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14歳の助走。
来ちゃったか。
準備七日目。カレルがまとめた支出予定と当座金の配分表に目を通しているところへ、扉が勢いよく叩かれた。貴族門詰所からの伝令だという若い兵が、額に汗をにじませて言う。
「リディア殿と、ヤルセル・ナフェルという少年がリョウエスト様をお訪ねに……その……リディア殿、かなりお強そうで、我々の兵では太刀打ちできそうにありません。門のワイバーンも怯えておりまして。お知り合いでしたら、お取り成しを……」
「あちゃー……ヤルス君、リディア、王都に来ちゃったか」
僕は席を立ち、ストークとトーマス、アールに合図する。レラサンスがすでに外套と通行札を用意していた。移動の段取りは早い。馬車で貴族門へ急ぐと、確かに空気がぴりついている。人の輪の中心、白銀の髪をした女が腕を組んで立ち、その斜め後ろで少年が緊張と興奮の混ざった顔をしていた。女はリディア。少年は従兄のヤルセル……ヤルス君だ。ワイバーン二騎が首を低くし、鼻面をそらせている。
「リディア、ここは王都。兵に脅かしかけないで」
「脅かすつもりはないのじゃ。わらわはただ立っておるだけ。そなたの城壁の蜥蜴が勝手に怯えておるのじゃ」
兵の顔が引きつる。トーマスが一歩前に出て手を上げた。
「剣は下げ。ここは主の客人だ。ワイバーンは背を向けさせて距離を取れ。目を合わせるな」
僕は門の責任者に一礼し、「僕の客だ。責任はすべてこちらで持つ」と告げてから、二人を馬車へ案内した。レラサンスが最短の裏道を選び、タウンハウスへ連れ込む。
「で、どうやって来たの」
「空じゃ」リディアは涼しい顔だ。「雲の上は風が旨い」
「父上に話して、学校を辞めました!」ヤルス君が胸を張る。「伯爵家を興されると聞いて、家来になりに来ました!」
「待て待て。学校はどうした」
「だから、辞めました」
頭が痛い。ストークが咳払いをして、柔らかく口を挟む。
「ヤルセル様。王都滞在の間だけでも、身元と身分の線を繋いでおくのが礼儀でございます。ご父君と学寮へ私から書を出します。今日はまず、従騎士見習いとしての働きを。三日の試用ののち、旅の随行を許可するか判断しましょう」
「やらせてください!」
トーマスが頷く。「剣は一旦置け。走り、荷駄、見張り、伝令。体と目を先に使ってもらう。礼法はアールに付け」
アールは微笑んで会釈した。「挨拶と立ち位置の練習からね。最初の一言で失敗しないことが、渉外の半分だ」
リディアは退屈そうに椅子の背に寄りかかり、「で、王都はわらわが歩いてもよいのか」と言う。答えは簡単ではない。王都の空は軍の管轄、地上は警邏の眼がある。僕は侍従長サイスさんに速文を送り、リディア来訪の旨と「害意なし、僕の責」と記して印を押した。返文は早かった。
『リディア殿を王妃様のもとへお連れせよ。王様も会いたいと仰る』
それを読むやいなや、リディアが身を乗り出す。「王の女か。会いたいの」
「王妃様ね。失礼のないように」
「わらわが失礼……まあよい。そなたの顔を立ててやろう」
王城に入ると、門衛の緊張は先ほどより薄い。すでに話が回っているらしい。小広間の扉が開くと、王様が直々に出迎えた。
「よく来たな、リディア」
「久しいの、ドナハルト」
二人は笑って、旧友のように手を握った。王妃様が歩み寄り、麗しい所作で会釈する。王様が紹介する。
「我が妃だ。リディア、こちらへ」
王妃様はリディアをまっすぐ見つめ、「あなたがバトエルの守り手ね」と微笑んだ。王様が嬉しそうに口を開く。
「バトエルの雫は、貴族や王族だけでなく、他国でも伝説になっておるぞ。名はもう、物語の中にある」
「ほう……わらわの酒が物語となったか。良き響きじゃ」
「酒は持ってきたか」
「もちろん」
二人はさっそく酒盃を交わし始めた。王様は一口含んで目を細め、「うむ」と満足気に頷く。それから僕に視線を戻した。
「リディアの件は、影から事情を聞いた。王都は人が多い。大事は起こすな。頼むぞ」
「心得ております。護衛線を引き、移動の折は事前に知らせます」
リディアが肩をすくめる。「わらわは子を驚かせるのは好かん。静かにしておる」
