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十六
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十六
ふぅっと息を吐いて、俺は身体の力を抜いた。
「まー、こんな感じかな」
隣に立っているスグミが言う。
「こんな感じも何も」俺は思わず苦笑していた。「コントロールは俺じゃないか」
ごめんごめん、とスグミが軽い調子で謝る。
ケイスケがうーんと唸る。
「精度と出力にばらつきが出るね」
「これでも良いんじゃないか?」
俺は巨大な空間の奥を指差す。
そこには、丸い的が二つ転がっている。さっきまでは五つだった。
力の暴発を、そのまま放射する手法に気づいて、五日が過ぎた。
最初こそコントロールできなかったそれを、器用に照準を定め、的に当てることが可能になったのは、我ながら驚きだ。驚愕、と言っても良い。
しかし、ケイスケは納得していないようだった。
「タクミ。十五発撃って、三回しか当たっていない。まともな精度じゃないよ。それに」
ケイスケが俺にタオルを放った。
「タクミのその疲労は、看過できないね。スグミの方も」
タオルで汗をぬぐいつつ、俺は、やはりケイスケがタオルを投げたスグミを確認する。
スグミも運動などしていないのに、ダラダラと汗をかいている。
俺の方は一晩寝れば回復するのだから、良いような気もするが。
「スグミはどう?」
そのケイスケの質問は、体調を聞いているのではなく、俺の照準に対する感想を求めているようだ。
「数を撃てるから、良いと思うけどね」
「でも、今の様子だと、二十は撃てないよね」
まぁね、とスグミは渋い表情。
「出力を絞ればいいじゃないか」
俺がそう言うと、ケイスケとスグミがこちらを向く。
「そんなコントロール、私には無理だし」
「逸脱霊との闘いの基本は、消耗戦じゃないよ。一撃でも当てて倒せば、良いんだ。最初から高出力で攻撃するべきじゃないかな」
「高出力って、どれくらい?」
俺の質問にケイスケが神妙な顔で、
「二倍、かな」
と、言う。
二倍?
「二倍って、単純計算で、そんなことしたら、今の半分しか撃てないだろ。本気か?」
「きみたちの相手を考えればね」
きみたちの相手。
その言葉が意味するところは、一つ。
今は逸脱霊になっている、俺の母を倒すには、とケイスケは言っている。
「ケイスケは」スグミが言う。「二倍の出力で、どれくらいの成功率だと考えている?」
じっくりとケイスケは言葉を吟味する様子。
「本当は、四倍、欲しいんだ。それで一撃で仕留めるのが、理想かな。一撃でっていうのは、向こうの防御を吹っ飛ばして、そのまま消し飛ばす、ってことね。二倍の攻撃でやるなら、相手の防御も考えれば、牽制もしなくちゃいけないし、二発や三発じゃあ、有効な攻撃は難しいと思う」
滅茶苦茶なことを言うなぁ、と俺は呆れていた。
今の二倍も難しいのに、四倍が欲しいとは。
「学校は来週から夏休みだ。訓練する時間はたっぷりある」
そのケイスケの言葉に、スグミが一瞬、表情を曇らせた。そのスグミにケイスケは気づいたようだ。
「あの逸脱霊が、誰かに倒されるかもしれない、という可能性はある。あの逸脱霊は現在進行形で、様々な影響を及ぼしているだろうし。うーん、六合塚先生は、どう考えているんだろう?」
ケイスケの疑問には誰も答えられない。
俺もスグミも黙っている。俺は、母の逸脱霊が誰かに処理されても良い、と思っている。ただ、そうなったら、無念、という言葉に近い感情が、心に生まれるだろう、とは思う。
でも、そんなことを言ったら、様々なことが無念という感情を残すと思う。人生の全てを支配しない限り。
そんな俺と共に沈黙していたスグミだが、しかし、すぐに回復した。
「二倍で行こう」
スグミがそう言って、俺とケイスケを確認する。
「訓練で出力と精度を同時に底上げするけど、両方が完成するのを待つのは、得策じゃないと思う」
ケイスケも俺も、スグミの言葉の続きを待った。
