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14歳の助走。
鉄の街へ。
ドワーフ自治領の石門が見えはじめると、鉄鎧の列が地平の端までずらりと伸びていた。迎えの兵だ……毎度やりすぎである。槍の穂先が朝日にぎらりと光り、鼓手が低く合図を打つ。リディアは肩で笑い、僕の肘を小突いた。
「うむ、これよ。ドワーフはこうでなければの」
「ほんと、期待を裏切らないね」
陽炎隊の先頭が軽く礼をとると、兵列が二つに割れて道が開いた。鉄の街へ入ると、音が増える。槌、ふいご、鉄車輪、遠くの炉の息……空気の温度が一段上がった。
広間の前で待ち構えていたのは、もちろんグラドだった。腕を広げ、喉の底から響く声が石壁を震わせる。
「よく来た、バァン。歓迎するぞ!」
厚い腕に抱き込まれて、背骨がきしむくらいの抱擁を交わす。僕が笑って肩を叩き返すと、グラドはもう片方の眉を上げてリディアを見た。
「おお……そなたがリディア殿か?」
「そうじゃ。わらわは酒を携えし女ぞ」
「ははは、よい。待っておった。さあ、早く館へ」
中に入ると、長卓の上にびっしりと並んだ物が目に飛び込んできた。装飾の施されたスキットル、渋い艶の革巻きボトル、口縁に細工がある酒器。どれも刃の冴えと指の温もりが同居している。
「まずは見てくれ。わしらの心意気だ」とグラド。
リディアは一つひとつ手に取り、重みを確かめ、金具の回りを爪で弾く。やがてスキットルを胸の高さに掲げ、小さく頷いた。
「良い仕事じゃ。線が乱れず、留めも生きておる」
列の端にいた職人が、その場に膝をつき、ぶっきらぼうに顔を拭った。涙だ。グラドが肩で笑う。
「作ったのはこやつよ。褒められるとすぐ泣く」
「泣いてよい。名は残らずとも、手は残る」
そう言ってリディアは並んだ器を一度見渡し、ひとまとめにして僕の方を見た。「使わせてもらう」
「どうぞ」と僕。彼女は満足げに頷くと、全部を収納にすっとしまい込んだ。どよめきと笑い。
土産の番になり、ストークが箱を開ける。僕からは新型の小型バーナーと、瓶底に刻む共通刻印の試作片、ステンレス配合の記録小冊子を。グラドが指で撫で、口角を上げる。
「底印はこれで統一だな。嘘の量を詰める商人には握り拳で語ろう」
「お願いします」
リディアは胸を張り、自ら木箱を掲げた。
「これはわらわのブレンドじゃ。ドワーフは舌が厳しいからの、甘やかす気はない。だが、傑作ぞ。味わえ」
「よし、味わおう」とグラド。目が子どもみたいに光っている。
そのまま流れるように宴の支度へ。広間の壁際にはエールの大樽がいくつも、奥には透明な蒸留酒の入った太い瓶。鉄鍋では肉と芋の煮込みがぐつぐつ揺れ、厚い鉄板の上では塩を打った肉が弾ける。黒パンは香りが深く、チーズは燻煙の縁がほのかに赤い。玉葱と茸の鉄鍋、塩釜を割った魚、麦を詰めた腸詰め。どれも豪放なのに雑ではない。
「さあ、座れ、食え、飲め!」とグラドが手を打つ。杯が配られ、鉄の縁が次々に鳴った。
最初の盃はリディアの酒で。栓を抜くと、熟れた果実と樽の香りが一度に立ち上がる。グラドがぐいと傾けて、驚いたように笑った。
「おお……深い。だが重すぎん。炉の熱に合う」
「うむ。そう調えた」
次いでエール。泡をこぼさぬよう注ぐと、リディアは喉をしならせ、杯を空にして満足げに息をついた。
「これはこれで良い。喉が笑う」
