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別章
年末SS 多忙の中の思い出
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「えっ……えっ……」
僕は困惑した。
本日は12月30日。まさに大晦日直前である日だ。
出勤した僕はバックヤードから売り場の光景を覗き見ると、途端に言葉を失った。
「あら、すごいことになってるわね」
「すごいどころじゃないですよ。どうして今日はこんなに混んでるんですか?」
滅多に、むしろ非常時以外では売り場の方に出ない中村さんは今日この日はレジスタッフとして働くことになっていた。
先日芹乃さんが辞めてから当店のレジスタッフはまた人手不足になり、さらにこの時期なので帰省する人も多く、しわ寄せとして多忙に拍車をかけたのだ。
「中村さん、さっき言ってませんでしたっけ? 大晦日は案外暇だって」
「うん。言ったわよ? でも今日はまだ大晦日じゃないわよ? 毎年の大晦日前日はその大晦日と三が日のための買い物に来るお客さんが物凄いからこんなことになるのよ。ちなみに一人一人が買っていく量も半端じゃないからレジの長蛇の列が消えることはないわね。常にフル稼働なのよ」
「嬉しくない情報をありがとうございます。やはり行かないと駄目ですよね?」
「当然よ。そのために来たんでしょ?」
それから僕は中村さんに背中を押されて売り場に出た。
担当レジの場所まで行くのにも一苦労の雑踏をかき分けてやっと到着すると、そこでは先に働いていた人の顔に明らかな疲労の色が見えていた。
「お疲れ様。あとは…頼んだ」
「死ぬみたいに言わないでください」
そんな会話をすると、僕は諦めて、いや、覚悟を決めて仕事にとりかかった。
ちなみに今日も真由は休みである。
ハロウィンといいクリスマスといい、繁忙期の休暇をよく店側が許したものだな。いや、そもそもそういう契約なのかもしれない。知らんけど。
対面レジにいる中村さんに目を向けると、やはり忙しそうにしていてその手が止まることはない。そして後ろを振り返った。すると、そこには公務員試験やらなにやらで最近見かけなかった友人の鷹谷がいた。
おそらく今日は出てくれということでお願いされたんだろうなぁ。まぁ、年末まで試験があるわけではないだろうし、たまにはこうして忙しさを経験するといいさ。
「お次のお客様どうぞ!」
どこかしこからそんな声が何回も響き続けた。そこで別の声が聞こえた。
「おせぇぞ! 何分待たせりゃ気が済むんだ!!」
「申し訳ございません。大変お待たせしております。すぐにいたしますので、もうしばらくお待ちください」
「もう待てねぇんだよ! 俺は客だぞ! お客様は神様だろ! いいかげんにしねぇと殴りとばすぞコラァ!」
とお年寄り気味の男の客が怒号をあげていた。しかもその接客をしているのは中村さんだった。
ちなみに中村さんは何もミスをしておらず、この長蛇の列に嫌気が差した彼が勝手に怒り狂っているだけだった。
中村さんはまともに相手をしても時間の無駄だと判断したようで、そそくさと商品をレジに通すと金額を告げた。
「はぁ! 散々待たせておいて値引きもなにもしねぇの? おかしいんじゃねぇの!」
その時、その男がレジ台を蹴飛ばした。それを見ている他の客はなんだか怯え始め、周囲の空気が重くなっていった。
あぁ、面倒臭い。こんな状態で仕事をするとそれに触発されて変なトラブルが起きるかもしれないし、この老人と同じように怒鳴り散らす人が出てくるかもしれないから、そうなったらもっと面倒臭いなぁ。
それに苛まれている中村さんも徐々に面倒に思ってきているのか、顔に嫌気の感情が出始めていた。
仕方ない。少し動くか。それに、決定的なものを見てるし、勝てるな。
「お客様、少々お待ちください」
