547 / 806
14歳の助走。
気持ちいい夜。
準備八日目の昼前、カレルの勘定表に目を通していると、机の端の速文板が震えた。エメイラからだ。
『リディアが見当たらない。あなたのところ?』
すぐに返す。
『こちらに来た。事情は王城にも伝達済み。旅に同行させる』
ほどなく返文。
『了解。彼女は頼もしいけれど、王都は刺激が多い。あなたも周りも、気をつけて』
『心得た。動線はストークが引いている。何かあればすぐ知らせる』
と書いて送ると、窓辺で尻尾を揺らしていたナビが、じっと僕を見上げて「にゃ」と細く鳴いた。完全に「置いていかないで」の目だ。
「一緒に行くよ」
そう言って抱き上げると、ナビは満足げに喉を鳴らし、ソファの背で丸くなった。そこへ今度は各伯からの速文が一斉に届く。封を切るたび、似た文句が踊る。
『龍ってマジか?』
『本当に龍? 本当に?』
僕は笑って同じ言葉で返す。『マジだ』
しばしの沈黙の後、『準備する』『歓迎の段取りを変える』『飛行の合図を教えてほしい』『子ども達に言っていい?』そんな返事が次々に戻ってきた。何を準備してくれるのだろう。ちょっとだけ胸が高鳴る。
ヤルス君は朝から走り回っている。ストークの指導で来客の導線と扉のノック、レラサンスの下で茶器と食器の扱い、アールの下で挨拶と立ち位置、トーマスの下で荷駄の括りと見張りの交代……息が上がっても、目は死なない。
「次は何をすれば!」
「深呼吸。息を整えるのも仕事のうち」
それでも昼下がりには、従者見習いとしての形が見え始めていた。やる気が歩いているような少年だ。ここまで来れば、連れていくしかない。
夕刻、リディアがふらりと部屋に顔を出した。
「うまい酒が飲みたい。王の酒も良いが、街の匂いのするやつがよい」
アインスに声をかけると、彼は二つ返事で笑った。
「いい店がありやす。青の技でお供いたしやすよ」
フィア、ツヴァイも連れて、王都でも評判という酒場へ向かう。表の提灯はまだ明るく、扉を開けると温かい湯気と焼き物の香りが胸に入った。
「いらっしゃい……って、まあ綺麗なお客さんだこと」
女将が目を丸くして笑い、広めの卓をあてがってくれる。リディアは人のざわめきと器の触れ合う音に耳を澄ませ、口角を上げた。
「王都も、悪くないの」
まずは地のエールを頼む。泡が立つ。リディアは一口含んで、目を細めた。
「穀の甘みが残る……よい出来じゃ」
焼き串、煮込み、香草の効いた焼き餃子。リディアの盃は止まらない。アインスは隣で静かに合わせ、時折、辺りの気配を目でさらう。
「リョウ様、左手奥、酔いすぎが一人。店の者がうまく出してくれやす」
「ありがと。目線は低く」
フィアは気配を消すのが上手い。ツヴァイは必要な時だけ一歩前に出る。僕らの卓は楽しげで、でも静かだ。やがて店の常連が楽師を呼び、小さな笛と弦が鳴り始めた。リディアは指先で卓をとん、と軽く叩く。
「音が良い。人が集まる音は、腹に響く音じゃな」
途中、女将が瓶を一本抱えてきた。
「お客さん、この店でいちばん強いのをね。たまにしか開けないけど」
琥珀色の液体。栓を抜いた瞬間、果実と木の香りが立ち上がる。リディくアは嬉しそうに笑い、盃に一杯注いで女将と乾杯した。
「良い店は、人が良い」
「そう言ってもらえるとねえ」
女将は目尻の皺をさらに下げ、代金のことを気にしないで楽しんでおくれ、と言って去った。カレルの顔が浮かんだので、心の中で「明細はちゃんと残します」と謝っておく。
外へ出ると、夜風が熱をさらっていく。リディアは大きく伸びをした。
「王都の夜は、星の隙間が少ないが、灯が海のようで悪くない」
ナビはリディアの肩に飛び乗り、翼を小さくたたんだ。二人はすっかり仲良しだ。
「明日も走る!」
ヤルス君が拳を握る。アインスが笑って肩を叩いた。
「まずは明日の朝一番に起きるところからでやす。寝坊は減点で」
「起きます!」
ローランは店先の灯の下で、手紙の束を整えた。
「各伯への到着予告は、朝に発つ便で。リディア同行の件は末尾に一行だけ添える。驚かせすぎないように」
「頼む」
僕は大通りを見渡した。明日もまた、やることが積み上がっている。それでも、こういう夜の呼吸があると、前に進む力が少しだけ増える。リディアは横目で僕を見て、酒臭い息で笑った。
「良い顔になったの。リョウ」
「君のおかげもある」
「ならば、明日も良いものにすればよい。わらわは隣で飲んでおる」
ナビが「にゃ」と相槌を打つ。王都の夜は賑やかで、でも僕らの歩調は落ち着いていた。旅立ちまであと少し。各伯の「準備する」が、どんな顔をして出迎えてくれるのか……その想像で、心が少し軽くなる。レラサンスが先に立ち、タウンハウスの明かりが近づいた。扉を開けると、ミレイユが静かに立っていた。
「お帰りなさい。明日の文、清書できています」
「ありがとう。いい夜だ」
「はい。いい夜です」
僕は頷き、明日の束を受け取った。灯を落とす前、窓から見える星は少なかったが、灯の海は確かに輝いていた。旅のはじまりにふさわしい夜だと思った。
『リディアが見当たらない。あなたのところ?』
すぐに返す。
『こちらに来た。事情は王城にも伝達済み。旅に同行させる』
ほどなく返文。
