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十四
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十四
俺はトレーニングルームの隅で、壁に拳を向けている。
壁はもう一メートル以上、離れている。片手に呪印を握っているので、壁までの間に細い光の帯が生まれている。
その帯は、いつもに比べると、不安定だった。
母の逸脱霊と対峙して以降、不安定さがどうしても消えない。動揺が収まっていないのだろうけど、どうしたら平常心を取り戻せるか、想像もできない。訓練を休むわけにもいかず、ずっと訓練は続けている。
「タクミくん、ちょっと良い?」
背後からの声に驚く。力が弱まり、消える。
声で相手がだれかは分かっていた。俺はカンナに振り返る。
「何ですか?」
カンナはすぐに答えず、こっちへ、と俺をトレーニングルームの隅に導いた。
二人でベンチに並んで座る。トレーニングルームには生徒が大勢いるが、このスペースの近くには誰もいなかった。まぁ、今は近づきやすい雰囲気でもないけれど。
「まだ平常通りとはいかないね」
カンナが言う。俺はムッとして、言い返した。
「実際にやってみないと、分かりません」
「実際にやる? そんなことが可能だと思う?」
話の流れが分かったので、俺は黙った。カンナが続けて言う。
「今のあなたの力では、逸脱霊を処理する実習はこなせないと思う」
俺は黙っている。カンナがこちらを見た。鋭い視線が俺を射抜く。
「別にあなたが負傷したり、まぁ、消滅しても、それはあなたの問題。でもね、あなたには、スグミちゃんを守る義務がある。月並みだけど、スグミちゃんを守るのが、あなたの存在意義なのよ」
ふぅっとカンナが頷く。
「実際にやる、とあなたは言うけど、実際にやるのはあなただけじゃなくて、スグミちゃんもなのよ。そこをわきまえなさい」
「……分かりました」
「本当に?」
どうやら、言葉の上だけでの同意は、必要ないらしい。
「とりあえずは」
苦しい言い訳だが、とりあえず、そう言ってみた。
カンナが、うん、と頷き、
「頑張りなさい」
頑張るのは当たり前だ。
ベンチから立ち上がり、カンナはふらっとトレーニングルームを出て行った。
後ろ姿を見送り、カンナの背中が消えてから、俺はトレーニング中のスグミを確認する。今も器具で筋力トレーニングをしていた。こちらには気付いた様子はない。
ここのところ、スグミとはうまくコミュニケーションできていない。いつかの口論の後、お互いに敬遠している。
そろそろ、こちらから歩み寄るか。
カンナの言葉が、強く心に残っていた。
スグミは前衛にはならないが、しかし戦いの場にいるのは、変わらない。そして、俺と一緒にそこに立てば、俺を残して逃げることはできないのだ。
簡単なことなのに、そんなことも考えられないほど、俺は視野が狭まっていたようだ。
スグミの力量は、どうでも良い。今は、スグミがいなければ、俺は全力では戦えない。
俺がスグミの弾丸で、スグミは俺を撃つ銃のようなもの。
銃弾は、銃や射手など関係ないものだ。敵に向かって飛び、仕留めるのみ。
いや、そこまでドライにならなくても良いか、と俺は取りとめもなく考えていた。
何にしても、スグミを支え、スグミに支えられ、やっていこう。
俺はベンチから立ち上がり、スグミの方へ向かった。
◆
私はタクミが近づいてきたのが分かったので、身体を動かすのをやめた。
「スグミ」
タクミは私の前に回りこんで、真剣な調子で言った。
「この前は、その、悪かった」
ちょっと驚く。タクミが謝るのは、予想外だった。私から謝るべきだと思っていた。
「う、うん、その、私も、ごめん」
どうにかそう応じると、少し、タクミの気配が柔らかくなった。
「また、一からやるつもりで、訓練する。もっと、強くなりたいからな」
「それは」私も思わず笑っていた。「私も同じよ」
ふん、とタクミが鼻を鳴らす。
「じゃ、二人でやっていこう」
そう言って、タクミは私のそばを離れ、また壁際に向かう。
じっと視線を注いで、それから私はトレーニングを再開した。
もうすぐ、期末試験を兼ねた模擬戦がある。とりあえず、それを良い成績で乗り切れば、また逸脱霊を処理する実習にも参加できるはず。
カンナがどう考えているかは分からないけれど、私とタクミが十全に協調すれば、もっと大きな力が出るはずだ。
私は身体を動かしながら、意識は時折、その動きから離れた。
タクミのコントロール力は魅力的だけど、力不足は否めない。どうにかして、攻撃力を底上げしたい。しかし、その術は思いつかない。
ケイスケにはちょっと荷が重いか。カンナに質問して、教えてもらえるかな。
ただ、カンナの知識があっても、私とタクミの限界はあるわけで、それ以上は、どうしても望めない。
でもまだそこまでには余裕がある気配はある。
そこに踏み込む手段、手法、それが知りたい。
やっぱりカンナに質問するべきかな。
