15 / 19
十五
しおりを挟む
十五
実質的な期末試験になる、模擬戦の授業になった。
今回もいつも通りの勝ち抜き方式だ。スグミとケイスケは、五回勝ち抜けば最高、と言っていた。
二回勝ち抜いて、三回戦が始まる。
スグミと俺の力のやりとりは、万全だ。俺の内部には今までで最高に近い力の気配がある。
が、それが油断を生んだか。
俺とスグミの位置取りに、わずかにずれが生じる。不自然な空間が生まれた。
まずい、と思ったのは、俺も、スグミも、同時だっただろう。
それよりもわずかに早く、相手の守護霊が反応した。
俺をスルーし、スグミへと向かう。模擬戦では、守護霊は相手の霊管理者を攻撃しても良い。というか、むしろその方が実戦を正確に再現している、とさえ言われている。
俺は即座に反転し、相手の守護霊を追う。
もちろん、スグミも即座に反応した。俺に近づこうとする。
ここでスグミが俺から離れたら、それまでだ。スグミ自身には守護霊に対抗する手段がない。守護霊に対抗できるのは、同じ守護霊である俺だけだ。
相手の守護霊の標的になってスグミが、自ら俺に近づくということは、俺と相手の守護霊の距離が狭まるという事。
とっさの判断としては上出来、しかし状況はシビアだ。
間に合うか――間に合え!
俺の攻撃が相手の守護霊を掠める。回避された。
だが、その回避の動きで、相手のスグミへの攻撃が不発に終わる。
スグミがバランスを崩しながら、俺の方へ転がる。
相手の守護霊が姿勢を整え、俺も二撃目の予備動作の最後の状態。
攻撃は同時。
相手のスグミへの攻撃を、俺の攻撃が弾く。
その衝突の反動で、スグミが本当に転び、俺に向かってくる。
「スグミ!」
俺はスグミをかばおうとして、まずは彼女の姿勢の回復のため、手を伸ばした。
スグミは無言で、しかし必死の形相で、こちらへ手を伸ばす。
二人の手が、触れる。
轟音が響いたのは、その直後だった。
反動で吹っ飛ばされて、俺は床に転がり、本能によって姿勢を取り戻した。
傍らでは、スグミが目を丸くして、仰向けに倒れていた。
「な、なん……だ?」
相手の守護霊を確認すると、相手も倒れている。相手の霊管理者候補生は顔をかばった腕を下げられずに、周囲を見ていた。
コートの一部が、めくれ上がっているのは、見て分かった。
しかし、誰もコートに攻撃していないし、そもそも、この格技室は、室内全てが、守護霊と霊管理者が操る力に対して、過剰なまでの耐久力がある。
そのコートが壊れるとは、何事だ?
教官を確認すると、教官はもう冷静さを取り戻したようで、ポケットから取り出したモバイルでコートの写真を取り始めた。壁際に控えている生徒たちはまだ困惑している。
教官がどこかに電話をかけ、そして「部屋を変えるぞー」とのんびりと言った。その段になって、やっと平静さが部屋の空気に戻ってきた。
俺はスグミに手を貸して、立ちあがらせた。
「今」スグミが自分の手を見ている。「何が起こったの?」
「いや、手が触れただけ、だと思うけど……」
スグミが見ている自分の手は、今、俺の手と触れている。
さっきと同じだ。
「なんだろう……」
スグミが立ち上がり、破損したコートの方を見る。
「あの時、すごく大きな力を感じたけど」
俺も、あの瞬間を思い出すと、同じ感想を言うしかない。
スグミの手に触れた瞬間、身体の内側を突風が駆け抜けた気がした。思いだすと、背筋がぞくぞくしてくる。
今まで、こんなことはなかった。
「水瀬、海原」
最後に部屋を出ようとしていた教官が声をかけてくる。
「お前たちはもう良い。終わるまで、見学だ」
俺とスグミは、返事をして、急いで後に従った。
◆
学食のいつもの席で、私たち三人は、向かい合っていた。
「手が触れて、か」
ケイスケがそう言うと、少し考え、頷く。
「タクミは」ケイスケが言う。「霊剣を出せないんだよね?」
「ん? まぁ、そうだけど」
私をちらっと見て、タクミが言う。
「それは、俺の弱さ、だな」
「霊剣について、どう理解している?」
ケイスケの淡々とした言葉に、さぁ、とタクミは首を振った。
それを受けて、ケイスケが言う。
「霊剣は、守護霊と霊管理者の間で増幅された力の、その中心というか、最も放出されている一点なんだよね。だから、逸脱霊に対して、最も力を持つ。弱い攻撃でも良いなら、霊剣じゃないもので攻撃できる」
霊剣じゃないもの。
それは、拳、ということ?
