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第6章
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六
予兆は微かなものだったから、事態の重大さは僕はもちろん、トールもすぐには理解できなかった。
まず食糧の輸送が滞り始めた。
すでに悪魔をかなり押し込み、前線と後方の距離が広がっている。そのせいだと考えていた。
補給の担当は第二軍である。トールは連絡員を次々と派遣して、催促した。
とにかく、食糧をどうにかする必要があった。今、攻め込んでいる土地は悪魔に占領されて長い時間が過ぎ、もはや人間の生活の痕跡はない。つまり、畑のようなものが存在しない。あるとしても手入れされているわけではなく、野生そのものになっている。
兵士たちはわずかな果物や野菜を採取したが、全体を賄えるわけもなく、当然、奪い合いになる。
これでは統制が失われる。トールは毎日、渋い顔をして、訪ねてくる部隊指揮官の訴えを聞いていた。
食べないで戦える兵士なんて、いるわけがない。
すでにトールも僕も、高級幹部はみんな、兵士と少しも変わらない食事で生活していて、優遇はない。トールなどは、さらに自分の食料を兵士の方へ振り分けている。
第二軍から戻ってきた連絡員は、手続きに手間取っているが、必ず、食料を送る、という連絡を受けて戻ってきた。
それなのに、補給はほとんどない。言い訳程度に届く程度だ。
第四軍の中で、馬をさばいて食べる兵士が現れた。トールはこれを厳罰に処し、隊から追放した。
馬を殺すのは最後の手段だと、トールは考えているのだ。
トールは隊についていた輸送用のロバの半分を、順次、食肉にすると決めた。
残りの半分は、第二軍への催促として、輸送部隊と共に、後方へ向かった。
「何やら、嫌な風が吹いている」
トールがつぶやく。
その最中でも、戦わないわけにはいかない。ここで戦いを停滞させれば、ここまでの努力が水の泡になる。
第四軍は先へ進み、悪魔を切り取る。第一軍がそれを撃破する。こうして、第四軍と第一軍は、どんどん第二軍から離れることになる。
ある時などは、第一軍団の大隊指揮官がトールの元を訪れ、食料の無心をしたことがあった。
トールは丁寧に応じて、自分たちも餓えていることを伝え、引き取らせた。テントに僕と二人だけになると、
「第一軍の司令官から、密かに書簡が来ていた。どうも向こうも同じらしい」
「つまり、補給が全体的に滞っている?」
「そうなるね。第三軍には問い合わせ中。もちろん、第二軍にはかなり圧力をかけたが、まだどういう状況かわからない。商人ともめているのかもしれない」
「厄介ですね」
仕方ないさ、とトールは背筋を反らして伸ばした。
その翌日、後方に送っていた輸送部隊が戻ってきた。しかし、表情は暗い。持って帰ってこれた食料は決して多いとは言えなかった。それでも久しぶりにしっかりと食べることはできる。
その日の夜は、珍しく兵営が賑やかだった。
そしてまた、激戦である。悪魔もこの頃は陣地を深くして、こちらによる敵陣突破とそこからの包囲、という戦法を警戒しているようだった。
結果、第四軍の死傷者は増える一方だ。僕の従卒も二人ほど、倒れていた。
ユーメールから受け取った薬はたまに体に塗っていた。塗るとひんやりとするが、効果のほどはわからない。僕の体のそこらじゅうをじわじわと黒い染みが侵食している。
倦怠感はたまにある。戦場で具合が悪くなることもあるが、どうにか耐えた。そんな時は、陣地に戻って、すぐ横になり、気絶するように眠った。
シッラともたまに会う。こちらは戦場で会うことが多い。彼女は滅多に馬に乗らない。たぶん、背が低すぎるのだろうけど、本人はあまり得意ではない、と表現していた。
トールは第四軍司令官として、武勲を認めた兵士に勲章を与えていた。僕も二つ、勲章が増えた。シッラは三つもらっている。
それくらい蛮族部隊は奮戦している。
彼らには有力な補給部隊が別個でついていて、食事にも困っていないようだった。
蛮族部隊は傭兵部隊であり、雇用主はナルハルン連合王国だ。国から金が支払われる。それを彼らの後方指揮官が兵站の充実に使い、前線の蛮族部隊を補助する。補助を受けた部隊は奮戦する。また金が入る、兵站が十分になる、部隊が戦える。
