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13歳の沈着。
ミシェレル男爵夫人に。
「——来てくれる? それと、いつになったら私の子に会ってくれるの?」
懐かしい筆致の手紙は、ミシェ姉さんらしい冗談と甘えが混じっていた。差出人はもちろんミシェ姉さん、そして知らせは大きい。ご主人のラーモンさんが、ニメイジ男爵のご引退にともない男爵位を継ぐという。披露パーティーの招待状が同封され、僕はすぐに参加の返書を書いた。
当日までの数日、久しぶりにスサン家で夕餉を囲むことになった。長卓に父ハッセルエン、母ハノン、ロイック兄さん、ストラ兄さん、そして僕。端にはエメイラが連なり、湯気の立つスープの匂いが室内に広がる。
「なんだか懐かしいわね、この並び」
エメイラが微笑む。
「全くだ」
ストラ兄さんが短く相づち。
「なかなか戻せなくてすまないな、ストラ」
ロイック兄さんが苦笑いを向ける。
「いいさ、兄さん。王太子の相手もあるし、政治に絡むと身動きが取りづらいのはわかってる」
母が「さあ、冷めるわよ」と皿を配り、父は「祝いの席が続くのは良いことだ」と頷いた。食卓の音が久方ぶりに賑やかで、胸の奥に灯がともる。
出立の日。馬車は三台に分乗した。父と母はリディアと連れ立ち、ロイック兄さんはマリカ姉さんと、ストラ兄さんは王都から到着したマリーダさんと同乗。僕はエメイラとミザーリを伴って乗り込む。御者台から見える街路の並木が初夏の風に揺れ、車輪が石畳を刻む音が心地よい。
「一昔前なら馬車二台で動いてたんだよなぁ」
僕が呟くと、ミザーリが肩をすくめる。
「今は“主君の身辺は厚く”が合言葉。悪くない変化だ」
エメイラは窓から外を眺めながら、「緊張してる?」と小さく囁いた。
「嬉しい緊張、かな。家族事だし」
「なら頼りなさい。私は“右の袖”を整える役を務めるだけ」
ニメイジ邸は門前から華やいでいた。庭に張られた白い天幕のあいだから、弦の軽い調べがこぼれてくる。家族は先に中へ通され、僕はマックス伯一家(レイアム夫人とアルフォンス君)と一団になって入場した。扉口で並ぶのはニメイジ家の人々、そしてミシェ姉さん……赤子を大事そうに抱いている。
「リョウ!」
抱擁のかわりに片手を掲げるミシェ姉さんらしい挨拶。腕の中の子がきょとんとこちらを見る。
「わぁ……本当にお母さんの顔だ」
「当たり前じゃない。会いに来るのが遅いのよ、弟」
頬を膨らませながらも笑っている。僕は頭を下げ、赤子の指先にひょいと手を近づける。小さな拳が僕の親指をぎゅっと掴んだ。
「ようこそ、リョウエスト」ラーモンさんが朗らかに握手を求めてくる。これまでの労苦が刻まれた掌は温かい。
やがて一同が広間に集まり、マックス伯が挨拶に立った。
「ルステインの温泉を見事に王国でも指折りの物に経営し、地場の仕事を増やし、働く人の食卓まで気を配る。ラーモン殿は、数字と同じだけ顔を見に行く男だ。ニメイジ男爵位を継がれても、私は安心して背中を見ていられる」
場に柔らかな拍手が満ちる。続けて伯は杯を掲げた。
「乾杯。新たな門出に祝福を」
グラスが触れ合う音が幾重にもひびき、弦の音が少し上ずる。隣ではアルフォンス君が背伸びして杯の真似をした。「もう七歳か。そろそろ領主の学びが始まるね」僕が声をかけると、彼は胸を張った。
「父上が字と数の宿題を出します。逃げないのが僕の仕事です!」
レイアム夫人が我が子の頭を軽く叩いて、照れ笑い。マックス伯も目尻に皺を寄せた。