王様は話題を切り替えた。「しばらく王都にいるのか」
「準備が整い次第、異種族自治領を回ります」
「面白い者たちに会いに行くのか」とリディア。「わらわも行く」
王様は笑った。「リディアが行くなら、各伯も驚くだろうな。だが、礼は守れ。空から入るな。門から入れ。飛ぶ時は飛行隊と塔に知らせること」
「心得た」
王妃様がリディアの手を握る。「あなたがいると、場に風が通うのね。どうぞ、お静かに……でも、楽しんで」
謁見は温かく終わり、僕らは王城を辞した。タウンハウスに戻ると、すぐに評議だ。ローランはすでに状況を把握していて、冷静に分担を切る。
「ヤルセル君は三日間、トーマスの指揮下で。通学の手続きはストークが。私は各自治領へ事前文を飛ばす。『訪問の意』『話したい中身』『持参の贈答』。リディア同行の一文は、相手の心臓に悪いから最後に一行だけ」
「財務は旅用の袋を二つ追加します」とカレル。「非常時用の銀札を各隊長へ。ヤルセル君の装備は貸与にして、返却時の点検表を作る」
「渉外は私が面倒を見る」とアール。「ヤルセル君、明日の朝から挨拶の稽古。リディア様の場での立ち位置と、言葉の橋渡しの練習も」
「護衛は陽炎隊を二十。先行の斥候を四。リディア様が飛ぶ場合の合図も決める」とトーマス。「やる気の塊が一人増えたが、走りは誰よりも先にやってもらう」
レラサンスが穏やかに笑う。「邸の中は私が整えます。リディア様のお部屋は湯の近くに。香りは控えめに。ヤルセル様の寝具は固めにして、朝が起きやすいように日が入る部屋に」
ミレイユが静かに筆を持つ。「文は私が仕立てます。リディア様に関する一切は、言葉を丸く。驚かせず、嘘はつかず、知らせるべきだけ知らせます」
ヤルス君は背筋を伸ばした。「自分、やります。走ります」
リディアは頬杖をつき、「わらわは退屈しなければそれでよい」と笑う。けれど、その目の奥には、旅を楽しみにする子供のような光があった。
夜更け、書き終えた手紙に印を押し、封をする。ストークが学寮とヤルス君の家へ手紙を走らせ、サイスさんへ行動計画の写しを届ける。僕は窓を開け、王都の風を吸い込んだ。突然の来訪者はいつも騒がしい。けれど、その騒ぎが前へ押し出してくれる時もある。明日は八日目。旅の足音が、もう近い。
「リディア殿と、ヤルセル・ナフェルという少年がリョウエスト様をお訪ねに……その……リディア殿、かなりお強そうで、我々の兵では太刀打ちできそうにありません。門のワイバーンも怯えておりまして。お知り合いでしたら、お取り成しを……」
「あちゃー……ヤルス君、リディア、王都に来ちゃったか」
僕は席を立ち、ストークとトーマス、アールに合図する。レラサンスがすでに外套と通行札を用意していた。移動の段取りは早い。馬車で貴族門へ急ぐと、確かに空気がぴりついている。人の輪の中心、白銀の髪をした女が腕を組んで立ち、その斜め後ろで少年が緊張と興奮の混ざった顔をしていた。女はリディア。少年は従兄のヤルセル……ヤルス君だ。ワイバーン二騎が首を低くし、鼻面をそらせている。
「リディア、ここは王都。兵に脅かしかけないで」
「脅かすつもりはないのじゃ。わらわはただ立っておるだけ。そなたの城壁の蜥蜴が勝手に怯えておるのじゃ」
兵の顔が引きつる。トーマスが一歩前に出て手を上げた。
「剣は下げ。ここは主の客人だ。ワイバーンは背を向けさせて距離を取れ。目を合わせるな」
僕は門の責任者に一礼し、「僕の客だ。責任はすべてこちらで持つ」と告げてから、二人を馬車へ案内した。レラサンスが最短の裏道を選び、タウンハウスへ連れ込む。
「で、どうやって来たの」
「空じゃ」リディアは涼しい顔だ。「雲の上は風が旨い」
「父上に話して、学校を辞めました!」ヤルス君が胸を張る。「伯爵家を興されると聞いて、家来になりに来ました!」
「待て待て。学校はどうした」
「だから、辞めました」
頭が痛い。ストークが咳払いをして、柔らかく口を挟む。
「ヤルセル様。王都滞在の間だけでも、身元と身分の線を繋いでおくのが礼儀でございます。ご父君と学寮へ私から書を出します。今日はまず、従騎士見習いとしての働きを。三日の試用ののち、旅の随行を許可するか判断しましょう」
「やらせてください!」