身体の動きに、意識を戻し、集中していく。
俺はトレーニングルームの隅で、壁に拳を向けている。
壁はもう一メートル以上、離れている。片手に呪印を握っているので、壁までの間に細い光の帯が生まれている。
その帯は、いつもに比べると、不安定だった。
母の逸脱霊と対峙して以降、不安定さがどうしても消えない。動揺が収まっていないのだろうけど、どうしたら平常心を取り戻せるか、想像もできない。訓練を休むわけにもいかず、ずっと訓練は続けている。
「タクミくん、ちょっと良い?」
背後からの声に驚く。力が弱まり、消える。
声で相手がだれかは分かっていた。俺はカンナに振り返る。
「何ですか?」
カンナはすぐに答えず、こっちへ、と俺をトレーニングルームの隅に導いた。
二人でベンチに並んで座る。トレーニングルームには生徒が大勢いるが、このスペースの近くには誰もいなかった。まぁ、今は近づきやすい雰囲気でもないけれど。
「まだ平常通りとはいかないね」
カンナが言う。俺はムッとして、言い返した。
「実際にやってみないと、分かりません」
「実際にやる? そんなことが可能だと思う?」
話の流れが分かったので、俺は黙った。カンナが続けて言う。
「今のあなたの力では、逸脱霊を処理する実習はこなせないと思う」
俺は黙っている。カンナがこちらを見た。鋭い視線が俺を射抜く。
「別にあなたが負傷したり、まぁ、消滅しても、それはあなたの問題。でもね、あなたには、スグミちゃんを守る義務がある。月並みだけど、スグミちゃんを守るのが、あなたの存在意義なのよ」
ふぅっとカンナが頷く。
「実際にやる、とあなたは言うけど、実際にやるのはあなただけじゃなくて、スグミちゃんもなのよ。そこをわきまえなさい」
「……分かりました」
「本当に?」
どうやら、言葉の上だけでの同意は、必要ないらしい。
「とりあえずは」
苦しい言い訳だが、とりあえず、そう言ってみた。
カンナが、うん、と頷き、
「頑張りなさい」
頑張るのは当たり前だ。
ベンチから立ち上がり、カンナはふらっとトレーニングルームを出て行った。
後ろ姿を見送り、カンナの背中が消えてから、俺はトレーニング中のスグミを確認する。今も器具で筋力トレーニングをしていた。こちらには気付いた様子はない。
ここのところ、スグミとはうまくコミュニケーションできていない。いつかの口論の後、お互いに敬遠している。
そろそろ、こちらから歩み寄るか。
カンナの言葉が、強く心に残っていた。
スグミは前衛にはならないが、しかし戦いの場にいるのは、変わらない。そして、俺と一緒にそこに立てば、俺を残して逃げることはできないのだ。
簡単なことなのに、そんなことも考えられないほど、俺は視野が狭まっていたようだ。
スグミの力量は、どうでも良い。今は、スグミがいなければ、俺は全力では戦えない。
俺がスグミの弾丸で、スグミは俺を撃つ銃のようなもの。
銃弾は、銃や射手など関係ないものだ。敵に向かって飛び、仕留めるのみ。
いや、そこまでドライにならなくても良いか、と俺は取りとめもなく考えていた。
何にしても、スグミを支え、スグミに支えられ、やっていこう。
俺はベンチから立ち上がり、スグミの方へ向かった。
◆
私はタクミが近づいてきたのが分かったので、身体を動かすのをやめた。
「スグミ」
タクミは私の前に回りこんで、真剣な調子で言った。
「この前は、その、悪かった」
ちょっと驚く。タクミが謝るのは、予想外だった。私から謝るべきだと思っていた。
「う、うん、その、私も、ごめん」
どうにかそう応じると、少し、タクミの気配が柔らかくなった。
「また、一からやるつもりで、訓練する。もっと、強くなりたいからな」
「それは」私も思わず笑っていた。「私も同じよ」
ふん、とタクミが鼻を鳴らす。
「じゃ、二人でやっていこう」
そう言って、タクミは私のそばを離れ、また壁際に向かう。
じっと視線を注いで、それから私はトレーニングを再開した。
もうすぐ、期末試験を兼ねた模擬戦がある。とりあえず、それを良い成績で乗り切れば、また逸脱霊を処理する実習にも参加できるはず。
カンナがどう考えているかは分からないけれど、私とタクミが十全に協調すれば、もっと大きな力が出るはずだ。
私は身体を動かしながら、意識は時折、その動きから離れた。
タクミのコントロール力は魅力的だけど、力不足は否めない。どうにかして、攻撃力を底上げしたい。しかし、その術は思いつかない。
ケイスケにはちょっと荷が重いか。カンナに質問して、教えてもらえるかな。
ただ、カンナの知識があっても、私とタクミの限界はあるわけで、それ以上は、どうしても望めない。
でもまだそこまでには余裕がある気配はある。
そこに踏み込む手段、手法、それが知りたい。
やっぱりカンナに質問するべきかな。
身体の動きに、意識を戻し、集中していく。
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