しあわせDiary ~僕の想いをあなたに~

翡翠ユウ

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第一章 第5話 未来に向けて変わっていく日々

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「あ、それだ」

 次の日大学に到着した僕はそのまま部室に顔を出した。そこには数人の後輩と同期の友人がいて何やら話をしていた。その内容を聞いた時、昨日思い出せなかった今日の大事なことを思い出すことができた。

「それで、お前はどうだったんだ? 留年か?」
「不吉なことを言わないでくれよな。今確認するから待っててくれ」

 今日は卒業判定が出る日だったのだ。
 日々の講義にレポート、卒業研究にとこのために捧げた四年間の結果が大学の個人ページにアップロードされているのである。

 時刻は十二時を過ぎたあたり。
 それぞれ学部の違う友人達がもう見たということは、全学部一斉に公開されたということで間違いないだろう。だったら僕の結果は次のタップで表示されるわけだ。

「なんか怖いな……」
「単位は足りてるんだろ?」
「それはまぁ」
「だったら純粋に卒業研究の結果が合否に関わっていると言っていいな。でも、そっちは自信あるんだろ?」
「どうだろう。やることはやったって感じだった」
「ならあとはもう覚悟を決めて見るしかないな」
「だよな」

 そうして僕は友人と後輩達が見守る中で結果を表示させた。
 すると、大きく学籍番号と名前が表示されてあり、その下にPDFファイルが入っていた。どうやらこの中に入っているようだ。
 完全に表示されたと思ったらもう一回クッションを挟んできたのでもどかしさを覚えた。だがもう迷わずにそのファイルを開けた。

「……やった」

 そこには修了の文字があり、それは卒業資格が与えられた証だった。

「良かったな。これでお前も四月からは立派な社畜だ」
「それはなんか嫌だなぁ。でも、無事に卒業出来ることになって良かったよ。その感じだとお前も大丈夫だったみたいだね」
「おうよ。俺は最初から自身があったからな」
「先輩方、おめでとうございます。これで本当に寂しくなってしまいますね」
「そうだな。でも、僕達が卒業しても上手くやるんだよ」
「はい。あ、卒業式の後にやる送別会はもちろん来ますよね?」
「もちろんだよ。部活のメンバー全員でわいわいやるのはそれで最後になるわけだし、しっかり楽しむよ」

 そう言うと後輩は嬉しそうで、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
 そんな時だった。部室にまたある人がやってきた。

「おつかれ」
「お、飯菜いいな。なんか久しぶりに見た気がするな。今まで何してたんだ?」

 同期の女子、飯菜だった。
 彼女には色んなことを相談したり、時には気にかけてくれたなぁ。喫煙所で一緒に煙草を吸ったのもいい思い出だ。

「就活して卒論やって、終わってからはずっと遊んでた。ここに来るのもかなり久しぶり。みんな来てるってことは、卒業判定のやつ見た?」

 相変わらずラフに話す飯菜はそのまま荷物をテーブルに置いて椅子に座った。
 最後に会ったのは確か学食で飯を食べていた時だった気がする。あの時の飯菜は完全に黒髪に戻しており、きっちりとしたスーツを着ていかにもな就活生といった様子だった。だが今はというと、既にダークブラウンに染めており光の加減で明るくも大人しくも見える感じになっていた。

「あぁ見たよ。僕らは大丈夫だったんだ。飯菜も平気だったろ?」
「まぁね。ここで落としたら洒落にならないし。あ、でも聞いた話だとうちらの中で一人だけ落ちた人がいたらしいよ。純粋に単位が足りなかっただけみたいだけど」
「そっか。まぁ、深くは聞かないけど、今後知ることになったら普通通りに接していような」
「それが一番だよ。そうだ、翔くん。煙草付き合って」
「急だな。まぁいいけど」

 ということで僕は飯菜に連れられて部室を出た。そしてしばらく歩いて毎回煙草を吸っていた喫煙所に到着した。

「あ、そういえば翔くんはもう吸わないんだっけ?」
「まぁそうだね。でもこうしてここで吸うのも最後になるかもしれないから一本だけ吸おうかな。コンビニ行ってくるよ。すぐに戻るから」
「なら一本あげるよ。私からの餞別ってことで。それに、なんか顔色良くなってるじゃん。いい事でもあったんでしょ?」
「いい事って言っていいのかな……」

