15 / 26
15
しおりを挟む
柊は、静かにドアノブへと手をかけた。
(来るなって言われたけれど……でも、放ってなんておけない)
扉を押し開けた瞬間、熱い空気が押し寄せてきた。
空調は確かに効いているはずなのに、むわりとした熱気――いや、それは熱ではなかった。
(……フェロモン)
微量でも、確かにわかる。
空気の奥に溶け込んだ、甘くて苦い、頭を痺れさせる匂い。
一息吸い込んだだけで、心臓が速くなる。
身体の奥でΩとしての本能がざわめき、背筋をじわりと汗が伝った。
念のため飲んできた抑制剤が、心許なく感じられる。
それでも、引き返すという選択肢はなかった。
部屋の中央、背を向けてうずくまる楓の姿があった。
広い背中がわずかに震え、床に投げ出された手は力が抜けきっている。
「楓?」
呼びかけると、肩がびくりと揺れる。
「…なんで来んだよ。来るなって…言っただろ…」
かすれた声。
顔は見えないのに、その苦しさがはっきりと伝わってくる。
柊は迷いながらも近づき、膝をついた。
ただ、そばにいたい一心で、そっと手を伸ばす。
指先が楓の手に触れた瞬間、その熱が掌に流れ込んでくる。
抑え込まれた息が、ひどく浅く乱れていた。
「抑制剤、飲んでないの?」
そう問うと、楓はゆっくり首を振った。
そして、息を震わせながら吐き出す。
「…飲めるわけ、ないだろ。抑制剤なんかじゃ…収まらない…お前のことばっかりで、頭がどうにかなりそうなんだ…」
その声は、悔しさと渇望が入り混じっていた。
「好きで、好きで……おかしくなりそうだ。柊が欲しい…柊だけが…」
柊の胸がきゅうっと締めつけられる。
(ああ、そうか…俺…楓の事が好きなんだ…)
今の楓はとても危ういのに、狂おしいくらいに愛おしい。
そして、今まで自分の気持ちに気付けなかった鈍さが恨めしい。
「楓…」
と名を呼ぶと、楓の肩がわずかに落ち、ゆっくりと顔を向けてくる。
頬は赤く、目は潤み、唇は震えていた。
「…柊、近づくな。今の俺は…お前を――」
「――大丈夫、俺が全て受け止める」
一瞬だけ、楓の瞳が揺れる。
そして次の瞬間、堰を切ったように柊の胸へと倒れ込んできた。
熱に浮かされたような呼吸音だけが、部屋の空気を震わせていた。
柊の腕の中に、楓がいる。
しがみつくように胸元へ顔を埋め、震える声を漏らした。
「…俺、今…多分、優しくなんかできない」
滲む瞳を隠すように、額を柊の首に押しつけながら。
柊はその髪に手を添え、熱を帯びた後れ毛を指先で優しく撫でる。
「それなら――俺が、優しくするよ」
まっすぐに、穏やかな微笑を浮かべて。
その瞬間、楓の肩がわずかに揺れる。目を見開き、柊を見つめ返した。
心の底からの笑顔に、完全に打ちのめされる。
(この笑顔…俺にも、向けてくれるんだ…)
堪えきれず、楓の頬を涙が伝う。
楓の頬に、柊の指先がそっと触れた。
濡れた瞳をいたわるように指の腹で撫で、そして迷いなく、唇を寄せる。
それは、涙を拭うよりも優しい、触れるだけの口づけだった。
だが、楓にとってはその一瞬で十分だった──柊も、自分を想ってくれている。
胸の奥に、どうしようもない熱が満ちていく。
柊の離れかけた唇を、楓は追いかけた。
今度は楓から──
唇が重なった瞬間、ただ慰めるためのものではなくなり、熱がゆっくりと深まっていった。
触れるたびに、柊の体温と鼓動が楓の中へ流れ込み、離れることなど考えられなくなる。
「柊…」
掠れた声で名を呼び、頬に、こめかみに、瞼に、何度も何度も口づける。
言葉よりも、それが想いを確かに伝えてくれる気がして。
柊も応えるように楓を抱き寄せ、首に腕を回す。
吐息が混ざり合い、甘い余韻が長く、深く続く。
「…好き…好きだよ、柊…ずっとお前が好きだった…」
ほとんど囁きのような声に、柊はすぐ返す。
「俺も好き…楓が好き」
その一言で、胸の奥の熱がほどける。
楓は柊の頬に手を添え、もう一度、深く口づけた。
(来るなって言われたけれど……でも、放ってなんておけない)
扉を押し開けた瞬間、熱い空気が押し寄せてきた。
空調は確かに効いているはずなのに、むわりとした熱気――いや、それは熱ではなかった。
(……フェロモン)
微量でも、確かにわかる。
空気の奥に溶け込んだ、甘くて苦い、頭を痺れさせる匂い。
一息吸い込んだだけで、心臓が速くなる。
身体の奥でΩとしての本能がざわめき、背筋をじわりと汗が伝った。
念のため飲んできた抑制剤が、心許なく感じられる。
それでも、引き返すという選択肢はなかった。
部屋の中央、背を向けてうずくまる楓の姿があった。
