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15歳の飛翔。
ふろふき大根の例え話。
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ゲーンズブルク伯爵家の紋章入りの封蝋を割ると、端正な筆致で一文が踊っていた。ふろふき大根を「ゲーンズブルク」と冠してくれた礼、それにあわせて今宵、貴族派の若手が集う夕食会へ招きたいという招待状だった。僕はすぐ返書を書き、礼物に季節の白味噌と、器用な職人に拵えてもらった木杓子を添える。エメイラを伴い、定刻より少し早く伯爵家のタウンハウスに着くと、玄関広間には若い当主たちの視線が集まった。新しく伯爵になった異色の来客に、場の空気はわずかに波立つ。
迎えの執事に案内され、最初に家主へ拝謁。言葉を節約し、余計な賛辞はしない。相手に一歩譲り、返礼の間を邪魔しない。ゼローキア侯爵家の執事長から叩き込まれた礼が、身体の動きに染みついているのが自分でもわかった。杯を受ける角度、声をかけられた時の目線の置きどころ、通路ですれ違う給仕への合図。ひとつひとつがちぐはぐでないよう、息を合わせる。最初の対面で、数人の眉がほのかに和らいだ。
ほどなく料理長が現れ、銀の蓋を掲げる。湯気をまとった大根が、白磁の皿の上で宝石みたいに透き通っていた。上掛けの味噌は艶やかで、刻んだ柚子がふっと香る。僕は一礼して口を開く。
「本日は僭越ながら、わが領で試作した品を。ふろふき大根……いえ、名を『ゲーンズブルク』と致しました。貴家の大根が見事で、素材を立てるのが最も相応しいと考えたからです」
囲む若手の視線が、皿からこちらへ移る。敵意ではない。測るような、好奇の色。伯爵本人が自分の冠料理を提げてくるなど前代未聞なのだろう。僕は微笑み、後ろに控えるエメイラへ視線を送る。彼女は軽く頷いた。
夕食会は立食と着席を交えた形式で始まった。始めの杯が回り、数人が僕のそばに寄ってくる。ひとりが率直に聞いた。
「では新伯爵、あなたの立ち位置はどこだ。王党か、中立か、我らか」
場がわずかに静まる。僕は盆の上の小碗を両手で持ち上げ、味噌の面をちらりと見た。
「私たちは、この味噌の役を担います。素材を消さず、皿を汚さず、甘味も塩気も出過ぎないように、仕上げる役目です」
「ほう……どの派閥にも染まらない、と」
「はい。貴族派には貴族派の、王党派には王党派の、中立派には中立派の味があります。違う味を混ぜれば濁ります。けれど同じ膳に出して『美味しい』まで持っていく方法はある。私の務めはそこにあります」
「例えば?」
僕はひと呼吸置き、ゆっくりと例えを差し出す。
「皿は王家です。欠けぬこと、歪まぬこと。それがなければ何も盛れない。素材は諸家、皆さま方が持つ持ち味。硬いもの、柔らかいもの、香りの強いもの……それぞれが主役を張れる力を持っている。そこに私が味を置く。出過ぎない分量で、互いが互いを引き立てる塩梅に。大根の甘みを活かすなら、味噌は甘く見えて実は辛味を細く通し、噛んだ後に芯が残るように。皿を王家、素材を諸家、味を私。そういう使い分けです」
若い当主がひとり、腕を組んで笑った。
「味が主張し過ぎると、食う者の舌が疲れる。つまり、あなたは口数の多い政治をしない、と」
「根回しはします。けれど、約束は短く。返す時は必ず返す。料理も政も、たれ流しにするくらいなら湯気を守ります」
別の青年が杯を掲げた。
「皿の縁は王家……では火加減は?」
「時勢です。燃え過ぎれば焦げ、弱ければ煮えない。火を入れるのは王家であり、諸侯であり、そして民です。誰の手にも、薪は握られている」
言葉が飛び、笑いが広がり、さざめきが解けた。ゲーンズブルク伯爵が近づいてくる。頰は上気し、落ち着いた眼差しの奥で愉快そうに火花が揺れている。
「名を冠してもらった礼を、わたしの口で述べよう。これは見事だ、リョウエスト卿。素材の甘みをここまで、品よく、しかも惜しまず立てるとは」
「大根が良いのです。土と陽と水がよく、育てた手が見える。私はただ、邪魔をしないよう気を配っただけです」