対応中のお客さんに少し待ってもらってその迷惑極まりない男のところに行った。
「お客様。そろそろお金払ってもらっていいですか? 列、すごいんで」
「あぁ!? なんだ? お前も俺に指図するのか? こっちは客だぞ?」
「はい、お客様ですね。で、こちらは店員です。我々は金銭のやり取りでその方をお客様として認識しています。お金を払わないのでしたら、あなたはお客様ではありません。ですので、すぐに退店をお願いします」
「こ…この……」
僕の毅然とした態度に物怖じしたのか、その男は少したじろいだ。
なんだ、見かけだけの男か。なら一層いけるな。
「ちなみに、あなたはさっきレジ台を蹴りましたね? それに彼女を怒鳴りつけましたね?」
「それがなんだよ?」
「ご存じないですか? カスハラですよ。警察を呼んで対応してもらってもいいですし、場合によっては実名を晒してもらうようにして出入り禁止にも出来ます。こちらはカスハラの被害者なので、それを訴える権利があります。どうしますか? ちなみに殴ろうものなら、周囲にあるカメラで監視中ですので現行犯の暴行罪も適用出来ます。それでもいいのなら、どうぞ。嫌なら早く支払って帰ってください。お出口はあちらですので」
僕は一切崩れない表情と、相変わらずの態度で言う。
客が神様なんていう時代はもう古いのだ。売買において店と客は対等でなければいけない。それを未だ古い価値観のままでいる人がいるからこういった事態が減らないのだ。
あぁ、面倒臭い。面倒で仕方ない。早く帰ってくれないかなぁ。
そんな中で僕が依然として男を見ていると
「チッ……」
男は舌打ちをし、支払い丁度の現金を出して帰っていった。
こういうのを老害っていうんだろうなぁ。こういう人って学生の時とかに接客をやったことがないのだろう。だから店員側の気持ちが分からないんだろうな。それか、やはり古い考えのままなのだろう。
そんなことを思いながら自分の担当レジに戻ると
「お客様、大変お待たせしました。商品をお預かりします」
そう言って待たせていた客の対応を始めた。だがそんな時、その客がおもむろに言ってきた。
「お兄さん、さっきのカッコ良かったです」
「えっ」
「店員の立場でありながらお客さんに向かって堂々と言える感じがとてもカッコ良かったです」
「えっと……その……」
僕はどうしていいのか分からずに対面の中村さんに視線を向けて助けを求めることにした。だが、その中村さんは僕と目が合うとすぐに逸らしてしまい、心なしか少し頬が赤いような気がした。
「私もバイトで接客をやっているんですけど、変に威張ったりだとか怒鳴ったりする客が最近は多いんです。それでもお客様は神様精神を良しとする店長なのでもやもやしていました。でも、さっきのお兄さんを見てその気持ちはもう古いんだということを改めて実感しました。やはり店員といえどやられているだけじゃ駄目ですね」
「は、はぁ……ありがとうございます」
それから僕はその人の接客を終えると、その後もさっきの出来事を見ていた人から賞賛の言葉をもらってはどぎまぎと落ち着かない時間が続いた。
***
「高橋くん。あの時、怖くなかったの?」
やっとやってきた休憩に中村さんが僕に問いかけた。
「別になんともですね。防犯カメラがあったことと、あの人が明らかなカスハラをしていた事実があったからこそ出来たことなので、それらがなかったら助けに行くまで時間がかかったかもしれないですね」
「時間がかかっても助けるつもりでいたのね」
「それはまぁ。あんなのを調子づかせたままだったらこの先、それこそ今日のレジでも同じような客が出て二の舞三の舞になっては仕事に支障を出しまくることになってしまうでしょう。なら、そういう悪い芽は早めに摘んでおいた方がいいんです」
「なんか大学生の言う言葉じゃないような気がするんだよね。それでも大学生なの?」
「これでも大学生ですよ」
