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久しぶりに予定のない休日だった。
アラームもかけず、昼近くまでぐっすり眠る。
まどろみの中、部屋のカーテン越しに差し込む光が、時間の経過をぼんやりと知らせてくる。
「ん、もう昼か……」
寝起きの髪をぐしゃぐしゃのまま、楓はベッドから這い出た。
Tシャツの裾を引っ張りながら、冷蔵庫を開ける。だが、中には昨日コンビニで買った水だけ。
「…買い物してないんだった。つーか、冷蔵庫空すぎだろ」
渋々、顔を洗って出かけることにする。
外はすっかり夏の空気で、じっとしているだけでもじんわり汗ばむ。
けれど、陽射しの強さとは裏腹に、どこか気分は軽い。
近所の定食屋でハンバーグ定食を頼み、のんびり昼食をとったあとは、ふと思い立って駅前の書店へ向かった。
(あの論文、参考文献がごちゃごちゃだったから、ちゃんと探しとこう)
情報系の専門書が置いてある大型書店。
お目当ての本を何冊か購入し、エスカレーターに乗りながら楓はスマホをいじっていた。
何気ない、休日の午後――そのはずだった。
ふと、エスカレーターを降りた瞬間、何気なく視線を向けた楓の目に、見覚えのある後ろ姿が映った。
(あれ?)
黒髪に細身のシルエット。
涼しげなニットと、リネンのロングパンツ――。
その隣には、少し背の高い男。
洒落た雰囲気のファッションに、モデルのような端正な顔立ち。
ふたりの距離は近く、時折自然に肩が触れている。
楓は、無意識に足を止めた。
(…柊、だよな?)
驚いた。いや、焦った。
あんな柔らかな表情――あんな笑い方、見たことがない。
柊が笑っていたのだ。
静かで、少し恥ずかしそうな、けれど確かに“心を許している”顔。
その横顔に寄り添うように、隣の男がそっと肩に手を回す。
柊はそれを避けることも、嫌がるそぶりも見せなかった。
喉の奥が、ひゅっと詰まった。
(…誰だよ、あれ)
問いかける相手もいないのに、心の中で叫びたくなる。
胸の奥にじわりと熱がこもり、手のひらが汗ばんだ。
(ちょっと待てよ……何、してんの)
そのまま後を追いかけるような真似はしたくなかった。
だが足が動かない。
見つかりたくないのに、目を離せなかった。
だが、ほんの数歩ついていったところで――
「……バカか、俺は」
吐き捨てるように言って、楓は踵を返した。
このままじゃ本当に、ストーカーみたいだ。
でも、どうしても、あの笑顔が、心の中に焼きついて離れなかった。
◇ ◇ ◇
帰宅して、部屋のドアを閉めた瞬間、心臓がどくんと大きく鳴った。
靴も脱がず、バッグも落としたまま、楓はその場に立ち尽くしていた。
あの笑顔が――柊が、知らない誰かに見せていたあの笑顔が、脳裏から離れなかった。
(…あんな顔、俺にはしたことないくせに)
嫉妬。悔しさ。焦燥。
認めたくもない感情が、次々に胸を締めつけてくる。
――俺の方が、ずっと前から見てたのに。
――誰よりも、気にしてたのに。
――誰よりも、好きなのに。
どこにもぶつけられない想いが、全身の皮膚の下で蠢いているような感覚。
熱い。重い。息苦しい。
(やば……これ、ちょっと本気でまずいかも)
ソファに倒れ込んで、冷たい手で額を押さえる。
息を吸っても、うまく吐けない。
フェロモンの暴走――というほどではない。
けれど、理性の奥で何かがざわめいていた。
αが“発情”するなんて、滅多にないことだ。
でも今の楓には、柊の笑顔ひとつで、十分すぎる引き金になっていた。
夜は、長かった。
何度も寝返りを打っても、柊の顔がちらつく。
目を閉じても、まぶたの裏に、あの横顔が浮かぶ。
こんな夜は、久しぶりだった。
そして、こんなにも情けない気分も――。
結局、ろくに眠れぬまま朝を迎え、楓は研究室に向かう気力を失っていた。
