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朝十時。
研究棟のいつもの一室に、楓の姿はなかった。
「珍しいね、楓が遅刻なんて」
最初に気づいたのはリナだった。
「ていうか、遅刻どころか連絡も来てない」
カズキがスマホを見せながら、眉をひそめる。
「グループチャットも既読ついてないし、個チャも無反応」
「徹夜で倒れてんじゃねーの……?」
シンヤが呟くが、いつも飄々としていても連絡だけは欠かさない楓のことを思うと、どうにも不安が残る。
「…まさか、熱とか?」
柊は小さくつぶやいた。
このところ研究も佳境で、気づけば夜まで作業していた日も多い。
楓の様子がどこか浮ついていたのも、少しだけ、気になっていた。
「…ちょっと、様子見てくる」
「え、え? 柊が行くの?」
リナが目を丸くする。
「楓の部屋、前に泊まったことあるから場所もわかってる」
「え、泊まったの!?」
「うそ、マジで?」
「その話詳しく」
「行ってくる」
柊はさっと荷物を持ち、静かに研究室を出た。
足早に廊下を抜けながら、心の奥がざわめいていた。
◇ ◇ ◇
大学から楓のマンションまで、たった2駅。
けれど今日は、その道のりがやけに重たく感じられた。胸の奥に沈んだ不安が、足元に影を落としていた。
柊は呼吸を整え、インターホンを押す。
一度、二度。
反応はない。
静まり返った廊下に、心音だけがやけに大きく響いた。
(いるのかな…?)
柊はふと、ドアノブに手をかけてみる。
――鍵が、開いている。
(…え?)
思わず身構える。
チャラそうに見えても、楓は用心深い性格だ。
鍵のかけ忘れなんて、あり得ない。
中へ入るか――その判断をする前に、室内から声が響いた。
「…誰だよ」
かすれた、けれど明らかに聞き覚えのある声。
それは、楓だった。
「俺…柊」
柊は答える。
しばらくの沈黙のあと――。
「…帰れよ」
楓の声は、いつになく低く、どこか震えていた。
「どうしたの? 具合悪いの?」
「…頼むから、帰ってくれ」
部屋の中の声は、弱々しく、けれどはっきりと柊を拒絶していた。
それは、楓らしくない言葉だった。
「…俺、なんかした?」
柊は思わず問いかける。
「お前は、なにも悪くない」
間を置いて、絞り出すような声が返ってくる。
「だから…来るなって言ってんだよ……」
柊は、黙って耳を澄ませた。
息を殺すような気配の中で、わずかに何かが落ちる音がした。
「…たのむから、帰ってくれ」
「柊を…傷つけたくない…たのむ…たのむから…」
その声に、ぞくりとした。
冗談でも、ふざけでもない。
楓が本気で、何かと戦っている――それが伝わってくる。
柊は唇を噛んだ。
不安と焦燥、そしてわからない感情が、胸の奥でぐるぐると渦を巻く。
それでも、ドアの前から動けなかった。
どうしても、その声が耳から離れなかった。
楓が、自分を――「傷つけたくない」と言った。
あのチャラい男が、真剣な声で、まるで自分の存在を拒むように。
(…なにが、あったの)
答えは出ない。
けれど、この出来事が、何か大きな意味を持つのだという予感だけが、強く残った。
研究棟のいつもの一室に、楓の姿はなかった。
「珍しいね、楓が遅刻なんて」
最初に気づいたのはリナだった。
「ていうか、遅刻どころか連絡も来てない」
カズキがスマホを見せながら、眉をひそめる。
「グループチャットも既読ついてないし、個チャも無反応」
「徹夜で倒れてんじゃねーの……?」
シンヤが呟くが、いつも飄々としていても連絡だけは欠かさない楓のことを思うと、どうにも不安が残る。
「…まさか、熱とか?」
柊は小さくつぶやいた。
このところ研究も佳境で、気づけば夜まで作業していた日も多い。
楓の様子がどこか浮ついていたのも、少しだけ、気になっていた。
「…ちょっと、様子見てくる」
「え、え? 柊が行くの?」
リナが目を丸くする。
「楓の部屋、前に泊まったことあるから場所もわかってる」
「え、泊まったの!?」
「うそ、マジで?」
「その話詳しく」
「行ってくる」
柊はさっと荷物を持ち、静かに研究室を出た。
足早に廊下を抜けながら、心の奥がざわめいていた。
◇ ◇ ◇
大学から楓のマンションまで、たった2駅。
けれど今日は、その道のりがやけに重たく感じられた。胸の奥に沈んだ不安が、足元に影を落としていた。
柊は呼吸を整え、インターホンを押す。
一度、二度。
反応はない。
静まり返った廊下に、心音だけがやけに大きく響いた。
(いるのかな…?)
柊はふと、ドアノブに手をかけてみる。
――鍵が、開いている。
(…え?)
思わず身構える。
チャラそうに見えても、楓は用心深い性格だ。
鍵のかけ忘れなんて、あり得ない。
中へ入るか――その判断をする前に、室内から声が響いた。
「…誰だよ」
かすれた、けれど明らかに聞き覚えのある声。
それは、楓だった。
「俺…柊」
柊は答える。
しばらくの沈黙のあと――。
「…帰れよ」
楓の声は、いつになく低く、どこか震えていた。
「どうしたの? 具合悪いの?」
「…頼むから、帰ってくれ」
部屋の中の声は、弱々しく、けれどはっきりと柊を拒絶していた。
それは、楓らしくない言葉だった。
「…俺、なんかした?」
柊は思わず問いかける。
「お前は、なにも悪くない」
間を置いて、絞り出すような声が返ってくる。
「だから…来るなって言ってんだよ……」
柊は、黙って耳を澄ませた。
息を殺すような気配の中で、わずかに何かが落ちる音がした。
「…たのむから、帰ってくれ」
「柊を…傷つけたくない…たのむ…たのむから…」
その声に、ぞくりとした。
冗談でも、ふざけでもない。
楓が本気で、何かと戦っている――それが伝わってくる。
柊は唇を噛んだ。
不安と焦燥、そしてわからない感情が、胸の奥でぐるぐると渦を巻く。
それでも、ドアの前から動けなかった。
どうしても、その声が耳から離れなかった。
楓が、自分を――「傷つけたくない」と言った。
あのチャラい男が、真剣な声で、まるで自分の存在を拒むように。
(…なにが、あったの)
答えは出ない。
けれど、この出来事が、何か大きな意味を持つのだという予感だけが、強く残った。
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