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しおりを挟む2001年、埼玉で産まれた。父親はガス会社で働き、母親は看護師、3個歳上の兄が居た。
世話のかかる赤子だったと母親が言っていたような記憶がある。幼稚園に通っていた頃は外の倉庫の裏で唯一の友人と小便をして園長に酷く怒られた記憶、折り紙が異常に下手だった記憶だけある。幼稚園に行きたがらなかった気もする。
小学生時代は1年の頃は学年で他2人含め1番の問題児扱いをされるくらいに不真面目だった。2.3.4年も授業中ずっと筆箱や引き出しを弄っていて普通ではなかったような。ウルトラマンが好きでソフビの人形を山ほど買って貰って、ミュージアムみたいな物にも両親に連れていってもらっていた。
それが5.6年になると打って変わって、明るく優しい、クラスの皆に慕われるような性格になった。父親が貰ってきたのか、買ってきたのか、ゲームボーイをくれて、ポケモンのシルバーをやっていた記憶がある。それから兄が買って貰ってすぐに飽きたDSのマリオカートやPSPのミニゲーム集みたいなソフトを貰い、ゲームにのめり込むようになった。やりすぎて没収される事も多々あった。ゲームが沢山ある友達の家に毎日の様に行って、5.6人で64やWiiのスマブラを放課後よくやっていた。
中学生になるとpsvita、スマホを買ってくれて、所謂ネッ友のような者もできて、2年には深夜3時頃までインターネット、ゲームに熱中して授業中は眠ることが多くなった。それからだろうか、明るかった性格が一転して寡黙で感情の無い人間になった。学校で本当に数える程しか言葉を発しない時期もあり、吃音症の上位互換レベルになっていた。それでも周りの同級生は優しく、虐められることも無く、遊ぶことも結構あった。丁度反抗期で母親に罵声を浴びせたり常にイラついた対応をしていた。父親はアルコール依存症であり、余り家庭に参加することが無くなっていて、ほとんどコミュニケーションは取らなかった。
高校生になると親友1人、かなり仲のいい友達1人が同じクラスで、それ以外は初めましてだった。自称進学校の私立高校でスマホの持ち込みが禁止だったが、大抵バッグに隠して行きや帰りに使っていた。ある程度成長したのか、コミュ障でも表向きはなんとかなったくらいに関係は築けた。3年間同じクラスだったということも大きいかもしれない。
帰りが同じバスであることがきっかけで、水泳部のファッション好きの、金持ちでハーフのような整った顔の同級生と仲が良かった。彼はゲームも好きで家でマルチプレイをしたこともあったし、家に行って遊んだこともあった。それ以外にも運動部の明るいタイプの4.5人と暇な時間はグループで過ごすことが多かった。中高と僕は根暗でつまらないのに、人間関係においてこれ以上ない環境を与えて貰っていた。
しかし高校2.3年は酷く辛かった。兄が部屋に彼女(後の嫁)を連れ込んで性行為をしている隣でテスト勉強をしていた。僕は犬、特に大型犬が嫌いなのだが、ゴールデンレトリバー2匹、ドーベルマン1匹を保護犬として勝手に飼い始めた。
ゴールデンは穏やかなのでまだいい。ドーベルマンがとにかく臆病で、音に敏感でサイレンのように吠える。既に猫を3匹飼っていたのだが、犬が来たので2階が猫、1階が犬になった。犬猫もストレスだったろうし、僕もドーベルマンが2階まで来たりした時に限界で四つん這いで頭を床に付けて耳を塞いで発狂していた。
そこら辺から中学時代の抑うつ状態が拍車をかけ、酒を箱買いして飲むようになった。そして市販の睡眠導入剤をネットで買って飲むようになった。段々酒よりその薬の服用の方が増加していった。丁度ヨルシカというアーティストに恋と言えるほどにハマり、ひたすらイヤホンで外部の音をヨルシカの曲でかき消して、枕に顔を押し当てて泣いていた毎日だった。
高3の夏前、「薬を飲めば飲んだ分だけ大丈夫になる」と本気で思い込むようになり、オーバードーズという存在を知って風邪薬を買った。睡眠導入剤も含め精々支障が出ない程度に抑えられていたが、ある時「辛いと思った瞬間に薬を数錠飲む」という習慣の基につまんでいたら、風邪薬が1瓶(130錠)空になっていた。