長卓の向こうで、アールが目を丸くしている。香りと音と湯気に完全に包まれてしまって、どこから手を付けてよいか迷っている様子だ。ローランが横合いから肘でつつき、耳打ちする。
「まずは塩の薄い皿から。緩やかに、重ねて」
「は、はい」
アールは素直だ。小さく切った炙り肉を口に入れ、次の瞬間、顔がぱっと明るくなる。ミレイユは香草の刻み方を目で追い、紙片にひとことだけ書く。トーマスは盃を一つで止め、水差しの位置をさりげなくずらした。
ひとしきり胃袋が落ち着くと、職人たちが入れ替わり立ち替わり話しかけてくる。新しい管の径、刻印の深さ、瓶の肩の角度、バーナーの火口の交換法。僕が図を描けば、向こうは先に現物の板を持ってくる。好きだなあ、この速度。ローランは対面の管材親方と利ざやの話へすっと入っていき、カレルが気づかれないように席を回って概算の数字を拾っている。グラドは僕の肩をがしがし叩いた。
「バァン、成人後に伯爵家を興すと聞いた。めでたい。職人を五十人、いつでも回す。鉄骨も、鍛冶も、紙も、選べ」
「助かる。長く働ける家を作るよ。君の名も紙に残る」
「名はいらん。仕事が残ればよい」
彼はそう言って盃を仰ぎ、ふっと目を細めた。「……しかし、紙に名が要る若いのもおる。そいつらには名を書いてやってくれ」
「約束する」
宴の合間、ちょっとした余興が始まった。腕相撲である。周りがわっと盛り上がり、アールが半ば引きずられるように卓の端へ。相手は肩幅二人分の若い鍛冶。アールは苦笑して僕の方を見る。僕は両手で丸を作って肩を回す仕草。やるなら怪我なく、と目で伝える。合図、腕が組まれ、ぎし、と卓が鳴る。最初は拮抗、わずかに押されるが、アールが呼吸を整えてじりじり戻し、最後はするりと相手の力を外して勝ちを拾った。歓声。相手の鍛冶が豪快に笑って手を差し出し、アールも笑って握る。ローランが遠目に頷いた。渉外の顔は、こういうところで育つ。
リディアはというと、酒器談義の真っ只中だった。栓に使ったゴムの硬さ、口の反り返り、革の縫い目の返し……細部が面白いらしい。例のスキットル職人はまだ目が赤いが、話を重ねるほどに背筋が伸びていく。
「わらわは旅をする。軽く、強く、手入れが利く物が好きじゃ。そなたの手は、旅の手じゃ」
「は、はい……」
「胸を張れ。酒がより旨くなる」
職人の喉がごくりと鳴った。
夜が深まるほど、歌が増えていった。槌の拍子の古歌、炉を讃える歌、子守歌まで飛び出す。エルフの歌が水だとしたら、ドワーフの歌は火と土だ。厚く、重く、なのに温かい。ナビはいつのまにか僕の膝で丸くなり、時々尻尾だけが楽譜のように動いた。
やがて、杯の音が緩やかになっていく。最後の皿に炭火で炙った乾き物が出て、グラドが立ち上がった。
「今日はここまでだ。バァン、リディア殿、よく飲み、よく食ったな」
「満足じゃ」とリディア。「明日、炉も見せてくれ」
「もちろんじゃ。朝一番の息は格別だぞ」
退出の途上、控えの間でグラドが僕に耳打ちする。
「……道中、河賊の話を聞いた。お前が手を打ったのも知っておる。鉄の連中も、運河ギルドの規格にならう。車軸、枠、錠。治まれば商いは流れる」
「心強い。ありがとう」
「礼は酒で返せ」
「約束する」
客室に戻る頃には、指先まで熱が残っていた。窓を少し開けると、夜の鉄の匂いが細く入り込んでくる。ナビを枕の上に移し、灯を落とす。隣室でリディアが布団にもぐる気配がして、小さく笑った。
「良き夜じゃ。腹も心も満ちた」