効率的で、合理的な仕組みだ。
同じような仕組みが正規軍でも構築できればいいのだが、実際には成立していない。
正確には、成立するはずが、どこかでズレが生じている。
そのことはトールと何度も話し合った。しかし、結論は出ない。
そんな中で、その事態は出来した。
ちょうど僕はその時、トールと例のごとく議論をしていて、司令官の執務テントの中にいた。
書簡を差し出す連絡員の顔色が青ざめているのを通り越して悪すぎるのを見て、僕もさすがに不安を感じないではいられなかった。
書簡を読んだトールは、しばらく、その紙に目を落として、黙り込んだ。連絡員も控えたままだ。僕は何も言わずに、ただ待った。
「下がっていい」
呟くように、トールが言うと、連絡員が駆け足で去って行った。
「まずいぞ、ラグーン」
書状をこちらへ渡してくる。僕はそれを受け取る。
「非常にまずい」
トールが呟いて、それから執務机を強く叩いた。
僕は目の前の書状の内容を受け止められず、しかしすぐに言っていた。
「これは全く、冗談にもなりませんが」
トールに書状を渡す。
「司令官は後方で守られているべきではないですか?」
「しかし死んでしまったものは仕方ない」
そう、第一軍の司令官が、戦死した、というのが書状の内容だった。
トールがもう一回、机を叩き、罵った。
「後任の司令官を決める必要がある。こればっかりは前線の司令官で決めるわけにはいかない。首都の連合軍本部の指示が必要だ」
「それまでどうするのですか? 第一軍が機能しないとなると、今まで通りに我々が突撃すると、逆に、悪魔軍に包囲される目がありますよ」
「第一軍が機能しない、と決まったわけじゃない。正式な後任が決まるまでの、司令官代理と打ち合わせる。今まで通りに作戦を遂行できるだろう」
連絡員を読んで、トールは書状を何枚も書いた。第二軍、第三軍とも通信する必要がある。
「第三軍と第一軍を入れ替えるわけにはいきませんか?」
ふと思いついて、進言してみると、書状を書きながらトールが答えた。
「それは最適かもしれない」
少しの沈黙、シアンの気配がする。
「しかし、第三軍は後詰にしたい。これは司令官とも前に話した」
「後詰、ですか?」
「最終決戦の時の兵力であり、あるいは我々が崩壊した時の、最後の砦でもある」
そういう考えもあるのか。ただ、どちらかといえば、後者の可能性が高い、そうなる時期が近い気がする。
「不服か?」
静かなトールの声。しかし、鋭利な気配。
「いえ……、そんなことはありません」
「俺も、よくわからないよ」
書状から顔を上げ、こちらを見る。
「正しいと思っていることを選択しているつもりだ。しかし、結果は誰にもわからない」
僕には何も、いうことはできなかった。
その後、数日をかけて意思疎通が行われ、第四軍と第一軍の共同作戦は継続された。
ただ、補給はますます細くなり、第一軍の動きが鈍くなってきた。第四軍も動けてはいても、疲弊は隠しようもない。
ついに、補給が完全に途絶え、トールが送る催促の連絡員が帰ってこなくなった。
明らかに異常事態だ。
「これではっきりしたな」
やつれているトールが、唇を傾ける。
「第二軍は、補給物資を私物化している」
「そう考えるのが普通ですが……」
僕はどうしても慎重になってしまう。
「連絡員が帰ってこない、ということがあるでしょうか」
「取り込んだんだろう。なにせ、こちらは司令官から連絡員まで、一人残らず、腹ペコだ」
「冗談ではありませんよ、トール」
何度も頷き、トールが天井を見上げ、また頷いた。
「俺も行ってみることにしよう」
「え? どういうことですか?」
「第四軍司令官が乞食をするのだよ。第二軍の様子を見てくる」
あまりの発想に、僕は絶句した。トールはすでに第四軍の紋章の入ったコートに手を伸ばしている。
「ま、待ってくださいよ、トール。僕が行きます」
「なぜだ? お前の方が腹ペコだ、という主張か?」
そうではありまえんよ、と僕は反射的にトールの腕を掴んでいた。
「僕の考えですが、第二軍は我々と協調する気がないのではないですか?」
「そんな司令官は、敵も同じだ。幹部もな。誰が敵なのか、知る必要がある」
「似合いませんよ、トール。あなたは政治は苦手だと言っていたじゃないですか」
よく聞いてくれよ、とトールも僕の腕を掴んだ。
