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14歳の助走。
家族の食卓。
カレルがやって来たのは朝早くだった。落ち着いた紺の上衣に、薄い革の書類鞄。玄関で丁寧に礼をして、まっすぐ執務室へ。ローランはすでに帳場の机を二つ寄せ、志勘定の元帳と速文の写し、王都とルステイン双方の募金箱明細を時系列に並べて待っていた。
「まずは全体の流れを掴みます。入る線を三つ、出る線を二つに分けましょう」
カレルの声は低い。指先で紙の角をそろえ、鉛筆で簡単な図を走らせる。
「王都・ルステインの箱、商業ギルドの志券、速文による志。この三系統を日毎に束ねて、同日着金の合算と出所を記録。用途は静養所・道路・寮舎の三区分。未指定は一旦、保留勘定へ」
「よし。見える形に」
ローランが頷き、書記に合図を送る。紙が静かに動き始めた。
そこへストークが扉を叩いた。
「リョウ様、ご家族が王都入り。王都支店に入られました」
「ありがとう。タウンハウスにお迎えを」
僕が言い終えるより早く、ストークは段取りの紙を三枚走らせる。迎えの馬車、客間の支度、台所の算段……僕は袖を捲り、厨房へ向かった。
大きな台に粉を山にして、真ん中に窪みを作る。水と酵母と塩。手首で押し、指で引き、空気を含ませる。寝かせの合間にトマトを潰して鍋にかけ、にんにくをひとかけ落とす。パスタは二種。ひとつはたっぷりの茹で野菜とオイルで和える軽い皿、もうひとつは挽肉を細かくほぐしたソース。鶏は塩と香草で下味をして、皮を下にして焼き目を付け、湯気で中まで火を通す。和風サラダは柔らかな葉と大根の薄切りに、出汁と柑の搾りをうっすら。氷菓の機械を回しながら、母の好きなプリンを低い火でゆっくりと。台所に立つと、季の重さが均されていくのがわかる。
玄関が賑やかになった。
「ひろい……まあ、立派ねえ」
お母さんの声だ。お父さんの咳払い、ロイック兄さんの笑い声、ストラ兄さんの「おいリョウ、台所はどこだ」の調子。
「いらっしゃい」
僕が顔を出すと、みんなが一斉に振り向いた。お父さんはいつも通り堂々と、けれど目じりは緩んでいる。お母さんは部屋の天井と窓の高さを見上げて、嬉しそうにため息をついた。ロイック兄さんの隣にマリカ姉さん、ケリィ姉さん、ジェン姉さん。ジェン姉さんはまだ本調子ではないのに、顔色はよく、薄い色の帯を美しく結んでいる。古くから仕えるドルトとアニナの夫婦は、勝手知ったる手つきで外套を預かり、家族の座り癖に合わせて椅子を引いた。護衛のミザーリは一歩下がって周囲を見渡し、僕と目が合うと軽く会釈した。
「今日は気取らないごはんです。待ってて」
前菜の代わりに、熱いピザを最初に出す。薄く伸ばした生地は縁がよく膨らみ、トマトの酸が香る。
「まあ、これは……」
母が一切れ持ち上げて、少しだけ戸惑って笑う。
「手でそのままどうぞ。落ちそうなら折って」
ロイック兄さんが見本を見せ、マリカ姉さんが器用に真似る。ケリィ姉さんは「熱い、でもおいしい」と頬を押さえ、ジェン姉さんは小さく切り分けて口に運ぶ。
「うむ、こういうのは酒の前にちょうどよい」お父さんが上機嫌で言い、ストラ兄さんが「リョウ、これ持ち帰り可か?」と真顔で聞く。
「生地は持って帰って」
「抜け目なしだな」
大皿のパスタを二つ回す。野菜の方は彩りがよく、食べやすいように長さを揃えた。挽肉のソースは香りを立てすぎない配合。鶏は食べやすい大きさに切り分けて、皮目の香ばしさで食欲を誘う。和風サラダは大鉢からそれぞれに。氷菓は口を整える一匙。
「こういうのがいちばん贅沢だね」
アニナが目を細め、ドルトが無言で頷く。
「ミザーリ、座って」
「護衛ですので……」
「今日は家族。座って」
ミザーリは一瞬ためらってから、ぎこちなく腰掛けた。口に入れた瞬間、彼女の肩の力がほどけるのが見えた。
そこへ、仕事を終えたローランとカレルが入ってくる。
「お邪魔します」
「志勘定、全体像が見えました。ご飯の匂いが……」
「今、いいところ。席を詰めて」
二人の前にも皿を置く。ローランは最初に野菜のパスタを少し、鶏を一切れ、そしてプリンの器を横目で見て「最後の楽しみ」と呟く。カレルは氷菓に興味を示し、匙でゆっくりと溶かしながら味の変化を確かめている。
