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第十章 三者相克前進編
一
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連合首都における剣聖騎士団の人道的見地による強制調査、というのがあの一件の公式的な呼称になった。
マーストは連合側に、連合軍による同盟軍への攻撃を非難していたのが、僕の行動を知ると、即座に、連合軍による非人道的な人体実験への非難、と主張を展開させた。
これには連合側も驚いたようだ。会議は一時中断した。この間、僕と悪魔二人が十倍の兵士とやりあっていたことになる。
会議が再開する前に、連合側は、抵抗を諦めた。兵士が引いたタイミングがここ。
剣聖騎士団が研究所を制圧し、その調査を本格的に始めたが、連合もこれにはもちろん、良い顔をしない。ただ、機先を制されて、抵抗する余地がなかっただけだ。
僕はマーストの怒りの言葉を黙って聞いて、いよいよマーストは怒りを爆発させたけど、僕は何も言えなかった。そして僕は聖都へ報告に帰る部隊と同行することになった。
聖都に戻ったのは、さらに三十日後で、僕は大聖堂へすぐに出頭し、事情を説明した。剣聖スターリア、七人委員会、それぞれに報告して、それぞれが僕に報告書を求めた。
僕は割り当てられた宿舎に戻らず、軍病院に向かった。スターリアが教えてくれたのだ。
特殊病棟にいると言うので、僕は受付でそのことを尋ねてみた。受付の女性が僕の名前を聞くと、事情を知っていたようだ、自ら案内してくれた。
建物の最上階にある、大きな病室にシリュウはいた。
「戻ったね、アルス」
そこにはサザがいた。今は医者と同じ格好をしている。悪魔と思われないためだろう。
僕は部屋に置かれたベッドに歩み寄る。
「シリュウは契約者になっている、間違いなく」
サザがすぐ横に並んで、説明を始めた。
「ただ、特殊な契約者だ」
「特殊というと?」
自然と質問できた。
「他の個体を飲み込む契約者を、コントロールするための契約者だ。その素質が、シリュウにはあったんだろう」
ベッドに寝かされているシリュウに意識はない。
しかし、姿は前のシリュウに戻っている。もう異質なものが生えていたりはしない。
「こちらへ」
導かれて、僕はサザについて隣の部屋に入った。
その部屋にもベッドが三台あり、その上に寝かされている人間がいる。
ただ、そちらはところどころに人間にはない器官、ない部位が生えている。
「シリュウから分離した契約者だ。苦労したよ。ここにある設備、情報、協力する悪魔、医師、全部使って、やっとここまでこぎつけた」
しばらく、僕は彼らを見ていた。
彼らは目を見開いているが、瞳は虚ろな色で、何も見ていない。口はだらしなく開き、呼吸の度にわずかに動いている。
サザが促して、シリュウの病室へと戻る。
「しばらくここで様子を見るけど、いつ、シリュウが目を覚ますかはわからない」
「もう治療の余地がないということですか?」
「残念ながら、あとは検査を重ねて、解析の上で最善を探すしかない」
僕はシリュウの顔を覗き込んだ。
穏やかと言ってもいい顔だ。
彼の首には、傷跡はなかった。彼が、自分の命を絶とうとした、その傷。
まるでなかったことのように、消えている。
「シリュウは」サザを見ると、彼はまっすぐにこちらを見た。「いえ……」
サザが手を伸ばして、僕の髪の毛をかき回した。
「言った方がいい。聞くから」
僕は迷ったけど、思っていることを言った。
