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15歳の飛翔。
シトルウェル大公国へ。
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海は静かで、風は帆にほどよく張りを与えていた。甲板の影に卓を出して、オビリケ軍将とリバーシを打つ。白黒の石がぱちりと裏返るたび、軍将は目を細める。
「サテラージャでの成果……ふむ。陛下のご体調が持ち直されたとあれば、あちらの宰相も胸を撫で下ろしておろう」
「保存食も幾つか残してきました。しばらくは回ると思います」
「なるほど、なるほど……あなたは外交官に向いてますなぁ」
軍将は笑って、最後の一手を僕に譲った。静かな勝ち。僕も笑い返す。
「ここからは通訳士官が交代します」
軍将に伴われて現れたのは、日焼けの色が健康的な若い女性だった。
「リブ・グラハムと申します。よろしくお願いします」
「リョウエストです。助かります」
「元々、南域連合の血を引いております。父の仕事でシトルウェル大公国にもミッソリーナ王国にも住んだことがありまして、語学には少し自信があります」
リブは落ち着いた声で続けた。
「シトルウェル大公国は長寿の方が多く、語学堪能な方も少なくありません。まずは私が先方に伺い、可能ならばコリント王国語でお話を、とお勧めします。それと……ナビちゃんの同席が可能か否か、お伺いして参ります。あの国では動物、とりわけ森に縁ある小さき友は親しまれますので、友好に一役買えるかもしれません」
「頼もしい。よろしく頼む」
ナビは名前を呼ばれたのがわかったのか、尻尾を一度だけぴんと立ててから、僕の膝に乗って丸くなった。
その日から、甲板の隅で簡単な講義が始まった。リブは音の置き方、挨拶の言い回し、否定を柔らげる助詞を、潮風に混ぜながら丁寧に教える。
「語尾を少し伸ばして、樹影のような柔らかさを残してください。怒っていない時は、目を細めると良いです。彼らは目で気配を読む習慣があります」
ミレイユが隣で速記し、ナミリアは発音を真似て、ミザーリは難しいと眉を寄せながらも二、三の短句を覚えた。アインスはへぇと感心し、ツヴァイは無口にうなずき、フュンフは走りの合間に舌足らずな挨拶をひとつ覚えて、得意げに笑った。
やがて、船は予定の港町に近づく。沖合で帆を半ば畳み、ゆっくりと入港していくと、桟橋に緑の刺繍を施した外套の一団が見えた。エルフだ。細い笛のような声で合図が交わされ、舷側に梯子がかかる。
「清めの儀式を行います」
先頭の長が言い、銀色の器を掲げた。器の縁から滴が落ちて、甲板に細い輪を描く。透明な水に森の香りがした。彼らは船首、船尾、舵、見張り台、それから甲板の中央と、要の場所に少しずつ水を振り、低い歌を口ずさんだ。祈りは派手ではなく、葉が擦れる音のように淡い。
「ようこそ。森の境に入る者に、道が静かであるように」
リブが訳し、僕らは胸に手を当てて礼を返した。
手早く補給が済む。穀物、樽詰めの水、香草、軽い乾パン……船員が口々に礼を言うと、エルフの若者が小さく微笑んだ。彼らの笑みは、風が触れて形を変える湖面の光のようだ。
「首都シトルウェルまでは、沿岸を北西へ。護衛が二隻、付くそうです」
リブが告げるやいなや、港外で待っていた二隻がこちらへ寄ってきた。艫が燕尾のように反って、舷側には葉脈を模した金具が連なっている。帆には細かな補強糸が走り、陽を受けて淡く透けた。オビリケ軍将が感心したように呟く。
「エルフ特有の造りですな。まるで船そのものが木で息をしているようだ」
「強度は?」
「軽く、しなやかで、波を受け流す。荒天で真価を見せますよ」
再び沖に出る。護衛艦は左右に寄り添い、こちらの進路を澄んだ刃で切り拓くように走った。海は次第に浅い色に変わり、海原の先に濃い緑の帯が現れる。帯はしだいに盛り上がって、丘の稜線に絡みつく蔓のようにのび、やがてひとつひとつが大木だとわかってくる。樹冠が幾重にも重なり、空を押し上げていた。