『了解。彼女は頼もしいけれど、王都は刺激が多い。あなたも周りも、気をつけて』
『心得た。動線はストークが引いている。何かあればすぐ知らせる』
と書いて送ると、窓辺で尻尾を揺らしていたナビが、じっと僕を見上げて「にゃ」と細く鳴いた。完全に「置いていかないで」の目だ。
「一緒に行くよ」
そう言って抱き上げると、ナビは満足げに喉を鳴らし、ソファの背で丸くなった。そこへ今度は各伯からの速文が一斉に届く。封を切るたび、似た文句が踊る。
『龍ってマジか?』
『本当に龍? 本当に?』
僕は笑って同じ言葉で返す。『マジだ』
しばしの沈黙の後、『準備する』『歓迎の段取りを変える』『飛行の合図を教えてほしい』『子ども達に言っていい?』そんな返事が次々に戻ってきた。何を準備してくれるのだろう。ちょっとだけ胸が高鳴る。
ヤルス君は朝から走り回っている。ストークの指導で来客の導線と扉のノック、レラサンスの下で茶器と食器の扱い、アールの下で挨拶と立ち位置、トーマスの下で荷駄の括りと見張りの交代……息が上がっても、目は死なない。
「次は何をすれば!」
「深呼吸。息を整えるのも仕事のうち」
それでも昼下がりには、従者見習いとしての形が見え始めていた。やる気が歩いているような少年だ。ここまで来れば、連れていくしかない。
夕刻、リディアがふらりと部屋に顔を出した。
「うまい酒が飲みたい。王の酒も良いが、街の匂いのするやつがよい」
アインスに声をかけると、彼は二つ返事で笑った。
「いい店がありやす。青の技でお供いたしやすよ」
フィア、ツヴァイも連れて、王都でも評判という酒場へ向かう。表の提灯はまだ明るく、扉を開けると温かい湯気と焼き物の香りが胸に入った。
「いらっしゃい……って、まあ綺麗なお客さんだこと」
女将が目を丸くして笑い、広めの卓をあてがってくれる。リディアは人のざわめきと器の触れ合う音に耳を澄ませ、口角を上げた。
「王都も、悪くないの」
まずは地のエールを頼む。泡が立つ。リディアは一口含んで、目を細めた。
「穀の甘みが残る……よい出来じゃ」
焼き串、煮込み、香草の効いた焼き餃子。リディアの盃は止まらない。アインスは隣で静かに合わせ、時折、辺りの気配を目でさらう。
「リョウ様、左手奥、酔いすぎが一人。店の者がうまく出してくれやす」
「ありがと。目線は低く」
フィアは気配を消すのが上手い。ツヴァイは必要な時だけ一歩前に出る。僕らの卓は楽しげで、でも静かだ。やがて店の常連が楽師を呼び、小さな笛と弦が鳴り始めた。リディアは指先で卓をとん、と軽く叩く。
「音が良い。人が集まる音は、腹に響く音じゃな」
途中、女将が瓶を一本抱えてきた。
「お客さん、この店でいちばん強いのをね。たまにしか開けないけど」
琥珀色の液体。栓を抜いた瞬間、果実と木の香りが立ち上がる。リディくアは嬉しそうに笑い、盃に一杯注いで女将と乾杯した。
「良い店は、人が良い」
「そう言ってもらえるとねえ」
女将は目尻の皺をさらに下げ、代金のことを気にしないで楽しんでおくれ、と言って去った。カレルの顔が浮かんだので、心の中で「明細はちゃんと残します」と謝っておく。
外へ出ると、夜風が熱をさらっていく。リディアは大きく伸びをした。
「王都の夜は、星の隙間が少ないが、灯が海のようで悪くない」
ナビはリディアの肩に飛び乗り、翼を小さくたたんだ。二人はすっかり仲良しだ。
「明日も走る!」
ヤルス君が拳を握る。アインスが笑って肩を叩いた。
「まずは明日の朝一番に起きるところからでやす。寝坊は減点で」
「起きます!」
ローランは店先の灯の下で、手紙の束を整えた。
「各伯への到着予告は、朝に発つ便で。リディア同行の件は末尾に一行だけ添える。驚かせすぎないように」
「頼む」
僕は大通りを見渡した。明日もまた、やることが積み上がっている。それでも、こういう夜の呼吸があると、前に進む力が少しだけ増える。リディアは横目で僕を見て、酒臭い息で笑った。
「良い顔になったの。リョウ」
「君のおかげもある」
「ならば、明日も良いものにすればよい。わらわは隣で飲んでおる」
ナビが「にゃ」と相槌を打つ。王都の夜は賑やかで、でも僕らの歩調は落ち着いていた。旅立ちまであと少し。各伯の「準備する」が、どんな顔をして出迎えてくれるのか……その想像で、心が少し軽くなる。レラサンスが先に立ち、タウンハウスの明かりが近づいた。扉を開けると、ミレイユが静かに立っていた。
「お帰りなさい。明日の文、清書できています」
「ありがとう。いい夜だ」
「はい。いい夜です」
僕は頷き、明日の束を受け取った。灯を落とす前、窓から見える星は少なかったが、灯の海は確かに輝いていた。旅のはじまりにふさわしい夜だと思った。
あなたにおすすめの小説
異世界転生したので、文明レベルを21世紀まで引き上げてみた ~前世の膨大な知識を元手に、貧乏貴族から世界を変える“近代化の父”になります~
夏見ナイ
ファンタジー
過労死したプラントエンジニアの俺が転生したのは、剣と魔法の世界のド貧乏な貴族の三男、リオ。石鹸すらない不衛生な環境、飢える家族と領民……。こんな絶望的な状況、やってられるか! 前世の知識を総動員し、俺は快適な生活とスローライフを目指して領地改革を開始する!
