霊 -Ray-

和泉茉樹

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十二

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     十二

 時間が思ったよりも早く過ぎて、梅雨明けも近い時期になった。
 時間の重要性、必要性というものを俺は感じていた。
 力の扱い方を習熟する訓練を続けていると、量より質、という言葉が、美談に聞こえてくるものだ。
 どれだけ質を高めても、大きな量には対抗できない。対抗できる人間もいるかもしれないが、それは本当に一握りの天才だけだろう。
 俺は質も意識したけれど、この一カ月、我武者羅に訓練を重ねた。
 拳から力を放出するスタイルは、他に似たような守護霊がいないため、ケイスケや、時にはカンナの助言を請うていた。二人とも、やはり一流なので、こちらの質問の意図を読みとって、的確なアドバイスが返ってきた。
 射程距離は伸びない、威力もそれほどの変化はない。
 しかし、精密さは著しく増していると自分で分かる。
 そんな俺を、カンナは、コントロール力に秀でている、と評価してくれているようだった。
 同時にカンナは、そんな俺だからこそ、スグミの不安定さ、イレギュラーな性質に対応できるのだろう、というようなことも口にした。
 逸脱霊を処理する実習も、トータルで八回こなし、今のところ、失敗はない。
 最近は本当に充実している、と自分でも感じる。全てが自分の成長に繋がっている、と実感できた。いつかは限界を感じるかもしれないけれど、今は限界を感じることはない。どんどん、上に行けるような、そんな気がする。
「あのさぁ、タクミ」
 トレーニングルームの隅の飲食スペースで、スグミが声をかけてくる。
「なんだ?」
「タクミはさぁ、どうしたら自分が成仏すると思う?」
 今までも何度か聞かれた質問だった。
「知らないな、それは。そのうち、勝手に成仏するんじゃないの?」
 スグミには、俺が成仏するかどうかが、大きな関心事のようだった。
 二つの可能性があった。
 一つは、スグミは俺に成仏して欲しくない。
 一つは、スグミは俺に成仏して欲しい。
 どっちがスグミの本心か、俺にはよく分からなかった。でも、たぶん、前者だろうな、とは思う。
 スグミは今までの守護霊と違い、自分を充分にサポートしてくれている、と俺を見ているはず。俺が成仏すれば、スグミはまた一から守護霊との関係を築く必要があるし、その守護霊が俺と同様の結果を生む保証はない。もし、悪い結果が出れば、スグミは、その守護霊との契約を捨てて霊管理者の素質を失う、という可能性を突きつけられる。
 結局、スグミは今の方が良いのだろう。
 でも、それは俺の中の想像。実際は分からない。
 実際のところを、確認する気はなかった。
 缶ジュースを飲みながら、スグミはこちらを見ない。俺がじっと横顔を見ていると、気づいて、こちらに視線を寄越した。
「何?」
「何でもない」俺も缶ジュースを口に近付けた。「次の実習はいつだろうな」
「まだ聞いていないけど、まぁ、一週間以内に発表されるでしょ」
 それはここのところの発表と実施のサイクルからの予想だ。前回の実習から十日ほどが経っている。俺もそろそろだと思っていた。とぼけて、会話の方向性を変えたのだった。
「期末に」スグミが言う。「たぶん、山場になるデカイ逸脱霊とやると思う。去年、そうだったから。私は対象じゃなかったけど」
「デカイ、ってどういう感じなんだ? まさか、実際の大きさじゃないよな」
 苦笑する俺に、スグミがムッとする。
「当り前でしょ、バカ。強力だ、ってこと。一般の霊管理者でも苦戦するような奴が対象になるの。まぁ、私とあんたの成績や戦績だと、どうかな、そんな強力な相手をぶつけてくることはないと思うけど」
「それは残念。際どい相手とやりたかったな」
 まだ決まったわけじゃない。スグミがそう言って、缶をゴミ箱へ投げ込む。
「油断しないでね。あんたが生命線なんだから」
「おいおい」俺は大仰な顔を作る。「お前も協力しなくちゃ、誰にも勝てないぞ」
 ニコリとスグミが笑う。
「分かってる。大丈夫」
 本当かよ、と思ったが、俺はそうは言わなかった。
 スグミがトレーニングを再開しようと離れて行く。
 俺は空き缶をゴミ箱に投げ入れた。
 次も、勝って見せる。