「まあいいか」と思い眠りについた1時間後、目が覚めると同時にトイレに向かって走っていた。ひたすら嘔吐した。焦点が勝手に動いて壁に何度もぶつかり狭い便所で転げ回りながら何も出ないのに吐き続けた。3.4時間後の朝方、親が音で気づいて血相を変えて「どうしたの」と寄り添った。生きるのが何故か前から辛いこと、何も出来ない自分が嫌いで死んでしまいたいことを錯乱状態で告げた。母親は涙目になりながら「そうだったんだね。気づけなくてごめんね」と謝られた。ベッドまで介助され、「とにかくずっと横になってな」と言われた。
高校が終わり、春休みの頃、遊びに来た親友2人が当たり前のようにタバコを吸っていた。最初は嫌だったが「お前も吸え」と貰って吸う構造が遊ぶ度にできた。その数週間後だろうか、中学の同級生の家(というか店)で夜遅くに飲み会をした際、まともに歩けないほど酔って、その親友1人のタバコを勝手に10数本吸っていた。その時にタバコの快楽に気づいた。それから僕はその時友達が持っていたピースライトを今でも吸っていて、挙句1番吸う人間になってしまった。
大学に入ることが決まっていて手続きをしていた3月頃、父親が自己破産しなければいけないほどの借金を抱えていたことを告白された。理由はリボ払いが重なったから、と本人は言うが、父親がFX関連の話を電話で同僚だかとしていたことを知っているので、僕も母親もそれが本当の理由だろうなと今でも認識している。父親はそれより前に叔父や母親からも数百万借りていたらしい。
父親の部屋で母親と3人で話し合っている時、「こんな父親でごめんな」と謝られたが、どんな気持ちで居ればいいのか分からず、ただ涙だけが出て自分の部屋に戻った。
自己破産によって父名義の実家を売らなければならないので、離婚をして新しい家に住むことになった。
そうして最悪な大学生活が始まった。コ○ナ禍で通学もなく、オンラインの講義を適当に受けては家に引きこもり虚無的な生活を送っていた。「父親に性格も声も似ている」という事がコンプレックスになり、中学から高校、高校から大学へ上がるに連れて僕の人生は堕落していった。
大学2年だかの頃、高校時代のオーバードーズを思い出し「これがあった」と救いを見つけた気になってドラッグ的な用途としての情報をひたすら調べた。本当の地獄の起点だった。それまではウォッカやウイスキーの瓶をそのまま口に付けて流し込んでいたが、父親がアルコール依存症であることから、酒に頼るくらいなら薬に頼りたかった。少しでも父親から離れられる気がしたから。
早速コデイン(痛み止め)とエフェドリン(覚醒作用)が入った風邪薬を買って数十錠飲んだ。天国のような気分だった。多幸が脳に溢れて音楽が溺れるくらいに心に染み込む。至極当然週1に数十錠から徐々に頻度も量も増えて、結果的に毎日飲むようになった。それ以外にも市販薬にはオーバードーズすると他種のドラッグ作用が現れる者があり、その類の物を全て試し依存が進行した。
しかし市販薬には買いやすさからドラッグとして使うには限度があり、いずれかは物足りなくなる。そうなった人間はどうするか。そう、個人輸入、処方箋に目を付ける。僕はオーバードーズについて呟くSNSアカウントを作っていて、気づいたら数千人のフォロワーができた。その中から個人輸入、処方箋として存在するオピオイド(痛み止め)をタダであげると連絡をくれた人が居た。郵送して貰い中を開けたらそのオピオイドと大麻が入っていた。「イリーガルは絶対に避けたい」という思想の僕はそれを見て本当に頭を悩ませた。
「捨てるべきか?いや、自分から買うことは無いからこんなチャンス、中々無いな」となり、結論吸った。当時僕はかなり強めの脱法大麻なら吸った経験があって、相手が「クソネタだから…」と言うくらいの事もあり、「本物もこんなもんか」というレベルの作用で少しガッカリした。元々大麻の作用はあんまり好みではない。ダウナーかつ酩酊系統なので、個人的にやる気が無くなってダラダラする感じがネガティブに繋がる。
まあその大麻は僕のそれからに余り影響は無く、重要なのはオピオイドの方だった。馬鹿みたいにハマった。市販の風邪薬のオピオイド成分より強く、セロトニンを増やす作用も持ち合わせていたので人生で1番依存した薬はこれになった。毎日飲まないと離脱症状で震えと吐き気、頭痛が酷めのインフルエンザレベルに現れ、「飲むしかない」状態が完成した。肝臓が痛くなるほどの量を常用するようになり、たまにある大学の通学時も飲んでいないととてもじゃないが行けなかった。
