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第7章

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     七

 トールの処刑の情報はあっという間に隊全体に広がった。
 それは情報の拡散だけではなく、動揺の伝播も意味する。しかも第一軍の大半が戦線を離れたことも、第四軍に大きな揺れをももたらした。
 もはや当初の作戦の継続は難しい。第四軍は敵前で孤立しつつある。しかも司令官を欠いた状態でだ。
 連日の指揮官会議は、盛り上がりこそすれ、着地点は見出せない。
 そんな中、第三軍司令官のアリスがやってきた。同時に、未だ補給線が確立されていない我々には願っても無い土産を大量に携えていた。食料である。
 食料の分配が行われ、それからやっと僕はアリスと話をすることができた。分配が公正に行われるか、少しでも見て回っていたからだった。
 アリスは僕と数人の指揮官を前にして、状況を説明し始めた。
 まずアリス直轄の第三軍は、兵力をまとめて、後方に待機している。このことを聞いて、指揮官の数人が罵声を発したが、僕はそれを制止した。話は続くのだ。
 続いた言葉には、さすがに僕も唖然とした。
 第一軍のほとんどの兵力は後方へ撤退していた。これは司令官代行による命令だと、僕も事前に知っていた。理由は単純、その命令に従わない兵士が、少なくない数、我々第四軍との合流を望んだからだ。
 そして問題はここからだった。兵站担当の第二軍は、大量の物資と兵力をそのままに、安全地帯にある砦の一つを中心に、陣を構えているという。さらに、そこに第一軍の司令官代行の軍勢が加わったともいう。
「つまり」
 第四軍の指揮官の一人が、呆然と言葉を口にした。
「奴らは、反乱を起こしたということか?」
「厄介なことにね」
 アリスが嘆息する。僕は、ちょうどみんなで囲んでいる地図の一点に、石を置いた。そこが第一軍と第二軍の拠点なのだ。
 位置的には、第四軍を悪魔の軍との緩衝に使える。そして連合首都にも近い。
「首都の連合国軍本部の考えは?」
 僕の質問に、アリスも無意識にだろう、顔をしかめた。
「この反乱軍とやりとりしているようだけど、詳細は不明。私の感覚だと、この反乱軍は、連合王国そのものから離反するんじゃないかしら」
「連合議会が放置するとは思えない」
 指揮官の一人が発言。
「軍本部の保有する戦力で制圧できる可能性は?」
「あまりに悪魔に対して兵力を出しすぎてね、どうやっても互角」
 アリスの言葉に場の空気が重くなる。僕は考えを巡らせていた。その僕を指揮官たちが見つめてくるのがわかった。
「今、第四軍は、第一軍からの兵隊を合わせて、全部で五個大隊ほど。それに対して、第一軍と第二軍の反乱軍は五個大隊から六個大隊。なら、アリス司令の部隊が、四個大隊でとして、我々が反乱軍を討つ、ということは、数の上では可能です」
「数の上ではね」
 肩をすくめるアリスに、僕も頷くしかない。
「我々はあまりにも疲労しすぎている。今の規模では、結局、補給が間に合わずに、自然に立ち枯れてしまう」
「対策はあるのかしら、ラグーン司令官代行」
 僕は首を振る。
「難しいですね。悪魔の進撃を止めるだけで精一杯です。もはや以前のような作戦は、難しい。規模を小さくすればいいが、それでは逆にこちらが包囲される可能性が高い。すでに兵力に対して、戦線が広すぎる」
 司令官たちが顔を見合わせる。
「アリス司令官の第三軍で、反乱軍を抑えるように、軍本部から指令があったのでは?」
 アリスをまっすぐに見ると、彼女はまっすぐに視線を返してくる。その瞳からは感情を読み取れない。
「それが、第三軍は首都の近くまで兵を引くことになっているの」
 指揮官たちがざわめいた。僕はそれを彼女の目を見た時、感じていたので、動揺はそれほどでもない。
