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13歳の沈着。
彼の方が逝く。
王都とルステインを行き来する暮らしが、また静かに再開した。お爺さんの講義、学寮の講師の授業、司書長の書類添削、王家文庫の見学、借りた眼との面談、合間の外交……刻のすき間がほとんど残らない。それでも心地よい拍の中で日々は進む。
ある日、王妃様から呼び出しが来た。
「先王オシュヴァルト様と先王妃シェリア様がね……食が細くて。ここ最近は外へもあまり出ず、気持ちも沈みがちなの。なんとかならないかしら」
「まずはお召し上がりの膳を見直してみます。台所をお借りできますか」
ひさしぶりに王宮の厨房に立つ。料理長と鍋の蓋を並べ、刻を打ち合わせる。主食は柔らかいご飯とうどん、パンは硬い皮のものを避ける。肉は塊で出さず、挽肉にして舌触りを軽く。卵は完全食品なので積極的に。野菜は蒸して甘みを引き出し、煮物は塩を控えて出汁で旨みを立てる。飲み込みやすいとろみを付け、締めにはプリン。砂糖は控え、卵と牛乳と香りの少しだけ。
「噛まなくてよく、香りは立ち、見た目は明るく……ですね」
料理長がうなずく。
「はい。温度を上げすぎず、器は軽く。匙は小さめで」
最初の膳。先王様は匙を一口運び、こちらを見てから、もう一口。先王妃様はにっこり笑ってうどんを啜られた。
「おいしいわ。喉が楽よ」
「残さず食べられたな……」
安堵が胸の底からひろがった。その日から数巡、僕は王城に通い、料理長と持ち回りで献立を組む。食後には廊下をゆっくり歩き、庭の木陰でお話をする。
「異世界の君の国の空は、どれほど高いのだ」
「とても高くて……雲が何段にも重なっていました」
「君は何を作るのだ」
「飛ぶものを。船と、いつかは飛行機を。それから、地を這う車も」
せがまれて、王様の許しを得て、空飛ぶ船の遊覧を整えた。穏やかな気流の日を選び、昇降に時間をかけ、日向と日陰を行き来する。
「よい思い出ができたわ」
「うむ。風がまだ、頬に触れる」
先王様の横顔は少年のようで、先王妃様の指は風にそっと揺れていた。
そんなある夕刻、王城からの使いが駆けてきた。王様に呼ばれる。執務室に入ると、王様は立ち上がって短く言われた。
「ご苦労だった。明日からは大丈夫だ」
「何か……ございましたか」
「先王は、眠るように逝かれた。最後まで、お前に感謝していた」
刻が一つ止まったように感じた。
「遺言を預かっている。王室の静養所を温泉地に作り、たまには皆でゆっくりせよ……と。場所の選定と設えを、お前に任せたい」
「……仰せのとおりに」
言葉が震えそうになるのを、手の中でそっと抑えた。
先王様に最後の挨拶をした。寝台の上で、本当に眠っているようなお顔だった。先王妃様は手を握ってくださり、静かに言われた。
「ありがとうね。あなたの匙で、夫は毎回ご機嫌だったのよ」
僕は深く頭を下げ、その足で王妃様のもとへ向かう。これまでの献立と手順をまとめた小冊子……先王妃様のために編んだ静養の膳のレシピを、王妃様に手渡した。
「心から感謝します。静養所、楽しみにしているわ」
「必ず、落ち着いた風の通る場所を」
後日、葬儀。王都の鐘が低く三度鳴り、街が一つの呼吸で沈む。黒衣の列に混じって歩き、祈りの言葉を胸の中で反芻する。前スクワンジャー公爵……先王の弟が歩み寄り、手を固く握った。
「世話をかけたな。兄は最後の最後まで、君の名を出していた」
先王様の側近だった老臣たちも次々に頭を下げる。
「食卓の笑みを、久方ぶりに拝見できました」
「庭をまた歩かれるときの足取り、忘れません」
王様から一通の先王様から王様への手紙が示された。先王直筆のまま、簡潔な文。
『これからこの若者を頼む』
その一行が、胸の奥の堰を静かに越えた。僕は堪えきれず、膝の力がわずかに抜けるのを感じた。
葬列が去り、風が檜の香りを運ぶ。静養所の図を頭の中で描き始める。温い湯、段差の少ない回廊、陽の角度を選ぶ窓、静かな読書室、柔らかい椅子、軽い匙と小さな器。季節ごとに香りを変える庭。音の少ない床。
「たまには、ゆっくりしろ……か」
先王様の声が耳の奥でゆっくりと響く。僕は袖口を整え、涙の跡をごまかした。帰り道、王都の空は高く、雲の端が光っていた。やるべきことはわかっている。名前を売らず、拍を整え、紙を動かし、人を動かす。静養の家は、きっと多くの人の肩を撫でるだろう。
ルステインへ戻る前に、厨房へ立ち寄った。料理長が黙って頷き、僕は黙って頷き返す。鍋の湯気が目に沁みる。
「続けてください。匙は、そちらに」
「承知しました。……あなたが戻るまで、温度は保っておきます」
僕は深く礼をして、王城を出た。鐘はもう鳴りやみ、街はいつもの拍を取り戻しつつある。けれど、あの一行は胸中でゆっくりと光り続けていた。
『これからこの若者を頼む』
その願いを、背に受けて歩く。涙で滲んだ視界の向こうに、湯の白い気配が揺れていた。静養所は、必ず良い場所に。必ず、あたたかい風の通る家に。僕はそう誓い、王都の石畳を踏みしめた。
ある日、王妃様から呼び出しが来た。
「先王オシュヴァルト様と先王妃シェリア様がね……食が細くて。ここ最近は外へもあまり出ず、気持ちも沈みがちなの。なんとかならないかしら」
「まずはお召し上がりの膳を見直してみます。台所をお借りできますか」
ひさしぶりに王宮の厨房に立つ。料理長と鍋の蓋を並べ、刻を打ち合わせる。主食は柔らかいご飯とうどん、パンは硬い皮のものを避ける。肉は塊で出さず、挽肉にして舌触りを軽く。卵は完全食品なので積極的に。野菜は蒸して甘みを引き出し、煮物は塩を控えて出汁で旨みを立てる。飲み込みやすいとろみを付け、締めにはプリン。砂糖は控え、卵と牛乳と香りの少しだけ。
「噛まなくてよく、香りは立ち、見た目は明るく……ですね」
料理長がうなずく。
「はい。温度を上げすぎず、器は軽く。匙は小さめで」
最初の膳。先王様は匙を一口運び、こちらを見てから、もう一口。先王妃様はにっこり笑ってうどんを啜られた。
「おいしいわ。喉が楽よ」
「残さず食べられたな……」
安堵が胸の底からひろがった。その日から数巡、僕は王城に通い、料理長と持ち回りで献立を組む。食後には廊下をゆっくり歩き、庭の木陰でお話をする。
「異世界の君の国の空は、どれほど高いのだ」
「とても高くて……雲が何段にも重なっていました」
「君は何を作るのだ」
「飛ぶものを。船と、いつかは飛行機を。それから、地を這う車も」
せがまれて、王様の許しを得て、空飛ぶ船の遊覧を整えた。穏やかな気流の日を選び、昇降に時間をかけ、日向と日陰を行き来する。
「よい思い出ができたわ」
「うむ。風がまだ、頬に触れる」
先王様の横顔は少年のようで、先王妃様の指は風にそっと揺れていた。
そんなある夕刻、王城からの使いが駆けてきた。王様に呼ばれる。執務室に入ると、王様は立ち上がって短く言われた。
「ご苦労だった。明日からは大丈夫だ」
「何か……ございましたか」
「先王は、眠るように逝かれた。最後まで、お前に感謝していた」
刻が一つ止まったように感じた。
「遺言を預かっている。王室の静養所を温泉地に作り、たまには皆でゆっくりせよ……と。場所の選定と設えを、お前に任せたい」
「……仰せのとおりに」
言葉が震えそうになるのを、手の中でそっと抑えた。
先王様に最後の挨拶をした。寝台の上で、本当に眠っているようなお顔だった。先王妃様は手を握ってくださり、静かに言われた。
「ありがとうね。あなたの匙で、夫は毎回ご機嫌だったのよ」
僕は深く頭を下げ、その足で王妃様のもとへ向かう。これまでの献立と手順をまとめた小冊子……先王妃様のために編んだ静養の膳のレシピを、王妃様に手渡した。
「心から感謝します。静養所、楽しみにしているわ」
「必ず、落ち着いた風の通る場所を」
後日、葬儀。王都の鐘が低く三度鳴り、街が一つの呼吸で沈む。黒衣の列に混じって歩き、祈りの言葉を胸の中で反芻する。前スクワンジャー公爵……先王の弟が歩み寄り、手を固く握った。
「世話をかけたな。兄は最後の最後まで、君の名を出していた」
先王様の側近だった老臣たちも次々に頭を下げる。
「食卓の笑みを、久方ぶりに拝見できました」
「庭をまた歩かれるときの足取り、忘れません」
王様から一通の先王様から王様への手紙が示された。先王直筆のまま、簡潔な文。
『これからこの若者を頼む』
その一行が、胸の奥の堰を静かに越えた。僕は堪えきれず、膝の力がわずかに抜けるのを感じた。
葬列が去り、風が檜の香りを運ぶ。静養所の図を頭の中で描き始める。温い湯、段差の少ない回廊、陽の角度を選ぶ窓、静かな読書室、柔らかい椅子、軽い匙と小さな器。季節ごとに香りを変える庭。音の少ない床。
「たまには、ゆっくりしろ……か」
先王様の声が耳の奥でゆっくりと響く。僕は袖口を整え、涙の跡をごまかした。帰り道、王都の空は高く、雲の端が光っていた。やるべきことはわかっている。名前を売らず、拍を整え、紙を動かし、人を動かす。静養の家は、きっと多くの人の肩を撫でるだろう。
ルステインへ戻る前に、厨房へ立ち寄った。料理長が黙って頷き、僕は黙って頷き返す。鍋の湯気が目に沁みる。
「続けてください。匙は、そちらに」
「承知しました。……あなたが戻るまで、温度は保っておきます」
僕は深く礼をして、王城を出た。鐘はもう鳴りやみ、街はいつもの拍を取り戻しつつある。けれど、あの一行は胸中でゆっくりと光り続けていた。
『これからこの若者を頼む』
その願いを、背に受けて歩く。涙で滲んだ視界の向こうに、湯の白い気配が揺れていた。静養所は、必ず良い場所に。必ず、あたたかい風の通る家に。僕はそう誓い、王都の石畳を踏みしめた。
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