヒトよ、お前が私に勝てる可能性がどれくらいある?」
「ないに等しい」
落胆したように、悪魔が息を吐いた。
「ないに等しい。つまり、諦めているのだな」
「諦めてはいないさ。例えば、これからすぐ、ここを人類軍が制圧して、勝負はお預けになるかもしれない」
「逆の場合は?」
「詳細は考えてなかったよ、ただ死ぬだけさ。それとも逃してくれるのかい?」
悪魔はほとんど体を動かさない。正眼に剣を構えている。間合いは一歩踏み込めば僕を真っ二つに断ち割れる。僕が下がれば、その瞬間に切りかかってくるのはわかる。
時間が、もう少し、欲しい。
頭に閃いた行動があった。それはもう賭けに近い。
だけど、自然な素振りでそれができた。
きっと、我を忘れていたんだろう。
一歩、後ろへ下がったのだ。悪魔が剣を振り上げる。
僕が動きを止めたために、悪魔も動きを止めた。
上段に剣を振り上げた悪魔が目を瞬かせる。
「逃げたいか?」
「いや、そうでもない」
強がっておいて、損はない。少なくとも、賭けには勝った。
問題は、もう一回、勝てるかどうかだ。
「何を待っている? 味方の助けか?」
「何も待っていないさ」
さすがに悪魔も、僕の言動を理解できなかったようだ。多分、人間でも理解できないだろう。
錯乱した、と判断したらしい悪魔が、息を吸う音がはっきりと聞こえた。周りではまだ戦いが続いているはずなのに。
「さらばだ、ヒトよ」
悪魔の剣の切っ先が、動き。
僕はほとんど同時に動き出した。
悪魔の閃光のような踏み込みと、落雷のような一撃。
しかし、僕はそれを読むことができた。
さっきまではできなかった。
今、それができるのは、必死の観察と、後退を見せて剣を振り上げさせたその動作を引き出したことで、悪魔の動きの癖がわかったからだ。
あとは、集中力に頼るしかない。
剣が僕の頭に触れるより先に、僕の手が翻る。
悪魔の、剣の柄を握る両手に、自分の両手を当てるように振った。
僕の両手が悪魔の手から剣を鮮やかに、もぎ取った。
手の中で奪った剣が踊り、手に収まった時には下から悪魔を切り上げている。
悪魔が後退するより先に、僕の手に相手を斬った感触があった。
後退した悪魔が唸る
その胸から首、顎に切り口が開くと、血が噴き出した。あまりに激しいので、僕がずぶ濡れになる。
悪魔の剣を構えながら、相手を探る。
まだ悪魔は立っている。しかし血は流れる。悪魔も赤い血を流すのか、と今になって気付き、考えていた。
「良かろう」
悪魔が絞り出すように言った。片手で胸を、片手で首を押さえている。
「ヒトの中にも面白い存在がいると、わかった。それだけでも価値があるが、そのヒトに武器を奪われ、手傷を負うとは、さらに価値のある経験ができた。感謝しよう」
「人が良すぎる、と言いたいが、人じゃないな、あんたは」
悪魔が一歩、後退する。
しかし僕は動けなかった。剣を構えたまま、悪魔が数歩下がり、背中を向けるのを見ているしかできない。
「いずれ、再会できると良いな」
悪魔はその言葉を残し、歩み去っていく。同時に周りの下級悪魔も鳴き声を交わしながら、下がっていく。
どうやら、この戦場は、人間の勝利で締めくくられそうだ。
周囲の安全が確保されるまで、僕は残っている悪魔を可能な限り倒した。そして戦闘が終わった時、倒れた。
血管に鉛が入っているように、体が重かった。
自分が意識を失ったことがわかったのは、目が覚めて、人類軍の救護テントの中にいることに認識が及んでからだった。看護師が駆け寄ってきて、いくつか質問を向けてくる。わかりきったような質問ばかりだった。
少しして医師が診察し、休養をとるように言い聞かせてきたので、頷いておいた。
さらに時間が経つと、上級悪魔との戦いを見ていたらしい兵士数人がやってきたり、さらに上位の人類軍の部隊の指揮官などがやってきた。答えられる限り答えたけれど、まだ疲れていて、自分でも自分の話している内容がわからないくらいだった。
眠りと目覚めを繰り返して、やっと意識がはっきりしてきた時、体にある微かな痛みが全く消えないことに気づいた。
服の下を確認するが、そこには今までの戦いで負った傷跡があるだけだった。