「出力は、私の性質、増幅が万全に機能しない性質を考えれば、上昇させるのが難しいと思う。でも、タクミの攻撃の精度の高さは、慣れに近いんじゃないかな。回数を重ねれば、使いものになるとと私は考えるよ。この五日で、今の精度なんだから」
俺は視線を、部屋の奥に向けた。
壁にも天井にも、もちろん床にも、無数の痕跡がある。バーナーで焼かれたような、黒い一直線の染み。破損して、浅い穴があいているところもある。床には無数に標的の破片が散らばっている。掃除する時間が惜しいから、この五日間の痕跡が、まだ完全な形で残っている。
あと何日あれば、俺とスグミは、まともに戦えるだろう。
ここで今、俺たちが試していることは、もうほとんど、霊管理者候補生とその守護霊のレベルではない。瞬間的には、プロの霊管理者に匹敵している。
それでも、ケイスケは足りない、と分析している。
俺にはそれを信じるしか出来ない。スグミは、どうだろう。
スグミとケイスケの違う点はいくつかあるが、スグミは目的の逸脱霊を体験している、ということがある。
肌で感じた相手の強さを知っているから、俺たちの実力を、ケイスケよりは現実的に把握できるはず。
そのスグミが、二倍で行こう、と言う。
俺を頼っている、とも言えるけど、一方的なもの、押しつけがましい気配はなかった。
俺を信じているのか。
「的を増やそう」
ケイスケがそう言って、足元に置いていたペットボトルを持ち上げ、器用に、俺とスグミに投げる。
「十五分、休憩だ。それからやれるところまでやって、寝よう」
ペットボトルを受け取った俺の横を、ケイスケが通り過ぎる。
俺が視線を巡らせると、部屋の隅に、寝袋が三つ、転がっている。ここに泊りこんでいるのだ。利用者もいないし、ここで寝起きすれば、夕方の授業の後と、早朝の授業の前の時間を、効率的に使える。ケイスケが提案し、カンナが承諾した。
ケイスケが的を準備しているのを眺めながら、俺は水分を補給した。
もう初夏という言葉で表現するには遅い時期で、外は暑さが厳しい。この部屋は地下だし、空調が最低限は働いているので、快適といえる。
しかし、汗はかくし、その辺りは不快だ。シャワールームが無いので、そのために寮に帰らなければならない。しかも、俺とスグミは離れられないため、一緒に寮に帰り、交代でシャワーを浴び、それから揃ってこの部屋に戻る、という手順が発生する。
まぁ、良いか。
俺はちょっと楽しくなっている自分を感じる。
どこに落ち着くかは、分からない。自分たちにどれだけの力があるか、まったくと言って良いほど、分からなかった。
だけど、不安は不思議なほど、軽い感触だ。
先がある、ということがはっきりしている。
自分たちが、先に進める、ということも、はっきりと認識できた。
どこまで行けるかは分からなくても、どこかへは行ける。
あとはもう、その場所が、自分たちの望む場所であることを、願うだけだった。
ケイスケが的の設置を終え、戻ってくる。
さて、もうひと踏ん張り、しよう。
◆
「どんな感じ? スグミちゃん」
カンナがそう言って、こちらを見る。
正直に言わなければ。私は、つばを飲んだ。
「今までとは、段違い、です」
私の言葉に、ふぅん、とカンナが目を細める。
「今度は失敗しない、ということ?」
「そうです」
私の言葉の奥を探るように、カンナの視線が私に突き刺さる。瞳を見ている感じではない。口元を見られているようだった。唇の動きから心を読もうとしているような。
「測定装置のデータは」カンナが言う。「私も見た。確かに、失敗しないかもしれない」
ほっと緩みかけた心が、続くカンナの言葉に、凍る。
「でも、実戦は違う」
カンナはやはり、私の口元を見ている。
「実戦に、定まった形、というものは存在しない。むしろ、不確定要素しかない、とも言える。実力がどれほどあっても、失敗することがある」
「で、ですが」
私は言葉を発した。このままでは押し切られてしまう、と思った。
「訓練を重ねることで、失敗を避けられるはずです」
「では、どのような訓練で、失敗を回避できるか、説明できる?」
ぐ。苦しいところを突かれる。
「説明できない?」
「……はい」
うん、とカンナが頷く。
「じゃあ、それを探しなさい」
ダメか。