「政治は苦手だ。経済も苦手だ。しかし、そういうものがないと軍隊は成立しない。軍隊は守ることはできても、生み出すことはできないからだ。いや、できることがもう一つある。それは、奪うことだ」
「奪う……」
「悪魔からは何も奪えない。奪われたものを奪い返すだけだ。それよりも、後方で我々からものを奪う人間がいる。奴らをどうにかしなくてはならない。わかるだろう? このままでは我々は挟み撃ちにされているのも同じなんだ」
僕は何も言えなかった。
そっとトールが僕の手を取り、降ろさせた。
「気にするな、お前のことは信用している。お前が行っても良いとも思う。ただ俺の方が少しは政治がわかると思っただけだ」
「大隊指揮官でも良いでしょう?」
「決めたことだ。食いきれないほどの食料を持ってきてやる。だが、進言を聞き入れて、指揮官を何人か連れて行くよ。前線はお前に任せた」
コートの袖に腕を通し、トールは軽く敬礼して、テントを出て行った。
僕が外に出ると、トールは数人の部下を連れて、馬に乗って駆け出したところだった。
僕はしばらく、それを見送ってた。
翌日から雨になった。それもかなり盛大な雨で、見通しが悪いくらいだった。陣地のそここで雨水を貯める瓶が置かれていた。雨水を沸騰させれば比較的安全な水が手に入る。ただ、屋外で火を炊くことは不可能だ。
第四軍は司令官の不在の中、僕が職務の一部を代行した。それでも決済できないものがあるので、それは溜まっていく。
最初はズーガと共にシッラが決済を求めてきたのだが、そのシッラが一人でたまに訪ねてきて、食料を恵んでくれることがあった。しかし僕はほとんど断った。
とにかく、兵の不満が怖かった。僕はトールほど人望がない。トールほど上手く立ち回れる余裕はない。だから、とにかく些細なことでも、気になった。
シッラは不満そうだったが、察してくれたのか、お土産はささやかなものになった。
雨は四日、降り続き、やっと上がった。
まだトールは帰ってこない。
足場は悪いが、悪魔の側は気にならないのか、反撃が始まった、という報告があった。
防衛部隊を独断で展開させつつ、大隊指揮官を呼び出す。彼らと短い相談の上、今までの作戦を続けることになった。第一軍にもその旨の通達を送る。連絡員が馬で駆けて行った。
僕も前線に出て、戦った。悪魔を押しとどめ、そこへ騎馬隊で切り込んでいく。この時の手法として、指揮官である中級悪魔を狙うことがセオリーになる。切り込む位置も重要だ。
僕たちは敵陣深く入り、そのまま相手の側背を狙う。ここに第一軍がぶつかってくれば、いつも通りだ。
しかし結果、そうはならなかった。
第一軍の動きが鈍い。悪魔が僕たちの突入経路へ割り込み、逆にこちらを孤立させようと動いている。
これには僕は混乱した。どちらへ向かえばいい? 部隊を反転させるべきか、それとも後背をさらに攻めるか。攻めるとして、兵力が足りるのか。
結果、僕は後者を選んだ。
かろうじて陣地に帰還した時、突撃部隊には大きな損耗が出ているとわかった。とりあえず、前線は維持されている。しかし悪魔は僕たちから見える位置に陣を張っている。つまり、僕たちは犠牲を出したが、痛み分け、ということだ。
僕は反射的にトールを探した。しかしまだ戻っていない。
次にやったことは、第一軍の司令官代行に送る詰問状を書くことだった。長い文章を書く余裕はない、とりあえず今日の作戦行動の真意を問いただす。
連絡員が出て行く。
それと入れ違いに、別の連絡員が入ってきた。落ち着き払った様子で、僕の前に立つと敬礼し、「第二軍司令官からです」
と、書簡を差し出した。僕はそれを受け取り、書状を読んだ。
全身から力が抜ける。それでも、反射的に手が剣を掴み、鞘走らせていた。
連絡員は剣を向けられても、平然としている。
「……失せろ」
連絡員は僕の声に少しも動揺した様子もなく、また敬礼して、ゆっくりとテントを出て行った。一人残された僕は剣を放り出し、椅子に座り込み、もう一回、書状を確認した。
その書状には、第四軍司令官トールを処刑した、と書かれていた。
罪状はいくつもあるが、どれも曖昧で、つまり、言い訳だ。
トールは、味方に殺されたのだ。
どれくらい時間が過ぎたのか、連絡員が駆け込んでくる。
「第一軍が、撤退していきます! 戦線を、放棄しています!」
冗談としか思えなかった。
何もかもが。
予兆は微かなものだったから、事態の重大さは僕はもちろん、トールもすぐには理解できなかった。