「シリュウは、生きていたいのかな……。それが、僕にはわからない」
「死にたい人間も悪魔も、いないだろう。死ぬしかない、と思い込んでいるだけだ」
「でも、その思いの原因を取り除けなければ、どうしたらいいのですか?」
そうだな、とサザが頷く。
「人間も悪魔も、他人の気持ちを全て把握することはできないし、理解もできない。みんな、それぞれに何かを感じて、考えて、個人となる。アルスには、シリュウが何を理由に命を捨てようとしたか、わかる?」
「わかりません」
「誰にもわからないんだ。今はシリュウにもう一度、決めさせるしかないな。そのために、彼には生きて、回復してもらう」
「それが、いいことなのか、僕にはもうわからないんです」
なら今は考えるな。
サザの言葉に、僕は彼のほうを見た。真剣な顔で、サザが言う。
「考えられるようになったら、考えればいい。どうせ報告書か何かを書く仕事があるだろう? まずはそれで気を紛らわせればいい。自分の気持ちを整理するんだ。ここに来なくてもいい。代わりにここにいよう」
僕はもう言葉を継げずに、そのまま頭を下げて、病室を出た。
報告書を書く作業は、状況を整理していく作業であり、同時に僕の気持ちも整理されたようだった。
七人委員会の査問をやり過ごし、スターリア、デモスに事情を説明した。
「それで、我々はこれからどうすれば?」
スターリアの言葉に、僕は、
「連合の非をはっきりさせ、その力を削ぐしかありません」
「今、剣聖騎士団の一部が連合首都で孤立しています」
「情報を集めたら、撤退させるべきです。極めて危険です」
あなたが送り込んだようなものです、とスターリアが呟く。
その通りだ。
「何が面白いのです?」
「え? なんですって?」
「笑っているますよ」
僕は自分の口元を撫でて、しかし笑みを浮かべた気はしない。もう一度、口元を撫で、表情を改めた。
「連合としては、聖都はうるさいでしょう。いずれ、何らかの手を打ってくる」
「経済封鎖ですか?」
「それなら同盟と通じればしばらくは現状を維持できます。それは緩やかな縛りです」
僕の言うことを、二人は理解したようだ。
「つまり連合軍が聖都に押し寄せる?」
「それが最も厳しい縛りになる。こればかりは、同盟軍を待つしかありませんが、それまでどうやって持ちこたえるかは、剣聖騎士団次第です」
ため息を吐いたスターリアが、首を振り、もう一回、ため息を吐いて、今度は天井を仰いだ。
「こんな混乱は、私の望むところではない」
「誰だって不安定な状況に身を置きたくありませんよ。ただ、自分が安定しているなら、他人がどこでどれだけ不安定でも構わない、というのは、正しいでしょうか?」
「あなたは博愛主義者なのですね。そして度量が広い」
剣聖の皮肉に、今度はわざと笑みを返した。スターリアが手振りで退出を促したので、一礼をして、外へ出た。
大聖堂を出る時に剣を受け取り、そのままぶらぶらと聖都を歩いた。
ここはまだ平和だった。市民は平穏に、日常を送っている。食料も何もかもが充足し、足りないものは何もない。仕事があり、娯楽がある。安心して眠れる家がある。
この人たちを僕は、巻き込もうとしている。
いや、すでに巻き込みつつある。
それはきっと罪深いことだろう。どうしてそんなことをしているのか、わからない。最初はシリュウに連れられて、黒の領域に行っただけだった。
それがシリュウを奪われ、もしかして、僕は連合軍に逆上して、意趣返しをしようとしたのか?
そのために、悪魔を、同盟軍を、剣聖騎士団を、全て巻き込んだ?