そういえばと、さっきお湯を入れていたカップ麺が出来上がる時間だということを思い出したので蓋をあけた。すると丁度いい塩梅に完成していた。それをすする。
「もしかして迷惑でしたか? それこそバイトの僕が社員の中村さんのやることに口を出したみたいで」
「そんなことはないわよ。確かに面倒で困っていたから助かったよ。ありがとう。案外かっこいいところがあるんじゃないの」
「いや、僕はああいう面倒な人がいるのが嫌だったので勝手に出しゃばって帰らせただけです。お礼を言われるようなことはしていませんよ。それに、やはり中村さんが困っていたので」
直後中村さんがまた頬をほんのりと赤くした。ような気がした。
さっきもだったけど、なんだろう。今日は調子が悪いのだろうか。
「……そう。そうやって変に年上を守っていたらまた面倒なことになるわよ」
「面倒なことってなんですか?」
「別に」
そうして中村さんも持ってきていた弁当を食べ始めた。
「……そういうところは芹乃さんにやってあげなさいよ」
「なにか言いました?」
「なんでもないわよ。ほら、早く食べないと休憩時間がなくなるわよ? 後半はもっときついわよ」
「それは言わないでください。戻るのが嫌になります」
年末ではいつもより混雑はしているものの、それに伴って中村さんや他の人達が変にぴりぴりしていないのでそこはいつも通りなんだなと思って安心した。
「あ、そういえば、この前芹乃さんから電話がきたんですよ」
「へぇ、なんて言ってたの?」
「就職が決まっておめでとうって言ってました。それに、なんか泣いているような感じがしたので心配でした」
クリスマスイブの晩。何日も既読が付かなかったLINEのメッセージに既読が付いただけではなく、なぜか急に電話が来たのだ。
あの時はゲーム配信が終わってそろそろ寝ようかと思っていた頃だったからすごくびっくりした。でも、久しぶりに話した芹乃さんは相変わらずで安心したのと、でもやっぱり泣いていたような気がしてならなかった。
「そう。何か悩みでもあったのかしらね。今度会って聞いてみたら? それこそ芹乃さんから電話が来たってなら今度は自分から電話をかけてみたらいいんじゃない? 喜ぶかもしれないわよ?」
「それは……そうですね」
「何か思うところでもあるみたいね」
「まぁ。僕に付き合っている人がいる中でそんなことをしたら芹乃さんは迷惑なんじゃないかって思うんですよね。それこそあんなことがあったのに」
「それはそうだけど、でももう向こうも気にしてないんじゃない? いや、気にしてないって言い方もどうかと思うんだけど、それでも少しの間はここで一緒に働いた仲なんだしさ。それに芹乃さんは高橋くんが好きだったわけだし、きっと喜ぶんじゃないかな」
「それもあって少し気が引けるというか……」
実際そうだ。少しは複雑な気持ちがある。真由との一件があったから芹乃さんがここを辞めた。
もしあの時僕が真由ではなく芹乃さんを選んでいたらきっと芹乃さんはここを辞めなかっただろうし、それこそ最近僕が抱えている悩みだって無かったに違いないのだ。
あの時やっぱり…と考えなかった日があったか?と聞かれれば嘘になる。だからこそ僕には罪悪感があって以降の連絡には少しばかり気が引けてしまっているのだ。
「ついさっき私を助けてくれた高橋くんとは思えない口ぶりね。大丈夫よ。その辺のことは芹乃は気にしてないから。というかさ、今でもそんなに芹乃さんを気遣っているのってどうして? もしかして、今頃になってやっぱり芹乃さんがいいってなってるとか?」
「それは、そんなことは…ない。と思います」
「へぇ。そう言われるとなんか怪しいわね。なんなら今日の仕事が終わったらウチに来る? 明日は私も高橋くんも仕事が休みだし、なんなら芹乃さんも休みだったはずよ。だからハロウィンの時には出来なかった三人での飲み会も出来るわよ?」
中村さんの顔がどこか期待に満ちた様子になった。でも僅かに迷いというか、なんかこう、哀しげというかそういう複雑な感情があるような気がした。
「…いえ。やめておきます。大晦日なのでまたゲーム配信をします」
「そう言って。じゃ、もしさ、気が向いたら来る? その時は迎えに行ってあげるから」
「そう言うってことは、明日は芹乃さんと飲む気なんですか?」
「多分ね。まだ決めてないけど。でも芹乃さんは今も独り身だし、急でも私が誘ったら家に来ると思うわよ」
「なんか随分と仲がいいんですね」
「そりゃね。私達はあの時支えあって困難を乗り越えたんだから。……だからもし高橋くんが来てくれるってことなら、芹乃さんも喜ぶと思うんだよね。まぁでも、強制はしないからさ、考えておくだけ考えておいてよ」
その時、中村さんはスマホを取り出した。
「その時用にLINE教えておくね。もちろん来ないなら来ないで連絡をしなくてもいいし、どっちでもいいからさ。あとは普段の相談用に持っておく感じでいいから。ね?」
「はぁ。そうですね。そういうことなら」
ということで僕もスマホを取り出し、中村さんとLINEを交換したのだった。
「これでよし。あ、そろそろ時間だね。戻ろうか」
お互いに食事を終えたタイミングだったので、そそくさと片づけをし身なりを整えて後半戦に出た。
****
「お疲れ様でした」
「うん、おつかれ。よいお年を」
そうしてどうにかこの怒涛の勤務を終えたのだった。
あれからあの時のような変な客が出たり変なトラブルは起きなかったものの、やはり常に手と口を動かしっぱなしだったのでかなり疲れた。
やっと落ち着いてきたと思ったのも日付が変わる少し前だったので、本当に多忙の一日だった。
さて腹が減ったなぁ。何を食べようか。
でもこんな時間だし家には何もないもんなぁ。
そんなことを考えながら帰路を自転車で進む。そこで道中にあるコンビニに寄った。
休憩時間にカップ麺を食べたとはいえ、こんな寒い中だったらまたラーメンが食べたくなるんだよな。
そしてふらっと見ていると、そこには缶チューハイがあった。
酒か。たまにはいいよな。今日は頑張ったんだし。
ということで一本だけ手に取り、やはりカップ麺にすることにしたのでそれも持ってレジに行った。
「メビウスの―」
そこで無意識に出た言葉があり、それに気が付いて口を閉じた。
「お煙草ですか? 何番でしょう?」
と店員の人がレジに並んでいる煙草の前に行くと訊ねてきた。
「あ、すいません。やっぱり大丈夫です」
「そうですか。ではお会計は―」
それから会計を済ませると外に出た。
今日のこの時間もやはり静かだった。それこそ、ここで煙草を吸ったらちりちりという煙草の先が燃える音がよく聞こえるほどに。
「芹乃さん……」
芹乃さんは僕と同じ銘柄の煙草を吸ってたよなぁ。あの時は楽しかったなぁ。
そこで休憩時間に中村さんと話していたことを思い出した。
明日……暇だったら行こうかな。芹乃さんに会えるかもしれないし。でも……
と僕は迷った。そのまま自転車に乗ると、しんとどこまでも静かで寒い道を走っては帰宅をしたのだった。
その後風呂に入って食事をして、寝るまでの間に何度かLINEを確認した。だが芹乃さんや中村さんからの通知はなく寂しい画面が広がり続けていた。
でもこれで良かったのかもしれない。もし仮に何か通知があれば僕の心がまた動揺してしまっただろうから。
これでいいんだ。でもやっぱり近いうちに芹乃さんと会って久しぶりに話をしたいなぁ。
また僕の頭の中にはあの日までの芹乃さんとの楽しかった日々が思い出された。そして、もう吸わなくなったものの芹乃さんからもらって保管してある煙草の箱に目を向けるとため息を一つついた。
僕はやっぱりあの時……
そう思ってもみるも、やはりもう過ぎたことなので気持ちを切り替えて寝ることにした。
最後に見たスマホの時刻は0時を表示していた。
あと一日で今年が終わるのか。なんやかんやで早い一年だった。