まず食糧の輸送が滞り始めた。
すでに悪魔をかなり押し込み、前線と後方の距離が広がっている。そのせいだと考えていた。
補給の担当は第二軍である。トールは連絡員を次々と派遣して、催促した。
とにかく、食糧をどうにかする必要があった。今、攻め込んでいる土地は悪魔に占領されて長い時間が過ぎ、もはや人間の生活の痕跡はない。つまり、畑のようなものが存在しない。あるとしても手入れされているわけではなく、野生そのものになっている。
兵士たちはわずかな果物や野菜を採取したが、全体を賄えるわけもなく、当然、奪い合いになる。
これでは統制が失われる。トールは毎日、渋い顔をして、訪ねてくる部隊指揮官の訴えを聞いていた。
食べないで戦える兵士なんて、いるわけがない。
すでにトールも僕も、高級幹部はみんな、兵士と少しも変わらない食事で生活していて、優遇はない。トールなどは、さらに自分の食料を兵士の方へ振り分けている。
第二軍から戻ってきた連絡員は、手続きに手間取っているが、必ず、食料を送る、という連絡を受けて戻ってきた。
それなのに、補給はほとんどない。言い訳程度に届く程度だ。
第四軍の中で、馬をさばいて食べる兵士が現れた。トールはこれを厳罰に処し、隊から追放した。
馬を殺すのは最後の手段だと、トールは考えているのだ。
トールは隊についていた輸送用のロバの半分を、順次、食肉にすると決めた。
残りの半分は、第二軍への催促として、輸送部隊と共に、後方へ向かった。
「何やら、嫌な風が吹いている」
トールがつぶやく。
その最中でも、戦わないわけにはいかない。ここで戦いを停滞させれば、ここまでの努力が水の泡になる。
第四軍は先へ進み、悪魔を切り取る。第一軍がそれを撃破する。こうして、第四軍と第一軍は、どんどん第二軍から離れることになる。
ある時などは、第一軍団の大隊指揮官がトールの元を訪れ、食料の無心をしたことがあった。
トールは丁寧に応じて、自分たちも餓えていることを伝え、引き取らせた。テントに僕と二人だけになると、
「第一軍の司令官から、密かに書簡が来ていた。どうも向こうも同じらしい」
「つまり、補給が全体的に滞っている?」
「そうなるね。第三軍には問い合わせ中。もちろん、第二軍にはかなり圧力をかけたが、まだどういう状況かわからない。商人ともめているのかもしれない」
「厄介ですね」
仕方ないさ、とトールは背筋を反らして伸ばした。
その翌日、後方に送っていた輸送部隊が戻ってきた。しかし、表情は暗い。持って帰ってこれた食料は決して多いとは言えなかった。それでも久しぶりにしっかりと食べることはできる。
その日の夜は、珍しく兵営が賑やかだった。
そしてまた、激戦である。悪魔もこの頃は陣地を深くして、こちらによる敵陣突破とそこからの包囲、という戦法を警戒しているようだった。
結果、第四軍の死傷者は増える一方だ。僕の従卒も二人ほど、倒れていた。
ユーメールから受け取った薬はたまに体に塗っていた。塗るとひんやりとするが、効果のほどはわからない。僕の体のそこらじゅうをじわじわと黒い染みが侵食している。
倦怠感はたまにある。戦場で具合が悪くなることもあるが、どうにか耐えた。そんな時は、陣地に戻って、すぐ横になり、気絶するように眠った。
シッラともたまに会う。こちらは戦場で会うことが多い。彼女は滅多に馬に乗らない。たぶん、背が低すぎるのだろうけど、本人はあまり得意ではない、と表現していた。
トールは第四軍司令官として、武勲を認めた兵士に勲章を与えていた。僕も二つ、勲章が増えた。シッラは三つもらっている。
それくらい蛮族部隊は奮戦している。
彼らには有力な補給部隊が別個でついていて、食事にも困っていないようだった。
蛮族部隊は傭兵部隊であり、雇用主はナルハルン連合王国だ。国から金が支払われる。それを彼らの後方指揮官が兵站の充実に使い、前線の蛮族部隊を補助する。補助を受けた部隊は奮戦する。また金が入る、兵站が十分になる、部隊が戦える。
効率的で、合理的な仕組みだ。
同じような仕組みが正規軍でも構築できればいいのだが、実際には成立していない。
正確には、成立するはずが、どこかでズレが生じている。
そのことはトールと何度も話し合った。しかし、結論は出ない。
そんな中で、その事態は出来した。