今、シリュウはとりあえず、僕の元に戻ってきた。
でも全てを突然に放り出すことは、もうできない。
僕はこの複雑な混乱、大きな混乱を、どこかに落ち着ける必要がある。
それを考えながら歩き続け、日が暮れた頃に、僕は軍病院へ足を向けた。
「少しはマシになったね」
サザがやはり僕を迎えてくれた。シリュウのことを聞くと、まだ目を覚まさないという。それは予想していた返事だった。
すでに人間の持つ医療技術の殆どが投入されている。
「まだこれは誰にも話していませんが」
僕はそう前置きした。場所はシリュウのいる病室で、二人で椅子に座っていた。
「シリュウを、悪魔たちに治療させてみたいんです」
「ふむ」サザは考えたようだった。「契約者のことは悪魔が専門ではある」
「問題は悪魔が人間の体についてどれだけ知っているかです」
しばらくサザは黙っていたけれど、軽い調子で言った。
「悪魔の医療技術は、人間とは違う変化をして進んでいるのはわかる。確かに、シリュウの治療には、もう人間の技術では頭打ちだろう」
「転移魔法で移動させたいのですが、どうでしょう」
「それはやめた方がいい」
予想外の言葉だった。
「何故ですか?」
「魔法の対象にするのは、契約者にどう影響するかわからない。魔法の制御は精神力だ、それはアルスもわかるだろう。今、シリュウは意識を失っている。転移魔法をきっかけに、彼の契約者としての力が暴走する可能性もある」
今度は僕が思案する番になる。転移魔法を使わないのなら、実際に長距離を移動するしかない。レムたちのいる地点まで、三ヶ月はかかるだろう。
その三ヶ月に何が起こるか、想像、予想が難しい。
「もう少し考えておけばいい。シリュウは危機的状況ではない」
僕は苦笑いして、頷いた。
シリュウが危機的状況ではなくとも、この街がどうなるだろう。
その日の晩に僕は考えをまとめ、書類にまとめた。翌朝、それをスターリアと、七人委員会に送り届けた。
僕は、シリュウを黒の領域へ連れて行くことを提案した。
結論が出る前に、僕の決断をサザに伝えると、彼は驚いていた。
「焦っているのか?」
「悪魔が呑気すぎるんですよ」
そんな会話をした。
その日の夕方に七人委員会は僕を呼び出し、僕は詳細な話をした。彼らが解放してくれたのは夜だったけど、今度はスターリアが僕を呼んだ。スターリア、デモス、そしてクルルギスも加わり、話をした。
宿舎に戻れたのは深夜で、僕は風呂に入ってから、すぐに寝台に横になった。
翌朝、目覚めた時にはカーテン越しの日差しがまぶしく、だいぶ遅い時間とわかった。時計を見ると九時を過ぎている。身支度を整え、外に出ようとすると、七人委員会の使いが来た。
そのまま大聖堂に向かい、そこで七人委員会の再度の聞き取り、昼過ぎに解放された。
やっと今日初めての食事が取れると思うと、大聖堂を出たところで知り合いが待ち構えていた。意外と言えば意外だ。
「食事に行こう」
そこにいたのはスターリアだった。市民のような服装で、いつもと違う髪型もあって、普段より何歳も幼く見える。
二人で近くの食堂に入った。誰もこちらに注意を向けない。
「シリュウはそんなに具合が悪いの?」
料理を待つ間に、尋ねてきた。
「報告した通り、聖都にいても時間ばかりが過ぎる」
「悪魔に治療させるなんて、聞いたこともない」
僕も聞いたことはない。
ただ、僕にも考えがあった。
「スターリアはまだ実感が湧かないと思うけど、僕は悪魔たちと行動を共にして、感じたことがある。それは、悪魔が全くの敵ではなく、理解し合おうと思えば理解し合えるということだ」
この言葉に、スターリアはじぃっとこちらを見ている。
「何年か後、十何年か後には、人間が悪魔の医者に治療を受けるのが普通の可能性になるかもしれない」
「冗談を言っている顔じゃないね」
「本気で言っている。何十年も経てば、悪魔の医者が人間を診るのが当たり前になるかもね」
僕はスターリアがすでに心を決めていることを、空気から察することができた。
料理が運ばれてきて、二人で食べ始めた。
「良いでしょう」
食事が終わってから、スターリアが告げた。
「シリュウを悪魔たちに委ねます。護衛部隊を剣聖騎士団から出さず、今、連合首都から撤退中の部隊をそのまま当てます。彼らは悪魔ですから、丁度良い」
「彼らを聖都に残す手もあるけど?」
