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千年王国
水泥棒
しおりを挟む水源となる河まであと少しの所で、レンはクレイオスにサンドワームを回収させた。
そして "帰らない" と渋るドラゴンに、「また今度ね」とにこやかに微笑みながら、あっさりと追い帰したのだ。
「最後までやらせないのか?」
「だって、河に穴を空けたら。ムーちゃんが濡れちゃうでしょ?」
「あ・・・」
そうだった。
サンドワームは濡れると、大変なことになるのだった。
「今日はここまでにして、途中の溜池と水路の出入り口は、明日私達で開ける事にしましょうね」
翌日、水路の最後の仕上げは滞りなく進み、それからの数日、大喜びの領民たちはお祭り騒ぎだった。
彼らの喜ぶ姿に、レンは嬉しそうに微笑を浮かべ、俺も大満足だった。
水路の開通から2週間。
俺達は前々から水路を作ってほしいと、領民から陳情のあった別のところへ、次の水路を引く準備を進めていた。
そこへ隣に領地を持つ、ミラルダという伯爵から、書簡が届いた。
数年前に爵位を受け継いだ現伯爵とは面識はなく。何の用かと訝しく思いながら開いた書簡には、ミラルダの水を盗んだとして、俺とレンに賠償を求める訴えが記されていた。
「水どろぼう?」
「ううむ」
「マイオールって、渇水期があったっけ?」
「いや、無い」
「ですよね・・・普段より河の水量が減ったりは?」
「それもない。今年は雨は少ないが、冬場の豪雪の影響から、河に流れ込む雪解け水も多く、湧水が干上がったという話も聞いていない」
「干魃が起こったならともかく、なんで今?」
「さあ・・・? 単なる嫌がらせか、難癖を付けて金を強請りとろうとしているのか」
「そんなにお金に困ってるの?」
「今、暗部の2人に調べさせているが、裕福でないことは確かだな」
「そうなんだ・・・。マイオールって公国だった頃から結束が硬い、って聞いてたのに。こんな言い掛りみたいな事をするなんて・・・」
「ミラルダの現当主の父親は、中央からの左遷組だ。俺に対して恨みこそあれ、公国時代からの忠誠心などとは無縁だろうう」
「恨みって・・・そんな・・・」
悲しげに眉を下げる番の肩を抱き寄せた。
番の体は誂えた様に腕の中にぴったりと収まり、苛立ちと困惑でささくれだった心が、溶けていく。
イライラ解消には、レンの香りが一番だな。
俺の予想では、この馬鹿な訴えの元は、恨みと金の両方だ。
ミラルダ伯爵家は、家紋の歴史も古く、永らく中央の政治の中心にいた家紋だった。
しかし、ギデオンの治世下に於いては、皇宮への出入りを禁じられ、屈辱の日々を送っていた。
ギデオンの不況を買わぬよう、目を付けられぬよう、そのまま大人しくしていれば、あの粛清の嵐に巻き込まれずに済んでいたものを。
先代のミラルダ伯爵は、名門であるが故に政治の中枢へ返り咲くことを望み、人であることを放棄した。
ギデオンの気を引きたいが為だけに、食い詰め職を求め皇都へ流れて来た、流民の見目の良い子供たちに手を出したのだ。
食うに困った親たちから、微々たる金で子供を買い、親が子供を売ろうとしない場合は、拐う事すら厭わなかった。
そうやって集められた子供たちは、ギデオンとその側近たちの毒牙にかけられた。その見返りとして、ミラルダは皇宮への出入りを許され、再びギデオンの側近の末席に名を連ねることとなった。
あの日、謁見の間にいた全ての側近達は、俺がこの手で命を奪った。ギデオンの側近で命を永らえたのは、あの日皇宮に参内していなかった、ほんの数人だけだ。
だが、ギデオンの側近であると云うことは、もれなく罪を犯した者達だ。当然のごとく、ミラルダも粛清の対象だった。
しかしミラルダは、ギデオンの庇護のもと、行われてきた不正と、数えきれない犯罪の証拠を携え、あまつさえ領地の返還を願い出る書簡とともに、誰よりも早くウィリアムへの恭順を示した。
ウィリアムはこの狡猾な雄を嫌ったが、捜査への協力者に対し刑を減じ、協力の内容によっては褒美を出す。と俺が公言していた為、返還された領地の代わりに、後継の絶えたマイオールの伯爵家の、領地を与えたのだった。