広い背中がわずかに震え、床に投げ出された手は力が抜けきっている。
「楓?」
呼びかけると、肩がびくりと揺れる。
「…なんで来んだよ。来るなって…言っただろ…」
かすれた声。
顔は見えないのに、その苦しさがはっきりと伝わってくる。
柊は迷いながらも近づき、膝をついた。
ただ、そばにいたい一心で、そっと手を伸ばす。
指先が楓の手に触れた瞬間、その熱が掌に流れ込んでくる。
抑え込まれた息が、ひどく浅く乱れていた。
「抑制剤、飲んでないの?」
そう問うと、楓はゆっくり首を振った。
そして、息を震わせながら吐き出す。
「…飲めるわけ、ないだろ。抑制剤なんかじゃ…収まらない…お前のことばっかりで、頭がどうにかなりそうなんだ…」
その声は、悔しさと渇望が入り混じっていた。
「好きで、好きで……おかしくなりそうだ。柊が欲しい…柊だけが…」
柊の胸がきゅうっと締めつけられる。
(ああ、そうか…俺…楓の事が好きなんだ…)
今の楓はとても危ういのに、狂おしいくらいに愛おしい。
そして、今まで自分の気持ちに気付けなかった鈍さが恨めしい。
「楓…」
と名を呼ぶと、楓の肩がわずかに落ち、ゆっくりと顔を向けてくる。
頬は赤く、目は潤み、唇は震えていた。
「…柊、近づくな。今の俺は…お前を――」
「――大丈夫、俺が全て受け止める」
一瞬だけ、楓の瞳が揺れる。
そして次の瞬間、堰を切ったように柊の胸へと倒れ込んできた。
熱に浮かされたような呼吸音だけが、部屋の空気を震わせていた。
柊の腕の中に、楓がいる。
しがみつくように胸元へ顔を埋め、震える声を漏らした。
「…俺、今…多分、優しくなんかできない」
滲む瞳を隠すように、額を柊の首に押しつけながら。
柊はその髪に手を添え、熱を帯びた後れ毛を指先で優しく撫でる。
「それなら――俺が、優しくするよ」
まっすぐに、穏やかな微笑を浮かべて。
その瞬間、楓の肩がわずかに揺れる。目を見開き、柊を見つめ返した。
心の底からの笑顔に、完全に打ちのめされる。
(この笑顔…俺にも、向けてくれるんだ…)
堪えきれず、楓の頬を涙が伝う。
楓の頬に、柊の指先がそっと触れた。
濡れた瞳をいたわるように指の腹で撫で、そして迷いなく、唇を寄せる。
それは、涙を拭うよりも優しい、触れるだけの口づけだった。
だが、楓にとってはその一瞬で十分だった──柊も、自分を想ってくれている。
胸の奥に、どうしようもない熱が満ちていく。
柊の離れかけた唇を、楓は追いかけた。
今度は楓から──
唇が重なった瞬間、ただ慰めるためのものではなくなり、熱がゆっくりと深まっていった。
触れるたびに、柊の体温と鼓動が楓の中へ流れ込み、離れることなど考えられなくなる。
「柊…」
掠れた声で名を呼び、頬に、こめかみに、瞼に、何度も何度も口づける。
言葉よりも、それが想いを確かに伝えてくれる気がして。
柊も応えるように楓を抱き寄せ、首に腕を回す。
吐息が混ざり合い、甘い余韻が長く、深く続く。
「…好き…好きだよ、柊…ずっとお前が好きだった…」
ほとんど囁きのような声に、柊はすぐ返す。
「俺も好き…楓が好き」
その一言で、胸の奥の熱がほどける。
楓は柊の頬に手を添え、もう一度、深く口づけた。
18
あなたにおすすめの小説
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
大学一軍イケメンにいちご狩りに誘われた陰キャの俺、なぜかいちごじゃなくて俺が喰われたんだが(?)
子犬一 はぁて
BL
大学一軍イケメン×大学九軍陰キャ
喰われるなんて聞いてないんだが(?)
俺はただ、
いちご狩りに誘われただけだが。
なのに──
誘ってきた大学一軍イケメンの海皇(21)に
なぜか俺が捕まって食われる展開に?
ちょっと待てい。
意味がわからないんだが!
いちご狩りから始まる
ケンカップルいちゃらぶBL
※大人描写のある話はタイトルに『※』あり
病弱の花
雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。
いい加減観念して結婚してください
彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話
元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。
2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。
作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる