融けないΩに触れたくて

Moma

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「研究室の扉が背後で閉まると、楓は一気に壁に身体を預けた。

「…っ、クソ…クソッ!」

喉の奥で呻き、足を引きずるようにして研究棟の一番奥――のトイレへ向かった。
柊のフェロモンは、今も鼻腔の奥にべったりと残っている。
口移しの記憶、唇の柔らかさ、舌先の熱――
柊の名を呼ぶ吐息と、欲情に震えた身体の感触が、頭から離れない。

「…は…柊…っ…」

鍵をかけた個室の中、震える指で下腹を押さえる。
α用の抑制剤は飲んだ。けれど、すぐに効くわけじゃない。
むしろ、いまは中途半端に刺激された身体が反発し、余計に疼く。

(柊…お前の、あんな顔……)

柊が見せたあの艶を帯びた表情――
甘く濡れた瞳で、自分を見上げ、抱いてと呟いた。
それは、何よりも強烈で、何よりも美しかった。

楓は、我慢できなかった。

口元を手で覆い、声を殺す。
何度も、何度も、柊の名を飲み込みながら果てる。
手は止まらない。脳裏に焼きついた柊の姿が、理性を飲み込んでいく。

「…っ、柊…柊…っ……」

一度果てたところで終わることはできなかった。
湧き上がる衝動に抗えず、何度も自分を慰める。
涙が滲みそうなほど苦しくて、それでも渇いた心が止まらなかった。

(…あいつが、望むなら。俺は、何を差し出してもいいと思った)

それが衝動なのか本能なのか、わからなかった。
けれどひとつだけ確かなのは、
柊を傷つけたくない――守りたい――その想いだけが、すべての奥にあった。

ようやく、抑制剤が効き始めた頃。
楓は壁にもたれ、天井を仰いだまま息を吐いた。

「俺、ほんとどうしようもねぇな……」

自嘲気味な声が、虚ろに響く。
けれど、そこにはただの性欲だけじゃない、誰かを真剣に想ってしまった人間の弱さが滲んでいた。

心も身体も、ぐったりと疲れ果てていた。
それでも、研究室に戻らねばならない。
データの修正はまだ完了していないし――柊のことも、気になる。

楓は洗面台で顔を洗い、目の赤みを誤魔化してから研究室へと戻った。

ドアの前に立ち、軽くノックをする。

「……柊?」

しばしの静寂のあと、控えめな声が返る。

「…今、開ける」

カチリ、と鍵の開く音がして、扉がわずかに開いた。

中から香ってくるフェロモンの名残は、わずかだった。
窓がすべて開け放たれており、風が緩やかにカーテンを揺らしている。

楓が一歩踏み入れると、そこには――
さっきとは打って変わった、静かな柊の姿があった。

端末に向かってはいるが、視線はこちらを向かない。
さっきの自分の姿を、柊は恥じているのだとすぐにわかった。

「体調は?」

その問いに、柊は蚊の鳴くような声で答えた。

「…もう、大丈夫。…迷惑かけて…ごめん…」

謝らないでいい。けれど、今はその言葉は呑み込む。
楓は気取らず笑って見せた。

「危うくお前をキズもんにするところだったわぁ~。…俺、責任取って娶るとこだったぞ」

その軽口に、柊はわずかに反応した。
視線は外したままだが、口元が少しだけ歪んだ。

「…どこの時代の姫だよ、それ………」

呟いたその声に、ふたりは小さく笑った。

(よかった。まだ、こうして笑えるなら…)

どこかで、楓はひどく安堵していた。
柊に嫌われていないことが、たったそれだけが、救いだった。

そのとき、室内のスピーカーが電子音を鳴らす。

《再学習処理が完了しました。次のステップへ進みます》

二人の視線が、同時に端末のモニターに向く。
緊張が、空気を切り替える。
楓は肩をすくめ、椅子に腰を戻した。

「さて、もうひと踏ん張り…だな。いけるか?」

「…うん。大丈夫」

柊の声はまだ少しかすれていたけれど、目だけは真っ直ぐだった。

欲望も、本能も、ぜんぶ胸の奥に押し込めて。
二人はまた、いつもの研究者としての顔に戻っていった。

ただ――
互いの身体に残る熱だけが、まだ完全には消えていなかった。


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