来年はいい年になればいいな。
そう思って僕は眠りについたのだった。
僕は困惑した。
本日は12月30日。まさに大晦日直前である日だ。
出勤した僕はバックヤードから売り場の光景を覗き見ると、途端に言葉を失った。
「あら、すごいことになってるわね」
「すごいどころじゃないですよ。どうして今日はこんなに混んでるんですか?」
滅多に、むしろ非常時以外では売り場の方に出ない中村さんは今日この日はレジスタッフとして働くことになっていた。
先日芹乃さんが辞めてから当店のレジスタッフはまた人手不足になり、さらにこの時期なので帰省する人も多く、しわ寄せとして多忙に拍車をかけたのだ。
「中村さん、さっき言ってませんでしたっけ? 大晦日は案外暇だって」
「うん。言ったわよ? でも今日はまだ大晦日じゃないわよ? 毎年の大晦日前日はその大晦日と三が日のための買い物に来るお客さんが物凄いからこんなことになるのよ。ちなみに一人一人が買っていく量も半端じゃないからレジの長蛇の列が消えることはないわね。常にフル稼働なのよ」
「嬉しくない情報をありがとうございます。やはり行かないと駄目ですよね?」
「当然よ。そのために来たんでしょ?」
それから僕は中村さんに背中を押されて売り場に出た。
担当レジの場所まで行くのにも一苦労の雑踏をかき分けてやっと到着すると、そこでは先に働いていた人の顔に明らかな疲労の色が見えていた。
「お疲れ様。あとは…頼んだ」
「死ぬみたいに言わないでください」
そんな会話をすると、僕は諦めて、いや、覚悟を決めて仕事にとりかかった。
ちなみに今日も真由は休みである。
ハロウィンといいクリスマスといい、繁忙期の休暇をよく店側が許したものだな。いや、そもそもそういう契約なのかもしれない。知らんけど。
対面レジにいる中村さんに目を向けると、やはり忙しそうにしていてその手が止まることはない。そして後ろを振り返った。すると、そこには公務員試験やらなにやらで最近見かけなかった友人の鷹谷がいた。
おそらく今日は出てくれということでお願いされたんだろうなぁ。まぁ、年末まで試験があるわけではないだろうし、たまにはこうして忙しさを経験するといいさ。
「お次のお客様どうぞ!」
どこかしこからそんな声が何回も響き続けた。そこで別の声が聞こえた。
「おせぇぞ! 何分待たせりゃ気が済むんだ!!」
「申し訳ございません。大変お待たせしております。すぐにいたしますので、もうしばらくお待ちください」
「もう待てねぇんだよ! 俺は客だぞ! お客様は神様だろ! いいかげんにしねぇと殴りとばすぞコラァ!」
とお年寄り気味の男の客が怒号をあげていた。しかもその接客をしているのは中村さんだった。
ちなみに中村さんは何もミスをしておらず、この長蛇の列に嫌気が差した彼が勝手に怒り狂っているだけだった。
中村さんはまともに相手をしても時間の無駄だと判断したようで、そそくさと商品をレジに通すと金額を告げた。
「はぁ! 散々待たせておいて値引きもなにもしねぇの? おかしいんじゃねぇの!」
その時、その男がレジ台を蹴飛ばした。それを見ている他の客はなんだか怯え始め、周囲の空気が重くなっていった。
あぁ、面倒臭い。こんな状態で仕事をするとそれに触発されて変なトラブルが起きるかもしれないし、この老人と同じように怒鳴り散らす人が出てくるかもしれないから、そうなったらもっと面倒臭いなぁ。
それに苛まれている中村さんも徐々に面倒に思ってきているのか、顔に嫌気の感情が出始めていた。
仕方ない。少し動くか。それに、決定的なものを見てるし、勝てるな。
「お客様、少々お待ちください」
対応中のお客さんに少し待ってもらってその迷惑極まりない男のところに行った。
「お客様。そろそろお金払ってもらっていいですか? 列、すごいんで」
「あぁ!? なんだ? お前も俺に指図するのか? こっちは客だぞ?」
