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13歳の沈着。
表に出ない栄誉。
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最初の打ち合わせは、学園図書室の裏にある小部屋だった。壁一面の背表紙が、夕方の光で金を沈ませている。学園長、司書長、王妃付きの女官、それから僕。議題は一枚だ。
王家後援名義で“小冊子(農・衛生・会計初歩)”を配る。
誰の名義で出すか。
著者・編集・資金……三者が同時に輝く形。
沈黙ののち、司書長が口火を切った。「表紙に名を詰め込むほど、学ぶ子は引きます。奥付で光るやり方が良い」
学園長もうなずく。「表紙は“中身の約束”だけで足りる。名は、見つけに来た者にだけ届けばよい」
「では“名義の設計図”を作らせてください」と、僕は紙を三枚並べた。
一枚目、表紙。
題名は大きく、「王家後援」の小さな紋章を上部に一つだけ。余計な肩書きは置かない。学ぶ子が最初に見るのは題と図だけにする。
二枚目、扉裏(献辞)。
行は三つ。
第一行「著:王都学寮講座(巻末に講師一覧)」
第二行「編:王都図書室編集局(司書長連署)」
第三行「紙と印刷:アトリエ・スサンより献印」
それぞれの名は同じ大きさ。肩書きの濃淡で優劣を作らない。献印(けんいん)の語は、前に出ない贈り物の古い言い回しだ。
三枚目、奥付(記録)。
印刷年月日と版数、王家後援記録番号、学寮講師の印譜が並ぶ。編集局の連署、用紙と活字の記号、寄進簿の所在まで記す。資金は「王家の灯より賄う」の一行でまとめ、具体の名は寄進簿へ。名を呼べば強くなる。だが、ここは探す者だけが触れられる場所に置く。
「“三つの灯”が同じ明るさで並ぶ」司書長が指で列をなぞった。「表紙では王家の灯だけが遠く、奥付でみな同じ距離。悪くない」
学園長が微笑む。「子どもが“名”より図と段取りに目を落とすなら成功だ」
王妃付きの女官が小さく頷いた。「陛下もお喜びになるでしょう。見せるより、残すを守っている」
内容は三冊に分けた。『畑の初歩』は輪作と土の手入れ、『手洗いと火の扱い』は絵で見せる三原則(洗う・火を通す・置かない)、『出納の初歩』は三行帳簿「入・出・残」の見開き。どれも余白を広く、書き込みを促す。
挿絵は図書室の書生と職人の合作で、線は太く、六種族でも読みやすい形を選んだ。長い言葉を避け、歌で覚える欄を各章の端に……。
「五束集めて一束を作る(収穫の歌)」
「指先・指の股・爪の下(手洗いの歌)」
「今朝の入、今日の出、夜の残(帳簿の歌)」
刷り上がりの日、活版の鉄の版は朝から鳴り続けた。紙は反りを抑え、表紙の手触りは少しざらりとさせた。手に汗のある子でも、滑りにくいように。
最初の箱を学園に運び込むと、司書長が蔵書票を一枚、そっと貼った。蔵書票には王家の灯の小紋と、「献印:アトリエ」の小さな刻印。目立たないが、見た者が忘れない位置だ。
「お名前は、この一言で十分でしょう?」と司書長。
「十分すぎます」と僕。「名前は端で光ればいいので」
配布は朝の鐘とともに始まり、昼には図書室の机という机に小冊子が開かれていた。農の本で種の絵を指さす子、衛生の本で手のひらの絵をなぞる子、会計の本で『“残”に丸』を付ける子。教師は余白に授業予定を走り書きし、職工見習いは角を折って印を付けた。
「先生、ここに自分の畑の絵を描いていいの?」
「いいとも。描けば畑になる」
「残って毎日書くの?」
「毎日。書けば明日が見える」
夕方、学園長がそっと僕に奥付を示した。「名を、探す子がいる」
奥付の小さな字を読んで、表情を明るくする子がいる。扉裏の三行で、指を止める若い教師がいる。蔵書票の献印に気づいて、視線を一瞬、上げる職工がいる。表に出ない栄誉は、届く相手にだけ届く。
数日後、配布の礼を伝えに来たのは、王都の端の小さな孤児院の院長だった。砂埃の色の外套に、よく磨かれた靴。
「『手洗いと火の扱い』の絵を、厨房の壁に写しました。字が読めない子でも守れます。『出納の初歩』は、箱の中身が見えるようになった。“残”という言葉は、心の安心にも効くのですね」
僕は頭を下げた。院長は帰り際、扉裏を親指で軽く叩いた。「三つの灯、ありがたい。どれが欠けても、部屋は暗い」
配布第一週の終わり、司書長から薄い封筒が届いた。中には短い手紙と、寄進簿の写しの一枚。
「本日、王家の灯に加えて、匿名の灯がひとつ増えました。扉裏の三行は、毎朝、誰かの指でなぞられています。名は、呼ぶほど強くなる。あなたが教えてくれた通りです」
僕は手紙を畳み、奥付の活字の粒を思い浮かべる。著の名は講師に、編の名は司書に、資の印は紙の端で。三つの灯が、同じ明るさで並ぶ。
夜、灯を落とす前に、一冊を開いて奥付に指を置いた。そこにあるのは、過不足のない一行たちだ。誰も前に出ず、しかし誰も消えない。こういう栄誉は、大声では響かない。それでいい。紙が覚えている。
「明日は会計の続きを刷ろう。仕入れと原価を、もう一段わかりやすく」