     ◆

 私は学食で、ケイスケと向かい合って座っていた。
「成仏しない、か」
 ケイスケが腕を組む。
「そうなの」私は声を潜める。「タクミの奴、宿敵を倒したようなものなのに、前と何も変わらない。守護霊が成仏する基準って、どうなっているの?」
「それは」ケイスケが眉間にしわを寄せた。「個々によって違うしねぇ」
 私は去年のケイスケの守護霊のことを話そうかと思った。確か、成仏したはずだ。
 でも、その話はしないことにする。
 あの守護霊を成仏させて以降、ケイスケは守護霊と契約していない。きっと何かあるのだ、と私にだって分かる。気の置けない仲だけど、礼儀は大切にしよう。
 私は視線を、食事を取りに行列に並んでいるタクミに向ける。
「何があいつを満足させるのかな」
「スグミ」ケイスケが言う。「満足させる、というのは、考えない方が良いよ」
「どういうこと?」
「満足してもらう、あるいは、満足する、が、正しいと僕は思うね。満足させる、という押しつけは、うまくいかないと思う。不愉快じゃないかな、そういうのは」
「うーん、そうだけど、どうなんだろう。ケイスケが言うことも分かるけど、それって、どういう姿勢でいればいいの?」
 ケイスケが柔らかい笑みを見せる。
「自然体でいる、ってことかな。気負わないで、いつも通りにいることが、スグミにとっての正解じゃない? 僕の知っているスグミという人間は、いつも通りでいれば良い人間だよ」
 恥ずかしいことを。
 黙った私を、笑いながら、ケイスケが見ている。
「心配しなくて良いよ」
 まったく、もう……。
 私は逃げるように、視線をタクミにまた向ける。こちらに気づかず、ぼんやりとした様子で列に並んでいる。
 自然体かぁ。
 自分のことが、自分ではよく分からない。ケイスケが言うとおりにしようとすると、逆に不自然になりそうな気もする。タクミを成仏させようと思う自分を、進路変更させるのは、不自然だろう。
 あれ? 私は、タクミを成仏させたい、なんて、積極的に思っているのかな。
 自分が何を望んでいるのか、よく分からない。
 タクミを見て、そんなことを考えていると、彼が唐突に振り向く。
 視線がぶつかった。反射的に逸らしてしまう。
 私、どうなって欲しいのかなぁ?
 天井をちらっと仰いで、私は気持ちを整理しようとした。
 なかなか、難しい。

 次の実習が決まった。
 詳細の情報が伝えられた時、私とタクミは視線を通わせた。
 場所が、知っている場所だったからだ。
 タクミと因縁があった逸脱霊、あれを処理した橋だった。
 私は混乱していたし、タクミも同様だっただろう。いくつかの状況を説明をするカンナが最後に質問の有無を確認したが、私もタクミも、何も言えなかった。
「失敗したわけじゃないよね」
 カンナが去り、タクミと二人でトレーニング場へと歩きながら、私は彼に聞いた。
「あの逸脱霊は」
タクミの声も、若干、硬い。
「確かに処理できた。間違いない。俺には手応えがあった」
「じゃあ、同じ場所に、逸脱霊が発生した、ってこと?」
 それ以外にないな、とタクミが呟く。
 カンナからの情報は少ない。今回の対象の逸脱霊の、数値化された力が分かった以外には、活動範囲が分かっている程度。もっと詳しい情報を知りたいが、霊管理者学校の実習では、実際に学校を卒業してからの状況を想定する。
 つまり、自立してしまうと、霊管理者は実際の戦闘の前に行う、情報収集や情報分析も自分でやる必要が出てくる。
 カンナからの情報が少ないのは、情報戦を学習させる側面がある。学校のデータベースや、学外の情報を検索する必要がありそうだ。
「少し、調べてみるよ」
 頼む、とタクミが短く答える。
 いつも通りの訓練の後、二人で、寮に帰った。タクミは何を考えているのか、普段より言葉少なだった。
 私は自分の部屋でコンピュータを使って、情報を検索する。
 逸脱霊が発生した橋では、事故が頻発している。その中には、タクミが巻き込まれた事故の情報もあった。
 私は思わず、目を見開く。
 タクミの母が、死んでいることが、分かった。
 新聞社の記事に明記されていた。タクミは知っているのか。確認するべきだろうか。
 共有スペースの向こうの部屋に彼はいる。
 しばらく悩んで、私はこのことは言わないことにした。
 実習まで、数日しかない。ここでタクミが動揺するよりは、いつも通りに対処してもらいたい。タクミに母親のことを伝えるのは、もう遠くはない、夏休みの始めでも、良いはずだ。夏休み中に、気持ちを整理できるはずだから。
 調査を続行して橋の事故について調べても、今回の対象の逸脱霊の詳細は分からなかった。分かるのは、私たちが前の逸脱霊を処理しても、事故が続いたことくらいだった。
 私はコンピュータの電源を切り、部屋の明かりを消してベッドに横になった。
 私が動揺しちゃ、ダメだ。
 精神を集中させる道筋を探りつつ、私は眠りへとゆっくりと降りて行く。