宴が始まると、各所で挨拶の輪が立ち、香ばしい肉とハーブの香りが流れる。しばらくして、四兄弟が自然に一隅に集まった。
「こうして顔を合わせるの、いつ以来だ?」
ロイック兄さんが肩を組んでくる。
「商売やら領地回りやら宮廷やら空の船やらで、みんな散り散りだったからな」
ストラ兄さんがグラスを回し、「でも今日は家に戻ってきた感じだ」
「ミシェ姉さんの筆致、昔と変わらないよね」
僕が言うと、ロイック兄さんが笑う。
「『宿題しなさい、ついでにお父様にもそう言って』って毎回追伸があったろ」
「なつかしいなぁ……四人で一つの台所を占領してさ、父さんに叱られたっけ」
「お前がスープを床にぶちまけたからだ」
「いや兄さんが味見をしすぎたからでしょ」
くだらない冗談で笑い合っていると、後ろからエメイラがそっと近づいた。
「ほんとうに懐かしい。あなたたち、笑い方が似てるのね」
「似てるのは困った時の目だよ」ストラ兄さんが肩をすくめる。「同じ顔で助けを求める」
「助ける方の顔は、母さんの担当だったがな」ロイック兄さんが目を細め、遠くのテーブルで談笑する母を見やる。母は気づいて小さく手を振った。父は横でラーモンさんと真剣な顔で話している。
ミシェ姉さんが赤子を抱いたまま、僕たちの輪へ戻ってきた。
「はい、リョウ。やっと会わせられる」
腕を差し出され、僕は恐る恐る受け取る。羽のように軽くて、火種のように熱い。小さな呼吸が胸元にふわりと当たる。
「……わぁ」
言葉が出ない僕を見て、姉さんが得意げに笑う。
「名前はソマリオ。泣き虫でも食いしん坊でも、どっちでもいいの。健康なら」
「健康なら、か」
ストラ兄さんが真面目な顔で頷く。
「ミシェ、ほんとにおめでとう。ラーモン殿、よく守った」
「守るのはこれからもだ」ラーモンさんは穏やかに答える。「領地も家族も、日々の手入れが一番難しい」
少しして、ラーモンさんは来賓の相手へ戻り、姉さんも挨拶に引き込まれていった。僕は赤子を姉の腕に返し、ふっと息をつく。エメイラが肩を並べ、耳元で囁いた。
「あなた、顔がとけてる」
「とけるよ、そりゃ。姉さんがお母さんだもん」
「あなたもいつか、誰かの背になるのね」
「……その準備中、かな」
ミザーリが遠巻きに見守りながら「その日まで鍛えは続くわ」と笑う。僕は苦笑いで返した。
宴の終盤、マックス伯が再び短く挨拶して締めに入り、会場は穏やかな余韻に包まれた。帰り支度の時間、父が僕の肩を叩く。
「よく笑っていたな、リョウ」
「姉さんの手紙どおりの夜だった」
「家の夜、だな」父はそれだけ言って、ロイック兄さんの方へ歩いていく。母は僕の額を軽く叩いた。
「次はあなたの番の時も、ちゃんと皆で集まるからね」
「え、僕の番?」
「成人に決まってるでしょう」
エメイラと目が合い、二人で小さく会釈した。遠くでラーモンさんがラストの来賓へ礼を尽くし、ミシェ姉さんは赤子をあやしながら駆け回っている。新しい男爵家の夜は、思っていたよりも家庭の匂いが濃かった。
外へ出ると、夜の温泉の湯気が風に混ざって甘い香りがした。石畳に月光が流れ、馬車の車輪がやさしく鳴く。
「行こうか」
「ええ」
乗り込む直前、僕は振り返って邸を見上げた。窓の明かりがいくつも灯り、そこに宿るいくつもの生活が想像できる。名や役目のまえに、守るべき灯がある。当たり前のことを、今夜はあらためて胸に刻めた。
帰路、久しぶりに兄弟3人で馬車に乗り中で兄さんたちとまた他愛もない話をした。幼い頃の失敗、父の厳しさ、母の手の温度。笑ってばかりのうちに、街の明かりがこちらへ寄ってくる。