「剣聖騎士団が聖都を守護します。それだけが、私たちの存在意義です」
そっけないと言っても良い返事だった。しかし自信がうかがえるし、僕もごり押しするつもりはない。
その翌日、七人委員会から、聖都の決定として、シリュウを送り出すことが決定した。護衛することになる部隊が聖都に戻り次第、出発である。
僕は時間に余裕がある時、何度か聖都の街を歩いた。
なんとなく、目に焼き付けておきたかった。
やがて、部隊が撤収してきて、二日の休憩の後、シリュウを連れて聖都を出立した。
先行して、レムの元へ通信を送ってある。
結局、聖都にいる間に、剣聖騎士団に協力しているという悪魔と顔を合わさなかった。僕にすら秘密にするほど、存在を隠しているんだろう。まぁ、僕がそこまで信用されていないのかもしれないけど。
シリュウと一緒に、シリュウから引き剥がされた契約者のうち、一人が一緒に悪魔の元へ運ばれている。悪魔がその契約者を分析し、治療に役立てるように、という意図だ。その分析の結果は、聖都に還元されることになっている。
こうして僕は悪魔たちと、ゆっくりと黒の領域へ向かって旅をした。
聖都の領地から同盟の領地へ入る。部隊は緊張し、張り詰めたっ空気が支配した。しかし襲撃やトラブルもなく、旅は進んだ。
聖都を出発して三ヶ月後、僕はレムと久しぶりに顔をあわせることができた。
「同盟軍とはうまくいっていますか?」
僕が最初に訊いたのはそのことだった。
未だにここでは、連合軍の軍団と、悪魔軍と同盟軍が向かい合っているのだ。
「うまくいっていますよ。あなたが教育した者たちが、円滑に連携を運営しています」
僕はホッとして、彼らに会いたくなった。同盟軍と結ぶことがきっかけで、僕が集めた若い悪魔たちはどうやら僕が知らないうちに成長を続けているようだ。
事情を把握しているレムは、すでに悪魔の医者を数人、待機させていた。彼らにシリュウと、契約者の一人を任せることになる。
僕はまるで自分の故郷に帰ってきたような気持ちになっていた。
周囲の悪魔言語が、どこか心地よかった。
ただ、そんな緩んだ気持ちも、長くは続かなかった。
マーストは連合側に、連合軍による同盟軍への攻撃を非難していたのが、僕の行動を知ると、即座に、連合軍による非人道的な人体実験への非難、と主張を展開させた。
これには連合側も驚いたようだ。会議は一時中断した。この間、僕と悪魔二人が十倍の兵士とやりあっていたことになる。
会議が再開する前に、連合側は、抵抗を諦めた。兵士が引いたタイミングがここ。
剣聖騎士団が研究所を制圧し、その調査を本格的に始めたが、連合もこれにはもちろん、良い顔をしない。ただ、機先を制されて、抵抗する余地がなかっただけだ。
僕はマーストの怒りの言葉を黙って聞いて、いよいよマーストは怒りを爆発させたけど、僕は何も言えなかった。そして僕は聖都へ報告に帰る部隊と同行することになった。
聖都に戻ったのは、さらに三十日後で、僕は大聖堂へすぐに出頭し、事情を説明した。剣聖スターリア、七人委員会、それぞれに報告して、それぞれが僕に報告書を求めた。
僕は割り当てられた宿舎に戻らず、軍病院に向かった。スターリアが教えてくれたのだ。
特殊病棟にいると言うので、僕は受付でそのことを尋ねてみた。受付の女性が僕の名前を聞くと、事情を知っていたようだ、自ら案内してくれた。
建物の最上階にある、大きな病室にシリュウはいた。
「戻ったね、アルス」
そこにはサザがいた。今は医者と同じ格好をしている。悪魔と思われないためだろう。
僕は部屋に置かれたベッドに歩み寄る。
「シリュウは契約者になっている、間違いなく」
サザがすぐ横に並んで、説明を始めた。
「ただ、特殊な契約者だ」
「特殊というと?」
自然と質問できた。
「他の個体を飲み込む契約者を、コントロールするための契約者だ。その素質が、シリュウにはあったんだろう」
ベッドに寝かされているシリュウに意識はない。
しかし、姿は前のシリュウに戻っている。もう異質なものが生えていたりはしない。
「こちらへ」
導かれて、僕はサザについて隣の部屋に入った。
その部屋にもベッドが三台あり、その上に寝かされている人間がいる。
ただ、そちらはところどころに人間にはない器官、ない部位が生えている。
「シリュウから分離した契約者だ。苦労したよ。ここにある設備、情報、協力する悪魔、医師、全部使って、やっとここまでこぎつけた」