「見えてきました。あれが……」
リブが声を落とす。僕も言葉を失う。森の上に森があり、そのあいだに薄い霧がかかって、光が斜めに走っている。大木の幹が信じがたいほど太く、幹に沿って張り出した板根が、まるで城壁の塔のように見えた。
さらに近づくと、それが都市の形を成しているのがわかった。大木の間に空中回廊が渡され、蔓で編まれた橋が幾筋もかかっている。木の懐に組み込まれた家々は、幹を傷つけないよう外側に抱かれていて、窓には蔦が流れ込んでいた。根の間には広場があり、露店があり、小さな水路が木漏れ日を映して走る。大樹と都市がくっついた……そんな比喩では足りない。都市そのものが、森の成長に合わせて呼吸しているのだ。
甲板に立つ皆の頬が、自然とゆるむ。ミレイユは記録板を握ったまま見入っている。ナミリアはナビを抱き上げ、猫の目に映る景色を一緒に楽しんだ。ミザーリは無意識に槍の石突を軽く鳴らし、アインスとツヴァイは無言でうなずき合う。フュンフは小走りで舫いの準備を手伝いに向かった。
入港の合図が響く。護衛艦が先に入り、こちらの速度が落ちる。桟橋は生きた木の突堤で、節と節のあいだに滑らかな板が嵌め込まれている。桟橋の端に、緑の外套の一団が再び整列した。さきほどの長とは別の、年配のエルフが一歩進み出る。肩章に縫い取られた紋が金の細糸で光る。リブが小声で囁く。
「首都の港務長です。ここからは私が先に参ります。敬う姿勢は忘れず、正面から長く目を見つめないでくださいね。彼らの礼では、視線は葉陰のように柔らかく、短く」
「わかった」
胸の前で片手を軽く添え、深く礼をする準備を互いに確認する。ナビはリブの提案どおり、まずは抱えたまま。港務長が一礼し、微笑をひと筆で描くように口元に浮かべた。
海風が木々の香りを運んでくる。遠く、鳥の群れが輪を描く。舫い綱が投げられ、掛け声が響いた。オビリケ軍将が肩越しに言う。
「ようこそ、シトルウェル大公国へ」
僕は深く息を吸い込み、頷いた。長寿の国の都が、いま、目の前に広がっている。ここでも耳を持ち、短く約し、必ず返す……やることは変わらない。森の都の扉が、音もなく開いた。
「サテラージャでの成果……ふむ。陛下のご体調が持ち直されたとあれば、あちらの宰相も胸を撫で下ろしておろう」
「保存食も幾つか残してきました。しばらくは回ると思います」
「なるほど、なるほど……あなたは外交官に向いてますなぁ」
軍将は笑って、最後の一手を僕に譲った。静かな勝ち。僕も笑い返す。
「ここからは通訳士官が交代します」
軍将に伴われて現れたのは、日焼けの色が健康的な若い女性だった。
「リブ・グラハムと申します。よろしくお願いします」
「リョウエストです。助かります」
「元々、南域連合の血を引いております。父の仕事でシトルウェル大公国にもミッソリーナ王国にも住んだことがありまして、語学には少し自信があります」
リブは落ち着いた声で続けた。
「シトルウェル大公国は長寿の方が多く、語学堪能な方も少なくありません。まずは私が先方に伺い、可能ならばコリント王国語でお話を、とお勧めします。それと……ナビちゃんの同席が可能か否か、お伺いして参ります。あの国では動物、とりわけ森に縁ある小さき友は親しまれますので、友好に一役買えるかもしれません」
「頼もしい。よろしく頼む」
ナビは名前を呼ばれたのがわかったのか、尻尾を一度だけぴんと立ててから、僕の膝に乗って丸くなった。
その日から、甲板の隅で簡単な講義が始まった。リブは音の置き方、挨拶の言い回し、否定を柔らげる助詞を、潮風に混ぜながら丁寧に教える。
「語尾を少し伸ばして、樹影のような柔らかさを残してください。怒っていない時は、目を細めると良いです。彼らは目で気配を読む習慣があります」
ミレイユが隣で速記し、ナミリアは発音を真似て、ミザーリは難しいと眉を寄せながらも二、三の短句を覚えた。アインスはへぇと感心し、ツヴァイは無口にうなずき、フュンフは走りの合間に舌足らずな挨拶をひとつ覚えて、得意げに笑った。