「よかった。明日は炉と工房、それから会談」
「うむ。働く者の朝を見ようぞ」
目を閉じる。耳の底で、まだ歌の低い和音が続いていた。火の国の歌だ。鉄の街の夜は、炉の呼吸とともに、深くゆっくりと流れていった。
「うむ、これよ。ドワーフはこうでなければの」
「ほんと、期待を裏切らないね」
陽炎隊の先頭が軽く礼をとると、兵列が二つに割れて道が開いた。鉄の街へ入ると、音が増える。槌、ふいご、鉄車輪、遠くの炉の息……空気の温度が一段上がった。
広間の前で待ち構えていたのは、もちろんグラドだった。腕を広げ、喉の底から響く声が石壁を震わせる。
「よく来た、バァン。歓迎するぞ!」
厚い腕に抱き込まれて、背骨がきしむくらいの抱擁を交わす。僕が笑って肩を叩き返すと、グラドはもう片方の眉を上げてリディアを見た。
「おお……そなたがリディア殿か?」
「そうじゃ。わらわは酒を携えし女ぞ」
「ははは、よい。待っておった。さあ、早く館へ」
中に入ると、長卓の上にびっしりと並んだ物が目に飛び込んできた。装飾の施されたスキットル、渋い艶の革巻きボトル、口縁に細工がある酒器。どれも刃の冴えと指の温もりが同居している。
「まずは見てくれ。わしらの心意気だ」とグラド。
リディアは一つひとつ手に取り、重みを確かめ、金具の回りを爪で弾く。やがてスキットルを胸の高さに掲げ、小さく頷いた。
「良い仕事じゃ。線が乱れず、留めも生きておる」
列の端にいた職人が、その場に膝をつき、ぶっきらぼうに顔を拭った。涙だ。グラドが肩で笑う。
「作ったのはこやつよ。褒められるとすぐ泣く」
「泣いてよい。名は残らずとも、手は残る」
そう言ってリディアは並んだ器を一度見渡し、ひとまとめにして僕の方を見た。「使わせてもらう」
「どうぞ」と僕。彼女は満足げに頷くと、全部を収納にすっとしまい込んだ。どよめきと笑い。
土産の番になり、ストークが箱を開ける。僕からは新型の小型バーナーと、瓶底に刻む共通刻印の試作片、ステンレス配合の記録小冊子を。グラドが指で撫で、口角を上げる。
「底印はこれで統一だな。嘘の量を詰める商人には握り拳で語ろう」
「お願いします」
リディアは胸を張り、自ら木箱を掲げた。
「これはわらわのブレンドじゃ。ドワーフは舌が厳しいからの、甘やかす気はない。だが、傑作ぞ。味わえ」
「よし、味わおう」とグラド。目が子どもみたいに光っている。
そのまま流れるように宴の支度へ。広間の壁際にはエールの大樽がいくつも、奥には透明な蒸留酒の入った太い瓶。鉄鍋では肉と芋の煮込みがぐつぐつ揺れ、厚い鉄板の上では塩を打った肉が弾ける。黒パンは香りが深く、チーズは燻煙の縁がほのかに赤い。玉葱と茸の鉄鍋、塩釜を割った魚、麦を詰めた腸詰め。どれも豪放なのに雑ではない。
「さあ、座れ、食え、飲め!」とグラドが手を打つ。杯が配られ、鉄の縁が次々に鳴った。
最初の盃はリディアの酒で。栓を抜くと、熟れた果実と樽の香りが一度に立ち上がる。グラドがぐいと傾けて、驚いたように笑った。
「おお……深い。だが重すぎん。炉の熱に合う」
「うむ。そう調えた」
次いでエール。泡をこぼさぬよう注ぐと、リディアは喉をしならせ、杯を空にして満足げに息をついた。
「これはこれで良い。喉が笑う」
長卓の向こうで、アールが目を丸くしている。香りと音と湯気に完全に包まれてしまって、どこから手を付けてよいか迷っている様子だ。ローランが横合いから肘でつつき、耳打ちする。