この薬以外にも処方箋の精神安定剤、眠剤も片っ端から試しては飲みまくり、試す前には併用禁忌や作用時間を調べないと危険な為、ちゃんと調べて無駄に薬の知識も付いた。もうドラッグ的用途ができる薬はほとんど全部試した。好奇心と自分で実験をする様な楽しさが止まらなくて脳内と精神状態の軸は薬がほとんど担った。
そんな生活を続けていたら当然壊れる訳で、自傷、過呼吸が出るようになった。1週間の記憶がほぼ飛んだり、泣きながら笑ったりetc。
大学3年の夏くらいだろうか。全部どうでも良くなってそのオピオイドを50錠ほど?服用、強い脱法大麻を数十回吸引、風邪薬を1瓶、脱法LSD(幻覚剤)を1枚服用した。時間の感覚さえ忘れ発狂し続け、某通話アプリで手足を切りまくる所を他人にビデオ通話で見せつけたりと最悪最低な心地だった。心臓の音がヘッドフォンで最大音量で曲を流した時くらいのボリュームで聴こえた。床や布団に血を垂らし、ベランダで転げ回った。深夜にそれをやって朝方親にバレたのだが、その間ずっと好きな人が通話を繋いで起きて声をかけてくれていた。この恩はどう返せばいいか未だに分からない。
母親に「大丈夫!?」と体を揺さぶられてやっと目の前に居たことを認識した。「救急車は絶対に呼ぶな!」とだけ主張したことを覚えている。胃洗浄が嫌とかではなく、こんなしょうもないことで医療従事者に迷惑をかけたくなかった。母親も看護師であるしそれも含め嫌だった。
高校時の様にまた介助された。当時「もうこういうことはしない」と約束したのに僕はそれを破った。
捨て場に困り溜めていた数十個の風邪薬の瓶や薬のシートを親に見せ正直に告げた。それをきっかけに心療内科へ通うこととなった。
心療内科に行った際はその事件から数日は経っていたがまだ錯乱的状態で、目線はあちこちに動き、手は始終震えていた。採血をして一連の流れを話し「もうオーバードーズは辞めよう」となって、それまで飲んでいた精神安定剤と比べたらカスみたいな眠剤が処方された。
断薬してからの世界はとにかく"無"だった。何も無い。楽しいも悲しいも無い。中学時代の無感情でモノクロの世界がフラッシュバックして苦痛だった。もう耐えられず「薬がダメなら酒を飲んでやろう」とストロングゼロのロング缶を毎日2本飲んでいた。それでも満たされない。僕は元々酒の作用は好きじゃない。気持ちよさは弱い癖にふらつきだけは強く、気持ち悪くもなる。ドラッグとして本当に無能だと個人的に思う。
結局酒を飲んでもストレスは溜まり続け、憂鬱より残酷な虚無しか無くて、「これならもう断薬を辞めた方が幸せだ」となってしまい、丁度1ヶ月経った頃親に隠れてまた市販薬を買ってしまった。
そうして振り出しに戻ってしまった。個人輸入、処方箋のオピオイドの常用をしながら、普通は難なくやる様な大学の単位取りを精一杯やった。たった今まで多分親には断薬していないことはバレていない。と思ったが部屋の掃除を勝手にされることが割とあり、引き出しに閉まっているだけなので「大学は頑張れてるから」と気づいた上で黙認しているのかもしれない。
そんなオピオイドという悪魔を断ち切り、別の悪魔に乗り換える転機が大学4年の夏頃?来た。というのも、僕はずっと「薬に頼らなければ普通になれないような人間であるが、この薬は適していない」と思っていて、色々と日常生活に使える別の作用の薬を探していた。そうして見つかったものがDNRI、ドーパミンとセロトニンを増やす薬である。
当時依存していたオピオイドにはセロトニン、ノルアドレナリンを増やす作用も併せ持っていたが、何よりアヘンの類の快楽依存と肝臓の負担が大きすぎた。それに加え服用し続けても状態は良くならない。つまり自分に足りない物は別の脳内物質であるのだ。
3大神経伝達物質はドーパミン、セロトニン、ノルアルアドレナリンである。ドーパミンはやる気・意欲に関連する物質であり、他二つの神経伝達物質の前駆体でもある。つまるところドーパミンを増やす薬が1番自分は適しているのではないかと。