アラームもかけず、昼近くまでぐっすり眠る。
まどろみの中、部屋のカーテン越しに差し込む光が、時間の経過をぼんやりと知らせてくる。
「ん、もう昼か……」
寝起きの髪をぐしゃぐしゃのまま、楓はベッドから這い出た。
Tシャツの裾を引っ張りながら、冷蔵庫を開ける。だが、中には昨日コンビニで買った水だけ。
「…買い物してないんだった。つーか、冷蔵庫空すぎだろ」
渋々、顔を洗って出かけることにする。
外はすっかり夏の空気で、じっとしているだけでもじんわり汗ばむ。
けれど、陽射しの強さとは裏腹に、どこか気分は軽い。
近所の定食屋でハンバーグ定食を頼み、のんびり昼食をとったあとは、ふと思い立って駅前の書店へ向かった。
(あの論文、参考文献がごちゃごちゃだったから、ちゃんと探しとこう)
情報系の専門書が置いてある大型書店。
お目当ての本を何冊か購入し、エスカレーターに乗りながら楓はスマホをいじっていた。
何気ない、休日の午後――そのはずだった。
ふと、エスカレーターを降りた瞬間、何気なく視線を向けた楓の目に、見覚えのある後ろ姿が映った。
(あれ?)
黒髪に細身のシルエット。
涼しげなニットと、リネンのロングパンツ――。
その隣には、少し背の高い男。
洒落た雰囲気のファッションに、モデルのような端正な顔立ち。
ふたりの距離は近く、時折自然に肩が触れている。
楓は、無意識に足を止めた。
(…柊、だよな?)
驚いた。いや、焦った。
あんな柔らかな表情――あんな笑い方、見たことがない。
柊が笑っていたのだ。
静かで、少し恥ずかしそうな、けれど確かに“心を許している”顔。
その横顔に寄り添うように、隣の男がそっと肩に手を回す。
柊はそれを避けることも、嫌がるそぶりも見せなかった。
喉の奥が、ひゅっと詰まった。
(…誰だよ、あれ)
問いかける相手もいないのに、心の中で叫びたくなる。
胸の奥にじわりと熱がこもり、手のひらが汗ばんだ。
(ちょっと待てよ……何、してんの)
そのまま後を追いかけるような真似はしたくなかった。
だが足が動かない。
見つかりたくないのに、目を離せなかった。
だが、ほんの数歩ついていったところで――
「……バカか、俺は」
吐き捨てるように言って、楓は踵を返した。
このままじゃ本当に、ストーカーみたいだ。
でも、どうしても、あの笑顔が、心の中に焼きついて離れなかった。
◇ ◇ ◇
帰宅して、部屋のドアを閉めた瞬間、心臓がどくんと大きく鳴った。
靴も脱がず、バッグも落としたまま、楓はその場に立ち尽くしていた。
あの笑顔が――柊が、知らない誰かに見せていたあの笑顔が、脳裏から離れなかった。
(…あんな顔、俺にはしたことないくせに)
嫉妬。悔しさ。焦燥。
認めたくもない感情が、次々に胸を締めつけてくる。
――俺の方が、ずっと前から見てたのに。
――誰よりも、気にしてたのに。
――誰よりも、好きなのに。
どこにもぶつけられない想いが、全身の皮膚の下で蠢いているような感覚。
熱い。重い。息苦しい。
(やば……これ、ちょっと本気でまずいかも)
ソファに倒れ込んで、冷たい手で額を押さえる。
息を吸っても、うまく吐けない。
フェロモンの暴走――というほどではない。
けれど、理性の奥で何かがざわめいていた。
αが“発情”するなんて、滅多にないことだ。
でも今の楓には、柊の笑顔ひとつで、十分すぎる引き金になっていた。
夜は、長かった。
何度も寝返りを打っても、柊の顔がちらつく。
目を閉じても、まぶたの裏に、あの横顔が浮かぶ。
こんな夜は、久しぶりだった。
そして、こんなにも情けない気分も――。
結局、ろくに眠れぬまま朝を迎え、楓は研究室に向かう気力を失っていた。
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