僕の異世界攻略〜神の修行でブラッシュアップ〜

リョウ

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14歳の助走。

森の歌。

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 朝の学房の広場に、子ども達が集まってきた。露の乾ききらない土の匂い、木製の鐘を叩く軽い音。エルフの子、小人の子、獣人の子、水竜人の子、火の民の子……背丈も耳の形も歩幅も違う。最初の列はそわそわ、最後尾は物見高さが勝っている。先生達が目で僕に合図を送る。僕は頷いて一歩前に出た。

「今日は歌を一つ。それから体をちょっと動かす」
 ざわり、と小さな波が走る。僕は両手を肩の高さに上げ、息を吸って短く吐いた。
「まず声を出すための準備。ふーっと、この葉っぱを動かすみたいに」
 掌の上で指をひらひらさせると、子ども達が真似をする。火の民の少年が真剣に頬を膨らませて吹き、獣人の少女がくすっと笑った。笑いが移る。緊張の膜が薄くなる。

「歌はとても簡単。森の挨拶の言葉を、三つだけ。ぼくが歌うから、同じように返してみてね」
 僕は低く短く、枝の間をすり抜けるような旋律で一節。返しは高く明るく。最初はぽつぽつ、耳で探りながらの返事。次の節を少し長くすると、エルフの少年の声が先に乗り、後を追うように小人の高い声が重なった。
「いいね。今度は二つつづけて」
 輪唱に近い形にすると、水竜人の少女が拍子を取り、獣人の子らが低いハミングで下を支える。火の民の少年が声を張りすぎるので、僕は親指を立ててから少し下げる仕草をしてみせる。少年は照れて頷いた。

 ローランは木陰で静かに見守り、ストークは列の端で先生達と目を合わせてタイミングを伝える。アールは一人、最後尾の小人の子の耳元で「ここで入るよ」と優しく囁き、ミレイユは言葉を口の中で転がして、音の運びだけを短く紙片に記した。トーマスは門の方を向いたまま、子ども達の輪郭が乱れたらすぐ立て直せる位置に立っている。リディアは古木の根に腰を下ろし、肩のナビを撫でながら目を細めた。ナビは時々、低くきれいに鳴いて合いの手を入れる。

「じゃあ、最後はみんなで一つにしよう」
 僕は最初の響きを少しだけ深くした。子ども達の目がぴんと揃う。最初の声の帯が広場を横切り、すぐに二つ目、三つ目が重なる。高さの違う木々が、同じ風に鳴る時のように、音が寄り添っていく。息を吸う場所がそろい、消え際が揃い、最後の音が空にほどけるまでの一瞬、誰も動かなかった。次の瞬間、わあっと笑い声が弾ける。肩を叩き合う子、隣に向かって親指を立てる子、照れて足先でもじもじする子。先生達が僕の方を見て、深々と頭を下げた。僕は小さく首を振って、先生の方へ手のひらを向ける。
「次は先生。同じように、でも先生のやり方で」
 先生達は短く打ち合わせをして、すぐ始めた。声を集める呼びかけ、間の取り方、合図。さっきより柔らかい。いい風だ。エルフ伯と目が合い、互いに目だけで笑う。

 歌の後は体を動かす。僕は半円に並ばせ、左右の肩を回し、背中を伸ばし、膝を曲げる。エルフの子らは可動域が広い。獣人の子はバランスが良い。小人の子は動きが速い。水竜人の子は呼吸の持久が長い。火の民の子は勢いがありすぎるので、力の出し方を少しずつ調整してやる。
「手を広げて木の枝。枝に鳥が止まるよ……ほら、落とさないように」
 落としたふりをすると笑いが起き、拾い上げる時の膝の曲げが自然になる。
「今度は風。自分で自分に風を送る」
 深呼吸の形に誘導すると、さっきの歌の呼吸ときれいにつながった。最後はもう一度だけ短い歌。今度は先生が導き、僕は後ろで輪の外を一周して、子ども達の顔を一人ずつ確かめる。楽しそうだ。緊張が、もう残っていない。

 終わりの挨拶をすると、みんなが一斉にぺこりと頭を下げた。僕は深く礼を返し、先生達にだけ見えるように大きく頷く。先生達の頬に、安堵と手応えが同時に灯っている。ローランが小声で「合同、いけます」と囁いた。
「ありがとう。次は歌と言葉の交換だね」
「森言葉の短い詩を、紙にしよう」とミレイユが続け、カレルは「紙と墨の当座の手配は私が」と控えめに言った。ストークは「八日後にもう一度」とだけ短く言い、トーマスは門へ視線を投げたまま顎をわずかに引いた。合図は揃っている。

 昼下がり、別れの刻が来た。荷を積み、馬車の前で最後の握手を交わす。エルフ伯が「少し待て」と手を上げ、館の中へ姿を消した。入れ替わるように、白や緑の衣をまとった人々が広場に広がっていく。老いも若きも、女も男も、子も先生も。二列、三列、さらに後ろへ。ざわめきが静かに引いていく。

 最初の音は一本の細い糸のようだった。すぐに二本、三本と増え、低い根のような声が足元から立ち上がる。森の歌。古い旋律に新しい声が混ざり、枝ぶりの違う木々が同じ光を受けるみたいに、音が広がっては返ってくる。途中、子どもの高い声がひときわまっすぐに伸び、次の瞬間、年長の低音がやわらかく包んだ。鳥が鳴き、どこか遠くで水の落ちる気配がした気がした。現実の音ではない、歌が呼び起こす森の記憶。

 リディアは目を細め、胸に手を当てて黙って聴いた。ナビは僕の肩でじっとして、最後の和音がほどけるまで一度も鳴かなかった。アールの喉が上下し、ミレイユは紙を出しかけて、そっと仕舞った。書くより、今は刻むべきだと判断したのだろう。ローランはただ小さく頷き、ストークは目を閉じて一瞬だけ深く息をした。トーマスは姿勢を変えず、しかし瞳の奥が柔らかかった。

 歌が終わると、森の空気が一度だけ深く息をしたように感じた。僕は胸の前で両手を重ね、深く礼をした。
「ありがとう。忘れません」
 エルフ伯が前に出て、静かに言う。
「また来い。次は、合同の朝に」
「約束します」
 僕が答えると、伯は微笑み、最後にリディアへ目を向けた。
「あなたの酒は、古木の根に少し残しました。森は喜びました」
「よい供えじゃ。次は別の香りを持ってくる」
「楽しみにしている」

 御者台にアレクとボルクが上がり、陽炎隊が列を整える。僕は最後にもう一度、広場の人々へ手を上げた。老いたエルフが胸の前で指を重ね、子どもがそれを真似る。馬車がゆっくり動き出す。車輪が苔を踏み、白樺の間を抜ける。振り返ると、歌い手たちはまだそこに立っていた。別れの手振りは大きくないのに、いつまでも見える気がした。

 森の外れに差しかかると、リディアがぽつりと言う。
「良い朝であったの」
「うん。良い朝だった」
「次の地でも、こうであれば良い」
「僕がそうする。みんながそうしてくれる」
 ナビが小さく鳴き、馬車の内に静かな余韻が満ちた。エルフ領の緑が遠ざかる。前方には次の道が伸びている。僕は胸の内で一つ印を押し、窓の外の光に軽く会釈した。森の歌は、まだ耳の奥で小さく続いていた。
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