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14歳の助走。
エルフの森での夕餉。
森の空がいっそう深くなったところで、道がふっと開けた。白樺の列に挟まれた木の門標、その手前に緑衣の門番が二人。アールが馬車の扉を押し開け、軽やかに地へ降りる。胸に手を当て、一歩進んで声を張った。
「コリント王国名誉伯爵、リョウエスト・バァン・スサン様ご一行。エルフ伯閣下への御礼と御挨拶のため参上仕った。旅の道ゆえ粗相あらばご容赦を。随行は家宰補佐ローラン、執事ストーク、渉外見習いアール、自警団長トーマス、経理カレル、書記ミレイユ。さらに客人としてリディア殿と、翼猫ナビがある」
控えの呼吸も姿勢も、ここ数日の稽古がそのまま出ている。門番は互いに目を見合わせ、すぐ恭しく頭を垂れた。
「遠路ようこそ。ご案内いたします。先触れを立てますので、どうぞこのままお進みください」
馬車が門を抜ける時、リディアが窓越しににやりとした。
「ここを通るのは二度目よ。前は交流の宴での。おお……あの木、見たことがあるぞ」
「道標の楡だね」と僕。「変わらないものがあるのは、安心する」
森の道は柔らかい苔と杉の香り。途中、アールがもう一度扉を開け、今度は先触れとして駆け出した。リディアが首を傾げる。
「あれは何をしておる」
「到着前に館へ知らせに行くんだ。こちらの人数と目的を先に伝えて、受け入れの準備をしてもらう。礼でもあり、実務でもある」
「面倒なものじゃな」
「面倒を先に片付けると、あとが気持ち良いんだよ」
林がふと切れ、木肌のまま組んだ高い柵と、白い石の館が見える。庭先に人影が集まり、見覚えのある顔が手を振ってくる。以前の交流で言葉を交わした若い従者だ。僕も笑って手を上げる。玄関前で馬車が止まり、まず僕が降りた。正面に、銀髪のエルフ伯が現れる。端正な顔に柔らかな皺が寄り、固い握手を交わす。
「よくぞ来られた、リョウエスト」
「お招き、感謝いたします」
その背で軽やかな靴音。リディアがふわりと降り立つや、伯はすっと片膝をついた。
「ようこそ、お越しくださいました」
「わらわはそんな偉いものではない。礼は不要じゃ。立て」
リディアが軽く指を振ると、伯は苦笑しつつ立ち上がる。強張っていた空気がほどけ、彼女がにっこり笑った。
「それより美味いものを頼むぞ」
伯の頬にも、ようやく同じ笑みが浮かぶ。
「もちろん。森の恵みで、おもてなししましょう」
まずはお土産の手渡しだ。ストークが箱を掲げ、僕が蓋を開く。銀の封が光り、木箱の中に並んだ瓶と包み。僕からは森でも役立つ保存食と小さな発熱器、そして王都で評判と聞いた菓子を。リディアは胸を張って一歩進む。
「これはわらわがブレンドした酒じゃ。香りは深く、後口は軽い」
伯は目を細め、両手でそれを受け取った。
「ありがたい。今宵、皆で味わいましょう」
館に入ると、床の木目がぬくもりを返す。高い天井から吊るされた草木の飾りが乾いた香りを落とし、細い弦の音が遠くで鳴った。ナビは肩からするりと降り、飾りに手を伸ばしかけてレラサンスにそっと止められる。ミレイユが目で「後でね」と合図し、ナビは素直に丸くなった。
応接の間でひと息いれる。ローランは短く周囲を見て、座の配置にわずかに手を添える。トーマスは護衛の立ち位置を森側にずらし、窓外の巡回路に目を配った。アールは先触れの詰所から戻ってきて、小声で報告を落とす。
「客間は北棟、今宵はささやかな宴だそうです。厨房は狩りの茸と川魚、胡桃のパン、森の蜂蜜のデザート。あと、リディア様のお酒は食後に」
「完璧」と僕が言うと、リディアは満面の笑み。
「よいぞ。森の酒に森の肴。そなたの国、わかっておる」
やがて、エルフ伯の家令がやってきて、客室へ案内してくれる。部屋は簡素で美しい。窓辺の椅子は削り跡が残り、手で撫でたくなる肌理。荷を解く間も、リディアは肩のナビを撫でながら窓外を眺め、ぽつりとこぼす。
「静けさが腹に落ちるの」
「長居はしないけど、ここでの一夜は覚えておこう」
夕刻、薄青の光が沈む頃、館の一隅で宴が始まった。卓には、苔のように柔らかな前菜のサラダ、香ばしく炙った川魚、茸と木の実を練り込んだ小さな団子、胡桃のパン。酒は草の香りの薄い白と、少し重い赤。伯は最初の盃を持ち上げ、穏やかに告げる。