「はい、お客様ですね。で、こちらは店員です。我々は金銭のやり取りでその方をお客様として認識しています。お金を払わないのでしたら、あなたはお客様ではありません。ですので、すぐに退店をお願いします」
「こ…この……」
僕の毅然とした態度に物怖じしたのか、その男は少したじろいだ。
なんだ、見かけだけの男か。なら一層いけるな。
「ちなみに、あなたはさっきレジ台を蹴りましたね? それに彼女を怒鳴りつけましたね?」
「それがなんだよ?」
「ご存じないですか? カスハラですよ。警察を呼んで対応してもらってもいいですし、場合によっては実名を晒してもらうようにして出入り禁止にも出来ます。こちらはカスハラの被害者なので、それを訴える権利があります。どうしますか? ちなみに殴ろうものなら、周囲にあるカメラで監視中ですので現行犯の暴行罪も適用出来ます。それでもいいのなら、どうぞ。嫌なら早く支払って帰ってください。お出口はあちらですので」
僕は一切崩れない表情と、相変わらずの態度で言う。
客が神様なんていう時代はもう古いのだ。売買において店と客は対等でなければいけない。それを未だ古い価値観のままでいる人がいるからこういった事態が減らないのだ。
あぁ、面倒臭い。面倒で仕方ない。早く帰ってくれないかなぁ。
そんな中で僕が依然として男を見ていると
「チッ……」
男は舌打ちをし、支払い丁度の現金を出して帰っていった。
こういうのを老害っていうんだろうなぁ。こういう人って学生の時とかに接客をやったことがないのだろう。だから店員側の気持ちが分からないんだろうな。それか、やはり古い考えのままなのだろう。
そんなことを思いながら自分の担当レジに戻ると
「お客様、大変お待たせしました。商品をお預かりします」
そう言って待たせていた客の対応を始めた。だがそんな時、その客がおもむろに言ってきた。
「お兄さん、さっきのカッコ良かったです」
「えっ」
「店員の立場でありながらお客さんに向かって堂々と言える感じがとてもカッコ良かったです」
「えっと……その……」
僕はどうしていいのか分からずに対面の中村さんに視線を向けて助けを求めることにした。だが、その中村さんは僕と目が合うとすぐに逸らしてしまい、心なしか少し頬が赤いような気がした。
「私もバイトで接客をやっているんですけど、変に威張ったりだとか怒鳴ったりする客が最近は多いんです。それでもお客様は神様精神を良しとする店長なのでもやもやしていました。でも、さっきのお兄さんを見てその気持ちはもう古いんだということを改めて実感しました。やはり店員といえどやられているだけじゃ駄目ですね」
「は、はぁ……ありがとうございます」
それから僕はその人の接客を終えると、その後もさっきの出来事を見ていた人から賞賛の言葉をもらってはどぎまぎと落ち着かない時間が続いた。
***
「高橋くん。あの時、怖くなかったの?」
やっとやってきた休憩に中村さんが僕に問いかけた。
「別になんともですね。防犯カメラがあったことと、あの人が明らかなカスハラをしていた事実があったからこそ出来たことなので、それらがなかったら助けに行くまで時間がかかったかもしれないですね」
「時間がかかっても助けるつもりでいたのね」
「それはまぁ。あんなのを調子づかせたままだったらこの先、それこそ今日のレジでも同じような客が出て二の舞三の舞になっては仕事に支障を出しまくることになってしまうでしょう。なら、そういう悪い芽は早めに摘んでおいた方がいいんです」
「なんか大学生の言う言葉じゃないような気がするんだよね。それでも大学生なの?」
「これでも大学生ですよ」
そういえばと、さっきお湯を入れていたカップ麺が出来上がる時間だということを思い出したので蓋をあけた。すると丁度いい塩梅に完成していた。それをすする。
「もしかして迷惑でしたか? それこそバイトの僕が社員の中村さんのやることに口を出したみたいで」