杯が重なり、笑い声が混じる。ロイック兄さんは商会の話題をお父さんと交わし、マリカ姉さんはミシェ姉さん家の近況を母に伝える。ケリィ姉さんは新しい帳場の工夫をカレルと語り、ジェン姉さんは静かに、でも確かな声でザーラの寝付きの良さを話す。ストラ兄さんは王都の空気を茶化しながら、王太子の近況をさらりと添える。ドルトとアニナは流れを読み、皿の減り具合と会話の切れ目でさっと補充をする。その合間、ミザーリが席を離れ、さりげなく窓の鍵と廊下の影を確認して戻ってくる。家族それぞれの役割が、音もなく噛み合っているのが気持ちいい。
最後にプリンを出した。母は匙を入れて、少し目を細める。
「これよ、これ。あなたのこの柔らかさが好き」
「ありがとう」
僕も一口。卵と乳のやさしい匂いが舌の上でほどけ、長い一日が静かに収まっていく。
「志勘定はどう?」
尋ねると、カレルは姿勢を正した。
「順調です。明滅をなくすため、掲示の刻に合わせて集計を切り替えます。保留勘定を薄くして、用途の見える線を太く。寄付主の名は出さず、しかし数の力が伝わる形に」
「よくやった」
ローランが短く言う。
「明日は王家文庫の頁を一つ借りる。掲示を置く許可が下りました」
「頼もしいわね」
マリカ姉さんが微笑む。
「仕事の話はそこまで。今は食べよう」
母が匙を掲げ、場がまた和らいだ。
食後、客間で少し休み、みんなはタウンハウスを見て回った。父は書庫の棚の高さを測るような目つきで眺め、母は客間のカーテンの縫い目を指でなぞる。ロイック兄さんは庭の通路の幅を確認し、ストラ兄さんは台所の勝手口の鍵の場所まで覚えた。ドルトはストークと執事談義をし、アニナは客用のシーツの替えの枚数を気にする。ミザーリは最後の見回りをして、僕に親指を立てた。
「問題なし」
玄関で見送る時、父が僕の肩を軽く叩いた。
「よく食べ、よく働け。……よく、帰ってこい」
「うん」
母はにっこり笑って、空の器を抱きかかえるように僕を抱いた。
「また作ってね」
「もちろん」
扉が閉まり、廊下が静かになる。台所に戻り、火を落とし、まな板を洗う。ローランは帳場で紙を二枚だけ書いている。
「『家族来訪、無事。志勘定、流路の整理を開始』」
「充分」
カレルは椅子に腰掛け、膝に置いた帳簿を指先で軽く叩いた。
「よい家ですね。数字は人を映します。今日の数字は、温かい」
「数字で温かいは名言だな」
ローランが笑う。
灯を一つずつ落としていく。最後の灯が小さく揺れて消える。胸の中に、家族の笑い声とプリンの甘さが、静かな余韻になって残った。明日もまた、動かす。けれど今夜だけは、少しだけ余韻のまま眠ろう……そう思いながら、僕は自室へ向かった。
「まずは全体の流れを掴みます。入る線を三つ、出る線を二つに分けましょう」
カレルの声は低い。指先で紙の角をそろえ、鉛筆で簡単な図を走らせる。
「王都・ルステインの箱、商業ギルドの志券、速文による志。この三系統を日毎に束ねて、同日着金の合算と出所を記録。用途は静養所・道路・寮舎の三区分。未指定は一旦、保留勘定へ」
「よし。見える形に」
ローランが頷き、書記に合図を送る。紙が静かに動き始めた。
そこへストークが扉を叩いた。
「リョウ様、ご家族が王都入り。王都支店に入られました」
「ありがとう。タウンハウスにお迎えを」
僕が言い終えるより早く、ストークは段取りの紙を三枚走らせる。迎えの馬車、客間の支度、台所の算段……僕は袖を捲り、厨房へ向かった。
大きな台に粉を山にして、真ん中に窪みを作る。水と酵母と塩。手首で押し、指で引き、空気を含ませる。寝かせの合間にトマトを潰して鍋にかけ、にんにくをひとかけ落とす。パスタは二種。ひとつはたっぷりの茹で野菜とオイルで和える軽い皿、もうひとつは挽肉を細かくほぐしたソース。鶏は塩と香草で下味をして、皮を下にして焼き目を付け、湯気で中まで火を通す。和風サラダは柔らかな葉と大根の薄切りに、出汁と柑の搾りをうっすら。氷菓の機械を回しながら、母の好きなプリンを低い火でゆっくりと。台所に立つと、季の重さが均されていくのがわかる。
玄関が賑やかになった。
「ひろい……まあ、立派ねえ」
お母さんの声だ。お父さんの咳払い、ロイック兄さんの笑い声、ストラ兄さんの「おいリョウ、台所はどこだ」の調子。
「いらっしゃい」
僕が顔を出すと、みんなが一斉に振り向いた。お父さんはいつも通り堂々と、けれど目じりは緩んでいる。お母さんは部屋の天井と窓の高さを見上げて、嬉しそうにため息をついた。ロイック兄さんの隣にマリカ姉さん、ケリィ姉さん、ジェン姉さん。ジェン姉さんはまだ本調子ではないのに、顔色はよく、薄い色の帯を美しく結んでいる。古くから仕えるドルトとアニナの夫婦は、勝手知ったる手つきで外套を預かり、家族の座り癖に合わせて椅子を引いた。護衛のミザーリは一歩下がって周囲を見渡し、僕と目が合うと軽く会釈した。
