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13歳の沈着。
元筆頭補佐官に会う。
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エフェルト公爵に「件の元筆頭補佐官に興味があります」と切り出したとき、公爵は口の端だけで笑った。
「やっぱりそいつを見つけたか。難しいぞ、リョウエスト。左遷の報を聞いた折、私も一度引き抜きを仕掛けて失敗している。あれは“自分の役目”を外へ持ち出すことを好まん男だ」
「それでも会ってみたいのです」
「なら、筋の良い口実を用意することだ」
筋はストークが作った。「記録庫の記録保全がしっかりされているか見学したい」
名目としては十分に正当だ。僕自身、かつて『名の一団』に執拗に狙われ、記録庫の記録を消されたことがある。記録の壊し方を知ってしまった者として、守り方を学びに行くのは自然だった。段取りを整えたストークを、僕は素直に褒めた。
「見せてもらう場所が彼の“現在の戦場”ですからね」とストーク。「仕事ぶりも人柄も、同時に見えます」
約束の日。王都記録庫の地下は、石が深く、空気が乾いていた。迎えに現れた男は、ローラン・ダローム。中肉中背、三十六。書記官の濃紺に、磨かれた靴。多くの大人は僕を子どもとして侮るか、噂を聞いて過剰に畏まるかのどちらかだが、彼はどちらでもない。
「リョウエスト様。記録庫へようこそ。寒暖差があります、上着を」
平素の調子で必要なことだけを言い、余計な敬語は足さない。歩きながら、彼は淡々と“ここ”を説明した。
「外郭は二重扉。一枚目は鋼、二枚目は木。木は温度の揺れを吸います。床は防湿の砂。箱は特製の素材で、反っても戻せる作り。戻せる、これが鉄則です」
棚の端に、見慣れない紐が渡されている。触れると、芯に細い鉛線が仕込まれていて、切れば音で判るという。
「封紐は音で破断検知。夜中の静けさだと、二つ隣の室でも聞こえます」
別の部屋。閲覧台に置かれた簿冊の背に、小さな刻みが二種類。
「表の背と裏の背に別の刻み。表を偽造しても裏の折が合わなければ即座に判る。書き換え対策です」
さらに奥。壁に埋め込まれた小窓の向こうへ、細い管が伸びていた。
「副本は“影写し”を三か所へ。ひとつは学園の書類保管庫、ひとつは工廠部所有の倉庫、もうひとつは潮と水の街にある水底の建物に。火・盗・濡のいずれにも耐えるよう分散させています」
説明に誇示は一滴もない。驚く工夫を、当たり前として並べていく。僕は感心しながら、時折メモをとった。『名の一団』の手口を思い出すたび、この仕組みが直接の対抗策になっているのがわかった。
「あなたがここに回された理由が、今は王国の守りになっているのですね」
僕が言うと、彼は短く首を振る。
「理由はどうあれ、記録は国の血です。流れを止めず、逆流を残さない。それだけです」
この一言で、僕はほとんど決めてしまったのだと思う。家宰をやってもらいたい、と。
見学を締めくくる部屋で、僕は鞄から一枚の紙を出した。成人後の計画の一端、伯爵家をどう立ち上げ、どんな制度を敷き、二年でどこまで“見える”ものを増やすかの草案だ。
「実は、君に見てもらいたい書類がある」
ローランは受け取り、黙って読み、二度だけ眉を寄せた。僕は問う。
「どう思う?」
顔を上げた彼の第一声は、「なぜ、私に?」だった。
「手伝ってほしいからだよ」
その時、初めて彼の眉がはっきり動いた。すぐに、乾いた笑み。
「なるほど。しかし私は“傷物”です。前体制の影とセットで見られる。やめた方が良い」
「払拭できると思う。仕組みでね。『顔』ではなく『手順』で回す家にする。君の“当たり前”は、まさにそれだ」
短い沈黙。彼は草案に視線を戻し、今度は質問を投げ始めた。
「優先順位は? “食”“記録”“人事”のどれから切る」
「“食”と“記録”を同時に。食卓と紙をつなげば、後が早い」
「権限は? あなたが外に出る間、誰が代印を押す」
「三つに分ける。家政、外交、財。重ね押しをルール化して、『一人の気分』で動かさない」
彼はうなずき、さらに切り込む。
「敵はどこに立つ」
「“見せる”を期待する人々。僕が“残す”方に舵を切ったのを嫌う勢力」
「なら、見せる枠をゼロにするのは拙い。“小さく見せる”枠を用意し、圧の逃げ道にする。ここに呼吸口が要る」
彼は草案の余白に丸と矢印をいくつか書き足し、言葉を淡々と置いた。