ミラルダは生き残るために、仕方無く遣ったことだと抗弁し、かつての仲間を密告したが、犯した罪が消えることはない。
オルフェウスを失ったウィリアムは、ギデオンの毒牙に掛かった子供達に、ひどく同情をしていたし、それがなくとも、ミラルダの行いは、悪魔の所業だったといって良い。
”褒美をやる! なんて、なんで言ったのさ”
勝手に布令を出した俺に、拗ねた口調で虚ろな目を向けてきたウィリアムを、今も鮮明に覚えている。
あの時は一日でも早く、ウィリアムの足場を固める事が優先だった。そして自分達は、ギデオンとは違うのだ、と。悔い改めたものには、慈悲を施すことが出来るのだ、と示さねばならなかった。
例え裏で穢れた命を、刈り取っていたとしてもだ。
自ら豊かな領地を手放し、密告の見返りにミラルダが得たものは。もとの領地の1/10にも満たない、小さく実りの少ない土地と家紋の名。そして家族の命だけだった。
「左遷されたって、死なずにすんだのだから、感謝しても良いくらいじゃない? 生きてるだけで丸儲けって言うし」
「丸儲け・・・か。レンは面白いことを言うな」
「そう? とにかく、恨まれる筋合いは無いと思うわよ?」
「それは、勝者の言い分だろ?」
「人としての道理よ?」
「・・・うむ・・・」
レンの言うことは正しい。
全くの正論だ。
人としての道理が通らないのが、貴族社会であり政治なのだと言ったら、この人はもっと悲しい顔をするのだろうな。
「悲しい顔をするな。あくまで憶測にすぎん」
「うん。でも、こう言ちゃなんだけど、昔は羽振りが良かったとしても、今は辺境の弱小貴族なのでしょ? 皇兄で大公のアレクに、いちゃもん付けるなんて。勝算があるのか、度胸があるのか、どっちかしら?」
「さあな。ミラルダ伯爵家は、ウィリアムが刑を減じはした。家紋の名を残す代わりにマイオールへとばされ、皇都への出入りも禁じられている。先代の伯爵に会ったのは、皇都から追い出した時が最後で。息子が爵位を継いだという報告は受けたが、人となりは聞いたことがない。なにを考えているのか、さっぱり分からん」
「皇都へ出禁? ウィリアムさんが出禁にするなんて、先代の伯爵は、よっぽど悪いことをしたのね」
あんな最後だったのに、レンはウィリアムの治世と人格を、否定しないでくれるのだな。
本当に、優しい人だ。
伯爵の思惑は、直接会ってみれば須く判明するだろう。
その訴えは言いがかりもいい処で、伯爵がなにを言って来たとしても、論破することは簡単だ。
だが先ずは、こんな馬鹿げた訴えをしてきた理由が知りたい。
蜜月の間、領主としての雑多な仕事はあれど、レンには美しく楽しい思い出を沢山残してやりたかった
それなのに、大公領では襲撃に遭い。
伯爵領では言い掛りで訴えられ。
一生に一度の、大事な蜜月の思い出を汚されてしまった恨みは大きい。
襲撃の件は、俺が領地を放っておいたことが原因なのだから、致し方なし。と我慢することも出来る。
だが、ミラルダは違う。
愛し子のレンが、領民のためを思い行った善行に、ミラルダはいちゃもんを付けてきた。
過去の俺の行いが原因だとしても、レンには全く関係がないにも関わらずにだ。
百歩譲って、ミラルダの主張が正しかったとしよう。だとしても皇兄で大公である俺と、愛し子で公爵のレンに対し、いきなり賠償を請求してくる厚顔さと無礼は許しがたい。
間違いを指摘され、それを受け入れられない程、俺は愚かな人間ではないつもりだが、今回のことに限っては、こちらに非があるとは思えない。
伯爵家の内情は暗部の2人に調べさせている。
アーノルドへも一報を入れてある。
あとはミラルダと直接会い、身勝手な主張の真意を確かめれば良いのだが・・・。
相手の人となりを知る事が先決。
「ローガン。フェーンとフルストを呼んでこさせろ。それと、ミラルダ伯の人となりに詳しそうな者もだ」
ミラルダからの訴えが届けられてから、ローガンとセルジュの機嫌がすこぶる悪い。
レン命の2人からすれば、大事な主を盗人呼ばわりされ、面白くないのだろう。
そんなローガンが引き連れて来た、フェーン他4名は口を揃え、現ミラルダ伯爵をこう呼んだ。
”ミラルダのバカ殿” と。
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