 僕はその言葉に甘えて煙草を受け取ると、準備してくれていた火に近付けて煙を起こした。そして前みたいにして吸うと、少しだけ頭がクラっとした。いわゆるヤニクラを起こしたのだ。

「おいしい?」
「飯菜の煙草は少し重いんだよね。でも、そうだね。久々だけどなんかうまいよ」
「そう。それで、いい事って何があったの?」
「そうだね。実は―」

 僕はこの数週間で起きたことを話した。

「そっか。大変だったんだね。結局また翔くんの女運の悪さが出ちゃって、それを祓ったんだね」
「そうだね。本当、この運の悪さはどうしたものか」
「でもこれで良くなっていくんじゃない? 聞いてる感じだと、翔くんは今は一人なんでしょ?」
「あぁ、そういうことか。一人なら悪運も発動しないってことだね」
「それもあるんだけど、うーん……そうだね。翔くんは今の状況をどう思う?」

 漠然とした質問を前にした僕はその意図が理解出来なかった―ということを察した飯菜もまた少し困ったような顔をしていた。

「まぁ、いいや。それじゃ、芹乃さんって人はどう思う?」
「僕を心配してくれる優しい女性だね」
「それだけ?」
「よく見ると美人で、すっぴんも綺麗だった」
「あとは?」
「一緒にいる時はとにかく楽で、ほとんど気を遣ってない。芹乃さんも芹乃さんで気楽な感じがする」
「他には?」
「あとは……芹乃さんはたまに様子がおかしい」
「ふーん」

 飯菜は何かを考えている様子だった。それから煙を深く吸って空に吹き上げると静かに言った。

「私達はあの少しで卒業。私と翔くんがここで話したり、一緒に煙草を吸うことももうないだろうね。だからもう一つだけ、餞別で教えてあげる」

 そう言った飯菜の表情はどこか妖艶で、それでいて真剣な雰囲気を放出していた。また、その目はまるで全てを見通しているかのように僕の瞳を真っ直ぐと見つめていた。

「翔くんの女運の悪さはこれで終わるよ。それも芹乃さんのお陰でね」
「それはもう決着がついてるからそうだよ」
「でも、今後翔くんまた別の人と付き合ったり好きになったりする可能性はあるよね? それも芹乃さんのお陰で全て良い方向にいくのよ」
「それって、捉え方によっては僕の周りにはこれからもずっと芹乃さんがいるってことにならない?」
「そうだよ」

 その言葉はあまりにも当然のように言い放たれた。もちろんその表情からは嘘を言っているようには感じられず、同時に僕をからかっているようにも見えなかった。

「芹乃さんはきっと今でも翔くんのことが好きなのよ。だから助けたし、彼女と別れることの手助けもしたの。でもそれは略奪とかそういう意味ばかりではなくてね、純粋に翔くんを助けたいって意味も強かったんだと思うの。現にその芹乃さんが翔くんと同じバイト先を去った時は翔くんを助けることが出来なかったんだから、その想いを継続して持っていても不思議じゃないよ」
「それは流石に引きずり過ぎじゃない?」
「翔くん。女性が誰かを想う気持ちっていうのは引きずるとかそういうのじゃないのよ? しかも、そこに明らかな好意が混ざっていたのならなおさらね。だって考えてもみて? 好きでもない異性を自分の家に入れる? それも、相手は大人の女性でしょ? そういう気持ちがないわけがないじゃない」
「そうかなぁ……」
「まぁ信じられないってのも翔くんらしいところだけどね。それで、実際のところ翔くんは芹乃さんのことをどう思ってるの?」
「それはさっき言ったとおりで―」

 そこで僕はさっきの質問とは意図が少しだけ違うことに気が付いた。
 さっきは『芹乃さんって人はどう思う?』という言葉に対して、今回は『芹乃さんのことをどう思ってるの?』である。
 最初は客観的に見てどうかという意味合いがあるように聞こえる。だが、次のは完全に僕の主観による意見を求められていた。これではきっと周りから見た芹乃さんはこういう人で、それに対して僕もそう思うなんていう客観を元にした答えが言えない。完全に僕の意見100%での答えを言わなければならないようだ。
 ということで僕の言葉が止まった。そこで飯菜が重ねて質問をしてきた。