戦線に復帰する時、僕の直接の指揮官がやってきて、剣を手渡してくれた。
それは、僕が悪魔から奪った剣だった。
指揮官はもっともらしい説明をしたけれど、要は、悪魔を倒せばその武器や武具を奪える、ということを兵隊に浸透させたいらしかった。
こうして僕は悪魔の剣を持つ兵士として、さらに戦うことになった。
あれから数年が経った。
空にはまだ黒い穴が空いている。そこから黒い光が差し、悪魔はひっきりなしに溢れてくる。
そして人間たちもまだ、戦っている。
僕が訪ねたその人は、地方の比較的、発展している街に屋敷を構えていた。
屋敷と言っても、ささやかなものである。駅から近いのは助かった。
使用人もいないようで、当の取材相手が出迎えてくれて、飲み物を出してくれた。
「それで、お手紙によると、彼の話でしたね」
「そう、あの剣聖の話です」
僕は手帳を開いて、ペンを手に持って、まるで挑みかかるような姿勢を取っていた。
相手はそれがおかしかったのか、
「もっと力を抜きましょう」
と、苦笑いで言った。僕はその一言を真面目に受け取り、姿勢を正し、身じろぎした。それもまたおかしかったらしく、微笑みが返ってくる。
「よろしくお願いします」
僕がそう言うと、相手は頷き、
「これは伝え聞いたことも多いのですが、おおよそ、一人の英雄の記録です」
英雄。
僕は手帳にそう書いて、そこを丸で囲んだ。
相手が話し出した。
「大戦の初期の頃から、始まります」
ペンを走らせた。
◆
空に穴ができたのは、僕がまだ幼いときだった。
空に前触れもなく生まれる、黒い穴。そしてそこから差す、黒い光。
この黒い光に照らされた場所には、悪魔が生まれる。
異形の魔物は人間を、その家を、耕作地を、そして城砦までも飲み込んでいく。
剣を取らない人間はいない。最初は自分の家族を守るため。そして悪魔の攻勢が強くなるうちに、人間そのものを守るために、剣を手に取る。
僕もそんな一人だった。
剣を握り、振るい、悪魔を倒していく。
最初こそ、斬り伏せた悪魔の数を数えていた。でもそのうち、そんな余裕はなくなった。
悪魔は際限なく現れる。
しかし人間は際限なく増えるわけにはいかない。
来る日も来る日も、僕は戦った。
朝も昼も夜も、気を緩めることはできない。
眠れる日もあれば、眠れない日もある。
常に、戦場に身を置いていた。
その日も、そんな一日だった。
粗末な鎧、棍棒のような武器を持った、言葉も解さないような下級の悪魔を、無造作に切っていく。
俗に人類軍と呼ばれる人間の兵士は、すでに取り返しのつかない摩耗を強いられている。
しかしそれが逆に、人間の兵士の質を向上させていた。
力のない人間は、あっという間に悪魔に殺されていく。もちろん、運がなくて死んでいく奴もいるけれど、運に頼る人間は長生きは出来ない。
僕の剣も、自分でも信じられないほど冴え渡り、剣は冗談のように手に馴染んだ。
狙いを定めた相手の動き、反撃、防御、回避、その全ての可能性が脳裏に浮かび、自然と相手を効率的に切ることができた。
何体の悪魔を切ったのか、わからないほどに戦い、そして人間と悪魔の乱戦の中で、僕の前に、その悪魔はやってきた。
「そこのヒトよ」
奇妙に濁っているが、 しかし明確な発音の人語だった。
目の前の下級悪魔を切り捨てて、声の主に視線を向ける。
立派な鎧を着た、背の高い悪魔だった。
その鎧からは黒い炎が揺らめいている。人間には決して行使できない、悪魔の異能、魔法の気配。
僕はその悪魔を黙って見返した。
面頬の向こうに赤く燃える双眸が見える。
「聞こえているか?」
僕は返事をせず、背後から殴りかかってきた下級悪魔を一撃で切った。
「控えろ」
突然、僕の周囲の悪魔たちが動きを止め、空間を作ったのがわかった。そうなって、やっと僕はことの重大さを知った。
それでも鎧の悪魔の方に向き直っている僕は、不思議なほど平静な気持ちだった。
「それで」僕は服の袖で顔に浴びた悪魔の血飛沫を拭う。「そちらはどなた?」
「それがヒトの冗談という奴か?」
「らしいね」