しばらく、僕は彼らを見ていた。
彼らは目を見開いているが、瞳は虚ろな色で、何も見ていない。口はだらしなく開き、呼吸の度にわずかに動いている。
サザが促して、シリュウの病室へと戻る。
「しばらくここで様子を見るけど、いつ、シリュウが目を覚ますかはわからない」
「もう治療の余地がないということですか?」
「残念ながら、あとは検査を重ねて、解析の上で最善を探すしかない」
僕はシリュウの顔を覗き込んだ。
穏やかと言ってもいい顔だ。
彼の首には、傷跡はなかった。彼が、自分の命を絶とうとした、その傷。
まるでなかったことのように、消えている。
「シリュウは」サザを見ると、彼はまっすぐにこちらを見た。「いえ……」
サザが手を伸ばして、僕の髪の毛をかき回した。
「言った方がいい。聞くから」
僕は迷ったけど、思っていることを言った。
「シリュウは、生きていたいのかな……。それが、僕にはわからない」
「死にたい人間も悪魔も、いないだろう。死ぬしかない、と思い込んでいるだけだ」
「でも、その思いの原因を取り除けなければ、どうしたらいいのですか?」
そうだな、とサザが頷く。
「人間も悪魔も、他人の気持ちを全て把握することはできないし、理解もできない。みんな、それぞれに何かを感じて、考えて、個人となる。アルスには、シリュウが何を理由に命を捨てようとしたか、わかる?」
「わかりません」
「誰にもわからないんだ。今はシリュウにもう一度、決めさせるしかないな。そのために、彼には生きて、回復してもらう」
「それが、いいことなのか、僕にはもうわからないんです」
なら今は考えるな。
サザの言葉に、僕は彼のほうを見た。真剣な顔で、サザが言う。
「考えられるようになったら、考えればいい。どうせ報告書か何かを書く仕事があるだろう? まずはそれで気を紛らわせればいい。自分の気持ちを整理するんだ。ここに来なくてもいい。代わりにここにいよう」
僕はもう言葉を継げずに、そのまま頭を下げて、病室を出た。
報告書を書く作業は、状況を整理していく作業であり、同時に僕の気持ちも整理されたようだった。
七人委員会の査問をやり過ごし、スターリア、デモスに事情を説明した。
「それで、我々はこれからどうすれば?」
スターリアの言葉に、僕は、
「連合の非をはっきりさせ、その力を削ぐしかありません」
「今、剣聖騎士団の一部が連合首都で孤立しています」
「情報を集めたら、撤退させるべきです。極めて危険です」
あなたが送り込んだようなものです、とスターリアが呟く。
その通りだ。
「何が面白いのです?」
「え? なんですって?」
「笑っているますよ」
僕は自分の口元を撫でて、しかし笑みを浮かべた気はしない。もう一度、口元を撫で、表情を改めた。
「連合としては、聖都はうるさいでしょう。いずれ、何らかの手を打ってくる」
「経済封鎖ですか?」
「それなら同盟と通じればしばらくは現状を維持できます。それは緩やかな縛りです」
僕の言うことを、二人は理解したようだ。
「つまり連合軍が聖都に押し寄せる?」
「それが最も厳しい縛りになる。こればかりは、同盟軍を待つしかありませんが、それまでどうやって持ちこたえるかは、剣聖騎士団次第です」
ため息を吐いたスターリアが、首を振り、もう一回、ため息を吐いて、今度は天井を仰いだ。
「こんな混乱は、私の望むところではない」
「誰だって不安定な状況に身を置きたくありませんよ。ただ、自分が安定しているなら、他人がどこでどれだけ不安定でも構わない、というのは、正しいでしょうか?」
「あなたは博愛主義者なのですね。そして度量が広い」
剣聖の皮肉に、今度はわざと笑みを返した。スターリアが手振りで退出を促したので、一礼をして、外へ出た。
大聖堂を出る時に剣を受け取り、そのままぶらぶらと聖都を歩いた。
ここはまだ平和だった。市民は平穏に、日常を送っている。食料も何もかもが充足し、足りないものは何もない。仕事があり、娯楽がある。安心して眠れる家がある。
この人たちを僕は、巻き込もうとしている。
いや、すでに巻き込みつつある。
それはきっと罪深いことだろう。どうしてそんなことをしているのか、わからない。最初はシリュウに連れられて、黒の領域に行っただけだった。
それがシリュウを奪われ、もしかして、僕は連合軍に逆上して、意趣返しをしようとしたのか?