「もし今後、芹乃さんから交際を求められたらどうする?」
「それは…どうなんだろう。確かに芹乃さんは美人だし気が利いて優しいし落ち着くし、でも芹乃さんみたいな大人の女性が僕を相手にするかな? それこそ僕は女運が悪いわけだし、変なことに巻き込まれないかな?」
「言ったでしょ? 翔くんの女運の悪さはこれで終わるって。芹乃さんは変な人じゃないと思うよ」
「根拠は?」
「女の勘ってやつ。私のこれも案外当たるからさ」

 出た、女の勘。
 芹乃さんもだったけど、なんなんだろうこの超能力的な特殊能力は。男にはそんなものはないぞ?
 でもまぁ、写真のこともあったから侮れないんだよなぁ。現に救われているわけだし。

「うーん…… 芹乃さんに交際を求められたらか……」
「まぁ、今はそんなに難しく考えなくていいと思うよ。芹乃さんだって翔くんが大学生なのは知っているわけだし、大人の女性なら大学生の飲み会とかそういう行事を邪魔したくないって気を遣ってくれると思うしね。聞いた感じだとそういう女性でしょ?」
「まぁ」
「なら、そういう仮の未来は翔くんの身辺が落ち着いたら起きるかもしれないことだから、すぐにどうというわけじゃないよ。―でも、実際そうなった時の為に聞くね。翔くんとして芹乃さんはアリ? それともナシ?」
「僕は……」

 そこでここ最近の芹乃さんとのことやバイトの時の芹乃さんとのことを思い出した。
 楽しかったことも、いなくなって寂しかったことも、意外な一面を見たりしてなんだか良いなと思ったことも。そして僕が僕らしくいられていることや、それにより心身ともに楽である事実もまたあらためて実感した。

 長考し煙草の煙を吸っては空に吐いた時、僕は答えを得た。

「……アリだと思う。多分僕は前の彼女と付き合っている時も芹乃さんのことを気にかけていたんだ。そんなことはいけないのに、でもやっぱり気になっていたんだ。それでやっと解放されて自分の気持ちに正直になることが出来るっていう今がある。だから、もしそんな未来がきたら僕は芹乃さんと付き合う…かもしれない」
「そう。恋って不思議だよね。自覚したら始まるものと、無自覚にいつの間にか始まっていて後から気が付くもの。どちらも恋なんだけど、遅いか早いかで得られる価値や気の持ちようが変わる。本当に不思議だよね」

 飯菜は静かに煙を吐いた。それはこの晴れた空の中に綺麗に吸い込まれては同化していった。

「同期として、友人として私は翔くんが幸せになる未来を願っているよ。この感じだと卒業してもきっと大丈夫でしょう。それこそ翔くんの心が変わらなければね」
「なんか意味深に聞こえるのは気のせい?」
「どうだろうね。……そっか。翔くんの中で芹乃さんはアリか。やっぱり美人で年上の女性がいいんだね」
「年上ってのは後からついてくるものだし、年齢なんてものはただの数字だって誰かが言っていただろ? でもまぁ、美人がいいってのはもう否定出来ないけどね」
「だよね。翔くんは見た目のいい人が好きだから。……ねぇ、翔くん。私も餞別が欲しいから一つだけ聞いていい?」
「もちろん。これだけたくさんもらったんだ。一つでも二つでも聞いてくれ」
「ありがとう。でもやっぱり一つでいいよ」

 すると飯菜は真剣に僕の目を見て問いかけた。

「私は、翔くんにとって美人だったのかな?」
「それは……」

 外見としての良さを聞いている―ということではないのは僕でも分かった。この話の流れだと、つまりはそういう意味なのだろう。
 僕は答えに迷ってしまった。だが、僕が今まで飯菜に色々な事を相談したりして支えになってもらった事実があるにせよ僕が出すべき答えは決まっていた。でも言い方に困った。飯菜は本当に真剣に聞いているのだから下手な答えは言えないし、ましてや分からないふりをして濁すこともしてはいけない。それが僕に出来る誠意であり餞別だと思うから。

「深く考えなくてもいいよ。思ったとおりに答えてくれればそれで満足だよ」

 察しがいいからこそ即答しない僕の気持ちを理解したのだろう。その表情は穏やかに微笑んでいた。

「……美人だったよ。色々とありがとうね」

 僕にとってこう答えるのが精一杯だった。
 すると

「それだけ聞ければ十分。翔くん、これから先も悩んでもいいけど心は変わったら駄目だからね」

 そう言った飯菜は満足そうに笑った。
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