自分の剣を確認する。わずかな刃こぼれがあるが、歪みも少なく、切れ味は落ちていない。人間の中でも優秀とされる職人による剣だ。
鎧の悪魔が、一歩、こちらへ進み出る。その手は腰の剣の柄に触れていた。
無意識に、間合いを図るように僕も移動する。悪魔と僕が円を描くようにゆっくりと立ち位置を変え、それと同時に、周りの悪魔たちも間合いを取る。
「さっきの言葉で」
僕は思っていることを口にした。呼吸を読まれる、ということは考えなかった。
「周りの悪魔を遠ざけてくれたのか?」
「余計な邪魔は好まぬのでな」
「一対一とは、ありがたくて涙が出る」
僕は剣の位置を変え、八双に構えた。攻撃的な構え。
正直、この鎧の悪魔の動きは、まったく読めなかった。
悪魔の中には位階がある、という情報は聞いている。人間はそれを特級、上級、中級、下級の四段階で分けているが、上級以上の悪魔は滅多に出てこない。
目の前にいる鎧の悪魔は、おそらく上級だろう、と僕は思っていた。
剣術を使いこなし、魔法を使い、そしてその肉体も超常のものである。
人間一人で相手にできるわけがない。
つまり、僕には勝ち目は少しもない、ということだ。
それでも剣を構えているのは、死を受け入れられないから、とか、諦めが悪い、とか、そういうことではなかった。
戦場で戦いを続けるうちに、僕の中には一つの思いが浮かんでいた。
それは、剣を試したい、ということだ。
ここまで僕を生かしてきた剣術、その技術を試してみたい。
下級悪魔では、とてもじゃないが、話にならない。
だが、この上級悪魔なら、試すことができる。
あるいは返り討ちに会うかもしれないが、何もしなくても斬られることに変わりはない。
僕は相手の隙を伺いながら、間合いを調整する。
鎧の悪魔が柄に置いている手に力を入れ、ゆっくりと剣を抜いている。遅すぎるほどの動きだが、隙が見いだせない。それだけで冷や汗が流れる。
悪魔は剣を抜き払い、構える。
「ヒトよ。名は?」
名前を聞くとは、変な奴だ。
「ラグーン。そちらさんは?」
「名はない。魔宮遊撃軍団特務隊長である」
やたら長いが、そういう役職らしい。
別に僕としても、名前が知りたいわけじゃない。
短い沈黙の後、悪魔が無造作に間合いに踏み込んできた。
僕の体は自然と動いた。
繰り出された相手の斬撃を払いざま、返す剣で切りつける。
間合いが想定より遠く、切っ先が鎧を掠めるだけ。相手の剣が長い!
素早く身を翻し、悪魔の剣を回避する。銀色に輝く、冷え冷えとするような刀身がすぐそばを通過した。
回避できたのは偶然に近い、次はないと直感が告げている。
捨て身の突きを繰り出す!
切っ先が悪魔の肩を捉える。
手応えが硬い、いや、硬すぎる!
反動で後ろにひっくり返っていく自分の視界で、僕の剣が悪魔の剣で弾かれるのが見えた。
激烈な手応え。
もちろん、剣を持ち続けられるわけもない。柄が手からもぎ取られ、遠くへ回転して飛んでいって見えなくなった。
背中から地面に落ち、しかし素早く姿勢を整える。
立ち上がった僕の眼の前で、悪魔が剣を構えていた。相手の肩の鎧には、少しの傷もない。
「命を捨てるつもりか?」
切っ先を突きつけながら、悪魔がまるで叱るような口調で話しかけてくる。
思わず、怒りが湧いたが、すぐに冷静になれた。
「人間は」
僕は間合いを計り、相手の動きを観察する。少しでも長く観察するために、僕は話をする。
「悪魔ほど強くはないんだ。命を捨てなければ、勝てない勝負もある」
「勝てない勝負、か。ヒトよ、お前が私に勝てる可能性がどれくらいある?」
「ないに等しい」
落胆したように、悪魔が息を吐いた。
「ないに等しい。つまり、諦めているのだな」
「諦めてはいないさ。例えば、これからすぐ、ここを人類軍が制圧して、勝負はお預けになるかもしれない」
「逆の場合は?」
「詳細は考えてなかったよ、ただ死ぬだけさ。それとも逃してくれるのかい?」
悪魔はほとんど体を動かさない。正眼に剣を構えている。間合いは一歩踏み込めば僕を真っ二つに断ち割れる。僕が下がれば、その瞬間に切りかかってくるのはわかる。
時間が、もう少し、欲しい。
頭に閃いた行動があった。それはもう賭けに近い。
