サクリファイス -とある戦いの記録-

和泉茉樹

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第1章

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     一

「連合王国歴七十四年四月五日の第一軍からの通報です」
 人類軍の第四軍の司令官用テントの一つで、僕は目の前に立つ連絡員を見た。かなりの狼狽と疲労が見える。
 僕が補佐している第四軍軍団長兼第一大隊長トールが連絡員が手渡した書簡を受け取り、中身を検めた。しばらく無言で読んでいたが、
「確かに受け取った。少し休むかね?」
 穏やかな口調を受けた連絡員が動転したように声を漏らしたが、
「ほ、本隊に帰還します」
 と、やっと口にして、逃げるようにテントを出て行った。
「ラグーン、すごい知らせだ」
「人類軍の完全勝利くらい、すごい知らせだといいのですが」
 思わず冗談を口にして、書簡を受け取る。文に目を走らせて、僕は思わず息を飲んだ。
 そんな僕に気づいたようで、トールが忍び笑いを漏らす。
「どうだ? すごい知らせだろう?」
 書簡を上官に返しつつ、額に滲んだ汗を拭った。ひんやりとした汗だった。
「正確な情報ですか? 信じられません」
「剣聖だって人間だ、死ぬこともある。運が悪かったんだろう」
 さらりとトールは言うが、僕はとてもそんなことは言えない。
 人類軍の象徴とも言われる、剣聖、という存在。最強の兵士と言ってもいい。大抵は一人しかその称号を受けない。
 その剣聖が、戦死した、というのが今回の書簡の内容だった。まだそれしか情報がない。
 それしか情報がなくとも、大きすぎる内容だ。
「司令官、何を考えているんですか?」
「考え?」トールが首を捻る。「考えることはないな。まずは目の前の敵をどうにかする。悪魔どもをな」
 言うなり、トールは席を立ち、剣を持ってテントを出て行こうとする。僕も遅れずに続く。
「ラグーン、敵に動きは?」
「昨夕の戦闘停止後は、お互いににらみ合いです」
「そうか。少しでも相手を押し込んでおきたい」
 その言葉で、僕はトールが何も考えていないわけじゃないとわかった。
 剣聖が不在となると、人類軍が浮き足立つのは避けられない。部隊の統制や兵の士気が乱れる前に、悪魔を少しでも後退させたいのだ。
 僕とトールはいくらか意見交換をして、第四軍を構成する四つの大隊それぞれの大隊長へ指示を出した。
「それにしても」
 愛馬にまたがったトールが、部隊を引き連れて前線へ移動していく。僕はその横をやはり馬に乗って進む。
「剣聖なんて称号、何のためにあるんだ?」
 ざっくりとしたトールの言葉に、僕は思わず笑ってしまう。
「称号に従いたい人もいるのでしょう」
「そんなもんかね」
「軍団長という称号と同じですよ」
「やれやれ。愚かしいことだ。俺としては、誰の元で戦うかなんて、関係ない。勝てれば誰が導いても良いわけだからな」
 第四軍第一大隊の、防御陣地に到達し、トールが連れてきた部隊も配置につくように移動していく。
「そういえば、ラグーン。体の具合はどうだ?」
「快調ですよ。今は問題ありません」
「少しでもおかしい時は、教えてくれ。お前のような有望な人間を無駄に失いたくはない」
 ありがとうございます、と答えておいたが、トールがあまりに穏やかな視線を向けてくるので、困った。
 実際、今は体に異常はない。
 しかし時折、全身に倦怠感が起こり、そのすぐ後に全身が激しい痛みに襲われる。
 そうなってしまうと、戦いどころではない。ただ、今のところ、戦いの最中に行動不能になっていないのが、救いといえば救い。
 その痛みと関係があるのか、全身の傷跡が黒ずみ始めていることも不気味だった。
 今まで色々な医者に見せたけど、原因不明、と診断されるだけだ。あるいは、悪魔の呪いでは、とも言われる。
 様々な薬も試したが、効果が出ているとは言い難い。
 このことはトールには詳細には話していない。話せば、戦場から遠ざけられそうな気がした。
 部隊の配置が完了し、トールが手を振り上げた。
「攻撃開始だ」
 手が振り下ろされる。その瞬間、ラッパが吹き鳴らされ、兵士たちが声を上げながら動き始める。
 トールも部隊の中を前へ進んでいく。人類軍の大抵の指揮官は兵士からの叩き上げで、戦いに参加しない、ということはほとんどない。指揮官は兵士の士気の支えでもある。