「そんなことはないわよ。確かに面倒で困っていたから助かったよ。ありがとう。案外かっこいいところがあるんじゃないの」
「いや、僕はああいう面倒な人がいるのが嫌だったので勝手に出しゃばって帰らせただけです。お礼を言われるようなことはしていませんよ。それに、やはり中村さんが困っていたので」
直後中村さんがまた頬をほんのりと赤くした。ような気がした。
さっきもだったけど、なんだろう。今日は調子が悪いのだろうか。
「……そう。そうやって変に年上を守っていたらまた面倒なことになるわよ」
「面倒なことってなんですか?」
「別に」
そうして中村さんも持ってきていた弁当を食べ始めた。
「……そういうところは芹乃さんにやってあげなさいよ」
「なにか言いました?」
「なんでもないわよ。ほら、早く食べないと休憩時間がなくなるわよ? 後半はもっときついわよ」
「それは言わないでください。戻るのが嫌になります」
年末ではいつもより混雑はしているものの、それに伴って中村さんや他の人達が変にぴりぴりしていないのでそこはいつも通りなんだなと思って安心した。
「あ、そういえば、この前芹乃さんから電話がきたんですよ」
「へぇ、なんて言ってたの?」
「就職が決まっておめでとうって言ってました。それに、なんか泣いているような感じがしたので心配でした」
クリスマスイブの晩。何日も既読が付かなかったLINEのメッセージに既読が付いただけではなく、なぜか急に電話が来たのだ。
あの時はゲーム配信が終わってそろそろ寝ようかと思っていた頃だったからすごくびっくりした。でも、久しぶりに話した芹乃さんは相変わらずで安心したのと、でもやっぱり泣いていたような気がしてならなかった。
「そう。何か悩みでもあったのかしらね。今度会って聞いてみたら? それこそ芹乃さんから電話が来たってなら今度は自分から電話をかけてみたらいいんじゃない? 喜ぶかもしれないわよ?」
「それは……そうですね」
「何か思うところでもあるみたいね」
「まぁ。僕に付き合っている人がいる中でそんなことをしたら芹乃さんは迷惑なんじゃないかって思うんですよね。それこそあんなことがあったのに」
「それはそうだけど、でももう向こうも気にしてないんじゃない? いや、気にしてないって言い方もどうかと思うんだけど、それでも少しの間はここで一緒に働いた仲なんだしさ。それに芹乃さんは高橋くんが好きだったわけだし、きっと喜ぶんじゃないかな」
「それもあって少し気が引けるというか……」
実際そうだ。少しは複雑な気持ちがある。真由との一件があったから芹乃さんがここを辞めた。
もしあの時僕が真由ではなく芹乃さんを選んでいたらきっと芹乃さんはここを辞めなかっただろうし、それこそ最近僕が抱えている悩みだって無かったに違いないのだ。
あの時やっぱり…と考えなかった日があったか?と聞かれれば嘘になる。だからこそ僕には罪悪感があって以降の連絡には少しばかり気が引けてしまっているのだ。
「ついさっき私を助けてくれた高橋くんとは思えない口ぶりね。大丈夫よ。その辺のことは芹乃は気にしてないから。というかさ、今でもそんなに芹乃さんを気遣っているのってどうして? もしかして、今頃になってやっぱり芹乃さんがいいってなってるとか?」
「それは、そんなことは…ない。と思います」
「へぇ。そう言われるとなんか怪しいわね。なんなら今日の仕事が終わったらウチに来る? 明日は私も高橋くんも仕事が休みだし、なんなら芹乃さんも休みだったはずよ。だからハロウィンの時には出来なかった三人での飲み会も出来るわよ?」
中村さんの顔がどこか期待に満ちた様子になった。でも僅かに迷いというか、なんかこう、哀しげというかそういう複雑な感情があるような気がした。
「…いえ。やめておきます。大晦日なのでまたゲーム配信をします」