「邪魔をしない……言うは易いが難しい。さて、この集まりは若い者が多く、言葉も時に荒い。あなたを礼知らずと評する声もなかったわけではないが……今日は良いものを見た。礼は、相手を立てるために使うのだな」
「そう教わりました」
杯が重なり、ふろふきの皿がいくつも空く。エメイラは陰に回り、給仕や書記にさりげなく合図を送る。立ち位置を問う声は、いつのまにか仕事の話に変わっていた。新街の着工、港の基礎、上下の通い道、若い家の出店計画。僕は長広舌を避け、相手の皿にのる言葉だけを返す。できる約束は短く、できない約束は笑顔で保留する。味噌を必要以上に継ぎ足さない。皿に余白を残す。
やがて食後の杯。楽の音が遠くで鳴り、庭の灯が柔らかく揺れた。先ほどの青年が、再び近づく。
「では、あなたの味は甘いのか、辛いのか」
「場によります。今日は甘い。皆さまの大根が主役ですから。けれど、いざという時は辛味を通します。喉を通った後に、筋が残るくらいには」
「筋、か。覚えておこう」
ゲーンズブルク伯爵が最後の挨拶を告げると、拍手が起こった。退出の列に加わる前に、彼はそっと耳打ちしてくる。
「貴族派は、型を守る。だが中には型に縛られる者もいる。今夜、あなたが見せたのは型を使って相手を楽にする礼だ。若い者たちは、その違いを覚えたはずだ」
「学びの場をいただき、感謝します」
邸を辞する時、玄関広間の空気は来た時と違っていた。刺すような視線は消え、好奇の色に温度が宿っている。馬車に乗り込むと、エメイラが小さく笑った。
「よくできました。今のあなたは本当に味噌ね。香りが立つのに、強すぎない」
「君が火加減を見てくれたから」
「ふふ。では明日は少し辛味を足してもいいわ。別の席では、それが必要になるから」
街路の灯が流れる。ふろふきの残り香が、どこか懐かしいぬくもりを連れてくる。皿は王家、素材は諸家、味は僕。湯気は民の期待で、火加減は時勢。忘れるな、と自分に言い聞かせる。味は主張するために置くのではない。皆が同じ膳で、最後まで気持ちよく箸を置けるように整えるために置くのだ。
タウンハウスに着くころ、エメイラが横目で僕を見る。
「ところで、あの大根。今度は王都の市場の品でも試してみる?土が違えば、味も違う。あなたの味噌が本物かどうか、よくわかるわよ」
「いいね。皿を欠かさず、素材を測り、味を足す。明日もそれでいこう」
扉が閉まり、夜気が背中から抜ける。胸の内の湯気はまだ温かく、けれど軽い。学んだ礼は、相手を立てるためにある。新しい伯爵としての一歩は、どうにか、湯気を曇らせずに踏み出せた気がした。
迎えの執事に案内され、最初に家主へ拝謁。言葉を節約し、余計な賛辞はしない。相手に一歩譲り、返礼の間を邪魔しない。ゼローキア侯爵家の執事長から叩き込まれた礼が、身体の動きに染みついているのが自分でもわかった。杯を受ける角度、声をかけられた時の目線の置きどころ、通路ですれ違う給仕への合図。ひとつひとつがちぐはぐでないよう、息を合わせる。最初の対面で、数人の眉がほのかに和らいだ。
ほどなく料理長が現れ、銀の蓋を掲げる。湯気をまとった大根が、白磁の皿の上で宝石みたいに透き通っていた。上掛けの味噌は艶やかで、刻んだ柚子がふっと香る。僕は一礼して口を開く。
「本日は僭越ながら、わが領で試作した品を。ふろふき大根……いえ、名を『ゲーンズブルク』と致しました。貴家の大根が見事で、素材を立てるのが最も相応しいと考えたからです」
囲む若手の視線が、皿からこちらへ移る。敵意ではない。測るような、好奇の色。伯爵本人が自分の冠料理を提げてくるなど前代未聞なのだろう。僕は微笑み、後ろに控えるエメイラへ視線を送る。彼女は軽く頷いた。
夕食会は立食と着席を交えた形式で始まった。始めの杯が回り、数人が僕のそばに寄ってくる。ひとりが率直に聞いた。
「では新伯爵、あなたの立ち位置はどこだ。王党か、中立か、我らか」
場がわずかに静まる。僕は盆の上の小碗を両手で持ち上げ、味噌の面をちらりと見た。
「私たちは、この味噌の役を担います。素材を消さず、皿を汚さず、甘味も塩気も出過ぎないように、仕上げる役目です」
「ほう……どの派閥にも染まらない、と」