トーマスが頷く。「剣は一旦置け。走り、荷駄、見張り、伝令。体と目を先に使ってもらう。礼法はアールに付け」
アールは微笑んで会釈した。「挨拶と立ち位置の練習からね。最初の一言で失敗しないことが、渉外の半分だ」
リディアは退屈そうに椅子の背に寄りかかり、「で、王都はわらわが歩いてもよいのか」と言う。答えは簡単ではない。王都の空は軍の管轄、地上は警邏の眼がある。僕は侍従長サイスさんに速文を送り、リディア来訪の旨と「害意なし、僕の責」と記して印を押した。返文は早かった。
『リディア殿を王妃様のもとへお連れせよ。王様も会いたいと仰る』
それを読むやいなや、リディアが身を乗り出す。「王の女か。会いたいの」
「王妃様ね。失礼のないように」
「わらわが失礼……まあよい。そなたの顔を立ててやろう」
王城に入ると、門衛の緊張は先ほどより薄い。すでに話が回っているらしい。小広間の扉が開くと、王様が直々に出迎えた。
「よく来たな、リディア」
「久しいの、ドナハルト」
二人は笑って、旧友のように手を握った。王妃様が歩み寄り、麗しい所作で会釈する。王様が紹介する。
「我が妃だ。リディア、こちらへ」
王妃様はリディアをまっすぐ見つめ、「あなたがバトエルの守り手ね」と微笑んだ。王様が嬉しそうに口を開く。
「バトエルの雫は、貴族や王族だけでなく、他国でも伝説になっておるぞ。名はもう、物語の中にある」
「ほう……わらわの酒が物語となったか。良き響きじゃ」
「酒は持ってきたか」
「もちろん」
二人はさっそく酒盃を交わし始めた。王様は一口含んで目を細め、「うむ」と満足気に頷く。それから僕に視線を戻した。
「リディアの件は、影から事情を聞いた。王都は人が多い。大事は起こすな。頼むぞ」
「心得ております。護衛線を引き、移動の折は事前に知らせます」
リディアが肩をすくめる。「わらわは子を驚かせるのは好かん。静かにしておる」
王様は話題を切り替えた。「しばらく王都にいるのか」
「準備が整い次第、異種族自治領を回ります」
「面白い者たちに会いに行くのか」とリディア。「わらわも行く」
王様は笑った。「リディアが行くなら、各伯も驚くだろうな。だが、礼は守れ。空から入るな。門から入れ。飛ぶ時は飛行隊と塔に知らせること」
「心得た」
王妃様がリディアの手を握る。「あなたがいると、場に風が通うのね。どうぞ、お静かに……でも、楽しんで」
謁見は温かく終わり、僕らは王城を辞した。タウンハウスに戻ると、すぐに評議だ。ローランはすでに状況を把握していて、冷静に分担を切る。
「ヤルセル君は三日間、トーマスの指揮下で。通学の手続きはストークが。私は各自治領へ事前文を飛ばす。『訪問の意』『話したい中身』『持参の贈答』。リディア同行の一文は、相手の心臓に悪いから最後に一行だけ」
「財務は旅用の袋を二つ追加します」とカレル。「非常時用の銀札を各隊長へ。ヤルセル君の装備は貸与にして、返却時の点検表を作る」
「渉外は私が面倒を見る」とアール。「ヤルセル君、明日の朝から挨拶の稽古。リディア様の場での立ち位置と、言葉の橋渡しの練習も」
「護衛は陽炎隊を二十。先行の斥候を四。リディア様が飛ぶ場合の合図も決める」とトーマス。「やる気の塊が一人増えたが、走りは誰よりも先にやってもらう」
レラサンスが穏やかに笑う。「邸の中は私が整えます。リディア様のお部屋は湯の近くに。香りは控えめに。ヤルセル様の寝具は固めにして、朝が起きやすいように日が入る部屋に」
ミレイユが静かに筆を持つ。「文は私が仕立てます。リディア様に関する一切は、言葉を丸く。驚かせず、嘘はつかず、知らせるべきだけ知らせます」
ヤルス君は背筋を伸ばした。「自分、やります。走ります」
リディアは頬杖をつき、「わらわは退屈しなければそれでよい」と笑う。けれど、その目の奥には、旅を楽しみにする子供のような光があった。
夜更け、書き終えた手紙に印を押し、封をする。ストークが学寮とヤルス君の家へ手紙を走らせ、サイスさんへ行動計画の写しを届ける。僕は窓を開け、王都の風を吸い込んだ。突然の来訪者はいつも騒がしい。けれど、その騒ぎが前へ押し出してくれる時もある。明日は八日目。旅の足音が、もう近い。
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