「つまり第三軍は、反乱軍から首都を守る役目になるのですね」
「そうなるわね。これからは第三軍の主力は最終守備隊となります。半分ほどの規模になり、その半分は、各地に展開して、これ以上の反乱を防ぐ役目につきます」
「悪魔の存在は、我々任せ、ですか」
 しかしそこで、アリスはニヤリと笑った。違和感のある、そんな笑いだった。
「その代わり、軍本部はあなたたちに強い権限を委譲します。それで問題はいくつか解決できるはずです」
 どういう意味だろう? 僕は顎に手を当てていた。
「権限。徴兵ですか?」
「徴発、よ」
 そう言われて、やっと気づいた。そういうことか。
「司令官代行」指揮官の一人がこちらへ身を乗り出した。「徴発というのは、つまり、民間人の物資を横取りするんですか?」
「そうじゃないよ」
 僕は地図の上での石に指を置いた。
「ここにいる連中から、奪うのさ」
 司令官たちが驚く。一人が天を仰いだ。
「反乱軍から奪う? それはまた一体、どうやって」
「奴らの規模は僕たちよりも大きい。それだけ物資を欲する。彼らの手に渡る物資を、強奪するんだ」
「いや、だから、その具体策は?」
 指揮官の言葉に、ペンを手に取ったアリスが、地図に円を描く。
「砦とその周囲に陣を張っている兵士を、ゆるく包囲する。主要な交通網を中心に、奴らへの物資の輸送を遮る」
「攻撃を受けたらどうなるんです?」
「そうならないように工夫する。ただ、この作戦は、長くは通用しない。相手も物資に護衛をつけるようになるだろう。そうなる前に、我々にこそ大義があり、正義である、と商人や農民に宣伝する必要がある」
 軽く言いますね、と指揮官は引き下がり、他の指揮官たちも、黙った。
「要点を整理しよう」
 僕は全員を見回す。
「我々の悪魔に対する兵力は、今あるものが全力である。物資の補給の目処は立たないが、反乱軍から奪い返すのが大筋だ」
 僕はもう一回、視線を巡らせた。
「問題は一つ、大きいものが残っている。悪魔との戦いをどうするか、だ」
「どうするも何も」指揮官の一人が挙手。「まさか兵を引くわけにもいかないでしょう。放置できる相手じゃない」
「しかし、現状のままでは、戦い続けるのは不可能だ。かといって、今の言葉通り、放置していては、人類には大きな負担となる。どこかで食い止める必要はある」
 僕はアリスを見た。
「司令官は、どのように考えているのですか?」
「とりあえずは、封鎖線を構築するべきでしょう。悪魔と戦える状態ではないですから」
「他の指揮官の意見は?」
 その場では誰も発言はなかった。なら、この方向で決まりだろう。
 僕は指揮官たちに指示を出して、悪魔の進行を食い止めるための防衛陣地の構築と、反乱軍から物資を強奪する部隊の人選をさせた。
 アリスは帰り際に、妙なことを言った。
「第四軍司令官の地位はどうするつもりかしら?」
「キリがついたら、誰かに立ってもらいますよ」
 それを聞いて、アリスがコロコロと笑う。
「あなたがやればいいじゃないの」
「それは……」
「やりたくないの? 責任が重たい?」
 どう答えていいか、すぐにはわからなかった。
「責任は、確かに重いです。人命がかかりますし、悪魔の侵攻を許すことも、重圧です。でもそれ以上に、僕はまだ、トールのことを忘れたくないんです」
「つまり、いつかは忘れるの?」
 はっとして、アリスを見返してしまった。
「いえ、それは、忘れることはありませんけど……」
「ならいいじゃないの」
 アリスは僕の肩を叩いて、部下を連れて離れていった。僕はそれを見送るしかない。
「代行、いいですか?」
 突然に声をかけられて、慌てて振り返ると、そこに二人の指揮官がいた。名前は、シグナル、そしてタンクだ。二人とも有能な指揮官と認識している。
「何かな」
 二人は僕に近づくと、声をひそめて言った。
「代行に、正式に司令官になっていただきたいのです」
「私も同意見です」