「そう言って。じゃ、もしさ、気が向いたら来る? その時は迎えに行ってあげるから」
「そう言うってことは、明日は芹乃さんと飲む気なんですか?」
「多分ね。まだ決めてないけど。でも芹乃さんは今も独り身だし、急でも私が誘ったら家に来ると思うわよ」
「なんか随分と仲がいいんですね」
「そりゃね。私達はあの時支えあって困難を乗り越えたんだから。……だからもし高橋くんが来てくれるってことなら、芹乃さんも喜ぶと思うんだよね。まぁでも、強制はしないからさ、考えておくだけ考えておいてよ」
その時、中村さんはスマホを取り出した。
「その時用にLINE教えておくね。もちろん来ないなら来ないで連絡をしなくてもいいし、どっちでもいいからさ。あとは普段の相談用に持っておく感じでいいから。ね?」
「はぁ。そうですね。そういうことなら」
ということで僕もスマホを取り出し、中村さんとLINEを交換したのだった。
「これでよし。あ、そろそろ時間だね。戻ろうか」
お互いに食事を終えたタイミングだったので、そそくさと片づけをし身なりを整えて後半戦に出た。
****
「お疲れ様でした」
「うん、おつかれ。よいお年を」
そうしてどうにかこの怒涛の勤務を終えたのだった。
あれからあの時のような変な客が出たり変なトラブルは起きなかったものの、やはり常に手と口を動かしっぱなしだったのでかなり疲れた。
やっと落ち着いてきたと思ったのも日付が変わる少し前だったので、本当に多忙の一日だった。
さて腹が減ったなぁ。何を食べようか。
でもこんな時間だし家には何もないもんなぁ。
そんなことを考えながら帰路を自転車で進む。そこで道中にあるコンビニに寄った。
休憩時間にカップ麺を食べたとはいえ、こんな寒い中だったらまたラーメンが食べたくなるんだよな。
そしてふらっと見ていると、そこには缶チューハイがあった。
酒か。たまにはいいよな。今日は頑張ったんだし。
ということで一本だけ手に取り、やはりカップ麺にすることにしたのでそれも持ってレジに行った。
「メビウスの―」
そこで無意識に出た言葉があり、それに気が付いて口を閉じた。
「お煙草ですか? 何番でしょう?」
と店員の人がレジに並んでいる煙草の前に行くと訊ねてきた。
「あ、すいません。やっぱり大丈夫です」
「そうですか。ではお会計は―」
それから会計を済ませると外に出た。
今日のこの時間もやはり静かだった。それこそ、ここで煙草を吸ったらちりちりという煙草の先が燃える音がよく聞こえるほどに。
「芹乃さん……」
芹乃さんは僕と同じ銘柄の煙草を吸ってたよなぁ。あの時は楽しかったなぁ。
そこで休憩時間に中村さんと話していたことを思い出した。
明日……暇だったら行こうかな。芹乃さんに会えるかもしれないし。でも……
と僕は迷った。そのまま自転車に乗ると、しんとどこまでも静かで寒い道を走っては帰宅をしたのだった。
その後風呂に入って食事をして、寝るまでの間に何度かLINEを確認した。だが芹乃さんや中村さんからの通知はなく寂しい画面が広がり続けていた。
でもこれで良かったのかもしれない。もし仮に何か通知があれば僕の心がまた動揺してしまっただろうから。
これでいいんだ。でもやっぱり近いうちに芹乃さんと会って久しぶりに話をしたいなぁ。
また僕の頭の中にはあの日までの芹乃さんとの楽しかった日々が思い出された。そして、もう吸わなくなったものの芹乃さんからもらって保管してある煙草の箱に目を向けるとため息を一つついた。
僕はやっぱりあの時……
そう思ってもみるも、やはりもう過ぎたことなので気持ちを切り替えて寝ることにした。
最後に見たスマホの時刻は0時を表示していた。
あと一日で今年が終わるのか。なんやかんやで早い一年だった。
来年はいい年になればいいな。
そう思って僕は眠りについたのだった。
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