 悪魔も反撃を始め、乱戦になる。それでもトールまで迫る悪魔はほとんどいない。
 そこへ伝令がやってきた。悪魔が陣形を変えつつあり、左右に広がっている、というのだ。
 僕の思考では、二つの未来がある。一つは悪魔の軍に半包囲され、そのまま押し込まれる。一つは悪魔の軍が左右に広がったことで厚みを失い、そのために人類軍が悪魔軍を分断できる。
 視線をトールへ向けると、彼には迷いの気配はなかった。
「相手を分断する。ラグーン、行けるか?」
「騎馬を一個中隊ほどもらえますか?」
「よし。第三騎馬中隊をつける。任せる」
 僕は伝令に指示を出し、即座にラッパが複雑な音を鳴らし始める。その音の組み合わせが指示となり、戦いの中で騎馬中隊を集結させる。おおよそが揃った時点で、即座に前方へ向かっていく。
 僕とこの五百の騎馬が悪魔軍の分断を狙い、突出することになる。危険な役目だが、重要でもある。
「突けるだけ突け! 繰り返し!」
 僕の声を受けて、兵士たちが雄叫びを上げながら、突撃していく。
 剣を抜き、馬上から悪魔たちは討っていく。
 前方を見ると、悪魔の陣地に深く食い込んでおり、既に相手は分断されつつある。おそらくトールにもそう見えているだろう。
 しかし、問題はある。
 悪魔には撤退の気配がない。そう、悪魔との戦いで最も問題視されているのは、悪魔が死を厭わない点なのだ。
 実際、彼らは指揮官の命令を受けない限り、全滅するまで戦うのがほとんどだ。
 対処法は一つ、指揮官を討つことだ。
 戦いの中でも視線を巡らせ、指揮官を探す。指揮官は中級の悪魔が多い。武装が他よりしっかりしているために、見分けがつく。
 「指揮官を攻撃しろ!」
 僕の怒号に周囲の兵士が反応するが、誰もが下級悪魔に囲まれているような状況では、難しい。しかし、このままでは無駄な戦いを続けることになる。
 やっと指揮官だろう中級の悪魔を見つけた時、その悪魔は一人の兵士と戦っていた。
 兵士はやけに小柄で、すばしっこく動きまわっている。両手に短剣を持ち、果敢に攻撃を繰り出すが、悪魔の反応が早い。その指揮官の悪魔は細身で、頭から二本のツノがねじれて伸びている。 
 見ている目の前、兵士に悪魔の剣が触れる。頭部に当たったように見えたが、倒れこんだ兵士はすぐに起き上がろうとしている。
 危ない状況、余裕はない。
 僕は悪魔の群れをかき分け、切り開いて、その中級悪魔へ躍り掛かった。
 まずは馬で轢き殺そうとしたが、悪魔が身を引く。これで兵士と悪魔の間に僕が割り込むことができた。
 中級の悪魔がこちらをを見る。しかし言葉は発さない。
 こちらから仕掛ける。牽制の一振りの後、馬から一気に飛び上がった。
 悪魔の頭上でとんぼ返りを打ちながら、剣を繰り出す。
 これを悪魔の剣が受け、一瞬だけ盛大に火花が散る。
 着地と同時に、切り掛かる。
 悪魔の動きは人間より機敏で、また筋そのものが大胆だ。
 頑丈な鎧と、強靭な肉体があるが故に、少しの負傷など気にならないのだろう。
 しかしだからこそ、彼らの剣技は、人間に及ばないのである。
 複雑な軌跡を描いた僕の剣は、悪魔の剣の切っ先を地面に沈めていた。それを足で押さえ、鋭い一撃で僕は悪魔の腕を肘の部分で切り落とした。
 これにはさすがに悪魔も驚いただろう。人間の武器が悪魔の鎧を、例え弱い部分を狙われたとはいえ切り裂くのは至難だから。
 僕の剣は、悪魔から奪った剣だ。これくらいは造作もない。
 悪魔が身を引こうとしたが、しかし僕はそれを許さなかった。
 一撃で肩を切り裂き、もう一撃で膝を断ち割る。
 そして最後に、動けない悪魔の首を余裕を持って切り落とした。
 周囲でうごめくように人間と戦っていた悪魔たちが何やら言葉ではない音で鳴き交わし始め、徐々に退いていく。
「大丈夫か?」
 僕は下級悪魔を一体、一撃で切り倒しつつ、自力で立ち上がった双剣の兵士に声をかける。
「ありがとう」
 帰ってきた声が高音だと思った時には、やはり悪魔の一撃を受けていたらしい兜が割れる。
 黒い髪の毛が溢れるように広がった。
 女なのだ。
 しかも、肌が浅黒い。
「何?」
 女もしつこく襲ってくる下級悪魔を一撃で倒し、こちらを睨みつける。
「いや、シエラ王国の人間か?」
 シエラ王国、というのは、辺境の島国で、そこの国の人間は、黒髪で褐色の肌をしている。この国には傭兵として多くの兵士を派遣していると聞いていたし、実際にその傭兵隊を見たこともある。