農業革命で食料問題を解決し、衛生革命で疫病を撲滅。石鹸、ガラス、醤油もどきで次々と生活レベルを向上させると、寂れた領地はみるみる豊かになっていった。
逃げてきた伯爵令嬢や森のエルフ、ワケありの元騎士など、頼れる仲間も集まり、順風満帆かと思いきや……その成功が、強欲な隣領や王都の貴族たちの目に留まってしまう。
これは、ただ快適に暮らしたかっただけの男が、やがて“近代化の父”と呼ばれるようになるまでの物語。
最強魔法は生活魔法!? ~異世界ではモンスター退治も生活のうち~
gagaga
ファンタジー
神の気まぐれにより異世界へと転移した主人公田辺竜太(大学生)が生活魔法を駆使して冒険したり町の人と触れ合ったりする物語です。
なお、神が気まぐれすぎて一番最初に降り立つ地は、無人島です。
一人称視点、独り言多め、能天気となっております。
なお、作者が気ままに書くので誤字脱字は多いかもしれませんが、大目に見て頂けるとありがたいです。
ただ、敢えてそうしている部分もあり、ややこしくてすいません。(^^;A
ご指摘あればどんどん仰ってください。
※2017/8/29 連載再開しました!
出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜
シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。
起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。
その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。
絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。
役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。
神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします
夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。
アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。
いわゆる"神々の愛し子"というもの。
神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。
そういうことだ。
そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。
簡単でしょう?
えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか??
−−−−−−
新連載始まりました。
私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。
会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。
余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。
会話がわからない!となるよりは・・
試みですね。
誤字・脱字・文章修正 随時行います。
短編タグが長編に変更になることがございます。
*タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。
ひだまりのFランク冒険者
みなと劉
ファンタジー
ここは異世界。
そこの冒険者ギルドでは毎日仕事がてんこ盛り。
そんな中
冒険者ギルドには万年Fランクの冒険者が一人いる。
その名は、リルド。
彼は、特に何もない感じに毎日
「薬草採取」「石集め」Fランク向け「討伐」場合によっては「ポーション生成」をする。
この話はこの万年Fランク冒険者リルドの物語である。
家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜
奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。
パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
【完結】うさぎ転生 〜女子高生の私、交通事故で死んだと思ったら、気づけば現代ダンジョンの最弱モンスターに!?最強目指して生き延びる〜
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
女子高生の篠崎カレンは、交通事故に遭って命を落とした……はずが、目覚めるとそこはモンスターあふれる現代ダンジョン。しかも身体はウサギになっていた!
HPはわずか5、攻撃力もゼロに等しい「最弱モンスター」扱いの白うさぎ。それでもスライムやコボルトにおびえながら、なんとか生き延びる日々。唯一の救いは、ダンジョン特有の“スキル”を磨けば強くなれるということ。
跳躍蹴りでスライムを倒し、小動物の悲鳴でコボルトを怯ませ、少しずつ経験値を積んでいくうちに、カレンは手応えを感じ始める。
「このままじゃ終わらない。私、もっと強くなっていつか……」
最弱からの“首刈りウサギ”進化を目指して、ウサギの身体で奮闘するカレン。彼女はこの危険だらけのダンジョンで、生き延びるだけでなく“人間へ戻る術(すべ)”を探し当てられるのか? それとも新たなモンスターとしての道を歩むのか?最弱うさぎの成り上がりサバイバルが、いま幕を開ける!
[完]異世界銭湯
三園 七詩
ファンタジー
下町で昔ながらの薪で沸かす銭湯を経営する一家が住んでいた。
しかし近くにスーパー銭湯が出来てから客足が激減…このままでは店を畳むしかない、そう思っていた。
暗い気持ちで目覚め、いつもの習慣のように準備をしようと外に出ると…そこは見慣れた下町ではなく見たことも無い場所に銭湯は建っていた…