そうした考えは関係無しに、試したことの無いとあるドーパミンを増やす薬をフォロワーがくれる機会があった。その薬はドラッグにも近く、僕は正直そっちの好奇心で服用してみたのだが、最初はほぼ覚せい剤みたいな作用で効きすぎて逆に躁状態になって困ってしまった。死ぬほど気持ちよかったが。
ただ常用していく内にある程度コントロールできるようになってきて、オピオイドの時よりよっぽと適してる感覚があった。個人輸入サイトでもかなり似たような物がありそっちに乗り換えることにした。それから性格がガラリと変わり、前向きで行動的(喋られるようになったり)になった。とはいえ良くも悪くも自分の気持ちを正直に表に出すようになるので、自分勝手になったり攻撃性が出てくるようになってしまった。
それでもオピオイドの時よりかは数十倍自分の気持ちだけで見たら楽で幸せである。まあその薬も今はそこそこ服用量が多くなり、それを抑えるために記憶の飛ぶ眠剤や精神安定剤の飲む数は増えたのだが。
その薬の効果もあってか、今年1月に卒論を終えてから、今まで家族とほとんどコミュニケーションを取らなかったのに話すようになった。久しぶりに祖母の家に行った際には「なんか雰囲気が明るくなったね」と言われた。
こんな大学時代なので就活など全くしておらず、3月に福祉施設の夜勤のアルバイトに応募し、4月から働き始める。「現実的な仕事として何がしたいか」を考えた時に、悪趣味だが特殊清掃員、そして精神病と薬に好奇心があるのでその類の仕事が思い浮かんだ。特殊清掃員は車が運転できないと難しい為、ペーパードライバーの僕は候補から消した。
そうして発達障害や精神病系の仕事を探してみた結果、家のすぐ側に三障害の利用者の生活を支援する福祉施設(というよりグループホーム)があった。
面接をした所即採用されたのだが、週2.3回の夜勤(13時間勤務3時間休憩)を希望した所、月13回勤務のシフトにされた。夜勤は明けがある為、実質26日間あり、休みが4.5日ということになる。五連勤なんかざらにあってまあ地獄だった。
4.5月はそのシフトだったのだが、流石にやってられないので
「6月は月11.12回にしてくれませんか」
と頼んだ所了承して貰えた。
後に「新しい夜勤の人が近い内に入るから逆に7月も10.11回くらいになっちゃうかもしれないけどいい?」
と聞かれたが、寧ろありがとうございますという感じだ。面接時に自分がうつ病である事は伝えてある為、管理人は理解もあり、同業者も皆優しく、暇な時間も多いので割と良い仕事だ。
という感じで最近は良い生活になっていると思うのだが、なんだが鬱を通り越して「数年後に死ぬ」という感覚を常に持ちながら自暴自棄になってきている。先述した好きな人は好きな人ができて、相思相愛で上手くいってるらしい。
その人が生きる理由であった時期があったし、家族が生きる理由であった時期もあったし、薬が生きる理由であった時期もあった。友達、ヨルシカ、ゲームとかも。
今は過去に絶対に存在したそういった「生の軸」が無くなってしまった気がする。「○○の為に生きる」というのはそれに対する「愛」を意味すると考えているのだが、多分愛が欠けている。特に人間に対して。
数週間前「祖父が白血病になった」と聞いた時もなんだか明確な悲しさの感触が得られなかった。
人間、生き物(命)を機械や道具のように捉えてしまっているのかもしれない。せっかくオピオイドというクズと縁を切って生活が良くなっているのに、結局僕は健常者にある何かが欠けている。良い薬に変えても、断薬をしても、環境を変えてもこの穴は埋められないのだろうか?
まあ薬が無ければ人形の様に顔色1つ変わらず、薬があればそれに伴った感情が施される脳みそだからそりゃそうか!薬によって構成された脳内物質の動きは仮初であり、動きそのものを管理する本体はそのままだからこういうオチになっているのか!
僕の人生は悲劇でも喜劇でもなく、開演したつもりでやっているが、閉じたまま勝手に独りで終わる無劇か!いや、演者本人すら何を演じたくて何を演じるべきか分からず何も演じていないから、タイトルも著者も内容も白紙の、他人が何かを書く為に使うようなノートだ!
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