 さっきの今で、さすがに僕も困惑した。
「おいおい、いきなりだな。なんて答えたら、いいのかな」
「受ける、とだけおっしゃってください」
 どうやら彼らの中では僕は相当、買いかぶられているらしい。
「即答は出来かねるね」
 僕はやっと微笑むことができた、ぎこちなかっただろうけど。
「それはもっと大勢の間で、議論して、それで決めればいいと思うけど」
「そのような余裕はありませんし、大半の兵は、あなたのことを知っています。トール司令官の最も信頼の厚い部下でした」
 タンクがそういうと、シグナルも頷く。二人の強過ぎるほど強い視線に、僕の口は動かなかった。
 沈黙の後、どうにか僕は、声を出した。
「考えておこう。早い方がいいのは僕もわかっている。それでも、考えさせてくれ」
 二人は何も言わずに頷くと、敬礼し、去って行った。
 やっと一人になって、僕はアリスの言葉と、シグナルとタンクの言葉を吟味した。
 周囲のテントからは、久しぶりのまともな食事のせいか、どこか暖かい気配が伝わってくる。彼らの運命を僕が握ることになる、というのは想像できなかった。
 トールのそばで、彼の行動は十分に見てきた。
 それを真似ればいいのだろうか? そうではない気がするけれど、では何が正解なのか、考えても考えても、わかりそうもない。
 トールの意見を聞きたいけれど、彼はもういない。
 この場にいる兵士の意見を聞きたかったけど、一人一人の意見を全部、聞くのは無理だ。
 それでも、総意を知る必要はあるだろう。
 いっそのこと、トールについていけば良かった。もし、死んだとしても。
 いや、それもまた、逃避か。それも救いのない逃避。
 翌日の夕方、僕は陣地に残っている指揮官の全てを呼んで、新しい司令官の選出をすることを告げた。自薦他薦を問わない、そう口にした途端、シグナルが手を挙げ、
「ラグーン代行を推薦します」
 と即座に宣言した。そしてタンクも手を挙げ、「同じくです」と発言する。
 少しのざわめきの後、次々と指揮官たちは手を挙げ、「代行に」、「ラグーン代行を推します」と、続々と僕を推薦した。
 中には違う指揮官の名を口にするものもいたが、圧倒的に僕を推す声が多かった。
「決まりですね」
 シグナルが前に進み出て、僕の手を取り、まるで格闘技の勝者のように僕の手を上に持ち上げた。
「これより第四軍の司令官には、ラグーン代行が昇格される!」
 指揮官たちが腕を振り上げ、大きな声を上げる。それが何度か繰り返された。
 こうして僕はラグーンの後を引き継いで、第四軍の司令官になった。
 気がかりなのは、反乱軍の物資を強奪するために陣を離れていた部隊のことだった。彼らの意見を聞くことはできなかった。もちろん、事後確認はするが、それで許されるか、僕は不安だった。
 もし彼らが僕を拒否したなら、彼らは僕らに届けるはずの物資を持って、どこかしらへ逃げるかもしれない。そうなってしまうと、第四軍はまたも餓えの中に放り込まれることになる。
 しかしもう事態は動き始めている。僕は待つしかできなかった。
 防衛陣地が完成してすぐに、その物資略奪部隊が帰還した。
 想像以上に、大量の物資を持ってきていて、驚かない兵士がいないくらいだった。
 司令官の執務テントに、略奪部隊の隊長だったスカルスという指揮官が入ってきたのを僕は立ち上がって迎えた。
「任務遂行、感謝します」
 僕が手を差し出すと、彼は手を握り返し、
「いえ」
 と、短く言うと、素早く敬礼した。
「第四軍司令官、就任、おめでとうございます」
 僕も敬礼を返す。どうやら、彼らの離反は、僕の杞憂のようだった。
「力を貸して欲しい」
 僕が微笑んでみせると、スカルスは小さく頷いて、
「当然のことです」
 と、力強く、胸をそらして応じた。


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