ちょうど僕はその時、トールと例のごとく議論をしていて、司令官の執務テントの中にいた。
書簡を差し出す連絡員の顔色が青ざめているのを通り越して悪すぎるのを見て、僕もさすがに不安を感じないではいられなかった。
書簡を読んだトールは、しばらく、その紙に目を落として、黙り込んだ。連絡員も控えたままだ。僕は何も言わずに、ただ待った。
「下がっていい」
呟くように、トールが言うと、連絡員が駆け足で去って行った。
「まずいぞ、ラグーン」
書状をこちらへ渡してくる。僕はそれを受け取る。
「非常にまずい」
トールが呟いて、それから執務机を強く叩いた。
僕は目の前の書状の内容を受け止められず、しかしすぐに言っていた。
「これは全く、冗談にもなりませんが」
トールに書状を渡す。
「司令官は後方で守られているべきではないですか?」
「しかし死んでしまったものは仕方ない」
そう、第一軍の司令官が、戦死した、というのが書状の内容だった。
トールがもう一回、机を叩き、罵った。
「後任の司令官を決める必要がある。こればっかりは前線の司令官で決めるわけにはいかない。首都の連合軍本部の指示が必要だ」
「それまでどうするのですか? 第一軍が機能しないとなると、今まで通りに我々が突撃すると、逆に、悪魔軍に包囲される目がありますよ」
「第一軍が機能しない、と決まったわけじゃない。正式な後任が決まるまでの、司令官代理と打ち合わせる。今まで通りに作戦を遂行できるだろう」
連絡員を読んで、トールは書状を何枚も書いた。第二軍、第三軍とも通信する必要がある。
「第三軍と第一軍を入れ替えるわけにはいきませんか?」
ふと思いついて、進言してみると、書状を書きながらトールが答えた。
「それは最適かもしれない」
少しの沈黙、シアンの気配がする。
「しかし、第三軍は後詰にしたい。これは司令官とも前に話した」
「後詰、ですか?」
「最終決戦の時の兵力であり、あるいは我々が崩壊した時の、最後の砦でもある」
そういう考えもあるのか。ただ、どちらかといえば、後者の可能性が高い、そうなる時期が近い気がする。
「不服か?」
静かなトールの声。しかし、鋭利な気配。
「いえ……、そんなことはありません」
「俺も、よくわからないよ」
書状から顔を上げ、こちらを見る。
「正しいと思っていることを選択しているつもりだ。しかし、結果は誰にもわからない」
僕には何も、いうことはできなかった。
その後、数日をかけて意思疎通が行われ、第四軍と第一軍の共同作戦は継続された。
ただ、補給はますます細くなり、第一軍の動きが鈍くなってきた。第四軍も動けてはいても、疲弊は隠しようもない。
ついに、補給が完全に途絶え、トールが送る催促の連絡員が帰ってこなくなった。
明らかに異常事態だ。
「これではっきりしたな」
やつれているトールが、唇を傾ける。
「第二軍は、補給物資を私物化している」
「そう考えるのが普通ですが……」
僕はどうしても慎重になってしまう。
「連絡員が帰ってこない、ということがあるでしょうか」
「取り込んだんだろう。なにせ、こちらは司令官から連絡員まで、一人残らず、腹ペコだ」
「冗談ではありませんよ、トール」
何度も頷き、トールが天井を見上げ、また頷いた。
「俺も行ってみることにしよう」
「え? どういうことですか?」
「第四軍司令官が乞食をするのだよ。第二軍の様子を見てくる」
あまりの発想に、僕は絶句した。トールはすでに第四軍の紋章の入ったコートに手を伸ばしている。
「ま、待ってくださいよ、トール。僕が行きます」
「なぜだ? お前の方が腹ペコだ、という主張か?」
そうではありまえんよ、と僕は反射的にトールの腕を掴んでいた。
「僕の考えですが、第二軍は我々と協調する気がないのではないですか?」
「そんな司令官は、敵も同じだ。幹部もな。誰が敵なのか、知る必要がある」
「似合いませんよ、トール。あなたは政治は苦手だと言っていたじゃないですか」
よく聞いてくれよ、とトールも僕の腕を掴んだ。
「政治は苦手だ。経済も苦手だ。しかし、そういうものがないと軍隊は成立しない。軍隊は守ることはできても、生み出すことはできないからだ。いや、できることがもう一つある。それは、奪うことだ」
「奪う……」
「悪魔からは何も奪えない。奪われたものを奪い返すだけだ。それよりも、後方で我々からものを奪う人間がいる。奴らをどうにかしなくてはならない。わかるだろう? このままでは我々は挟み撃ちにされているのも同じなんだ」