「遠い道、お疲れであった。惻隠は森の礼、歓待は森の務め。ささやかだが、くつろぎてほしい」
「ありがたく」
口に入れるたびに、森の匂いがする。リディアは目を細め、川魚にひと匙の蜂蜜を垂らしてから頷いた。
「この甘みは良い。過ぎぬ」
伯が笑う。「森の蜂の仕事です。手を出すのは少しだけ」
アールは隣の執事と穏やかに言葉を交わし、礼と雑談の間合いを学んでいる。カレルは盃を軽く当て、蔵の話を聞き出し、ミレイユは耳で流れを捉えながら必要な固有名を掌の紙片にそっと写す。トーマスは飲み過ぎる者が出ないよう卓の端を見張り、ストークは適切な頃合いで席を移って伯の旧知と近況を交換する。ローランは僕の隣で、ひとつだけ短くつぶやいた。
「良い場ですね」
「うん。耳が広い場は、話が育つ」
食後、伯が合図をすると、従者が丁寧に一本の瓶を運び込んだ。リディアの酒だ。栓を抜くと、甘い樽香と果実の気配が静かに広がる。盃に少しずつ注ぎ、伯が鼻先で香りを確かめてから口に含んだ。瞼がひとつ、長く閉じる。
「……見事」
「だろう」とリディアは得意満面。「わらわの自慢じゃ」
「明日の朝、森の古木に少しだけ供えましょう。良いものは、分けると長持ちする」
「それは良い考えじゃ。わらわも行く」
宴の終わり際、伯は僕の方を向いた。
「明日、森の学房を見ていかれますか。若い者が学ぶ場だ。異種族の子も少しずつ増えている」
「ぜひ。話したいことが、まさにそこにあります」
伯は頷き、静かに笑む。
「では、森の朝の冷たさに驚かぬよう、今夜はよく休まれよ」
席を立つと、ナビが伸びをして僕の肩へ。廊下の灯は低く、木の匂いが濃くなる。背後で、弦の音がふっと途切れた。扉を閉める前、リディアが小さく言う。
「美味かった。わらわはご機嫌じゃ」
「それが一番」
「うむ。明日は更に面白くなると良い」
「なるよ。僕がそうする」
外はもう夜の色。森の闇は怖くない。静けさの層が厚いだけだ。ベッドの上でナビが丸くなり、窓の隙間から冷たい風がひと筋入ってくる。長い旅の最初の一泊は、森に包まれたまま、静かに深まっていった。
「コリント王国名誉伯爵、リョウエスト・バァン・スサン様ご一行。エルフ伯閣下への御礼と御挨拶のため参上仕った。旅の道ゆえ粗相あらばご容赦を。随行は家宰補佐ローラン、執事ストーク、渉外見習いアール、自警団長トーマス、経理カレル、書記ミレイユ。さらに客人としてリディア殿と、翼猫ナビがある」
控えの呼吸も姿勢も、ここ数日の稽古がそのまま出ている。門番は互いに目を見合わせ、すぐ恭しく頭を垂れた。
「遠路ようこそ。ご案内いたします。先触れを立てますので、どうぞこのままお進みください」
馬車が門を抜ける時、リディアが窓越しににやりとした。
「ここを通るのは二度目よ。前は交流の宴での。おお……あの木、見たことがあるぞ」
「道標の楡だね」と僕。「変わらないものがあるのは、安心する」
森の道は柔らかい苔と杉の香り。途中、アールがもう一度扉を開け、今度は先触れとして駆け出した。リディアが首を傾げる。
「あれは何をしておる」
「到着前に館へ知らせに行くんだ。こちらの人数と目的を先に伝えて、受け入れの準備をしてもらう。礼でもあり、実務でもある」
「面倒なものじゃな」
「面倒を先に片付けると、あとが気持ち良いんだよ」
林がふと切れ、木肌のまま組んだ高い柵と、白い石の館が見える。庭先に人影が集まり、見覚えのある顔が手を振ってくる。以前の交流で言葉を交わした若い従者だ。僕も笑って手を上げる。玄関前で馬車が止まり、まず僕が降りた。正面に、銀髪のエルフ伯が現れる。端正な顔に柔らかな皺が寄り、固い握手を交わす。
「よくぞ来られた、リョウエスト」
「お招き、感謝いたします」
その背で軽やかな靴音。リディアがふわりと降り立つや、伯はすっと片膝をついた。
「ようこそ、お越しくださいました」
「わらわはそんな偉いものではない。礼は不要じゃ。立て」
リディアが軽く指を振ると、伯は苦笑しつつ立ち上がる。強張っていた空気がほどけ、彼女がにっこり笑った。
