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第10章

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     十

 突撃隊の三隊は大きな破綻もなく運用できた。
 防御陣地との連携も効果を上げ、悪魔軍は僕たちの前で少数に分裂し、撃破されて行った。
 補給部隊は時間に誤差はあるものの、数回を除いて、補給に失敗したことはない。一度は完全に予定とずれたが、その時までに蓄積された経験により、僕とシグナルとタンクで打ち合わせがされていたので、突撃隊と補給部隊、それぞれが時間と運動を調節し、擦り合わせた。
 ここに至っての最大の問題は、補給物資をどうやって手に入れるべきか、だった。
 略奪部隊はほとんど戦果を上げなくなっていた。反乱軍は自分たちの物資の輸送部隊に強力な護衛をつけた。そして略奪部隊のことも知っていて、待ち構えているとも言える。
 物資の略奪が成立しなくなってきた代わりに、後方の民間人が、僕たちに物資を提供することが増えた。
 願っても無い展開だけど、難しい問題が新しく持ち上がった。
 物資を民間人から受け取るとなると、我々、第四軍が自給自足を始めかねない。それでは軍本部も連合王国議会も、こちらを危険視し始めるだろう。
 物資の管理は、基本的に軍本部の中の部局が担当する。彼らが基本的には物資の分配の大枠を決める。
 今まで、軍本部から僕たちに補給はあったが、十分とは言えなかった。第一軍と第二軍が反乱軍になったために彼らへの補給は必要なくなった一方、反乱軍を抑えるための軍を編成した関係で、物資の必要量はほとんど変化しなかった。
 僕たちとしては民間人からの寄付は歓迎できる。
 だが、それは軍本部の意向に反する。行き過ぎれば、連合王国議会も黙っていない。
 それでも、物資は足りないのだ。
 兵士に休息を取らせる日を設けたので、その日に僕はシグナルとタンク、スカルスと話し合った。特にスカルスは、物資の不足の重大さと、民間人からの援助を積極的に受け入れるべき、ということを珍しく、長い言葉で主張した。
 彼は、民間人からどれくらいの物資を受けることができるのか、調べてみる、と明言した。
 シグナルは中立に近いが、タンクは否定的だった。軍本部の意向を考え、民間人からの物資も一度、軍本部を通して受け入れるべき、というのが彼の主張だった。
 ここでタンクとスカルスの意見は真っ向からぶつかったわけだが、僕とシグナルがどうにか、宥めることになった。
 しばらく議論したが、答えは出ずに、次の機会を待つことになった。
「体はどうかしら?」
 僕のテントにシッラが入ってきた。従卒も最近は、シッラが来ると席を外すようになった。変な噂が広まらなければいいけど、と思ったけど、シッラはといえば、昼間しかこないから大丈夫、と言っていた。
 いやはや、参った。
「大丈夫、悪くないよ」
「これ、差し入れ」シッラが持ってきた瓶と小さな容器を手渡してくる。容器には見覚えがあった。
「これはユーメールさんから?」
「水もそうよ。あの人たちの宗教でいうところの聖水だって」
 器に瓶の中身を開けてみる。特に何でもない、普通の水に見える。匂いを嗅いでみたが、何の匂いもしない。
「聖水って、どういうものかな?」
「よく知らない。儀式で祝福された水、と聞かされたけど、つまり、ただの水じゃないの?」
 身も蓋もないな。
 いつかお礼をすることにして、ちょっと水を飲んでみた。本当に水だな……。
「今日も民間人が来ていたよ。知ってる?」
「知っているよ。だいぶ議論になっている」
 シッラが僕の執務机に寄りかかる。
「とりあえずは物資を受け取っているようね。それが問題になるの?」
「政治の問題だよ。愚かしいことだけど。いや、愚かしいわけじゃないな、軍隊というものは政治による管理の元でのみ、成立するべきだから」
 わけわからない、とシッラが呟く。政治や軍事がわからないのではなく、僕の言葉が意味不明なんだろう。
「軍隊が政治を行うと、民間人はただ支配されるだけになる。そして軍隊が政治を行えば、軍隊はたぶん腐敗するだろう。本質を失うんじゃないかと思う」
「軍隊の本質って、何よ?」
「軍隊は、守護者であって、支配者ではない、というかな。軍隊と民間人は、立場が全く違うし、離れておくべきなんだ。軍隊に加わるということは、生活のために戦うということだろう? しかし政治家になるのは違う。政治家になる、ということは、生活を向上させ、社会を発展させることで、それに必要なのは強い指導力となる。その指導力が経済力と軍事力を支配するのが、好ましいと思う。軍事力の中にも指導力が含まれるけど、軍隊の指導力と、政治家の指導力が全く同じになると、何かの時に政治家が軍隊にすり変わり、軍隊による、武力での指導、支配、となるのでは、と僕は思う」