「今日は気取らないごはんです。待ってて」
前菜の代わりに、熱いピザを最初に出す。薄く伸ばした生地は縁がよく膨らみ、トマトの酸が香る。
「まあ、これは……」
母が一切れ持ち上げて、少しだけ戸惑って笑う。
「手でそのままどうぞ。落ちそうなら折って」
ロイック兄さんが見本を見せ、マリカ姉さんが器用に真似る。ケリィ姉さんは「熱い、でもおいしい」と頬を押さえ、ジェン姉さんは小さく切り分けて口に運ぶ。
「うむ、こういうのは酒の前にちょうどよい」お父さんが上機嫌で言い、ストラ兄さんが「リョウ、これ持ち帰り可か?」と真顔で聞く。
「生地は持って帰って」
「抜け目なしだな」
大皿のパスタを二つ回す。野菜の方は彩りがよく、食べやすいように長さを揃えた。挽肉のソースは香りを立てすぎない配合。鶏は食べやすい大きさに切り分けて、皮目の香ばしさで食欲を誘う。和風サラダは大鉢からそれぞれに。氷菓は口を整える一匙。
「こういうのがいちばん贅沢だね」
アニナが目を細め、ドルトが無言で頷く。
「ミザーリ、座って」
「護衛ですので……」
「今日は家族。座って」
ミザーリは一瞬ためらってから、ぎこちなく腰掛けた。口に入れた瞬間、彼女の肩の力がほどけるのが見えた。
そこへ、仕事を終えたローランとカレルが入ってくる。
「お邪魔します」
「志勘定、全体像が見えました。ご飯の匂いが……」
「今、いいところ。席を詰めて」
二人の前にも皿を置く。ローランは最初に野菜のパスタを少し、鶏を一切れ、そしてプリンの器を横目で見て「最後の楽しみ」と呟く。カレルは氷菓に興味を示し、匙でゆっくりと溶かしながら味の変化を確かめている。
杯が重なり、笑い声が混じる。ロイック兄さんは商会の話題をお父さんと交わし、マリカ姉さんはミシェ姉さん家の近況を母に伝える。ケリィ姉さんは新しい帳場の工夫をカレルと語り、ジェン姉さんは静かに、でも確かな声でザーラの寝付きの良さを話す。ストラ兄さんは王都の空気を茶化しながら、王太子の近況をさらりと添える。ドルトとアニナは流れを読み、皿の減り具合と会話の切れ目でさっと補充をする。その合間、ミザーリが席を離れ、さりげなく窓の鍵と廊下の影を確認して戻ってくる。家族それぞれの役割が、音もなく噛み合っているのが気持ちいい。
最後にプリンを出した。母は匙を入れて、少し目を細める。
「これよ、これ。あなたのこの柔らかさが好き」
「ありがとう」
僕も一口。卵と乳のやさしい匂いが舌の上でほどけ、長い一日が静かに収まっていく。
「志勘定はどう?」
尋ねると、カレルは姿勢を正した。
「順調です。明滅をなくすため、掲示の刻に合わせて集計を切り替えます。保留勘定を薄くして、用途の見える線を太く。寄付主の名は出さず、しかし数の力が伝わる形に」
「よくやった」
ローランが短く言う。
「明日は王家文庫の頁を一つ借りる。掲示を置く許可が下りました」
「頼もしいわね」
マリカ姉さんが微笑む。
「仕事の話はそこまで。今は食べよう」
母が匙を掲げ、場がまた和らいだ。
食後、客間で少し休み、みんなはタウンハウスを見て回った。父は書庫の棚の高さを測るような目つきで眺め、母は客間のカーテンの縫い目を指でなぞる。ロイック兄さんは庭の通路の幅を確認し、ストラ兄さんは台所の勝手口の鍵の場所まで覚えた。ドルトはストークと執事談義をし、アニナは客用のシーツの替えの枚数を気にする。ミザーリは最後の見回りをして、僕に親指を立てた。
「問題なし」
玄関で見送る時、父が僕の肩を軽く叩いた。
「よく食べ、よく働け。……よく、帰ってこい」
「うん」
母はにっこり笑って、空の器を抱きかかえるように僕を抱いた。
「また作ってね」
「もちろん」
扉が閉まり、廊下が静かになる。台所に戻り、火を落とし、まな板を洗う。ローランは帳場で紙を二枚だけ書いている。
「『家族来訪、無事。志勘定、流路の整理を開始』」
「充分」
カレルは椅子に腰掛け、膝に置いた帳簿を指先で軽く叩いた。
「よい家ですね。数字は人を映します。今日の数字は、温かい」
「数字で温かいは名言だな」
ローランが笑う。
灯を一つずつ落としていく。最後の灯が小さく揺れて消える。胸の中に、家族の笑い声とプリンの甘さが、静かな余韻になって残った。明日もまた、動かす。けれど今夜だけは、少しだけ余韻のまま眠ろう……そう思いながら、僕は自室へ向かった。
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