そのために、悪魔を、同盟軍を、剣聖騎士団を、全て巻き込んだ?
今、シリュウはとりあえず、僕の元に戻ってきた。
でも全てを突然に放り出すことは、もうできない。
僕はこの複雑な混乱、大きな混乱を、どこかに落ち着ける必要がある。
それを考えながら歩き続け、日が暮れた頃に、僕は軍病院へ足を向けた。
「少しはマシになったね」
サザがやはり僕を迎えてくれた。シリュウのことを聞くと、まだ目を覚まさないという。それは予想していた返事だった。
すでに人間の持つ医療技術の殆どが投入されている。
「まだこれは誰にも話していませんが」
僕はそう前置きした。場所はシリュウのいる病室で、二人で椅子に座っていた。
「シリュウを、悪魔たちに治療させてみたいんです」
「ふむ」サザは考えたようだった。「契約者のことは悪魔が専門ではある」
「問題は悪魔が人間の体についてどれだけ知っているかです」
しばらくサザは黙っていたけれど、軽い調子で言った。
「悪魔の医療技術は、人間とは違う変化をして進んでいるのはわかる。確かに、シリュウの治療には、もう人間の技術では頭打ちだろう」
「転移魔法で移動させたいのですが、どうでしょう」
「それはやめた方がいい」
予想外の言葉だった。
「何故ですか?」
「魔法の対象にするのは、契約者にどう影響するかわからない。魔法の制御は精神力だ、それはアルスもわかるだろう。今、シリュウは意識を失っている。転移魔法をきっかけに、彼の契約者としての力が暴走する可能性もある」
今度は僕が思案する番になる。転移魔法を使わないのなら、実際に長距離を移動するしかない。レムたちのいる地点まで、三ヶ月はかかるだろう。
その三ヶ月に何が起こるか、想像、予想が難しい。
「もう少し考えておけばいい。シリュウは危機的状況ではない」
僕は苦笑いして、頷いた。
シリュウが危機的状況ではなくとも、この街がどうなるだろう。
その日の晩に僕は考えをまとめ、書類にまとめた。翌朝、それをスターリアと、七人委員会に送り届けた。
僕は、シリュウを黒の領域へ連れて行くことを提案した。
結論が出る前に、僕の決断をサザに伝えると、彼は驚いていた。
「焦っているのか?」
「悪魔が呑気すぎるんですよ」
そんな会話をした。
その日の夕方に七人委員会は僕を呼び出し、僕は詳細な話をした。彼らが解放してくれたのは夜だったけど、今度はスターリアが僕を呼んだ。スターリア、デモス、そしてクルルギスも加わり、話をした。
宿舎に戻れたのは深夜で、僕は風呂に入ってから、すぐに寝台に横になった。
翌朝、目覚めた時にはカーテン越しの日差しがまぶしく、だいぶ遅い時間とわかった。時計を見ると九時を過ぎている。身支度を整え、外に出ようとすると、七人委員会の使いが来た。
そのまま大聖堂に向かい、そこで七人委員会の再度の聞き取り、昼過ぎに解放された。
やっと今日初めての食事が取れると思うと、大聖堂を出たところで知り合いが待ち構えていた。意外と言えば意外だ。
「食事に行こう」
そこにいたのはスターリアだった。市民のような服装で、いつもと違う髪型もあって、普段より何歳も幼く見える。
二人で近くの食堂に入った。誰もこちらに注意を向けない。
「シリュウはそんなに具合が悪いの?」
料理を待つ間に、尋ねてきた。
「報告した通り、聖都にいても時間ばかりが過ぎる」
「悪魔に治療させるなんて、聞いたこともない」
僕も聞いたことはない。
ただ、僕にも考えがあった。
「スターリアはまだ実感が湧かないと思うけど、僕は悪魔たちと行動を共にして、感じたことがある。それは、悪魔が全くの敵ではなく、理解し合おうと思えば理解し合えるということだ」
この言葉に、スターリアはじぃっとこちらを見ている。
「何年か後、十何年か後には、人間が悪魔の医者に治療を受けるのが普通の可能性になるかもしれない」
「冗談を言っている顔じゃないね」