やがて、船は予定の港町に近づく。沖合で帆を半ば畳み、ゆっくりと入港していくと、桟橋に緑の刺繍を施した外套の一団が見えた。エルフだ。細い笛のような声で合図が交わされ、舷側に梯子がかかる。
「清めの儀式を行います」
先頭の長が言い、銀色の器を掲げた。器の縁から滴が落ちて、甲板に細い輪を描く。透明な水に森の香りがした。彼らは船首、船尾、舵、見張り台、それから甲板の中央と、要の場所に少しずつ水を振り、低い歌を口ずさんだ。祈りは派手ではなく、葉が擦れる音のように淡い。
「ようこそ。森の境に入る者に、道が静かであるように」
リブが訳し、僕らは胸に手を当てて礼を返した。
手早く補給が済む。穀物、樽詰めの水、香草、軽い乾パン……船員が口々に礼を言うと、エルフの若者が小さく微笑んだ。彼らの笑みは、風が触れて形を変える湖面の光のようだ。
「首都シトルウェルまでは、沿岸を北西へ。護衛が二隻、付くそうです」
リブが告げるやいなや、港外で待っていた二隻がこちらへ寄ってきた。艫が燕尾のように反って、舷側には葉脈を模した金具が連なっている。帆には細かな補強糸が走り、陽を受けて淡く透けた。オビリケ軍将が感心したように呟く。
「エルフ特有の造りですな。まるで船そのものが木で息をしているようだ」
「強度は?」
「軽く、しなやかで、波を受け流す。荒天で真価を見せますよ」
再び沖に出る。護衛艦は左右に寄り添い、こちらの進路を澄んだ刃で切り拓くように走った。海は次第に浅い色に変わり、海原の先に濃い緑の帯が現れる。帯はしだいに盛り上がって、丘の稜線に絡みつく蔓のようにのび、やがてひとつひとつが大木だとわかってくる。樹冠が幾重にも重なり、空を押し上げていた。
「見えてきました。あれが……」
リブが声を落とす。僕も言葉を失う。森の上に森があり、そのあいだに薄い霧がかかって、光が斜めに走っている。大木の幹が信じがたいほど太く、幹に沿って張り出した板根が、まるで城壁の塔のように見えた。
さらに近づくと、それが都市の形を成しているのがわかった。大木の間に空中回廊が渡され、蔓で編まれた橋が幾筋もかかっている。木の懐に組み込まれた家々は、幹を傷つけないよう外側に抱かれていて、窓には蔦が流れ込んでいた。根の間には広場があり、露店があり、小さな水路が木漏れ日を映して走る。大樹と都市がくっついた……そんな比喩では足りない。都市そのものが、森の成長に合わせて呼吸しているのだ。
甲板に立つ皆の頬が、自然とゆるむ。ミレイユは記録板を握ったまま見入っている。ナミリアはナビを抱き上げ、猫の目に映る景色を一緒に楽しんだ。ミザーリは無意識に槍の石突を軽く鳴らし、アインスとツヴァイは無言でうなずき合う。フュンフは小走りで舫いの準備を手伝いに向かった。
入港の合図が響く。護衛艦が先に入り、こちらの速度が落ちる。桟橋は生きた木の突堤で、節と節のあいだに滑らかな板が嵌め込まれている。桟橋の端に、緑の外套の一団が再び整列した。さきほどの長とは別の、年配のエルフが一歩進み出る。肩章に縫い取られた紋が金の細糸で光る。リブが小声で囁く。
「首都の港務長です。ここからは私が先に参ります。敬う姿勢は忘れず、正面から長く目を見つめないでくださいね。彼らの礼では、視線は葉陰のように柔らかく、短く」
「わかった」
胸の前で片手を軽く添え、深く礼をする準備を互いに確認する。ナビはリブの提案どおり、まずは抱えたまま。港務長が一礼し、微笑をひと筆で描くように口元に浮かべた。
海風が木々の香りを運んでくる。遠く、鳥の群れが輪を描く。舫い綱が投げられ、掛け声が響いた。オビリケ軍将が肩越しに言う。
「ようこそ、シトルウェル大公国へ」
僕は深く息を吸い込み、頷いた。長寿の国の都が、いま、目の前に広がっている。ここでも耳を持ち、短く約し、必ず返す……やることは変わらない。森の都の扉が、音もなく開いた。
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