僕は何も言えなかった。
そっとトールが僕の手を取り、降ろさせた。
「気にするな、お前のことは信用している。お前が行っても良いとも思う。ただ俺の方が少しは政治がわかると思っただけだ」
「大隊指揮官でも良いでしょう?」
「決めたことだ。食いきれないほどの食料を持ってきてやる。だが、進言を聞き入れて、指揮官を何人か連れて行くよ。前線はお前に任せた」
コートの袖に腕を通し、トールは軽く敬礼して、テントを出て行った。
僕が外に出ると、トールは数人の部下を連れて、馬に乗って駆け出したところだった。
僕はしばらく、それを見送ってた。
翌日から雨になった。それもかなり盛大な雨で、見通しが悪いくらいだった。陣地のそここで雨水を貯める瓶が置かれていた。雨水を沸騰させれば比較的安全な水が手に入る。ただ、屋外で火を炊くことは不可能だ。
第四軍は司令官の不在の中、僕が職務の一部を代行した。それでも決済できないものがあるので、それは溜まっていく。
最初はズーガと共にシッラが決済を求めてきたのだが、そのシッラが一人でたまに訪ねてきて、食料を恵んでくれることがあった。しかし僕はほとんど断った。
とにかく、兵の不満が怖かった。僕はトールほど人望がない。トールほど上手く立ち回れる余裕はない。だから、とにかく些細なことでも、気になった。
シッラは不満そうだったが、察してくれたのか、お土産はささやかなものになった。
雨は四日、降り続き、やっと上がった。
まだトールは帰ってこない。
足場は悪いが、悪魔の側は気にならないのか、反撃が始まった、という報告があった。
防衛部隊を独断で展開させつつ、大隊指揮官を呼び出す。彼らと短い相談の上、今までの作戦を続けることになった。第一軍にもその旨の通達を送る。連絡員が馬で駆けて行った。
僕も前線に出て、戦った。悪魔を押しとどめ、そこへ騎馬隊で切り込んでいく。この時の手法として、指揮官である中級悪魔を狙うことがセオリーになる。切り込む位置も重要だ。
僕たちは敵陣深く入り、そのまま相手の側背を狙う。ここに第一軍がぶつかってくれば、いつも通りだ。
しかし結果、そうはならなかった。
第一軍の動きが鈍い。悪魔が僕たちの突入経路へ割り込み、逆にこちらを孤立させようと動いている。
これには僕は混乱した。どちらへ向かえばいい? 部隊を反転させるべきか、それとも後背をさらに攻めるか。攻めるとして、兵力が足りるのか。
結果、僕は後者を選んだ。
かろうじて陣地に帰還した時、突撃部隊には大きな損耗が出ているとわかった。とりあえず、前線は維持されている。しかし悪魔は僕たちから見える位置に陣を張っている。つまり、僕たちは犠牲を出したが、痛み分け、ということだ。
僕は反射的にトールを探した。しかしまだ戻っていない。
次にやったことは、第一軍の司令官代行に送る詰問状を書くことだった。長い文章を書く余裕はない、とりあえず今日の作戦行動の真意を問いただす。
連絡員が出て行く。
それと入れ違いに、別の連絡員が入ってきた。落ち着き払った様子で、僕の前に立つと敬礼し、「第二軍司令官からです」
と、書簡を差し出した。僕はそれを受け取り、書状を読んだ。
全身から力が抜ける。それでも、反射的に手が剣を掴み、鞘走らせていた。
連絡員は剣を向けられても、平然としている。
「……失せろ」
連絡員は僕の声に少しも動揺した様子もなく、また敬礼して、ゆっくりとテントを出て行った。一人残された僕は剣を放り出し、椅子に座り込み、もう一回、書状を確認した。
その書状には、第四軍司令官トールを処刑した、と書かれていた。
罪状はいくつもあるが、どれも曖昧で、つまり、言い訳だ。
トールは、味方に殺されたのだ。
どれくらい時間が過ぎたのか、連絡員が駆け込んでくる。
「第一軍が、撤退していきます! 戦線を、放棄しています!」
冗談としか思えなかった。
何もかもが。
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戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
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