「本気で言っている。何十年も経てば、悪魔の医者が人間を診るのが当たり前になるかもね」
僕はスターリアがすでに心を決めていることを、空気から察することができた。
料理が運ばれてきて、二人で食べ始めた。
「良いでしょう」
食事が終わってから、スターリアが告げた。
「シリュウを悪魔たちに委ねます。護衛部隊を剣聖騎士団から出さず、今、連合首都から撤退中の部隊をそのまま当てます。彼らは悪魔ですから、丁度良い」
「彼らを聖都に残す手もあるけど?」
「剣聖騎士団が聖都を守護します。それだけが、私たちの存在意義です」
そっけないと言っても良い返事だった。しかし自信がうかがえるし、僕もごり押しするつもりはない。
その翌日、七人委員会から、聖都の決定として、シリュウを送り出すことが決定した。護衛することになる部隊が聖都に戻り次第、出発である。
僕は時間に余裕がある時、何度か聖都の街を歩いた。
なんとなく、目に焼き付けておきたかった。
やがて、部隊が撤収してきて、二日の休憩の後、シリュウを連れて聖都を出立した。
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結局、聖都にいる間に、剣聖騎士団に協力しているという悪魔と顔を合わさなかった。僕にすら秘密にするほど、存在を隠しているんだろう。まぁ、僕がそこまで信用されていないのかもしれないけど。
シリュウと一緒に、シリュウから引き剥がされた契約者のうち、一人が一緒に悪魔の元へ運ばれている。悪魔がその契約者を分析し、治療に役立てるように、という意図だ。その分析の結果は、聖都に還元されることになっている。
こうして僕は悪魔たちと、ゆっくりと黒の領域へ向かって旅をした。
聖都の領地から同盟の領地へ入る。部隊は緊張し、張り詰めたっ空気が支配した。しかし襲撃やトラブルもなく、旅は進んだ。
聖都を出発して三ヶ月後、僕はレムと久しぶりに顔をあわせることができた。
「同盟軍とはうまくいっていますか?」
僕が最初に訊いたのはそのことだった。
未だにここでは、連合軍の軍団と、悪魔軍と同盟軍が向かい合っているのだ。
「うまくいっていますよ。あなたが教育した者たちが、円滑に連携を運営しています」
僕はホッとして、彼らに会いたくなった。同盟軍と結ぶことがきっかけで、僕が集めた若い悪魔たちはどうやら僕が知らないうちに成長を続けているようだ。
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俺が此処に来て幾日が過ぎただろう。
ここは俺が生まれ育った場所とは全く違う、環境が全然違った世界だった。
「ロブ、申し訳無いがお前、明日から来なくていいから。急な事で済まねえが、俺もちっせえパーティーの長だ。より良きパーティーの運営の為、泣く泣くお前を切らなきゃならなくなった。ただ、俺も薄情な奴じゃねぇつもりだ。今日までの給料に、迷惑料としてちと上乗せして払っておくから、穏便に頼む。断れば上乗せは無しでクビにする」
そう言われて俺に何が言えよう、これで何回目か?
まぁ、薬師の扱いなどこんなものかもな。
この世界の薬師は、ただポーションを造るだけの職業。
多岐に亘った薬を作るが、僧侶とは違い瞬時に体を癒す事は出来ない。
普通は……。
異世界勇者巻き込まれ召喚から数年、ロベルトはこの異世界で逞しく生きていた。
勇者?そんな物ロベルトには関係無い。
魔王が居ようが居まいが、世界は変わらず巡っている。
とんでもなく普通じゃないお師匠様に薬師の業を仕込まれた弟子ロベルトの、危難、災難、巻き込まれ痛快世直し異世界道中。
はてさて一体どうなるの?
と、言う話。ここに開幕!
● ロベルトの独り言の多い作品です。ご了承お願いします。
● 世界観はひよこの想像力全開の世界です。
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