 ふーん、というのがシッラの反応だった。
「でも過去にはそういう時代もあったでしょう?」
「あった。しかし今はほとんど消えた。政治家による軍隊の支配、が成立し始めている」
「反乱軍の存在はどうするの?」
 その点は僕も気になっていた。
「彼らは時代の逆へ進んでいるように、今は見える。まだ彼らは軍隊を中核とした、武力支配による集団だ。でも、いつかは方針を転換して、政治家が現れて、制御を始めるかもしれない」
「それは好意的に見過ぎじゃない?」
「かもしれない。思ったよりも、僕は楽天家かもしれない」
 シッラは雑に何度か頷くと、
「話を戻すけど、ラグーン司令官としては、民間人からの援助を、このままなし崩しに受け入れるのを許すつもり?」
「さすがに軍本部も、僕たちを援護しないわけにはいかない、と考えているはずだよ。援護しないわけにはいかないけれど、積極的に援護するのも好ましくない、と考えてるんじゃないかな。その曖昧さを、今は利用することにしている」
「いつまでもそうはいかない、ってことね」
「時間は短いけど、即断を求められてはいない。ゆっくり相談するよ」
 シッラが身を乗り出してくる。
「で、その容器の中身は」
 突然に話題が変わったな。
「塗り薬」
「塗ってあげる」
 即座に言われて、つまり、それが狙いだったのか?
 押し問答になったけど、面倒になって、僕が折れた。
 とりあえず、上着を脱いで、背中を向けた。シッラが容器の中の軟膏を背中に塗っていく。
「すごい、傷だらけね」感心したように言う。「いつから戦っているの?」
「戦場に初めて立ったのは十五歳。剣術の稽古はいつからかは覚えていない。背中の傷のほとんどは、稽古で受けた傷だよ」
 塗りこまれる軟膏は、ひんやりとしか感覚を肌に残す。シッラの手も冷たかった。
 しばらく黙っていたシッラが、穏やかに言う。
「民間人が物資を届けるなんて、すごいことよ。認められている、応援されている、ということだもの」
 話が戻ったな。僕は軽く頷いた。
「そうだな。ちなみに今から言うことは秘密にして欲しいけど、民間人が兵士に志願してくることがたまにある」
「それも好ましいことじゃないの」
「あまりそうとも思えない」
 僕は声をひそめる。
「兵士に憧れている、という感じじゃないんだ。どうも、兵士になれば今よりもまともな生活が送れる、と思っている志願者が多い。つまり、民間人の生活も逼迫しているんじゃないか、と僕は思っているんだ。それは政治の領分だから、詳細には知らないけど」
「士気が低いのが問題かしら?」
「それもある。でもそれ以上に、社会の根底が揺らぐのは避ける必要がある。民間人が軍隊に差し出す物資があるのに、民間人の生活が成立しない。それは大きい矛盾、大きすぎる矛盾だ。そう思う」
 確かにね、とシッラが呟く。そして僕の背中をポンと叩き、「終わり」と告げた。僕は素早く服を着た。
「司令官ともなると、考えることは多いのね」
「そんなことはないと思うよ。みんなが考えるべきだと思うし、多分、薄々は感じているはずだ。みんなで考えれば、名案も出てくるかもしれない」
 そうかもね、とシッラは軽い調子で応じた。本気で僕はそう思っているけど、どうも、彼女には実感は沸かないらしい。
「本気で言っているんだけど」
「兵隊は政治家とは違うんでしょう?」
「違うけど、兵隊も人民の一部であり、人民の意志を政治家は汲み取る」
 難しすぎるわよ、とシッラは思考放棄を宣言した。
「話がわからないのは、私が蛮族だからかしら? まともな教育を受けていないから?」
「それは関係ない。僕自身もまともな教育を受けた、とは思っていない」
「じゃあ、天性のもの?」
「努力、かな」
 シッラは鼻で笑うと、「せいぜい、努力するわ」と言ってテントを出て行こうとする。
「あ、シッラ、ありがとう」
「もっと高等な頭脳の持ち主の方が良いんじゃなくて?」
「そんなことはない」
 振り返ったシッラは舌を出して、テントを出て行ってしまった。どうやら、僕は失敗したらしい。
 シッラと話しているうちに、わかってきたこともある。
 民間人から物資を受け取るという現状は、どうやらそれほど楽観視できないようだ。
 軍本部からすれば、相当の危険に見えるだろう。
 どこかで軍本部とも折り合いをつける必要がある。このことは僕の一存で決めるのは難しい。シグナル、タンク、スカルスと話し合わないと。
 僕は席を立つと、入ってきたばかりの従卒に、即座に三人の招集を指示した。
 早いに越したことはない。

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