だけど、自然な素振りでそれができた。
きっと、我を忘れていたんだろう。
一歩、後ろへ下がったのだ。悪魔が剣を振り上げる。
僕が動きを止めたために、悪魔も動きを止めた。
上段に剣を振り上げた悪魔が目を瞬かせる。
「逃げたいか?」
「いや、そうでもない」
強がっておいて、損はない。少なくとも、賭けには勝った。
問題は、もう一回、勝てるかどうかだ。
「何を待っている? 味方の助けか?」
「何も待っていないさ」
さすがに悪魔も、僕の言動を理解できなかったようだ。多分、人間でも理解できないだろう。
錯乱した、と判断したらしい悪魔が、息を吸う音がはっきりと聞こえた。周りではまだ戦いが続いているはずなのに。
「さらばだ、ヒトよ」
悪魔の剣の切っ先が、動き。
僕はほとんど同時に動き出した。
悪魔の閃光のような踏み込みと、落雷のような一撃。
しかし、僕はそれを読むことができた。
さっきまではできなかった。
今、それができるのは、必死の観察と、後退を見せて剣を振り上げさせたその動作を引き出したことで、悪魔の動きの癖がわかったからだ。
あとは、集中力に頼るしかない。
剣が僕の頭に触れるより先に、僕の手が翻る。
悪魔の、剣の柄を握る両手に、自分の両手を当てるように振った。
僕の両手が悪魔の手から剣を鮮やかに、もぎ取った。
手の中で奪った剣が踊り、手に収まった時には下から悪魔を切り上げている。
悪魔が後退するより先に、僕の手に相手を斬った感触があった。
後退した悪魔が唸る
その胸から首、顎に切り口が開くと、血が噴き出した。あまりに激しいので、僕がずぶ濡れになる。
悪魔の剣を構えながら、相手を探る。
まだ悪魔は立っている。しかし血は流れる。悪魔も赤い血を流すのか、と今になって気付き、考えていた。
「良かろう」
悪魔が絞り出すように言った。片手で胸を、片手で首を押さえている。
「ヒトの中にも面白い存在がいると、わかった。それだけでも価値があるが、そのヒトに武器を奪われ、手傷を負うとは、さらに価値のある経験ができた。感謝しよう」
「人が良すぎる、と言いたいが、人じゃないな、あんたは」
悪魔が一歩、後退する。
しかし僕は動けなかった。剣を構えたまま、悪魔が数歩下がり、背中を向けるのを見ているしかできない。
「いずれ、再会できると良いな」
悪魔はその言葉を残し、歩み去っていく。同時に周りの下級悪魔も鳴き声を交わしながら、下がっていく。
どうやら、この戦場は、人間の勝利で締めくくられそうだ。
周囲の安全が確保されるまで、僕は残っている悪魔を可能な限り倒した。そして戦闘が終わった時、倒れた。
血管に鉛が入っているように、体が重かった。
自分が意識を失ったことがわかったのは、目が覚めて、人類軍の救護テントの中にいることに認識が及んでからだった。看護師が駆け寄ってきて、いくつか質問を向けてくる。わかりきったような質問ばかりだった。
少しして医師が診察し、休養をとるように言い聞かせてきたので、頷いておいた。
さらに時間が経つと、上級悪魔との戦いを見ていたらしい兵士数人がやってきたり、さらに上位の人類軍の部隊の指揮官などがやってきた。答えられる限り答えたけれど、まだ疲れていて、自分でも自分の話している内容がわからないくらいだった。
眠りと目覚めを繰り返して、やっと意識がはっきりしてきた時、体にある微かな痛みが全く消えないことに気づいた。
服の下を確認するが、そこには今までの戦いで負った傷跡があるだけだった。
戦線に復帰する時、僕の直接の指揮官がやってきて、剣を手渡してくれた。
それは、僕が悪魔から奪った剣だった。
指揮官はもっともらしい説明をしたけれど、要は、悪魔を倒せばその武器や武具を奪える、ということを兵隊に浸透させたいらしかった。
こうして僕は悪魔の剣を持つ兵士として、さらに戦うことになった。
あれから数年が経った。
空にはまだ黒い穴が空いている。そこから黒い光が差し、悪魔はひっきりなしに溢れてくる。
そして人間たちもまだ、戦っている。
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