融けないΩに触れたくて

Moma

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柊は、静かにドアノブへと手をかけた。

(来るなって言われたけれど……でも、放ってなんておけない)

扉を押し開けた瞬間、熱い空気が押し寄せてきた。
空調は確かに効いているはずなのに、むわりとした熱気――いや、それは熱ではなかった。

(……フェロモン)

微量でも、確かにわかる。
空気の奥に溶け込んだ、甘くて苦い、頭を痺れさせる匂い。
一息吸い込んだだけで、心臓が速くなる。
身体の奥でΩとしての本能がざわめき、背筋をじわりと汗が伝った。

念のため飲んできた抑制剤が、心許なく感じられる。
それでも、引き返すという選択肢はなかった。

部屋の中央、背を向けてうずくまる楓の姿があった。
広い背中がわずかに震え、床に投げ出された手は力が抜けきっている。

「楓?」

呼びかけると、肩がびくりと揺れる。

「…なんで来んだよ。来るなって…言っただろ…」

かすれた声。
顔は見えないのに、その苦しさがはっきりと伝わってくる。

柊は迷いながらも近づき、膝をついた。
ただ、そばにいたい一心で、そっと手を伸ばす。

指先が楓の手に触れた瞬間、その熱が掌に流れ込んでくる。
抑え込まれた息が、ひどく浅く乱れていた。

「抑制剤、飲んでないの?」

そう問うと、楓はゆっくり首を振った。
そして、息を震わせながら吐き出す。

「…飲めるわけ、ないだろ。抑制剤なんかじゃ…収まらない…お前のことばっかりで、頭がどうにかなりそうなんだ…」

その声は、悔しさと渇望が入り混じっていた。

「好きで、好きで……おかしくなりそうだ。柊が欲しい…柊だけが…」

柊の胸がきゅうっと締めつけられる。

(ああ、そうか…俺…楓の事が好きなんだ…)

今の楓はとても危ういのに、狂おしいくらいに愛おしい。
そして、今まで自分の気持ちに気付けなかった鈍さが恨めしい。

「楓…」

と名を呼ぶと、楓の肩がわずかに落ち、ゆっくりと顔を向けてくる。
頬は赤く、目は潤み、唇は震えていた。

「…柊、近づくな。今の俺は…お前を――」

「――大丈夫、俺が全て受け止める」

一瞬だけ、楓の瞳が揺れる。
そして次の瞬間、堰を切ったように柊の胸へと倒れ込んできた。

熱に浮かされたような呼吸音だけが、部屋の空気を震わせていた。

柊の腕の中に、楓がいる。
しがみつくように胸元へ顔を埋め、震える声を漏らした。

「…俺、今…多分、優しくなんかできない」

 にじむ瞳を隠すように、額を柊の首に押しつけながら。
柊はその髪に手を添え、熱を帯びた後れ毛を指先で優しく撫でる。

「それなら――俺が、優しくするよ」

まっすぐに、穏やかな微笑を浮かべて。
その瞬間、楓の肩がわずかに揺れる。目を見開き、柊を見つめ返した。
心の底からの笑顔に、完全に打ちのめされる。

(この笑顔…俺にも、向けてくれるんだ…)

堪えきれず、楓の頬を涙が伝う。

楓の頬に、柊の指先がそっと触れた。
濡れた瞳をいたわるように指の腹で撫で、そして迷いなく、唇を寄せる。
それは、涙を拭うよりも優しい、触れるだけの口づけだった。
だが、楓にとってはその一瞬で十分だった──柊も、自分を想ってくれている。
胸の奥に、どうしようもない熱が満ちていく。

柊の離れかけた唇を、楓は追いかけた。
今度は楓から──
唇が重なった瞬間、ただ慰めるためのものではなくなり、熱がゆっくりと深まっていった。
触れるたびに、柊の体温と鼓動が楓の中へ流れ込み、離れることなど考えられなくなる。

「柊…」

掠れた声で名を呼び、頬に、こめかみに、瞼に、何度も何度も口づける。
言葉よりも、それが想いを確かに伝えてくれる気がして。

柊も応えるように楓を抱き寄せ、首に腕を回す。
吐息が混ざり合い、甘い余韻が長く、深く続く。

「…好き…好きだよ、柊…ずっとお前が好きだった…」

ほとんど囁きのような声に、柊はすぐ返す。

「俺も好き…楓が好き」

その一言で、胸の奥の熱がほどける。
楓は柊の頬に手を添え、もう一度、深く口づけた。


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