女という病

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episode1.痩せた胸

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制服姿でセブンスターに火をつける瞬間の何とも形容し難い高揚感が好きだ。小汚い雑居ビルの4階。JKヘルスで働く私のストレス発散方法。
薄暗い店内にピンクの下品なカーテンが吊るされただけの部屋と呼ぶにはあまりにお粗末な空間が煙草の煙に包まれる。今日は火曜日、暇だ。平日の中でも火曜の暇さは特殊だった。カーテンの向こうに女の子の気配がある。隣の子も、その隣の子も暇そうにしている。自分だけが暇なのではないという安心感と同時に焦りが胸をちりちりと焼く。明日までに3万円稼ぎたいのだ。携帯代を支払わなければ止まってしまう。どこで何を間違ったのか、今更考えても遅いが生理休暇以外は風俗で働き、同世代と比べれば金はあるはずが、いつも家賃や保険料、携帯代の支払いはギリギリカツカツという生活になっていた。自分でも情けないとは思う。それでもこの仕事を辞める事は出来なかった。ほんの数時間で数万円を稼げる仕事をしてしまった人間の金銭感覚が時給980円の給与で満足出来るまで戻るはずがなかった。まだ成人したばかりだというのに、なんで私はこんな事をしてるんだろうと客とキスをする度に思う。それでも、また明日も結局出勤するのだ。そんな毎日に心底うんざりしていた。喉の乾きが酷く、煙草を吸うと口の中の唾液が乾ききった。水を飲むか迷ったが、ペットボトルに伸ばした手を引っ込める。
「体重、増えちゃう」
そう頭の中で声がした。200ミリリットルの水を飲めば0.2キロ体重が増える。太る。それなら飲まない方がマシだ。人は私に摂食障害という名前をつけた。勝手に名前をつけないで欲しい。私のこれは障害ではなく美意識だ。美意識なのだ。そう、自分に言い聞かせるのは今日で何回目だろう。ああ、喉が乾いた。


家に帰る前にコンビニで携帯代を支払った。なんとか4人接客し3万円稼げた。ルイヴィトンの財布の中には今、千円札が2枚しか入っていないが、別に焦りはなかった。明日職場まで行く交通費があればいいのだから。どんなに暇でも1万円は稼げる。小さなため息が零れた。
「その日暮らしもいいところだなあ」
自分でも呆れてしまうほど底辺の生活。それでも何とか生きていけるのは美意識のおかげ。綺麗になりたい、痩せたい、その気持ちだけが生きる糧だ。体重が減る度に「あと1キロ痩せよう」と思う。身長158センチ、38キロ。客は皆私の体を見て「痩せすぎだよ」「ちゃんと食べてるの?」と口にした。それでも鼻息荒くイチモツを固くするのだから、笑ってしまう。ついさっき痩せすぎだと引き笑いをした癖に、ちゃっかりその体に興奮し射精するのだから、本当に男は馬鹿な生き物だ。昔私は78キロだった。その頃から所謂夜の仕事をしていたが勿論賃金は最低で、客はわかりやすく「クソ。ハズレを引いたな」とでも言いたげな顔をした。ダイエットを続けること半年、痩せ細った私の値段は以前の倍以上になった。痩せ、自分自身の値段がわかりやすく上がったのだ。客の反応は「痩せすぎだ」の一点張りだったが以前と比べればマシだった。安っぽい偽物のシルクのティーバックに食い込んだ贅肉を見て「萎えちゃった」なんて頻繁に言われていたあの頃と比べれば。アバラが浮き出た体を見て顔を顰める客はいるが、それでも萎えてしまう事はない。つまり太っている事がどれだけ女としての価値を下げるか、という事だ。世間は「痩せ過ぎた女には魅力を感じない」だの「今はぽっちゃりマシュマロブーム」だの馬鹿げたことを言うがこれが現実だ。デブは生きている価値がないのだ。そう、生きている価値が無いのだ。だから私は太らない為に食べない。それだけの事だ。摂食障害なんて言わせない。これは私の努力なのだから。

「あ、サラダ買い忘れた」
コンビニで毎日買うサラダ。鶏むね肉やコーンなど余計なものが入っていない野菜だけが入ったノンオイルドレッシングがついたお気に入りのサラダ。55キロカロリー。唯一何とかそれほど罪悪感なく食べる事が出来た。
ピンク色のラグに腰を下ろし煙草に火をつけた。顎がじんわりと痛い。客のモノを咥えたせいだ。この業界に入ったばかりの頃は、こんな日々が続けば顎関節症にでもなってしまうと不安だったがいつしか鈍いこの痛みにも慣れてしまった。セブンスターの香ばしい匂いが部屋に充満する。フーと吐き出すと口から出た煙が天井へと上がって行った。換気扇をつけるのを忘れた事に気が付いたが立ち上がるのが億劫に感じ、今日くらいいいだろうと煙い部屋を見渡した。
そういえば確か昨日も同じ事を思ったが、まあいい。とりあえず一服して部屋着に着替え、メイクを落としてからコンビニへ行こう。サラダを買って帰ってきたら、サラダを皿に移して、やっと夜ご飯だ。ああそうだ、サラダを食べる前に薬を飲まなければ。海外から輸入したいかにも体に悪そうな色をした色とりどりの痩せ薬。効果はてきめんだった。利尿効果と下剤効果は特にわかりやすく体感出来た。薬を飲んでサラダを準備したら冷蔵庫から近所のスーパーで買った低脂肪牛乳を出して、きちんと200ミリリットル分だけマグカップに入れて、電子レンジで温めホットミルクにしなくちゃ、ああお腹が空いた、早くコンビニへ行こう。そんな事を思いながら百円ショップで買った変な絵柄の灰皿に煙草を押し付けた。









「ねぇあの子ガリガリ過ぎない?なに、シャブでもやってるわけ?」
客向けのホームページのウエスト表記は58センチであり、実際は65センチ、いや70センチはありそうな体格をしたココロの甲高い耳障りな声が更衣室に響いた。幾度となく黒染めを繰り返したのであろう不自然に真っ黒な髪を二つに結いたその姿は、店のユニフォームである女子高生のコスプレ制服の安っぽさに拍車をかけている。客からの評判は接客も体型も地雷だと悪く、ココロという源氏名もそれに因んだ「心のこもった接客をします♡」というプロフィールのコメントも滑稽だ。
ロッカーが所狭しと並んだ整頓されていない汚れた小さな部屋はこの店で働く従業員達が着替えをする為だけに用意された場所で、壁には「女性キャスト同士でのお喋りや連絡先の交換は禁止」という手書きのポスターが貼られている。きっと過去に何かトラブルがあって、面倒な事は避けたいスタッフが書いて貼ったのだろう。
「ココロちゃん声大きいよ!聞こえちゃうってば。あの子って、あの子でしょ?なんだっけ名前。ああそうだサクラだサクラ」
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