「百日の計と千日の計を分ける。百日は紙と人。千日は土と秤。
利害の地図を先に作れ。味方・中立・反対を色で塗る。塗り直しが効く地図に。
声の速度を落として、紙の速度を上げる。口で先行せず、紙で追い抜け。
判は三種。家の内印、公の印、臨時印。臨時印の使用は全て記録庫へ通報。
そして“あなたがいなくても回る日”を最初から設計しておくこと」
胸のどこかに、刺さってほしかった刺が次々と刺さる。痛いが、的確で、ありがたい。僕は正直に言った。
「若さの甘さを、どう補えると思う?」
「二つ。借りた眼と借りた時間。借りた眼は外部の大人の合議。毎月半刻でいい、“言ってくれる人”を三人集めて、紙を叩かせる。借りた時間は“先に記録する”こと。出来事の前に、“何をしたら失敗と見なすか”を書いておく。終わってから書く記録は、言い訳に寄る」
僕は頷いた。彼の言葉の端々に、人を傷つけずに機能を守る工夫がにじむ。
「じゃあ、君が手伝ってくれるよね? これから伯爵家を興す立ち上げ、やってみたくないか」
紙の上の彼の指が止まった。視線は草案に落ちたまま、表情だけがわずかに揺れる。はいともいいえとも言わない顔。時間が、静かに僕らの肩を叩いた。
「本日は……答えを出す場ではないと思います」
「わかる。君の仕事は、ここにある。急かさない。ただ、あなたがいなくても回る日を、僕は本当に最初から設計する。あなたが加わっても加わらなくても、この仕組みは立つ。その上で、一緒に立てる日が来るなら、嬉しい」
彼は小さく息を吐き、書類を丁寧に揃えて返した。
「よく考えます。そして、一つだけ条件を。今日の話は、紙でください。“見せるより、残す”があなたの流儀なら」
「約束する。今日の議事録と、百日・千日の計の骨子も添える」
部屋を出ると、廊下の陰でストークが姿勢を正した。僕は小さく親指を立てる。彼は無表情のまま、わずかに目尻を緩めた。
「いかがでした、坊ちゃま」
「好きになった。あの人は“記録は国の血”と言った。あの一言で十分だ」
「では、紙で差し上げましょう。焦らず、しかし熱が冷めぬうちに」
石段を上がる途中、エフェルト公爵の言葉が胸の底で反響した。難しい。その通りだ。だが、難しいからこそ、段取りは光る。僕は今夜、机で骨子を書く。借りた眼と借りた時間を、最初から設計に組み込んで。
いつ返ってくるかわからないはい/いいえの空白に、紙で橋を架けるために。
「やっぱりそいつを見つけたか。難しいぞ、リョウエスト。左遷の報を聞いた折、私も一度引き抜きを仕掛けて失敗している。あれは“自分の役目”を外へ持ち出すことを好まん男だ」
「それでも会ってみたいのです」
「なら、筋の良い口実を用意することだ」
筋はストークが作った。「記録庫の記録保全がしっかりされているか見学したい」
名目としては十分に正当だ。僕自身、かつて『名の一団』に執拗に狙われ、記録庫の記録を消されたことがある。記録の壊し方を知ってしまった者として、守り方を学びに行くのは自然だった。段取りを整えたストークを、僕は素直に褒めた。
「見せてもらう場所が彼の“現在の戦場”ですからね」とストーク。「仕事ぶりも人柄も、同時に見えます」
約束の日。王都記録庫の地下は、石が深く、空気が乾いていた。迎えに現れた男は、ローラン・ダローム。中肉中背、三十六。書記官の濃紺に、磨かれた靴。多くの大人は僕を子どもとして侮るか、噂を聞いて過剰に畏まるかのどちらかだが、彼はどちらでもない。
「リョウエスト様。記録庫へようこそ。寒暖差があります、上着を」
平素の調子で必要なことだけを言い、余計な敬語は足さない。歩きながら、彼は淡々と“ここ”を説明した。
「外郭は二重扉。一枚目は鋼、二枚目は木。木は温度の揺れを吸います。床は防湿の砂。箱は特製の素材で、反っても戻せる作り。戻せる、これが鉄則です」
棚の端に、見慣れない紐が渡されている。触れると、芯に細い鉛線が仕込まれていて、切れば音で判るという。
「封紐は音で破断検知。夜中の静けさだと、二つ隣の室でも聞こえます」
別の部屋。閲覧台に置かれた簿冊の背に、小さな刻みが二種類。
「表の背と裏の背に別の刻み。表を偽造しても裏の折が合わなければ即座に判る。書き換え対策です」
さらに奥。壁に埋め込まれた小窓の向こうへ、細い管が伸びていた。
「副本は“影写し”を三か所へ。ひとつは学園の書類保管庫、ひとつは工廠部所有の倉庫、もうひとつは潮と水の街にある水底の建物に。火・盗・濡のいずれにも耐えるよう分散させています」