「まずは塩の薄い皿から。緩やかに、重ねて」
「は、はい」
アールは素直だ。小さく切った炙り肉を口に入れ、次の瞬間、顔がぱっと明るくなる。ミレイユは香草の刻み方を目で追い、紙片にひとことだけ書く。トーマスは盃を一つで止め、水差しの位置をさりげなくずらした。
ひとしきり胃袋が落ち着くと、職人たちが入れ替わり立ち替わり話しかけてくる。新しい管の径、刻印の深さ、瓶の肩の角度、バーナーの火口の交換法。僕が図を描けば、向こうは先に現物の板を持ってくる。好きだなあ、この速度。ローランは対面の管材親方と利ざやの話へすっと入っていき、カレルが気づかれないように席を回って概算の数字を拾っている。グラドは僕の肩をがしがし叩いた。
「バァン、成人後に伯爵家を興すと聞いた。めでたい。職人を五十人、いつでも回す。鉄骨も、鍛冶も、紙も、選べ」
「助かる。長く働ける家を作るよ。君の名も紙に残る」
「名はいらん。仕事が残ればよい」
彼はそう言って盃を仰ぎ、ふっと目を細めた。「……しかし、紙に名が要る若いのもおる。そいつらには名を書いてやってくれ」
「約束する」
宴の合間、ちょっとした余興が始まった。腕相撲である。周りがわっと盛り上がり、アールが半ば引きずられるように卓の端へ。相手は肩幅二人分の若い鍛冶。アールは苦笑して僕の方を見る。僕は両手で丸を作って肩を回す仕草。やるなら怪我なく、と目で伝える。合図、腕が組まれ、ぎし、と卓が鳴る。最初は拮抗、わずかに押されるが、アールが呼吸を整えてじりじり戻し、最後はするりと相手の力を外して勝ちを拾った。歓声。相手の鍛冶が豪快に笑って手を差し出し、アールも笑って握る。ローランが遠目に頷いた。渉外の顔は、こういうところで育つ。
リディアはというと、酒器談義の真っ只中だった。栓に使ったゴムの硬さ、口の反り返り、革の縫い目の返し……細部が面白いらしい。例のスキットル職人はまだ目が赤いが、話を重ねるほどに背筋が伸びていく。
「わらわは旅をする。軽く、強く、手入れが利く物が好きじゃ。そなたの手は、旅の手じゃ」
「は、はい……」
「胸を張れ。酒がより旨くなる」
職人の喉がごくりと鳴った。
夜が深まるほど、歌が増えていった。槌の拍子の古歌、炉を讃える歌、子守歌まで飛び出す。エルフの歌が水だとしたら、ドワーフの歌は火と土だ。厚く、重く、なのに温かい。ナビはいつのまにか僕の膝で丸くなり、時々尻尾だけが楽譜のように動いた。
やがて、杯の音が緩やかになっていく。最後の皿に炭火で炙った乾き物が出て、グラドが立ち上がった。
「今日はここまでだ。バァン、リディア殿、よく飲み、よく食ったな」
「満足じゃ」とリディア。「明日、炉も見せてくれ」
「もちろんじゃ。朝一番の息は格別だぞ」
退出の途上、控えの間でグラドが僕に耳打ちする。
「……道中、河賊の話を聞いた。お前が手を打ったのも知っておる。鉄の連中も、運河ギルドの規格にならう。車軸、枠、錠。治まれば商いは流れる」
「心強い。ありがとう」
「礼は酒で返せ」
「約束する」
客室に戻る頃には、指先まで熱が残っていた。窓を少し開けると、夜の鉄の匂いが細く入り込んでくる。ナビを枕の上に移し、灯を落とす。隣室でリディアが布団にもぐる気配がして、小さく笑った。
「良き夜じゃ。腹も心も満ちた」
「よかった。明日は炉と工房、それから会談」
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