「タクミは、拳に力を集めている、と僕は思っている。だから、タクミにとっての霊剣は、拳そのものじゃないのかな」
「それはよく知らないけど」タクミがいぶかしげに言う。「だから、どうだって言うんだ?」
「霊剣は力の放出点だけど、それはつまり、力のやりとりの中心だ。前にタクミが言っていた、風、という言葉、力を風のように感じる、ということを引用すれば、霊剣というものは、風同士がぶつかって渦を巻いている地点だと思う」
だから? とタクミがさらに問う。
ケイスケはゆっくりと言った。
「風の渦を起こすのに、助走は必要ない、かもしれない」
それは――。
「つまり、風を遠くから絡ませて渦をつくるのではなくて、最初から渦を生み出す、最初からある渦を使おうとする、という発想なんだ。スグミとタクミがそれぞれ、遠くから風を起こして、渦をつくるよりは、二人が直接に渦を作ろうとすれば良い。どう?」
「……信じられない」
私は思わず言っていた。
「ケイスケは、私とタクミに、直接に力をやり取りしろ、って言うの? 手を触れて?」
「よく考えれば、それが一番良いかもしれない」
ケイスケが顎を撫でる。
「スグミは、守護霊と力をやりとりすることに長けているとは言えない。タクミも、まだ経験が浅い。だったらいっそ、二人で直接に力をやりとりした方が、効率的だし、強いんじゃないの?」
「でも、さぁ……」
私はそれ以上、言葉を続けられなかった。
想像すればするほど、不自然だ。
ケイスケの理論が正しいとしても、まともじゃない。
まさか、戦いの最中、ずっと手をつないでいるわけにもいかない。
「もう期末試験は終わったんだよね?」
ケイスケが立ち上がる。彼はすでに食事を終えていた。
「ちょっと、特訓しよう」
「え? これから?」
私はタクミを見る。タクミも眉を持ち上げていた。
「まだ午後の授業があるぜ、ケイスケ」
「早い方が良いよ」ケイスケが言う。「それに授業が終わってからだと、都合が悪い」
「どういう都合?」
「教官が飛んでくる、かな」
私とタクミ、ケイスケは、学校の敷地の外れにある、「出力試験棟」と呼ばれている建物に移動した。人の気配はとても少ない。
この建物は、高出力の攻撃を、試射するための建物だった。平屋だが、地上一階、地下一階になっている。
私たちが地下のフロアに入った。受付で事務員に書類を提出した。ケイスケがちゃちゃっと用意したもので、特待生である私の権限で、許可はその場で降りた。
地下のフロアは、幅十メートル、奥行き二十五メートルほどだ。
私とタクミが臨戦態勢を取る。力をやり取りし、増幅していく。少し離れたところで、ケイスケが立っている。
「やって良いよ」
ケイスケのその言葉に合わせて、私はタクミが差し伸べた手に、触れる。
前回の模擬戦ほどの音ではないが、激しい音が鳴った。
今度は私も準備していたので、状況が理解できた。
「うそぉ……」
私とタクミの手が触れあった地点から、光が放射されたのだ。光は天井に斜めに突き刺さったが、しかし、破損させてはいない。それはこの建物だからだろう。格技室の天井だったら、小さな穴があいたかもしれない。
「時間がない」ケイスケが言う。「繰り返して、精度を上げよう」
そんな無茶な。いきなり、出来るわけがない。
「役割を分担した方が良いかな。スグミは出力の調整、タクミが照準を担当すると良いかもしれない」
ケイスケの言葉を理解しようとしつつ、パニック寸前の心をなだめて、私はタクミとの力のやりとりを可能な限り活性化し、そっとタクミの手に触れる。
轟音と、光。
光は、斜め下に飛んで、床に黒い線を引いた。焦げたのだ。
それから連続して二十発ほど、光を放射した。
まともに前に飛んだのは、一発だけ。
途中、強力すぎる一撃で、天井の一部が剥落した。あとで怒られるだろうなぁ、などとぼんやり思ったけれど、それはすぐに思考の外に飛んでいった。
「何やってる!」
突然にドアを開けて、部屋に飛び込んできたのは、カンナだった。
私はびくっと指先を震わせ、タクミの手に触ろうとしていたのを、中断した。
カンナは部屋の様子を見て急に冷静になったようで、じっと部屋中を観察し、それから私とタクミ、ケイスケを順番に見た。
そして、大仰にため息を吐いた。
「報告書は読んだけどさぁ」カンナが歩み寄ってくる。「よくこんな発想を持つよね」
「僕が」ケイスケが一歩、前に出た。「発案しました」
「だろうね」
カンナがもう一度、部屋を確認し、頷く。
「今日はこの辺にしなさい。午後の授業をすっぽかしちゃいけない」
はい、と三人で神妙に頷く。
もっと怒られると思ったけど、そうでもない?