私は今日、カンナに、特例で、私とタクミに逸脱霊を処理する実習を実施して欲しい、と直談判に来ていた。タクミは今、部屋の外、廊下で待っている。タクミにはカンナを説得できないだろう、と思って、私は彼を置いてきた。
タクミは、冷静ではいられないだろう、と私は思っている。
自分の母親が逸脱霊になる、というのも、自分がそれを処理する、というのも、私には想像しか出来ない。想像しか出来ないのに、その過酷さは、あまりある。
私は、もう一度、トライすることにした。
「お願いします」私は頭を下げる。「私とタクミに、チャンスを下さい」
ふぅっとカンナが息を吐く。
「失敗するかもしれない生徒を、送りだせるわけがないでしょ?」
「でも、今しかないんです」
私の言葉に、カンナの気配にわずかな変化が感じ取れた。私は姿勢を変えずに、続けて言った。
「タクミのお母さんは、誰かがいつか、処理するはずです。でも、私はタクミが処理するべきだと、思います。それがタクミのためになるはずです。今しか、それはできないんです」
「そのために自分が危険にさらされても構わない、というのが、スグミちゃんの考え?」
そうです、と私は、口にした。
怖くないわけではない。
でも、タクミのためなら、と思えば、怖さが和らぐ。そう、タクミのためだし、その場にタクミ自身がいるのだ。守ってもらうつもりはないけれど、もしもの時は守ってもらえる気がした。もちろん、タクミが危なければ、私が彼を守ることも、出来る。
いつの間にか、私とタクミには、強い信頼関係が生まれている。
心強さを、感じる。
「そうね」
カンナが呟く。
「私の一存で決めるのは、難しい」
反射的に、顔を上げていた。カンナが、微笑んでいた。
「教官の会議次第になるけど、それで良い?」
え? え?
「じゃあ、その……」
「きっと一週間はかからないと思う」カンナが頷く。「今以上の力を、身につけなさい」
私は全身から逃げようとする力を、どうにか、繋ぎ止める。それに必死な私に、カンナが言う。
「実習は、行われるでしょう。相手は、前と同じです。私の面目のために無様なことはしないように」
私はがくがくと、何度も頷いた。カンナが苦笑いする。
こうして、私とタクミは、もう一度、チャンスを与えられた。
ふぅっと息を吐いて、俺は身体の力を抜いた。
「まー、こんな感じかな」
隣に立っているスグミが言う。
「こんな感じも何も」俺は思わず苦笑していた。「コントロールは俺じゃないか」
ごめんごめん、とスグミが軽い調子で謝る。
ケイスケがうーんと唸る。
「精度と出力にばらつきが出るね」
「これでも良いんじゃないか?」
俺は巨大な空間の奥を指差す。
そこには、丸い的が二つ転がっている。さっきまでは五つだった。
力の暴発を、そのまま放射する手法に気づいて、五日が過ぎた。
最初こそコントロールできなかったそれを、器用に照準を定め、的に当てることが可能になったのは、我ながら驚きだ。驚愕、と言っても良い。
しかし、ケイスケは納得していないようだった。
「タクミ。十五発撃って、三回しか当たっていない。まともな精度じゃないよ。それに」
ケイスケが俺にタオルを放った。
「タクミのその疲労は、看過できないね。スグミの方も」
タオルで汗をぬぐいつつ、俺は、やはりケイスケがタオルを投げたスグミを確認する。
スグミも運動などしていないのに、ダラダラと汗をかいている。
俺の方は一晩寝れば回復するのだから、良いような気もするが。
「スグミはどう?」
そのケイスケの質問は、体調を聞いているのではなく、俺の照準に対する感想を求めているようだ。
「数を撃てるから、良いと思うけどね」
「でも、今の様子だと、二十は撃てないよね」
まぁね、とスグミは渋い表情。
「出力を絞ればいいじゃないか」
俺がそう言うと、ケイスケとスグミがこちらを向く。
「そんなコントロール、私には無理だし」
「逸脱霊との闘いの基本は、消耗戦じゃないよ。一撃でも当てて倒せば、良いんだ。最初から高出力で攻撃するべきじゃないかな」
「高出力って、どれくらい?」
俺の質問にケイスケが神妙な顔で、
「二倍、かな」
と、言う。
二倍?
