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柊は机に並んだ数週間分のデータを整理し、静かに口を開いた。
「通常作業中の同期率は安定していて、平均四十五から五十五%」
「お、俺たち仕事してる時は真面目ってことだな」
楓がすぐさま割り込む。
「当たり前でしょ…」
「だってさ、柊は堅物だからなぁ。俺が話しかけても“後で”って返される」
「研究中だから仕方ない」
そのやり取りにリナが吹き出し、シンヤも”まあ楓ちゃんは空気を乱す天才だからね”と苦笑する。
柊はわざと無視するように次のページをめくった。
「協力作業や雑談では、六十から七十%に上昇」
「やっぱりな!俺と話すと数値が上がるんだ」
楓がふふんと胸を張る。
「“俺と話すと”じゃなくて、“雑談全般”だから」
「いやいや、“特に俺”って書いとけ」
「誰が報告書にそんなことを書くの…」
カズキが横で肩を揺らし
「その注釈が入ったら学会発表できないよ」
と笑った。
柊は眉を寄せつつも、ページをめくる手が一瞬止まる。
「突発的な笑いや驚きでは、瞬間的に八十%以上。…たとえば、あの電子レンジの件」
語り出した瞬間、研究室内に一斉に笑いが広がる。
──あの日、昼休みに柊がコンビニ弁当を温めようとした時のこと。
蓋を外し忘れた容器が『バンッ』と派手に弾け、研究室の空気が一瞬凍りついた。
だが飛び散ったのはご飯粒と湯気だけ。柊がきょとんとした顔で立ち尽くすのを見て、次の瞬間には全員が腹を抱えていた。
「あれはさすがに傑作だったな!」
楓が大げさに手を叩く。
「だから、わざとじゃないって言ったでしょ…」
柊が小声で抗議する。
「まさか柊が“事件”を起こすとは思わなかったよ」
リナが肩を震わせ、シンヤも
「今後の資料に“レンジ爆発事件”って項目を追加しとこうか」
と茶々を入れる。
「研究記録にそんな項目は必要ない」
言いながらも、柊の頬がほんのり赤く染まるのを、楓は見逃さなかった。
柊は深呼吸して最後にまとめた。
「…つまり、日常の中で笑いや驚きが加わると、同期率は大きく動く。それが、今回の傾向」
「よし、じゃあ俺がもっと柊を笑わせれば、研究も進むってことだな」
「もう、…勝手に解釈しないで」
しかし研究員たちは一様に笑みを浮かべ、賑やかな空気のまま議論は終わった。
数週間にわたる研究室での日常は、真剣な研究と、ささやかな笑いの積み重ね。そのすべてが、データに刻まれていった。
◇ ◇ ◇
その日は、いつもと変わらぬ静けさを保っていた。
だが、モニターに映し出される数値にはわずかな揺らぎがある。通常は安定している柊の同期率が、ここ数日は微妙に上下を繰り返していた。
「柊、数値だけど、少し乱れてるな」
隣でデータを覗き込んだ楓が、低い声で呟いた。
「うん。そろそろ来る頃だから」
柊は淡々と答え、モニターから視線を外した。ヒート周期を把握している彼にとって、これは予想通りの変化だ。
楓は言葉を探すように、しばし沈黙した。
「うん…そうか…」
それ以上、押しつけがましい言葉は言わない。ただ柊の横顔をちらと見て、静かにデータ整理を続けた。
昼休み、コンビニ弁当のビニールを外しながら、楓が少し躊躇いがちに口を開いた。
「柊」
「ん?」
「ヒートのとき、もし…俺にできることがあったら言ってくれ」
その声は真剣で、けれど慎重だった。
「出過ぎたことはしたくないけど、恋人なんだし、頼ってほしい」
柊は驚いたように箸を止め、しばらく楓を見つめた。
「楓…そんなふうに思ってくれてたんだ」
頬にうっすらと赤みが差す。
楓は照れ隠しのように笑い、続けた。
「あと…差し入れぐらいならさせてくれないか?家に入ったりはしないから。住所、教えてほしい」
柊は小さくため息をつき、それから苦笑を浮かべた。
「楓はそういうとこ…律儀だよね」
少しの逡巡のあと、スマホを取り出して楓にショートメッセージを送った。
「それ、俺の住所。…でもね、心配いらないよ」
「?」
「俺、ヒート軽いんだ。抑制剤飲んで横になってれば、だいたい収まるし。今までもそれで問題なかったから」
柊は肩をすくめて、あっけらかんと笑う。
その言葉に、楓の胸の奥にわずかな不安が残った。けれど柊があまりにも平然と語るので、その不安も自然と薄れていく。
「そうか。なら、大丈夫だな」
「うん。でも、差し入れ持って来てくれたら嬉しい」
ほんの小さな会話だったが、互いに胸の奥に熱を残した。
研究室のモニターには、そのやりとりの最中だけ、同期率がいつもより高く跳ね上がっていた。