「三人には」
カンナが柔らかい視線を私たちに向ける。
「放課後に優先的にこの部屋を使えるように、下地を整えてあげる。好きなだけ、練習すれば良い。もう夏休みも近いしね」
カンナはそう言って、タクミの肩を叩く。それから、背を向けて、部屋を出て行ってしまった。
残された三人で顔を見合わせる。
「今」私は、タクミを見て行った。「タクミの肩、叩いたよね」
「叩いたけど?」
私は少し迷ったけど、そのことを口にした。
「あれってタクミに、頑張れ、ってことだよね……」
タクミは答えなかった。私は、聞きたかったことを、聞く。
「逸脱霊になったお母さんと、戦えそう?」
私の言葉に、タクミはすぐには答えなかった。悩んでいる、苦しんでいる、それが分かる表情で、顔が少し強張っている。
少しでも想像力があれば、タクミの心は、分かるだろう。
そのタクミが、呟く。
「分からない」
すぅっと、タクミの顔から力みが消える。
「考えないようにするよ。全部が、鈍るから」
私はもう、何も言えなかった。
実質的な期末試験になる、模擬戦の授業になった。
今回もいつも通りの勝ち抜き方式だ。スグミとケイスケは、五回勝ち抜けば最高、と言っていた。
二回勝ち抜いて、三回戦が始まる。
スグミと俺の力のやりとりは、万全だ。俺の内部には今までで最高に近い力の気配がある。
が、それが油断を生んだか。
俺とスグミの位置取りに、わずかにずれが生じる。不自然な空間が生まれた。
まずい、と思ったのは、俺も、スグミも、同時だっただろう。
それよりもわずかに早く、相手の守護霊が反応した。
俺をスルーし、スグミへと向かう。模擬戦では、守護霊は相手の霊管理者を攻撃しても良い。というか、むしろその方が実戦を正確に再現している、とさえ言われている。
俺は即座に反転し、相手の守護霊を追う。
もちろん、スグミも即座に反応した。俺に近づこうとする。
ここでスグミが俺から離れたら、それまでだ。スグミ自身には守護霊に対抗する手段がない。守護霊に対抗できるのは、同じ守護霊である俺だけだ。
相手の守護霊の標的になってスグミが、自ら俺に近づくということは、俺と相手の守護霊の距離が狭まるという事。
とっさの判断としては上出来、しかし状況はシビアだ。
間に合うか――間に合え!
俺の攻撃が相手の守護霊を掠める。回避された。
だが、その回避の動きで、相手のスグミへの攻撃が不発に終わる。
スグミがバランスを崩しながら、俺の方へ転がる。
相手の守護霊が姿勢を整え、俺も二撃目の予備動作の最後の状態。
攻撃は同時。
相手のスグミへの攻撃を、俺の攻撃が弾く。
その衝突の反動で、スグミが本当に転び、俺に向かってくる。
「スグミ!」
俺はスグミをかばおうとして、まずは彼女の姿勢の回復のため、手を伸ばした。
スグミは無言で、しかし必死の形相で、こちらへ手を伸ばす。
二人の手が、触れる。
轟音が響いたのは、その直後だった。
反動で吹っ飛ばされて、俺は床に転がり、本能によって姿勢を取り戻した。
傍らでは、スグミが目を丸くして、仰向けに倒れていた。
「な、なん……だ?」
相手の守護霊を確認すると、相手も倒れている。相手の霊管理者候補生は顔をかばった腕を下げられずに、周囲を見ていた。
コートの一部が、めくれ上がっているのは、見て分かった。
しかし、誰もコートに攻撃していないし、そもそも、この格技室は、室内全てが、守護霊と霊管理者が操る力に対して、過剰なまでの耐久力がある。
そのコートが壊れるとは、何事だ?
