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9歳の記す者。
町に根を張るのが見えた。
朝、アトリエの中庭ではセルブロがせっせと植え込みを剪定していた。木漏れ日の下、その几帳面な仕事ぶりはいつも通りだ。でも、最近ちょっと気になることがある。
「ねえ、セルブロ。このところ、夕方いなくなることが多いけど……何してるの?」
僕が声をかけると、彼は手を止めて、ほんの少し驚いたような顔をした。
「ええ……ちょっと、用事がありまして」
その後は曖昧に笑って話を逸らす。普段から多くを語らない彼だけど、これは明らかに何かを隠している。
(まさか、浮いた話とか?……いや、セルブロに限って)
妙な不安に駆られた僕は、屋敷の裏方仕事も引き受けてくれている「青の技」にこっそり頼んでみることにした。依頼内容は、『セルブロの行動調査』。
「セルブロ殿でやすか?最近、夕方から夜にかけて街外れの空き部屋を使っておりやす。何かの講義をしているようでやした。複数名の出入りも確認されていやす」
「講義……?」
青の技の報告書を手に、僕は首を傾げた。セルブロが教える側? 誰に? 何を?
翌日、思い切ってこっそり様子を見に行くと、古い倉庫を改装したような部屋に、ランプの明かりが灯っていた。中を覗くと、椅子に座った十人近い大人たちがセルブロを囲んでいた。
「…『いろはにほへと』。次、君。読んでみて」
「い、いろ…はに、ほへと!」
「うん、よくできた。今の『は』は葉っぱの『は』だよ」
そこには、移民らしい服装の人々が真剣に文字の勉強をしている光景があった。
(ああ、思い出した。最初にアトリエに来たとき、セルブロも、あの子たちと一緒に……)
ストークが、孤児たちに丁寧に文字を教えていた姿が脳裏に蘇った。
「…どういうこと?」
僕は、驚きと感動で胸がいっぱいになったまま、そっと倉庫を後にした。
その夜、セルブロが仕事を終えて戻ってきたのを見計らい、僕はアトリエの書斎に彼を呼んだ。
「セルブロ、ちょっといいかな」
「はい。お呼びでしょうか」
いつも通りの表情。でも、今日は僕も踏み込む。
「…見たんだ。君が字を教えてるところ」
一瞬、セルブロの目が揺れた。
「そうですか…お恥ずかしいところをお見せしました」
「恥ずかしいなんてことないよ。どうしてあんなことを?」
僕の問いに、セルブロは少し黙ってから、柔らかく笑った。
「理由は…いくつかあります。一つは、あの子たち…かつての私のような者が、少しでも自信を持てるようにしたかったからです。もう一つは…私が、あの時、ここで教えてもらったからです。ストーク様に」
懐かしむようにセルブロは言った。
「文字が読めるだけで、世の中がまるで違って見える。怖かったものが、理解できるようになる。だから…自分にできることをしようと思いました」
「でも、それだけじゃないでしょ。こんなに忙しいのに、どうしてそんな時間を作るの?」
僕の問いに、セルブロは、少し困ったように、でも嬉しそうに言った。
「…その。少しでも、あなた様のためになればと思いまして」
「え…?」
「ルステインというこの場所が、誰にとっても居場所になるように。その一端を、ほんの少しでも担えるなら…あなた様のお役に立てると思ったのです。顔を売って、信用を作る。それも、いざという時、あなた様の力になるかもしれないと…」