     ◆

 俺は夜の街を進む。
 見慣れた街だ。ずっとここで生活していた。
 様々な記憶がよみがえっては、消えて行った。最後に残るのは、人の気配が全くない、無音の街だった。今回も呪術的に、ここは隔離されている。
 次の十字路を右折すれば、橋が見える。
「タクミ」スグミが言う。「いつも通りにね」
「分かってるよ」
 いつも通りに、と言うスグミの方が、どこかいつも通りの雰囲気ではない。
「別に気にしてない」
 俺がそう言うと、ビクッとスグミが肩を震わせる。やっぱり普通じゃないな。
「同じ場所に逸脱霊が出ただけだろ? また処理すれば、問題ない」
「そ、そうだね。うん」
「お前、どうかしたか? ちょっとボケているぞ」
 スグミが俺の腕を叩く。ふざけるな、という意味か。ふざけちゃいないが、まぁ、少しはこのやりとりで冷静になるか。
「あのさ、タクミ。成仏できない理由、分かった?」
 二人で十字路を右折する。
「いや、特に分からない」
 それは本音だけど、直感は、別のことに気づいている。
 何か、俺の深いところに、引っかかっているものがあるのだ。でも、引っかかっていることが何なのか、それが分からない。
 前方に、橋が見えてくる。
 俺は戦闘態勢を取るために、瞬間、心を切り替える。
 周囲を渦巻く力の流れが把握できる。やはりスグミを中心に、不自然な渦がある。そこから漂う、ほとんど流され、散らされているスグミ本人に力をすくいあげ、吸収する。俺からもそのラインで、スグミに力を流す。
 力が増幅され、俺は体が軽くなるのが分かった。
 周囲への感覚も明瞭になり、前方の橋も、観測できる。
 今までの逸脱霊とは段違いの、力の渦が、橋に存在する。
 スグミの考えは正しかった。学校側は、ここで俺とスグミの実力を測るつもりのようだ。夏休み前の総決算、といったところか。
 橋が目視できてくる。
 橋の上に、逸脱霊がいる。人間のサイズ、やはり、大きいと言っても実際に大きいわけではない。しかし、その人間のサイズに不釣り合いな、強力な力の気配がある。背筋がピリピリする。
 歩を進めて行く俺とスグミ。
 しかし、俺は足を止めた。
「ん? タクミ?」
 スグミがこちらを見る。
 俺は視線を、逸脱霊から、離せなかった。
「嘘だろ……」
 こんなことがあるわけがない。
 夢でも見ているのか?
「タクミ?」
 スグミが質問するのと同時に、逸脱霊がこちらを見た。
 そこにいたのは、俺の母だった。
 逸脱霊が、すぅっとこちらへ手を伸ばす。
 動かなかった身体が、反射的に動きを回復する。スグミの前方に移動し、両手を前に向ける。
 渾身の力をそこに宿すことで、逸脱霊の一撃を受け止める。
 両手が左右に弾かれ、減衰されてもなお強い一撃が俺の胸にぶつかる。後方へ移動する、という単純だが効果的な反応で、ダメージを軽減させる。それでもダメージは軽いとは言えないと、受けた瞬間に分かった。
 弾かれた俺の体がスグミに衝突、二人で地面に転がる。
「う……ぐ……」
 苦しい息を吐いて、俺が身を起こす横で、スグミも上体を起こした。
 ゾクリ、と背筋が凍る。
「スグミ! 逃げろ!」
 俺は橋の方へ視線を向けつつ、拳を強引に振るう。
 放射した力の一撃は、逸脱霊の追撃に衝突する。力は圧倒的にこちらが弱かった。しかし、力を一点に集中させたこちらの一撃が、その圧倒的な差を無視して、どうにか一撃を逸らす。
 強力な力の流れが、すぐ横を駆け抜ける。
 スグミが立ち上がって、走る。俺もそれを追走する。
 逸脱霊のさらなる追撃を背後に感じる。ここも射程なのか、反応が間に合わない!
 俺は背中に一撃を受け、吹っ飛ばされる。ぐちゃぐちゃに全ての輪郭が溶けあった視界に、一瞬だけ、スグミが見えた気がした。
「タクミ!」
 自分の身体がスグミを追い越して、転がったようだ、とスグミが駆け寄ってきたことで気づいた。
 声を発したかったが、あまりのダメージに声が出ない。それどころか、意識がみるみる混濁していく。
 スグミの向こうで、逸脱霊が浮遊している。逸脱霊は橋から離れていないが、しかし、今、俺たちがいるここまで攻撃が届くと、俺には分かっている。
 スグミ、逃げろ……。
 俺は意識を失った。

     ◆

 私は逸脱霊の攻撃の気配に振り向く。
 タクミは意識を失っている。私は反射的に腕で顔をかばった。
 バチン! と強い音が響き、身体が弾かれる。地面に転がり、すぐに姿勢を取り戻す。
 両腕が痺れている。ダメージが何もないに等しいのは、不思議だった。
 タクミが地面に倒れている。逃げたいけれど、タクミを捨てて行くわけにはいかない。
 どうしたら……?
 混乱している私は、判断できなかった。
「大丈夫?」
 突然の声は、すぐ横からだった。
 カンナが、立っていた。
「せ、先生……」
「逃げるよ。タクミくんを引っ張ってきて」
 カンナがゆらりと、タクミと逸脱霊の中間に進み出た。
 危ない、と思ったが、カンナは片手を持ち上げただけ。
 強い力の気配が渦巻き、一瞬、光が爆発し、間をおかずに落雷のような音が響く。
 カンナが、逸脱霊の一撃を相殺したのだ。
 私は急いでタクミに駆け寄り、その体を持ち上げる。逸脱霊だから、重さはないに等しい。
 背後をカンナに任せて、私はその場を離脱した。
 私とタクミは、初めての黒星をここで喫した。

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