教官を確認すると、教官はもう冷静さを取り戻したようで、ポケットから取り出したモバイルでコートの写真を取り始めた。壁際に控えている生徒たちはまだ困惑している。
教官がどこかに電話をかけ、そして「部屋を変えるぞー」とのんびりと言った。その段になって、やっと平静さが部屋の空気に戻ってきた。
俺はスグミに手を貸して、立ちあがらせた。
「今」スグミが自分の手を見ている。「何が起こったの?」
「いや、手が触れただけ、だと思うけど……」
スグミが見ている自分の手は、今、俺の手と触れている。
さっきと同じだ。
「なんだろう……」
スグミが立ち上がり、破損したコートの方を見る。
「あの時、すごく大きな力を感じたけど」
俺も、あの瞬間を思い出すと、同じ感想を言うしかない。
スグミの手に触れた瞬間、身体の内側を突風が駆け抜けた気がした。思いだすと、背筋がぞくぞくしてくる。
今まで、こんなことはなかった。
「水瀬、海原」
最後に部屋を出ようとしていた教官が声をかけてくる。
「お前たちはもう良い。終わるまで、見学だ」
俺とスグミは、返事をして、急いで後に従った。
◆
学食のいつもの席で、私たち三人は、向かい合っていた。
「手が触れて、か」
ケイスケがそう言うと、少し考え、頷く。
「タクミは」ケイスケが言う。「霊剣を出せないんだよね?」
「ん? まぁ、そうだけど」
私をちらっと見て、タクミが言う。
「それは、俺の弱さ、だな」
「霊剣について、どう理解している?」
ケイスケの淡々とした言葉に、さぁ、とタクミは首を振った。
それを受けて、ケイスケが言う。
「霊剣は、守護霊と霊管理者の間で増幅された力の、その中心というか、最も放出されている一点なんだよね。だから、逸脱霊に対して、最も力を持つ。弱い攻撃でも良いなら、霊剣じゃないもので攻撃できる」
霊剣じゃないもの。
それは、拳、ということ?
「タクミは、拳に力を集めている、と僕は思っている。だから、タクミにとっての霊剣は、拳そのものじゃないのかな」
「それはよく知らないけど」タクミがいぶかしげに言う。「だから、どうだって言うんだ?」
「霊剣は力の放出点だけど、それはつまり、力のやりとりの中心だ。前にタクミが言っていた、風、という言葉、力を風のように感じる、ということを引用すれば、霊剣というものは、風同士がぶつかって渦を巻いている地点だと思う」
だから? とタクミがさらに問う。
ケイスケはゆっくりと言った。
「風の渦を起こすのに、助走は必要ない、かもしれない」
それは――。
「つまり、風を遠くから絡ませて渦をつくるのではなくて、最初から渦を生み出す、最初からある渦を使おうとする、という発想なんだ。スグミとタクミがそれぞれ、遠くから風を起こして、渦をつくるよりは、二人が直接に渦を作ろうとすれば良い。どう?」
「……信じられない」
私は思わず言っていた。
「ケイスケは、私とタクミに、直接に力をやり取りしろ、って言うの? 手を触れて?」
「よく考えれば、それが一番良いかもしれない」
ケイスケが顎を撫でる。
「スグミは、守護霊と力をやりとりすることに長けているとは言えない。タクミも、まだ経験が浅い。だったらいっそ、二人で直接に力をやりとりした方が、効率的だし、強いんじゃないの?」
「でも、さぁ……」
私はそれ以上、言葉を続けられなかった。
想像すればするほど、不自然だ。
ケイスケの理論が正しいとしても、まともじゃない。
まさか、戦いの最中、ずっと手をつないでいるわけにもいかない。
「もう期末試験は終わったんだよね?」
ケイスケが立ち上がる。彼はすでに食事を終えていた。
「ちょっと、特訓しよう」
「え? これから?」
私はタクミを見る。タクミも眉を持ち上げていた。
「まだ午後の授業があるぜ、ケイスケ」
「早い方が良いよ」ケイスケが言う。「それに授業が終わってからだと、都合が悪い」
「どういう都合?」