不器用なまでに真っ直ぐな言葉に、僕はもう、なにも言えなくなった。
「セルブロ……」
「私などには過ぎた話かもしれませんが…ずっと、この場所に恩があります。ですから…これからも、ずっと、ここに尽くしたいと思っています」
そのとき、扉の向こうからふたりの小さな声が聞こえた。
「おとうさん…話、終わった?」
開いた扉の向こうにいたのは、セルブロの娘になった元孤児のキーカとサッチだった。
「ああ。どうした?」
「リョウ様に言いたいことがあるの」
そう言って、キーカがまっすぐ僕を見て言った。
「セルブロの娘になれてよかった。おとうさん、優しくて、かっこいいんだよ」
サッチもこくりと頷いた。
「文字、読めるようになった。書けるようになった。セルブロ、ちゃんと褒めてくれるの。うれしい」
「…ありがとう、ふたりとも」
僕はもう、胸がいっぱいで、何も言えなくなった。
セルブロは照れくさそうにうつむいて、それでも誇らしげに笑っていた。
あの夜から数日が経ち、僕の心にはずっと、セルブロの言葉と子どもたちの笑顔が残っていた。
ある日の放課後、僕はナミリアとヤルス君を誘って、ドワーヴンベースの中庭に遊びに行くことにした。そこには、ヒト、エルフ、ドワーフ、小人、獣人、いろんな子どもたちが入り交じって、笑い合っていた。
「これが…僕らの町なんだな」
「ほんとに不思議よね。最初は、親たち、けっこう警戒してたのに」
ナミリアが笑うと、ヤルスがうなずいた。
「でも最近はもう、『〇〇くん家に泊まりに行っていい?』って聞くと、『ああ、あの子ならいいわよ』って言うんだよ」
僕は少し遠くに目をやった。セルブロが子どもたちの前で、読み書きを教えている。あの独特の淡々とした声が、すごく安心する。
「ほら、そこ。『ゆ』じゃなくて『ゅ』になってるよ、細かいけどね。ちゃんと書き直そう」
「はい、先生っ!」
聞き耳を立てるつもりはなかったけど、つい笑ってしまった。
「ねえ、セルブロってさ…町の中で何者になってるの?」
「ん? 教会の人が『先生』って呼んでたよ? うちの叔母さんも、手紙代読してもらったとか言ってた」
ヤルス君の言葉に、僕は驚く。
「…顔を売るって、こういうことなんだ」
僕はセルブロの嬉しそうな顔を見て胸がいっぱいになった。
「セルブロ…君がウチに来てくれて本当によかった」
そこには『一人の人間』が町に根を張っている姿が見えた。セルブロ、本当にありがとう。
「ねえ、セルブロ。このところ、夕方いなくなることが多いけど……何してるの?」
僕が声をかけると、彼は手を止めて、ほんの少し驚いたような顔をした。
「ええ……ちょっと、用事がありまして」
その後は曖昧に笑って話を逸らす。普段から多くを語らない彼だけど、これは明らかに何かを隠している。
(まさか、浮いた話とか?……いや、セルブロに限って)
妙な不安に駆られた僕は、屋敷の裏方仕事も引き受けてくれている「青の技」にこっそり頼んでみることにした。依頼内容は、『セルブロの行動調査』。
「セルブロ殿でやすか?最近、夕方から夜にかけて街外れの空き部屋を使っておりやす。何かの講義をしているようでやした。複数名の出入りも確認されていやす」
「講義……?」
青の技の報告書を手に、僕は首を傾げた。セルブロが教える側? 誰に? 何を?