活版の鉄の版が、暗がりで静かに冷えている。明日また温めれば、見せるより、残すが続いていく。小さな冊子が街を回り、表に出ない栄誉が背中で光る。そんな物語を、紙がゆっくり書き足していく。僕は灯を消し、手を拭い、扉を閉めた。外の空気は澄んで、活字の鉛の匂いがほんの少しだけ残っていた。
王家後援名義で“小冊子(農・衛生・会計初歩)”を配る。
誰の名義で出すか。
著者・編集・資金……三者が同時に輝く形。
沈黙ののち、司書長が口火を切った。「表紙に名を詰め込むほど、学ぶ子は引きます。奥付で光るやり方が良い」
学園長もうなずく。「表紙は“中身の約束”だけで足りる。名は、見つけに来た者にだけ届けばよい」
「では“名義の設計図”を作らせてください」と、僕は紙を三枚並べた。
一枚目、表紙。
題名は大きく、「王家後援」の小さな紋章を上部に一つだけ。余計な肩書きは置かない。学ぶ子が最初に見るのは題と図だけにする。
二枚目、扉裏(献辞)。
行は三つ。
第一行「著:王都学寮講座(巻末に講師一覧)」
第二行「編:王都図書室編集局(司書長連署)」
第三行「紙と印刷:アトリエ・スサンより献印」
それぞれの名は同じ大きさ。肩書きの濃淡で優劣を作らない。献印(けんいん)の語は、前に出ない贈り物の古い言い回しだ。
三枚目、奥付(記録)。
印刷年月日と版数、王家後援記録番号、学寮講師の印譜が並ぶ。編集局の連署、用紙と活字の記号、寄進簿の所在まで記す。資金は「王家の灯より賄う」の一行でまとめ、具体の名は寄進簿へ。名を呼べば強くなる。だが、ここは探す者だけが触れられる場所に置く。
「“三つの灯”が同じ明るさで並ぶ」司書長が指で列をなぞった。「表紙では王家の灯だけが遠く、奥付でみな同じ距離。悪くない」
学園長が微笑む。「子どもが“名”より図と段取りに目を落とすなら成功だ」
王妃付きの女官が小さく頷いた。「陛下もお喜びになるでしょう。見せるより、残すを守っている」
内容は三冊に分けた。『畑の初歩』は輪作と土の手入れ、『手洗いと火の扱い』は絵で見せる三原則(洗う・火を通す・置かない)、『出納の初歩』は三行帳簿「入・出・残」の見開き。どれも余白を広く、書き込みを促す。
挿絵は図書室の書生と職人の合作で、線は太く、六種族でも読みやすい形を選んだ。長い言葉を避け、歌で覚える欄を各章の端に……。
「五束集めて一束を作る(収穫の歌)」
「指先・指の股・爪の下(手洗いの歌)」
「今朝の入、今日の出、夜の残(帳簿の歌)」
刷り上がりの日、活版の鉄の版は朝から鳴り続けた。紙は反りを抑え、表紙の手触りは少しざらりとさせた。手に汗のある子でも、滑りにくいように。
最初の箱を学園に運び込むと、司書長が蔵書票を一枚、そっと貼った。蔵書票には王家の灯の小紋と、「献印:アトリエ」の小さな刻印。目立たないが、見た者が忘れない位置だ。
「お名前は、この一言で十分でしょう?」と司書長。
「十分すぎます」と僕。「名前は端で光ればいいので」
配布は朝の鐘とともに始まり、昼には図書室の机という机に小冊子が開かれていた。農の本で種の絵を指さす子、衛生の本で手のひらの絵をなぞる子、会計の本で『“残”に丸』を付ける子。教師は余白に授業予定を走り書きし、職工見習いは角を折って印を付けた。
「先生、ここに自分の畑の絵を描いていいの?」
「いいとも。描けば畑になる」
「残って毎日書くの?」
「毎日。書けば明日が見える」
夕方、学園長がそっと僕に奥付を示した。「名を、探す子がいる」
奥付の小さな字を読んで、表情を明るくする子がいる。扉裏の三行で、指を止める若い教師がいる。蔵書票の献印に気づいて、視線を一瞬、上げる職工がいる。表に出ない栄誉は、届く相手にだけ届く。
数日後、配布の礼を伝えに来たのは、王都の端の小さな孤児院の院長だった。砂埃の色の外套に、よく磨かれた靴。
「『手洗いと火の扱い』の絵を、厨房の壁に写しました。字が読めない子でも守れます。『出納の初歩』は、箱の中身が見えるようになった。“残”という言葉は、心の安心にも効くのですね」
僕は頭を下げた。院長は帰り際、扉裏を親指で軽く叩いた。「三つの灯、ありがたい。どれが欠けても、部屋は暗い」
配布第一週の終わり、司書長から薄い封筒が届いた。中には短い手紙と、寄進簿の写しの一枚。
「本日、王家の灯に加えて、匿名の灯がひとつ増えました。扉裏の三行は、毎朝、誰かの指でなぞられています。名は、呼ぶほど強くなる。あなたが教えてくれた通りです」
僕は手紙を畳み、奥付の活字の粒を思い浮かべる。著の名は講師に、編の名は司書に、資の印は紙の端で。三つの灯が、同じ明るさで並ぶ。
夜、灯を落とす前に、一冊を開いて奥付に指を置いた。そこにあるのは、過不足のない一行たちだ。誰も前に出ず、しかし誰も消えない。こういう栄誉は、大声では響かない。それでいい。紙が覚えている。
「明日は会計の続きを刷ろう。仕入れと原価を、もう一段わかりやすく」
活版の鉄の版が、暗がりで静かに冷えている。明日また温めれば、見せるより、残すが続いていく。小さな冊子が街を回り、表に出ない栄誉が背中で光る。そんな物語を、紙がゆっくり書き足していく。僕は灯を消し、手を拭い、扉を閉めた。外の空気は澄んで、活字の鉛の匂いがほんの少しだけ残っていた。
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