家族は、時々こうして形を確かめるために集まる。今夜はその日だった。僕はそっと目を閉じ、次の季節のことを思った。新しい男爵、育ち始めた子どもたち、僕たちのこれから。どれも少しずつ動き出している。
懐かしい筆致の手紙は、ミシェ姉さんらしい冗談と甘えが混じっていた。差出人はもちろんミシェ姉さん、そして知らせは大きい。ご主人のラーモンさんが、ニメイジ男爵のご引退にともない男爵位を継ぐという。披露パーティーの招待状が同封され、僕はすぐに参加の返書を書いた。
当日までの数日、久しぶりにスサン家で夕餉を囲むことになった。長卓に父ハッセルエン、母ハノン、ロイック兄さん、ストラ兄さん、そして僕。端にはエメイラが連なり、湯気の立つスープの匂いが室内に広がる。
「なんだか懐かしいわね、この並び」
エメイラが微笑む。
「全くだ」
ストラ兄さんが短く相づち。
「なかなか戻せなくてすまないな、ストラ」
ロイック兄さんが苦笑いを向ける。
「いいさ、兄さん。王太子の相手もあるし、政治に絡むと身動きが取りづらいのはわかってる」
母が「さあ、冷めるわよ」と皿を配り、父は「祝いの席が続くのは良いことだ」と頷いた。食卓の音が久方ぶりに賑やかで、胸の奥に灯がともる。
出立の日。馬車は三台に分乗した。父と母はリディアと連れ立ち、ロイック兄さんはマリカ姉さんと、ストラ兄さんは王都から到着したマリーダさんと同乗。僕はエメイラとミザーリを伴って乗り込む。御者台から見える街路の並木が初夏の風に揺れ、車輪が石畳を刻む音が心地よい。
「一昔前なら馬車二台で動いてたんだよなぁ」
僕が呟くと、ミザーリが肩をすくめる。
「今は“主君の身辺は厚く”が合言葉。悪くない変化だ」
エメイラは窓から外を眺めながら、「緊張してる?」と小さく囁いた。
「嬉しい緊張、かな。家族事だし」
「なら頼りなさい。私は“右の袖”を整える役を務めるだけ」
ニメイジ邸は門前から華やいでいた。庭に張られた白い天幕のあいだから、弦の軽い調べがこぼれてくる。家族は先に中へ通され、僕はマックス伯一家(レイアム夫人とアルフォンス君)と一団になって入場した。扉口で並ぶのはニメイジ家の人々、そしてミシェ姉さん……赤子を大事そうに抱いている。
「リョウ!」
抱擁のかわりに片手を掲げるミシェ姉さんらしい挨拶。腕の中の子がきょとんとこちらを見る。
「わぁ……本当にお母さんの顔だ」
「当たり前じゃない。会いに来るのが遅いのよ、弟」
頬を膨らませながらも笑っている。僕は頭を下げ、赤子の指先にひょいと手を近づける。小さな拳が僕の親指をぎゅっと掴んだ。
「ようこそ、リョウエスト」ラーモンさんが朗らかに握手を求めてくる。これまでの労苦が刻まれた掌は温かい。
やがて一同が広間に集まり、マックス伯が挨拶に立った。
「ルステインの温泉を見事に王国でも指折りの物に経営し、地場の仕事を増やし、働く人の食卓まで気を配る。ラーモン殿は、数字と同じだけ顔を見に行く男だ。ニメイジ男爵位を継がれても、私は安心して背中を見ていられる」
場に柔らかな拍手が満ちる。続けて伯は杯を掲げた。
「乾杯。新たな門出に祝福を」
グラスが触れ合う音が幾重にもひびき、弦の音が少し上ずる。隣ではアルフォンス君が背伸びして杯の真似をした。「もう七歳か。そろそろ領主の学びが始まるね」僕が声をかけると、彼は胸を張った。
「父上が字と数の宿題を出します。逃げないのが僕の仕事です!」
レイアム夫人が我が子の頭を軽く叩いて、照れ笑い。マックス伯も目尻に皺を寄せた。
宴が始まると、各所で挨拶の輪が立ち、香ばしい肉とハーブの香りが流れる。しばらくして、四兄弟が自然に一隅に集まった。
「こうして顔を合わせるの、いつ以来だ?」
ロイック兄さんが肩を組んでくる。
「商売やら領地回りやら宮廷やら空の船やらで、みんな散り散りだったからな」
ストラ兄さんがグラスを回し、「でも今日は家に戻ってきた感じだ」
「ミシェ姉さんの筆致、昔と変わらないよね」
僕が言うと、ロイック兄さんが笑う。
「『宿題しなさい、ついでにお父様にもそう言って』って毎回追伸があったろ」
「なつかしいなぁ……四人で一つの台所を占領してさ、父さんに叱られたっけ」
「お前がスープを床にぶちまけたからだ」
「いや兄さんが味見をしすぎたからでしょ」
くだらない冗談で笑い合っていると、後ろからエメイラがそっと近づいた。
「ほんとうに懐かしい。あなたたち、笑い方が似てるのね」
「似てるのは困った時の目だよ」ストラ兄さんが肩をすくめる。「同じ顔で助けを求める」
「助ける方の顔は、母さんの担当だったがな」ロイック兄さんが目を細め、遠くのテーブルで談笑する母を見やる。母は気づいて小さく手を振った。父は横でラーモンさんと真剣な顔で話している。
ミシェ姉さんが赤子を抱いたまま、僕たちの輪へ戻ってきた。
「はい、リョウ。やっと会わせられる」
腕を差し出され、僕は恐る恐る受け取る。羽のように軽くて、火種のように熱い。小さな呼吸が胸元にふわりと当たる。
「……わぁ」
言葉が出ない僕を見て、姉さんが得意げに笑う。
「名前はソマリオ。泣き虫でも食いしん坊でも、どっちでもいいの。健康なら」
「健康なら、か」
ストラ兄さんが真面目な顔で頷く。
「ミシェ、ほんとにおめでとう。ラーモン殿、よく守った」
「守るのはこれからもだ」ラーモンさんは穏やかに答える。「領地も家族も、日々の手入れが一番難しい」
少しして、ラーモンさんは来賓の相手へ戻り、姉さんも挨拶に引き込まれていった。僕は赤子を姉の腕に返し、ふっと息をつく。エメイラが肩を並べ、耳元で囁いた。
「あなた、顔がとけてる」
「とけるよ、そりゃ。姉さんがお母さんだもん」
「あなたもいつか、誰かの背になるのね」
「……その準備中、かな」
ミザーリが遠巻きに見守りながら「その日まで鍛えは続くわ」と笑う。僕は苦笑いで返した。
宴の終盤、マックス伯が再び短く挨拶して締めに入り、会場は穏やかな余韻に包まれた。帰り支度の時間、父が僕の肩を叩く。
「よく笑っていたな、リョウ」
「姉さんの手紙どおりの夜だった」
「家の夜、だな」父はそれだけ言って、ロイック兄さんの方へ歩いていく。母は僕の額を軽く叩いた。
「次はあなたの番の時も、ちゃんと皆で集まるからね」
「え、僕の番?」
「成人に決まってるでしょう」
エメイラと目が合い、二人で小さく会釈した。遠くでラーモンさんがラストの来賓へ礼を尽くし、ミシェ姉さんは赤子をあやしながら駆け回っている。新しい男爵家の夜は、思っていたよりも家庭の匂いが濃かった。
外へ出ると、夜の温泉の湯気が風に混ざって甘い香りがした。石畳に月光が流れ、馬車の車輪がやさしく鳴く。
「行こうか」
「ええ」
乗り込む直前、僕は振り返って邸を見上げた。窓の明かりがいくつも灯り、そこに宿るいくつもの生活が想像できる。名や役目のまえに、守るべき灯がある。当たり前のことを、今夜はあらためて胸に刻めた。
帰路、久しぶりに兄弟3人で馬車に乗り中で兄さんたちとまた他愛もない話をした。幼い頃の失敗、父の厳しさ、母の手の温度。笑ってばかりのうちに、街の明かりがこちらへ寄ってくる。
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