「通常作業中の同期率は安定していて、平均四十五から五十五%」
「お、俺たち仕事してる時は真面目ってことだな」
楓がすぐさま割り込む。
「当たり前でしょ…」
「だってさ、柊は堅物だからなぁ。俺が話しかけても“後で”って返される」
「研究中だから仕方ない」
そのやり取りにリナが吹き出し、シンヤも”まあ楓ちゃんは空気を乱す天才だからね”と苦笑する。
柊はわざと無視するように次のページをめくった。
「協力作業や雑談では、六十から七十%に上昇」
「やっぱりな!俺と話すと数値が上がるんだ」
楓がふふんと胸を張る。
「“俺と話すと”じゃなくて、“雑談全般”だから」
「いやいや、“特に俺”って書いとけ」
「誰が報告書にそんなことを書くの…」
カズキが横で肩を揺らし
「その注釈が入ったら学会発表できないよ」
と笑った。
柊は眉を寄せつつも、ページをめくる手が一瞬止まる。
「突発的な笑いや驚きでは、瞬間的に八十%以上。…たとえば、あの電子レンジの件」
語り出した瞬間、研究室内に一斉に笑いが広がる。
──あの日、昼休みに柊がコンビニ弁当を温めようとした時のこと。
蓋を外し忘れた容器が『バンッ』と派手に弾け、研究室の空気が一瞬凍りついた。
だが飛び散ったのはご飯粒と湯気だけ。柊がきょとんとした顔で立ち尽くすのを見て、次の瞬間には全員が腹を抱えていた。
「あれはさすがに傑作だったな!」
楓が大げさに手を叩く。
「だから、わざとじゃないって言ったでしょ…」
柊が小声で抗議する。
「まさか柊が“事件”を起こすとは思わなかったよ」
リナが肩を震わせ、シンヤも
「今後の資料に“レンジ爆発事件”って項目を追加しとこうか」
と茶々を入れる。
「研究記録にそんな項目は必要ない」
言いながらも、柊の頬がほんのり赤く染まるのを、楓は見逃さなかった。
柊は深呼吸して最後にまとめた。
「…つまり、日常の中で笑いや驚きが加わると、同期率は大きく動く。それが、今回の傾向」
「よし、じゃあ俺がもっと柊を笑わせれば、研究も進むってことだな」
「もう、…勝手に解釈しないで」
しかし研究員たちは一様に笑みを浮かべ、賑やかな空気のまま議論は終わった。
数週間にわたる研究室での日常は、真剣な研究と、ささやかな笑いの積み重ね。そのすべてが、データに刻まれていった。
◇ ◇ ◇
その日は、いつもと変わらぬ静けさを保っていた。
だが、モニターに映し出される数値にはわずかな揺らぎがある。通常は安定している柊の同期率が、ここ数日は微妙に上下を繰り返していた。
「柊、数値だけど、少し乱れてるな」
隣でデータを覗き込んだ楓が、低い声で呟いた。
「うん。そろそろ来る頃だから」
柊は淡々と答え、モニターから視線を外した。ヒート周期を把握している彼にとって、これは予想通りの変化だ。
楓は言葉を探すように、しばし沈黙した。
「うん…そうか…」
それ以上、押しつけがましい言葉は言わない。ただ柊の横顔をちらと見て、静かにデータ整理を続けた。
昼休み、コンビニ弁当のビニールを外しながら、楓が少し躊躇いがちに口を開いた。
「柊」
「ん?」
「ヒートのとき、もし…俺にできることがあったら言ってくれ」
その声は真剣で、けれど慎重だった。
「出過ぎたことはしたくないけど、恋人なんだし、頼ってほしい」
柊は驚いたように箸を止め、しばらく楓を見つめた。
「楓…そんなふうに思ってくれてたんだ」
頬にうっすらと赤みが差す。
楓は照れ隠しのように笑い、続けた。
「あと…差し入れぐらいならさせてくれないか?家に入ったりはしないから。住所、教えてほしい」
柊は小さくため息をつき、それから苦笑を浮かべた。
「楓はそういうとこ…律儀だよね」
少しの逡巡のあと、スマホを取り出して楓にショートメッセージを送った。
「それ、俺の住所。…でもね、心配いらないよ」
「?」
「俺、ヒート軽いんだ。抑制剤飲んで横になってれば、だいたい収まるし。今までもそれで問題なかったから」
柊は肩をすくめて、あっけらかんと笑う。
その言葉に、楓の胸の奥にわずかな不安が残った。けれど柊があまりにも平然と語るので、その不安も自然と薄れていく。
「そうか。なら、大丈夫だな」
「うん。でも、差し入れ持って来てくれたら嬉しい」
ほんの小さな会話だったが、互いに胸の奥に熱を残した。
研究室のモニターには、そのやりとりの最中だけ、同期率がいつもより高く跳ね上がっていた。
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