「二倍って、単純計算で、そんなことしたら、今の半分しか撃てないだろ。本気か?」
「きみたちの相手を考えればね」
きみたちの相手。
その言葉が意味するところは、一つ。
今は逸脱霊になっている、俺の母を倒すには、とケイスケは言っている。
「ケイスケは」スグミが言う。「二倍の出力で、どれくらいの成功率だと考えている?」
じっくりとケイスケは言葉を吟味する様子。
「本当は、四倍、欲しいんだ。それで一撃で仕留めるのが、理想かな。一撃でっていうのは、向こうの防御を吹っ飛ばして、そのまま消し飛ばす、ってことね。二倍の攻撃でやるなら、相手の防御も考えれば、牽制もしなくちゃいけないし、二発や三発じゃあ、有効な攻撃は難しいと思う」
滅茶苦茶なことを言うなぁ、と俺は呆れていた。
今の二倍も難しいのに、四倍が欲しいとは。
「学校は来週から夏休みだ。訓練する時間はたっぷりある」
そのケイスケの言葉に、スグミが一瞬、表情を曇らせた。そのスグミにケイスケは気づいたようだ。
「あの逸脱霊が、誰かに倒されるかもしれない、という可能性はある。あの逸脱霊は現在進行形で、様々な影響を及ぼしているだろうし。うーん、六合塚先生は、どう考えているんだろう?」
ケイスケの疑問には誰も答えられない。
俺もスグミも黙っている。俺は、母の逸脱霊が誰かに処理されても良い、と思っている。ただ、そうなったら、無念、という言葉に近い感情が、心に生まれるだろう、とは思う。
でも、そんなことを言ったら、様々なことが無念という感情を残すと思う。人生の全てを支配しない限り。
そんな俺と共に沈黙していたスグミだが、しかし、すぐに回復した。
「二倍で行こう」
スグミがそう言って、俺とケイスケを確認する。
「訓練で出力と精度を同時に底上げするけど、両方が完成するのを待つのは、得策じゃないと思う」
ケイスケも俺も、スグミの言葉の続きを待った。
「出力は、私の性質、増幅が万全に機能しない性質を考えれば、上昇させるのが難しいと思う。でも、タクミの攻撃の精度の高さは、慣れに近いんじゃないかな。回数を重ねれば、使いものになるとと私は考えるよ。この五日で、今の精度なんだから」
俺は視線を、部屋の奥に向けた。
壁にも天井にも、もちろん床にも、無数の痕跡がある。バーナーで焼かれたような、黒い一直線の染み。破損して、浅い穴があいているところもある。床には無数に標的の破片が散らばっている。掃除する時間が惜しいから、この五日間の痕跡が、まだ完全な形で残っている。
あと何日あれば、俺とスグミは、まともに戦えるだろう。
ここで今、俺たちが試していることは、もうほとんど、霊管理者候補生とその守護霊のレベルではない。瞬間的には、プロの霊管理者に匹敵している。
それでも、ケイスケは足りない、と分析している。
俺にはそれを信じるしか出来ない。スグミは、どうだろう。
スグミとケイスケの違う点はいくつかあるが、スグミは目的の逸脱霊を体験している、ということがある。
肌で感じた相手の強さを知っているから、俺たちの実力を、ケイスケよりは現実的に把握できるはず。
そのスグミが、二倍で行こう、と言う。
俺を頼っている、とも言えるけど、一方的なもの、押しつけがましい気配はなかった。
俺を信じているのか。
「的を増やそう」
ケイスケがそう言って、足元に置いていたペットボトルを持ち上げ、器用に、俺とスグミに投げる。
「十五分、休憩だ。それからやれるところまでやって、寝よう」
ペットボトルを受け取った俺の横を、ケイスケが通り過ぎる。
俺が視線を巡らせると、部屋の隅に、寝袋が三つ、転がっている。ここに泊りこんでいるのだ。利用者もいないし、ここで寝起きすれば、夕方の授業の後と、早朝の授業の前の時間を、効率的に使える。ケイスケが提案し、カンナが承諾した。
ケイスケが的を準備しているのを眺めながら、俺は水分を補給した。
もう初夏という言葉で表現するには遅い時期で、外は暑さが厳しい。この部屋は地下だし、空調が最低限は働いているので、快適といえる。
しかし、汗はかくし、その辺りは不快だ。シャワールームが無いので、そのために寮に帰らなければならない。しかも、俺とスグミは離れられないため、一緒に寮に帰り、交代でシャワーを浴び、それから揃ってこの部屋に戻る、という手順が発生する。
まぁ、良いか。
俺はちょっと楽しくなっている自分を感じる。
どこに落ち着くかは、分からない。自分たちにどれだけの力があるか、まったくと言って良いほど、分からなかった。
だけど、不安は不思議なほど、軽い感触だ。
先がある、ということがはっきりしている。
自分たちが、先に進める、ということも、はっきりと認識できた。
どこまで行けるかは分からなくても、どこかへは行ける。
あとはもう、その場所が、自分たちの望む場所であることを、願うだけだった。
ケイスケが的の設置を終え、戻ってくる。
さて、もうひと踏ん張り、しよう。
◆
「どんな感じ? スグミちゃん」
カンナがそう言って、こちらを見る。
正直に言わなければ。私は、つばを飲んだ。
「今までとは、段違い、です」
私の言葉に、ふぅん、とカンナが目を細める。
「今度は失敗しない、ということ?」
「そうです」
私の言葉の奥を探るように、カンナの視線が私に突き刺さる。瞳を見ている感じではない。口元を見られているようだった。唇の動きから心を読もうとしているような。
「測定装置のデータは」カンナが言う。「私も見た。確かに、失敗しないかもしれない」
ほっと緩みかけた心が、続くカンナの言葉に、凍る。
「でも、実戦は違う」
カンナはやはり、私の口元を見ている。
「実戦に、定まった形、というものは存在しない。むしろ、不確定要素しかない、とも言える。実力がどれほどあっても、失敗することがある」
「で、ですが」
私は言葉を発した。このままでは押し切られてしまう、と思った。
「訓練を重ねることで、失敗を避けられるはずです」
「では、どのような訓練で、失敗を回避できるか、説明できる?」
ぐ。苦しいところを突かれる。
「説明できない?」
「……はい」
うん、とカンナが頷く。
「じゃあ、それを探しなさい」
ダメか。
私は今日、カンナに、特例で、私とタクミに逸脱霊を処理する実習を実施して欲しい、と直談判に来ていた。タクミは今、部屋の外、廊下で待っている。タクミにはカンナを説得できないだろう、と思って、私は彼を置いてきた。
タクミは、冷静ではいられないだろう、と私は思っている。
自分の母親が逸脱霊になる、というのも、自分がそれを処理する、というのも、私には想像しか出来ない。想像しか出来ないのに、その過酷さは、あまりある。
私は、もう一度、トライすることにした。
「お願いします」私は頭を下げる。「私とタクミに、チャンスを下さい」
ふぅっとカンナが息を吐く。
「失敗するかもしれない生徒を、送りだせるわけがないでしょ?」
「でも、今しかないんです」
私の言葉に、カンナの気配にわずかな変化が感じ取れた。私は姿勢を変えずに、続けて言った。
「タクミのお母さんは、誰かがいつか、処理するはずです。でも、私はタクミが処理するべきだと、思います。それがタクミのためになるはずです。今しか、それはできないんです」
「そのために自分が危険にさらされても構わない、というのが、スグミちゃんの考え?」
そうです、と私は、口にした。
怖くないわけではない。
でも、タクミのためなら、と思えば、怖さが和らぐ。そう、タクミのためだし、その場にタクミ自身がいるのだ。守ってもらうつもりはないけれど、もしもの時は守ってもらえる気がした。もちろん、タクミが危なければ、私が彼を守ることも、出来る。
いつの間にか、私とタクミには、強い信頼関係が生まれている。
心強さを、感じる。
「そうね」
カンナが呟く。
「私の一存で決めるのは、難しい」
反射的に、顔を上げていた。カンナが、微笑んでいた。
「教官の会議次第になるけど、それで良い?」
え? え?
「じゃあ、その……」
「きっと一週間はかからないと思う」カンナが頷く。「今以上の力を、身につけなさい」
私は全身から逃げようとする力を、どうにか、繋ぎ止める。それに必死な私に、カンナが言う。
「実習は、行われるでしょう。相手は、前と同じです。私の面目のために無様なことはしないように」
私はがくがくと、何度も頷いた。カンナが苦笑いする。
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