「教官が飛んでくる、かな」
私とタクミ、ケイスケは、学校の敷地の外れにある、「出力試験棟」と呼ばれている建物に移動した。人の気配はとても少ない。
この建物は、高出力の攻撃を、試射するための建物だった。平屋だが、地上一階、地下一階になっている。
私たちが地下のフロアに入った。受付で事務員に書類を提出した。ケイスケがちゃちゃっと用意したもので、特待生である私の権限で、許可はその場で降りた。
地下のフロアは、幅十メートル、奥行き二十五メートルほどだ。
私とタクミが臨戦態勢を取る。力をやり取りし、増幅していく。少し離れたところで、ケイスケが立っている。
「やって良いよ」
ケイスケのその言葉に合わせて、私はタクミが差し伸べた手に、触れる。
前回の模擬戦ほどの音ではないが、激しい音が鳴った。
今度は私も準備していたので、状況が理解できた。
「うそぉ……」
私とタクミの手が触れあった地点から、光が放射されたのだ。光は天井に斜めに突き刺さったが、しかし、破損させてはいない。それはこの建物だからだろう。格技室の天井だったら、小さな穴があいたかもしれない。
「時間がない」ケイスケが言う。「繰り返して、精度を上げよう」
そんな無茶な。いきなり、出来るわけがない。
「役割を分担した方が良いかな。スグミは出力の調整、タクミが照準を担当すると良いかもしれない」
ケイスケの言葉を理解しようとしつつ、パニック寸前の心をなだめて、私はタクミとの力のやりとりを可能な限り活性化し、そっとタクミの手に触れる。
轟音と、光。
光は、斜め下に飛んで、床に黒い線を引いた。焦げたのだ。
それから連続して二十発ほど、光を放射した。
まともに前に飛んだのは、一発だけ。
途中、強力すぎる一撃で、天井の一部が剥落した。あとで怒られるだろうなぁ、などとぼんやり思ったけれど、それはすぐに思考の外に飛んでいった。
「何やってる!」
突然にドアを開けて、部屋に飛び込んできたのは、カンナだった。
私はびくっと指先を震わせ、タクミの手に触ろうとしていたのを、中断した。
カンナは部屋の様子を見て急に冷静になったようで、じっと部屋中を観察し、それから私とタクミ、ケイスケを順番に見た。
そして、大仰にため息を吐いた。
「報告書は読んだけどさぁ」カンナが歩み寄ってくる。「よくこんな発想を持つよね」
「僕が」ケイスケが一歩、前に出た。「発案しました」
「だろうね」
カンナがもう一度、部屋を確認し、頷く。
「今日はこの辺にしなさい。午後の授業をすっぽかしちゃいけない」
はい、と三人で神妙に頷く。
もっと怒られると思ったけど、そうでもない?
「三人には」
カンナが柔らかい視線を私たちに向ける。
「放課後に優先的にこの部屋を使えるように、下地を整えてあげる。好きなだけ、練習すれば良い。もう夏休みも近いしね」
カンナはそう言って、タクミの肩を叩く。それから、背を向けて、部屋を出て行ってしまった。
残された三人で顔を見合わせる。
「今」私は、タクミを見て行った。「タクミの肩、叩いたよね」
「叩いたけど?」
私は少し迷ったけど、そのことを口にした。
「あれってタクミに、頑張れ、ってことだよね……」
タクミは答えなかった。私は、聞きたかったことを、聞く。
「逸脱霊になったお母さんと、戦えそう?」
私の言葉に、タクミはすぐには答えなかった。悩んでいる、苦しんでいる、それが分かる表情で、顔が少し強張っている。
少しでも想像力があれば、タクミの心は、分かるだろう。
そのタクミが、呟く。
「分からない」
すぅっと、タクミの顔から力みが消える。
「考えないようにするよ。全部が、鈍るから」
私はもう、何も言えなかった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
5
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる