【完結保証】僕の異世界攻略〜神の修行でブラッシュアップ〜

リョウ

文字の大きさ
519 / 806
13歳の沈着。

閑話・食籠に救われる。

 朝、霜が鉛色の石畳をうっすら白くしていた。寡婦のエマは、娘のミリを手前に立たせて列に並ぶ。定額食籠の札は、いつもの場所に掛かっている。今日の献立は麦粥と根菜の煮込み、刻み肉の団子が二つ、塩気のやわらかな青菜のおひたし少々。器は軽い木椀、匙は柔らかい先。札には短く「熱いから気をつけて」とだけ添えてあった。

「ミリ、手袋をはずして。落とさないようにね」
「うん」

 窓口の女は、列の速さと子どもの背丈とを器用に見比べながら、湯気の向こうから木椀を渡してくれる。昼の帯は混み合うが、詰所の男が静かに手を振り、流れを乱さないよう誘導していた。エマは女に礼を言い、ミリの器を重ねて端に寄る。石段の日だまりに腰をおろし、二人は最初の一口を分け合った。

 かつては一日一食もままならなかった。夫が病に倒れ、薬代と寝具の洗い替えで貯えはみるみる減った。夫を看取ってからは、屋根の低い借家を何度も移り、夜は娘を抱いて眠った。働き口はあったが、空腹で手が震えると針が持てない。朝のからっぽの胃袋は怒るように鳴り、それでも昼の端っこで水を飲んでごまかした。

 定額食籠の窓口が開いたのは秋の終わりだった。最初は半信半疑だったが、初日に口に入れた麦粥の温度で、全身がほどけた。翌週には、昼も夜も小鉢に温かいものが入った。やがて二食が当たり前になり、ミリの頬が丸くなった。顔色の悪かった娘の膝が、走る時に笑うように曲がる。エマの指は、もう冷たい針を怖がらない。

 昼を終えると、エマは洗い張りの仕事場へ向かう。薄い布を流れで揺らし、板に伸ばして、冬の陽に当てる。定額食籠の窓口で配られる札の裏には、働き口の張り紙の場所が小さく書かれることがある。エマはそこから二つの仕事を見つけた。洗い張りの手伝いと、夜の縫い物。どちらも少しずつの稼ぎだが、定額の二食が土台にあるせいで、体がぶれない。

 ミリは午後、寺子屋へ行く。椅子は硬いが、文字をならべるのが楽しくて仕方ない。ミリが持ち帰る紙切れには、ぎこちない字で「きょうは『米』をならった」と書いてある。エマはそれを見て笑い、紙切れを壁の釘に差した。夕方になると、また窓口の前に小さな列ができる。夜の献立は麦飯に魚のほぐし、柔らかい根菜の汁。ミリは匙を握り、慎重に口へ運ぶ。

 ある日、窓口で見慣れた女が声をかけた。
「この前の縫い目、きれいだったよ。明日の夜、もう一束頼める?」
「できます。糸は手前で?」
「詰所の棚の下。名前は書かなくていい。束に印があるから」
 エマは胸が温かくなった。名は要らない。必要なのは、糸と手と、少しの米だ。

 別の日には、詰所の帳場に貼り紙が出た。「定額食籠、冬の献立」。麦粥の日、根菜の日、豆の日、卵の日……色分けされた簡単な絵が並ぶ。朝の帯の前に、白い服の女が鍋の衛生を確かめ、台の上を布で拭く。窓口の男が笑って言う。
「器はここに重ねて。熱いから注意」

 季節はゆっくり進む。二人の暮らしも少しずつ変わった。エマは洗い張りの板をもう一枚任され、夜の縫い物は糸替えを気にしなくてよくなった。ミリは字が増え、数字が増え、借家の壁に貼る紙が並んでいく。冬の終わり、ミリは寺子屋で小さな賞をもらった。褒美は薄い紙束と、鉛筆の短いのが二本。帰り道、ミリは両手でそれを抱え、言葉を探すように口を開け閉めした。

「かあさん」
「ん?」
「わたしたち、もう、おなかが怒らない」
「そうだね」
「きょうも、あしたも、食べるものがある」
「そうだよ」
「じゃあ、わたし、走ってもいい?」
「転ばないように、走りなさい」

 春の初め、定額食籠の掲示に小さな札が増えた。「労の志、募集」。炊き場の手伝い、器洗い、窓口の呼びかけ。エマは迷ったが、手を挙げた。昼の帯の終わり、器を洗い、布を絞る。水は冷たいが、手は動く。窓口の女が肩を叩いた。
「助かるよ。ここは音を立てないでやるんだ」
「覚えました」
 夕方、エマは洗い場で手を乾かし、ミリを迎えに行く。娘は小さな包みを差し出した。紙に包まれた握りが二つ、根菜の薄い酢漬けが少し。
「寺子屋で。お祝いなんだって」
「大事に食べよう」

 その夜、二人は握りを半分ずつに分け、ゆっくり食べた。窓の外には春先の細い月。石畳の向こうで、誰かが静かに笑っている。エマは灯を落とし、横になったミリの髪を撫でた。腹の底が、もう怒っていない。明日も働ける、明後日も縫える。定額の二食は、ただ空腹を埋めるだけではなかった。少し先の予定を考える余裕をくれた。糸を買うか、紙を買うか、靴の底を直すか。選ぶということが戻ってきた。

 春の風が、薄いカーテンを揺らす。夜更け、エマはそっと起き上がり、壁の紙に指を滑らせた。夫の遺した古い針が、小箱の中できらりと光る。明日もまた窓口に行って、軽い椀を受け取り、礼を言って、働いて、戻って、娘と食べる。慎ましいが、ゆとりは確かにある。エマは目を閉じ、深く息を吸った。

 翌朝、列に並ぶと、窓口の女がいつもより少しだけ早口で言った。
「きょうは卵があるよ。半分に割って、温かいうちにね」
「ありがとう」
 木椀から立つ湯気は、冬の終わりの冷たい空気に溶けた。ミリは椀のふちを両手で支え、目だけで笑った。エマも、目で笑い返した。二人の一日は、静かに、たしかに、満ちていく。
感想 9

あなたにおすすめの小説

異世界転生したので、文明レベルを21世紀まで引き上げてみた ~前世の膨大な知識を元手に、貧乏貴族から世界を変える“近代化の父”になります~

夏見ナイ
ファンタジー
過労死したプラントエンジニアの俺が転生したのは、剣と魔法の世界のド貧乏な貴族の三男、リオ。石鹸すらない不衛生な環境、飢える家族と領民……。こんな絶望的な状況、やってられるか! 前世の知識を総動員し、俺は快適な生活とスローライフを目指して領地改革を開始する! 農業革命で食料問題を解決し、衛生革命で疫病を撲滅。石鹸、ガラス、醤油もどきで次々と生活レベルを向上させると、寂れた領地はみるみる豊かになっていった。 逃げてきた伯爵令嬢や森のエルフ、ワケありの元騎士など、頼れる仲間も集まり、順風満帆かと思いきや……その成功が、強欲な隣領や王都の貴族たちの目に留まってしまう。 これは、ただ快適に暮らしたかっただけの男が、やがて“近代化の父”と呼ばれるようになるまでの物語。

最強魔法は生活魔法!? ~異世界ではモンスター退治も生活のうち~

gagaga
ファンタジー
神の気まぐれにより異世界へと転移した主人公田辺竜太(大学生)が生活魔法を駆使して冒険したり町の人と触れ合ったりする物語です。 なお、神が気まぐれすぎて一番最初に降り立つ地は、無人島です。 一人称視点、独り言多め、能天気となっております。 なお、作者が気ままに書くので誤字脱字は多いかもしれませんが、大目に見て頂けるとありがたいです。 ただ、敢えてそうしている部分もあり、ややこしくてすいません。(^^;A ご指摘あればどんどん仰ってください。 ※2017/8/29 連載再開しました!

出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜

シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。 起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。 その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。 絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。 役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。

神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします

夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。 アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。 いわゆる"神々の愛し子"というもの。 神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。 そういうことだ。 そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。 簡単でしょう? えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか?? −−−−−− 新連載始まりました。 私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。 会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。 余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。 会話がわからない!となるよりは・・ 試みですね。 誤字・脱字・文章修正 随時行います。 短編タグが長編に変更になることがございます。 *タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。

ひだまりのFランク冒険者

みなと劉
ファンタジー
ここは異世界。 そこの冒険者ギルドでは毎日仕事がてんこ盛り。 そんな中 冒険者ギルドには万年Fランクの冒険者が一人いる。 その名は、リルド。 彼は、特に何もない感じに毎日 「薬草採取」「石集め」Fランク向け「討伐」場合によっては「ポーション生成」をする。 この話はこの万年Fランク冒険者リルドの物語である。

家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜

奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。 パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。 健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。

【完結】うさぎ転生 〜女子高生の私、交通事故で死んだと思ったら、気づけば現代ダンジョンの最弱モンスターに!?最強目指して生き延びる〜

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
 女子高生の篠崎カレンは、交通事故に遭って命を落とした……はずが、目覚めるとそこはモンスターあふれる現代ダンジョン。しかも身体はウサギになっていた!  HPはわずか5、攻撃力もゼロに等しい「最弱モンスター」扱いの白うさぎ。それでもスライムやコボルトにおびえながら、なんとか生き延びる日々。唯一の救いは、ダンジョン特有の“スキル”を磨けば強くなれるということ。  跳躍蹴りでスライムを倒し、小動物の悲鳴でコボルトを怯ませ、少しずつ経験値を積んでいくうちに、カレンは手応えを感じ始める。 「このままじゃ終わらない。私、もっと強くなっていつか……」  最弱からの“首刈りウサギ”進化を目指して、ウサギの身体で奮闘するカレン。彼女はこの危険だらけのダンジョンで、生き延びるだけでなく“人間へ戻る術(すべ)”を探し当てられるのか? それとも新たなモンスターとしての道を歩むのか?最弱うさぎの成り上がりサバイバルが、いま幕を開ける!

子ドラゴンとゆく、異世界スキル獲得記! ~転生幼女、最強スキルでバッドエンドを破壊する~

九條葉月
ファンタジー
第6回HJ小説大賞におきまして、こちらの作品が受賞・書籍化決定しました! ありがとうございます! 七歳の少女リーナは突如として前世の記憶を思い出した。 しかし、戸惑う暇もなく『銀髪が不気味』という理由で別邸に軟禁されてしまう。 食事の量も減らされたリーナは生き延びるために別邸を探索し――地下室で、ドラゴンの卵を発見したのだった。 孵化したドラゴンと共に地下ダンジョンに潜るリーナ。すべては、軟禁下でも生き延びるために……。 これは、前を向き続けた少女が聖女となり、邪竜を倒し、いずれは魔王となって平和に暮らす物語……。