翌日、思い切ってこっそり様子を見に行くと、古い倉庫を改装したような部屋に、ランプの明かりが灯っていた。中を覗くと、椅子に座った十人近い大人たちがセルブロを囲んでいた。
「…『いろはにほへと』。次、君。読んでみて」
「い、いろ…はに、ほへと!」
「うん、よくできた。今の『は』は葉っぱの『は』だよ」
そこには、移民らしい服装の人々が真剣に文字の勉強をしている光景があった。
(ああ、思い出した。最初にアトリエに来たとき、セルブロも、あの子たちと一緒に……)
ストークが、孤児たちに丁寧に文字を教えていた姿が脳裏に蘇った。
「…どういうこと?」
僕は、驚きと感動で胸がいっぱいになったまま、そっと倉庫を後にした。
その夜、セルブロが仕事を終えて戻ってきたのを見計らい、僕はアトリエの書斎に彼を呼んだ。
「セルブロ、ちょっといいかな」
「はい。お呼びでしょうか」
いつも通りの表情。でも、今日は僕も踏み込む。
「…見たんだ。君が字を教えてるところ」
一瞬、セルブロの目が揺れた。
「そうですか…お恥ずかしいところをお見せしました」
「恥ずかしいなんてことないよ。どうしてあんなことを?」
僕の問いに、セルブロは少し黙ってから、柔らかく笑った。
「理由は…いくつかあります。一つは、あの子たち…かつての私のような者が、少しでも自信を持てるようにしたかったからです。もう一つは…私が、あの時、ここで教えてもらったからです。ストーク様に」
懐かしむようにセルブロは言った。
「文字が読めるだけで、世の中がまるで違って見える。怖かったものが、理解できるようになる。だから…自分にできることをしようと思いました」
「でも、それだけじゃないでしょ。こんなに忙しいのに、どうしてそんな時間を作るの?」
僕の問いに、セルブロは、少し困ったように、でも嬉しそうに言った。
「…その。少しでも、あなた様のためになればと思いまして」
「え…?」
「ルステインというこの場所が、誰にとっても居場所になるように。その一端を、ほんの少しでも担えるなら…あなた様のお役に立てると思ったのです。顔を売って、信用を作る。それも、いざという時、あなた様の力になるかもしれないと…」
不器用なまでに真っ直ぐな言葉に、僕はもう、なにも言えなくなった。
「セルブロ……」
「私などには過ぎた話かもしれませんが…ずっと、この場所に恩があります。ですから…これからも、ずっと、ここに尽くしたいと思っています」
そのとき、扉の向こうからふたりの小さな声が聞こえた。
「おとうさん…話、終わった?」
開いた扉の向こうにいたのは、セルブロの娘になった元孤児のキーカとサッチだった。
「ああ。どうした?」
「リョウ様に言いたいことがあるの」
そう言って、キーカがまっすぐ僕を見て言った。
「セルブロの娘になれてよかった。おとうさん、優しくて、かっこいいんだよ」
サッチもこくりと頷いた。
「文字、読めるようになった。書けるようになった。セルブロ、ちゃんと褒めてくれるの。うれしい」
「…ありがとう、ふたりとも」
僕はもう、胸がいっぱいで、何も言えなくなった。
セルブロは照れくさそうにうつむいて、それでも誇らしげに笑っていた。
あの夜から数日が経ち、僕の心にはずっと、セルブロの言葉と子どもたちの笑顔が残っていた。
ある日の放課後、僕はナミリアとヤルス君を誘って、ドワーヴンベースの中庭に遊びに行くことにした。そこには、ヒト、エルフ、ドワーフ、小人、獣人、いろんな子どもたちが入り交じって、笑い合っていた。
「これが…僕らの町なんだな」
「ほんとに不思議よね。最初は、親たち、けっこう警戒してたのに」
ナミリアが笑うと、ヤルスがうなずいた。
「でも最近はもう、『〇〇くん家に泊まりに行っていい?』って聞くと、『ああ、あの子ならいいわよ』って言うんだよ」
僕は少し遠くに目をやった。セルブロが子どもたちの前で、読み書きを教えている。あの独特の淡々とした声が、すごく安心する。
「ほら、そこ。『ゆ』じゃなくて『ゅ』になってるよ、細かいけどね。ちゃんと書き直そう」
「はい、先生っ!」
聞き耳を立てるつもりはなかったけど、つい笑ってしまった。
「ねえ、セルブロってさ…町の中で何者になってるの?」
「ん? 教会の人が『先生』って呼んでたよ? うちの叔母さんも、手紙代読してもらったとか言ってた」
ヤルス君の言葉に、僕は驚く。
「…顔を売るって、こういうことなんだ」
僕はセルブロの嬉しそうな顔を見て胸がいっぱいになった。
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そこには『一人の人間』が町に根を張っている姿が見えた。セルブロ、本当にありがとう。
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