片隅

ねのん

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第二節

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地味な距離感の中、
青年はその場で同じ空気を吸うのさえ
苦しくて、
恥ずかしくて、
ずっと俯いていた。

「私はあなたの高校の生徒だったの」
「……はぁ」

まともな返事を返せない。

「あら、興味無さそうね」

女性は特徴的な美しい瞳を
優しく緩め、
青年に微笑みかける。

が、目を合わせることが出来ない。

女性はクスリと笑い、
話し続ける。

「私、親がいないの。」
「……え」
「中学生の時、
   私の母は私の父に
   暴力を振るわれていたの。
   でも、母は泣きながら
   じっとそれをこらえてた。
   父が母に暴力を振るう時は、
   父がお酒を飲んだ時なの。
   私は人形のように扱われる母が
   情けなくて可哀想で、
   前に聞いたことがあるわ。
   『何で反発しないの?』って。
   そしたら、私の母
   何て言ったと思う?」
「…………」
「今のあの人は
   本当のあの人ではないの。
   つまり、私は愛する人に
   痛い目に遭わされてるのではなく
   知らない人に
   痛い目に遭わされているの。
   ならば、そんな人には
   反応するのではなく、
   黙って、その人が飽きるのを
   待つしかないわ。
   本当の私の愛する人で無いのなら、
   何をされても
   辛い思いは湧いてこない。
   だから、私はあの人に
   されるがままなの。」
「………随分と賢いお母さんですね」
「うーん。
 まぁ、理性が発達してると思うわ。」

女性はバターロールを食べ終え、
笑いながら話し続ける。

「やがて、父はガンで死んだわ。
    高校受験真っ最中の事だった。
    母は酷く悲しんで、
    しばらくは
    話す事も出来ない程だった。
    高校に無事受かり、
    母の精神が
    大分落ち着いてきた時、
    母はいきなり言い出したわ。
    『助けなきゃ』って。」
「………」
「何を言ってるのか
    分からなかった私は
    しばらく母を放っておいた。
    高3の春、
    母が死んだ。
    原因は過労死だったの。
    母が何をしていたのか
    知らなかった私に
    ある日複数の人が来た。
    『次期社長はあなたです。』
     何を言ってるのか
     分からなかったわ。
     色々説明されてわかったの。
     どうやら母は
     美容品関係でお金を稼いで
     そのお金で
     後進国を援助してたみたい。」
「………てことは、
   今あなたは社長さん?」
「ふふ♪
   そんなに偉いわけでもないわ。」

この時、
もう既に青年の心には
1つのおもいが湧いていた。

それは、
彼が初めて女性というものに対し持った
大きく強いおもいである。

「私には
   足りないものがある。」

「それは海よりもまだ深く、
    山よりもまだ高い、
    大きな存在の愛。」

「………」

「私は………
   父からの愛が足りない………。」

青年の心に、
うねる熱い思いが湧いてくる。
この女性を
満足させられるなら、
この女性が
社長という重荷を背負えるよう
自分が協力出来るなら、
いや、違う。
自分なら、
自分ならこの女性の欲求を
満たす事が出来る。
この女性に必要なのは
この話を振られたこの自分だけだ。
青年は確信し、
高校の門前まで来て止まる。

「あら、懐かしい!
    確かにここだわ!!」
「………」
「ありがとう!!
   実は待ち合わせをしていたの。」
「?」

すると、
遠くから目立つ高級車が
こちらに向かって走ってきた。
ゆっくり、
その車は女性の隣に来る。

即座に、
青年は女性を護る。

これは、
この女性を車に引きずり込む気だ。。






「………ありがとう。
   あなたは男らしいのね」

胸が熱くなる。
認められた。。。

「でも、ごめんなさいね。
   この車は私のなの。」
「え?」

車の窓が開く。

そこには一人の男性でいた。

「じゃあね。
    実はこれから、
    私、結婚するの。」
「え…」
「あなたはきっと、
    いい旦那さんになるわね。
    バイバイ。」

女性は
大きなサングラスをかけながら、
青年の頬にキスをして
車に入っていった。

遠くへ行く、
綺麗な高級車のエンジン音が
薄れていく中、
どこかやるせない、
もどかしい気持ちだけが
青年の心に
大きな存在感を
かけてくるのであった。
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