説明に誇示は一滴もない。驚く工夫を、当たり前として並べていく。僕は感心しながら、時折メモをとった。『名の一団』の手口を思い出すたび、この仕組みが直接の対抗策になっているのがわかった。
「あなたがここに回された理由が、今は王国の守りになっているのですね」
僕が言うと、彼は短く首を振る。
「理由はどうあれ、記録は国の血です。流れを止めず、逆流を残さない。それだけです」
この一言で、僕はほとんど決めてしまったのだと思う。家宰をやってもらいたい、と。
見学を締めくくる部屋で、僕は鞄から一枚の紙を出した。成人後の計画の一端、伯爵家をどう立ち上げ、どんな制度を敷き、二年でどこまで“見える”ものを増やすかの草案だ。
「実は、君に見てもらいたい書類がある」
ローランは受け取り、黙って読み、二度だけ眉を寄せた。僕は問う。
「どう思う?」
顔を上げた彼の第一声は、「なぜ、私に?」だった。
「手伝ってほしいからだよ」
その時、初めて彼の眉がはっきり動いた。すぐに、乾いた笑み。
「なるほど。しかし私は“傷物”です。前体制の影とセットで見られる。やめた方が良い」
「払拭できると思う。仕組みでね。『顔』ではなく『手順』で回す家にする。君の“当たり前”は、まさにそれだ」
短い沈黙。彼は草案に視線を戻し、今度は質問を投げ始めた。
「優先順位は? “食”“記録”“人事”のどれから切る」
「“食”と“記録”を同時に。食卓と紙をつなげば、後が早い」
「権限は? あなたが外に出る間、誰が代印を押す」
「三つに分ける。家政、外交、財。重ね押しをルール化して、『一人の気分』で動かさない」
彼はうなずき、さらに切り込む。
「敵はどこに立つ」
「“見せる”を期待する人々。僕が“残す”方に舵を切ったのを嫌う勢力」
「なら、見せる枠をゼロにするのは拙い。“小さく見せる”枠を用意し、圧の逃げ道にする。ここに呼吸口が要る」
彼は草案の余白に丸と矢印をいくつか書き足し、言葉を淡々と置いた。
「百日の計と千日の計を分ける。百日は紙と人。千日は土と秤。
利害の地図を先に作れ。味方・中立・反対を色で塗る。塗り直しが効く地図に。
声の速度を落として、紙の速度を上げる。口で先行せず、紙で追い抜け。
判は三種。家の内印、公の印、臨時印。臨時印の使用は全て記録庫へ通報。
そして“あなたがいなくても回る日”を最初から設計しておくこと」
胸のどこかに、刺さってほしかった刺が次々と刺さる。痛いが、的確で、ありがたい。僕は正直に言った。
「若さの甘さを、どう補えると思う?」
「二つ。借りた眼と借りた時間。借りた眼は外部の大人の合議。毎月半刻でいい、“言ってくれる人”を三人集めて、紙を叩かせる。借りた時間は“先に記録する”こと。出来事の前に、“何をしたら失敗と見なすか”を書いておく。終わってから書く記録は、言い訳に寄る」
僕は頷いた。彼の言葉の端々に、人を傷つけずに機能を守る工夫がにじむ。
「じゃあ、君が手伝ってくれるよね? これから伯爵家を興す立ち上げ、やってみたくないか」
紙の上の彼の指が止まった。視線は草案に落ちたまま、表情だけがわずかに揺れる。はいともいいえとも言わない顔。時間が、静かに僕らの肩を叩いた。
「本日は……答えを出す場ではないと思います」
「わかる。君の仕事は、ここにある。急かさない。ただ、あなたがいなくても回る日を、僕は本当に最初から設計する。あなたが加わっても加わらなくても、この仕組みは立つ。その上で、一緒に立てる日が来るなら、嬉しい」
彼は小さく息を吐き、書類を丁寧に揃えて返した。
「よく考えます。そして、一つだけ条件を。今日の話は、紙でください。“見せるより、残す”があなたの流儀なら」
「約束する。今日の議事録と、百日・千日の計の骨子も添える」
部屋を出ると、廊下の陰でストークが姿勢を正した。僕は小さく親指を立てる。彼は無表情のまま、わずかに目尻を緩めた。
「いかがでした、坊ちゃま」
「好きになった。あの人は“記録は国の血”と言った。あの一言で十分だ」
「では、紙で差し上げましょう。焦らず、しかし熱が冷めぬうちに」
石段を上がる途中、エフェルト公爵の言葉が胸の底で反響した。難しい。その通りだ。だが、難しいからこそ、段取りは光る。僕は今夜、机で骨子を書く。借りた眼と借りた時間を、最初から設計に組み込んで。
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