「はい。貴族派には貴族派の、王党派には王党派の、中立派には中立派の味があります。違う味を混ぜれば濁ります。けれど同じ膳に出して『美味しい』まで持っていく方法はある。私の務めはそこにあります」
「例えば?」
僕はひと呼吸置き、ゆっくりと例えを差し出す。
「皿は王家です。欠けぬこと、歪まぬこと。それがなければ何も盛れない。素材は諸家、皆さま方が持つ持ち味。硬いもの、柔らかいもの、香りの強いもの……それぞれが主役を張れる力を持っている。そこに私が味を置く。出過ぎない分量で、互いが互いを引き立てる塩梅に。大根の甘みを活かすなら、味噌は甘く見えて実は辛味を細く通し、噛んだ後に芯が残るように。皿を王家、素材を諸家、味を私。そういう使い分けです」
若い当主がひとり、腕を組んで笑った。
「味が主張し過ぎると、食う者の舌が疲れる。つまり、あなたは口数の多い政治をしない、と」
「根回しはします。けれど、約束は短く。返す時は必ず返す。料理も政も、たれ流しにするくらいなら湯気を守ります」
別の青年が杯を掲げた。
「皿の縁は王家……では火加減は?」
「時勢です。燃え過ぎれば焦げ、弱ければ煮えない。火を入れるのは王家であり、諸侯であり、そして民です。誰の手にも、薪は握られている」
言葉が飛び、笑いが広がり、さざめきが解けた。ゲーンズブルク伯爵が近づいてくる。頰は上気し、落ち着いた眼差しの奥で愉快そうに火花が揺れている。
「名を冠してもらった礼を、わたしの口で述べよう。これは見事だ、リョウエスト卿。素材の甘みをここまで、品よく、しかも惜しまず立てるとは」
「大根が良いのです。土と陽と水がよく、育てた手が見える。私はただ、邪魔をしないよう気を配っただけです」
「邪魔をしない……言うは易いが難しい。さて、この集まりは若い者が多く、言葉も時に荒い。あなたを礼知らずと評する声もなかったわけではないが……今日は良いものを見た。礼は、相手を立てるために使うのだな」
「そう教わりました」
杯が重なり、ふろふきの皿がいくつも空く。エメイラは陰に回り、給仕や書記にさりげなく合図を送る。立ち位置を問う声は、いつのまにか仕事の話に変わっていた。新街の着工、港の基礎、上下の通い道、若い家の出店計画。僕は長広舌を避け、相手の皿にのる言葉だけを返す。できる約束は短く、できない約束は笑顔で保留する。味噌を必要以上に継ぎ足さない。皿に余白を残す。
やがて食後の杯。楽の音が遠くで鳴り、庭の灯が柔らかく揺れた。先ほどの青年が、再び近づく。
「では、あなたの味は甘いのか、辛いのか」
「場によります。今日は甘い。皆さまの大根が主役ですから。けれど、いざという時は辛味を通します。喉を通った後に、筋が残るくらいには」
「筋、か。覚えておこう」
ゲーンズブルク伯爵が最後の挨拶を告げると、拍手が起こった。退出の列に加わる前に、彼はそっと耳打ちしてくる。
「貴族派は、型を守る。だが中には型に縛られる者もいる。今夜、あなたが見せたのは型を使って相手を楽にする礼だ。若い者たちは、その違いを覚えたはずだ」
「学びの場をいただき、感謝します」
邸を辞する時、玄関広間の空気は来た時と違っていた。刺すような視線は消え、好奇の色に温度が宿っている。馬車に乗り込むと、エメイラが小さく笑った。
「よくできました。今のあなたは本当に味噌ね。香りが立つのに、強すぎない」
「君が火加減を見てくれたから」
「ふふ。では明日は少し辛味を足してもいいわ。別の席では、それが必要になるから」
街路の灯が流れる。ふろふきの残り香が、どこか懐かしいぬくもりを連れてくる。皿は王家、素材は諸家、味は僕。湯気は民の期待で、火加減は時勢。忘れるな、と自分に言い聞かせる。味は主張するために置くのではない。皆が同じ膳で、最後まで気持ちよく箸を置けるように整えるために置くのだ。
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「いいね。皿を欠かさず、素材を測り、味を足す。明日もそれでいこう」
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