 しかし、女兵士は珍しい。
 不機嫌そうな女が、
「蛮族隊はお気に召さないかしら?」
 と、凄むように言った。
「蛮族隊、という呼称はあまり好ましくない、と思っているよ」
 棍棒で殴りかかってくる下級悪魔を突き倒し、この段になって、やっと悪魔は本格的に撤退を開始した。
 ラッパが吹き鳴らされ、追撃の指示が下る。ラッパの音を読み解くと、僕と指揮下の第三騎馬中隊は可能なかぎりの追い討ちをかける、という指示だ。
 近くにいた持ち主不明の馬を捕まえて、またがる。
「頭の傷を診てもらったほうがいい」
 女兵士に声をかけ、僕は馬の腹を蹴ると、悪魔の追撃に移った。
 その日の夕方、僕は部隊とともに本陣へ帰還した。悪魔の陣地は完全に崩壊し、大きく後退している。
 夕日の中で、トールがテントの前に立っていた。馬から降りると、トールが僕の肩をポンと叩いた。
 大隊長であるトールの従者が僕が乗っていた馬を厩舎へ連れていくのを横目に、僕たちはテントへ入る。お互いに椅子に座る前に、最低限の情報共有ができた。主に部隊の損耗のことだ。
 今回の戦いでは、大きな損失は出ていないようだった。百人に届かない死傷者だった。
「これでこの戦線はわずかに余裕ができたな」
 トールが椅子に身を預けて、テントの天井を見上げながら言う。
「問題はこれから、ですね」
 僕の言葉に、トールが唸る。
「剣聖たる、タイガ・ドラグ・ミンハイは、指導力がありすぎたな」
 トールが漏らす言葉に、僕は、曖昧に頷くしかできなかった。
 戦死が伝えられた剣聖タイガは、人類軍を構成する四つの大隊全てを統括する、総司令官を兼ねていた。これは非常に危険だと、トールは前から話していたし、僕はそれを何度も聞いている。
 彼の考えている理由は単純で、指揮権を明確にして、かつ、その指揮権の範囲で自由に部隊を運用した方が、効率的だからだ。
 現時点で、悪魔軍は人間の生活圏を完全に包囲しているわけではない。つまり、背後を突かれることは滅多にない。
 なら、流動的に、悪魔の出方に応じて、それを撃退していればいい。
 この方法なら、指揮官が負傷したり戦死しても、次の指揮官を立て、そのまま部隊を戦わすことができる。
 それをタイガは自分一人に指揮権を集中させたため、タイガの戦死により、人類軍は総司令官を失い、間違いなく、次の総司令官選びで混乱する。
「四つの大隊がそれぞれの意志で動くのは不自然だが」
 トールが嘆く。
「人類軍は、一人の有能なリーダーによる統制、というものの意味と価値を履き違えているんじゃないか? 全ての戦場を俯瞰し、最適で合理的な軍の運用ができる指揮官なら、歓迎だ。しかしそんな指揮官は、現実にはいない。タイガも素晴らし兵士だったが、結局は、権力に走った。権力というのは、目を曇らせる」
「しかし、有能な指揮官は、めったに現れませんよ」
「それもそうだ。この話はここで終わりだ。なんにせよ、他の大隊長と意見交換の必要がある。連絡員を呼べるだけ呼んでくれ。そうしたらお前は休息をとれ。今日くらいは悪魔も攻めては来まい」
 僕はテントを出て、連絡員の招集をかけてから、自分のテントに戻った。従者が食事の支度をしている。
 テントに入った僕は、悪魔の血で染まった服を着替える。
 服を脱いだ時、体のそここにある黒いシミが目に付いた。かすかに熱を持っている。
 気休め程度に、少し前に医者から処方された塗り薬を擦り込んでおくが、効くかどうかはわからない。それでも、何もしないよりは良いだろう。
 僕はこの自身の体の現状、その理由を、なんとなく感付き始めている。
 それは、数年前、今の剣を奪った悪魔の、あの血を浴びたことだ。
 あの時から僕の体はおかしくなった。好調と不調の激しい波。体の異常。黒いシミ。
 そのことを医者に話したことはなかった。だって、それではまるで呪いだし、医師ですら恐れることは確実だ。
 だから、黙っている。
 原因不明、という診断は、きっと、悪魔の血を浴びたから、と説明しても、原因不明、のままだと思う。
 人間は悪魔について、知らないことが多すぎる。
 彼らがなぜ、この地上へ現れるかも、はっきりしないのだ。
 僕は新しい服を着て、ちらりと自分の剣を見た。
 数年間、手入れをしているが、まったく劣化しない、悪魔の剣。
 恐ろしいほど切れるその剣もまた、不気味だった。


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