「それより美味いものを頼むぞ」
伯の頬にも、ようやく同じ笑みが浮かぶ。
「もちろん。森の恵みで、おもてなししましょう」
まずはお土産の手渡しだ。ストークが箱を掲げ、僕が蓋を開く。銀の封が光り、木箱の中に並んだ瓶と包み。僕からは森でも役立つ保存食と小さな発熱器、そして王都で評判と聞いた菓子を。リディアは胸を張って一歩進む。
「これはわらわがブレンドした酒じゃ。香りは深く、後口は軽い」
伯は目を細め、両手でそれを受け取った。
「ありがたい。今宵、皆で味わいましょう」
館に入ると、床の木目がぬくもりを返す。高い天井から吊るされた草木の飾りが乾いた香りを落とし、細い弦の音が遠くで鳴った。ナビは肩からするりと降り、飾りに手を伸ばしかけてレラサンスにそっと止められる。ミレイユが目で「後でね」と合図し、ナビは素直に丸くなった。
応接の間でひと息いれる。ローランは短く周囲を見て、座の配置にわずかに手を添える。トーマスは護衛の立ち位置を森側にずらし、窓外の巡回路に目を配った。アールは先触れの詰所から戻ってきて、小声で報告を落とす。
「客間は北棟、今宵はささやかな宴だそうです。厨房は狩りの茸と川魚、胡桃のパン、森の蜂蜜のデザート。あと、リディア様のお酒は食後に」
「完璧」と僕が言うと、リディアは満面の笑み。
「よいぞ。森の酒に森の肴。そなたの国、わかっておる」
やがて、エルフ伯の家令がやってきて、客室へ案内してくれる。部屋は簡素で美しい。窓辺の椅子は削り跡が残り、手で撫でたくなる肌理。荷を解く間も、リディアは肩のナビを撫でながら窓外を眺め、ぽつりとこぼす。
「静けさが腹に落ちるの」
「長居はしないけど、ここでの一夜は覚えておこう」
夕刻、薄青の光が沈む頃、館の一隅で宴が始まった。卓には、苔のように柔らかな前菜のサラダ、香ばしく炙った川魚、茸と木の実を練り込んだ小さな団子、胡桃のパン。酒は草の香りの薄い白と、少し重い赤。伯は最初の盃を持ち上げ、穏やかに告げる。
「遠い道、お疲れであった。惻隠は森の礼、歓待は森の務め。ささやかだが、くつろぎてほしい」
「ありがたく」
口に入れるたびに、森の匂いがする。リディアは目を細め、川魚にひと匙の蜂蜜を垂らしてから頷いた。
「この甘みは良い。過ぎぬ」
伯が笑う。「森の蜂の仕事です。手を出すのは少しだけ」
アールは隣の執事と穏やかに言葉を交わし、礼と雑談の間合いを学んでいる。カレルは盃を軽く当て、蔵の話を聞き出し、ミレイユは耳で流れを捉えながら必要な固有名を掌の紙片にそっと写す。トーマスは飲み過ぎる者が出ないよう卓の端を見張り、ストークは適切な頃合いで席を移って伯の旧知と近況を交換する。ローランは僕の隣で、ひとつだけ短くつぶやいた。
「良い場ですね」
「うん。耳が広い場は、話が育つ」
食後、伯が合図をすると、従者が丁寧に一本の瓶を運び込んだ。リディアの酒だ。栓を抜くと、甘い樽香と果実の気配が静かに広がる。盃に少しずつ注ぎ、伯が鼻先で香りを確かめてから口に含んだ。瞼がひとつ、長く閉じる。
「……見事」
「だろう」とリディアは得意満面。「わらわの自慢じゃ」
「明日の朝、森の古木に少しだけ供えましょう。良いものは、分けると長持ちする」
「それは良い考えじゃ。わらわも行く」
宴の終わり際、伯は僕の方を向いた。
「明日、森の学房を見ていかれますか。若い者が学ぶ場だ。異種族の子も少しずつ増えている」
「ぜひ。話したいことが、まさにそこにあります」
伯は頷き、静かに笑む。
「では、森の朝の冷たさに驚かぬよう、今夜はよく休まれよ」
席を立つと、ナビが伸びをして僕の肩へ。廊下の灯は低く、木の匂いが濃くなる。背後で、弦の音がふっと途切れた。扉を閉める前、リディアが小さく言う。
「美味かった。わらわはご機嫌じゃ」
「それが一番」
「うむ。明日は更に面白くなると良い」
「なるよ。僕がそうする」
外はもう夜の色。森の闇は怖くない。静けさの層が厚いだけだ。ベッドの上でナビが丸くなり、窓の隙間から冷たい風がひと筋入ってくる。長い旅の最初の一泊は、森に包まれたまま、静かに深まっていった。
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