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プロメテウスの炎 1

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 青白い光が指先からゆらゆらと立ち上がっている。僕はその光を見つめ、自分の指がこれまで見たこともない力を秘めていることを知った。いや、力といっていいのだろうか。覚えのないその現象は、修練したものや人や本からも見聞きしたことのない出来事であり、どちらかといえば『自分の知り得なかった構造を目の当たりにしている』という感覚に近い。下三角眼の僕がその指先を見つめていると怪しい詐欺師にしか見えないが、幸い周囲に人はおらず、自室で一人膝を抱えていた上での出来事だからなにかに配慮する必要はない。この怪奇的な現象は、わずかながら沈んでいた僕の心を少し明るいものにしてくれた。

 外は夜の19時でもう既に暗い。今日もまた僕は友達と遊ばず、自室で一人インターネットの掲示板や動画などを見ながら取り返しの利かない時間にわずかな焦燥感を感じていたそんな時。まるでその焦燥感が可視化されたかのように、指先が燃え始めたのだ。初めは白い光が視界に広がった。強烈な光ではない、ぼんやりと、きっと異次元空間が目の前に現れたこんな感じだろうというような曖昧な光の広がりがあったのち、指先にオレンジの光が丸く灯った。それは広がる白い光と反対に指先へ収束するように集まり、小さなオレンジの丸となった。自室での突然の出来事にドキドキしていると、すぐに白い光もオレンジの丸も消え、一瞬の静寂が訪れた。その次の瞬間──ゆらゆらと指先から青白い光がたちのぼり始めたのだ。ほんの2、3分の間の出来事に僕は夢を見ているのかと訝しんだ。しかし、思考はしっかりしているし、自身を疑えること自体がこれが現実であると感じさせる。なにより、普段苛まれている友人のいない暗澹たる気持ちや、明日も明後日も目標のない日々、やりたいことがない宙ぶらりんな人生に対する焦燥感が絶えず胸にあることが夢ではない証拠に感じた。

 これはいったいなんなのか。青白い光がのぼる灯りをつけていない部屋の真ん中、僕はぼんやりと白く見える天井にのぼるその光に目を奪われた。特別なことが起きないか、という日々も実際に起きれば、あまりの得体の知れなさに思考が止まってしまうことを知る。この光は確かに僕の心を多少軽くはしたが、だからなんだというのだ。この現象を伝えるべき相手もおらず、この後自分の身になにが起こるかもわからず、これを特別感をもって喜べたらいいのだろうが、いざ目の前にしてみれば「これは自分のものではない」という恐怖、自分の意図しない体からの反応に対する不安と畏怖が湧き上がってくるではないか。次の瞬間にでも光が僕を刺したり乗っ取ったり、はたまた腕がなくなるのでは、などという無制限の想像が押し寄せてくる。僕は僕の知っている僕ではなくなるのか。

 しかしその光もじきに消え、部屋にはただただ静寂と僕の纏った暗澹たる磁場に満たされた自室へと立ち戻っているのだった。なんだったのか、これは。部屋にあるいくつかの書物にはこのような霊的現象や多少のオカルト的な要素を含んだ現象を紹介する内容のものもあるが、今目の前で起こったことが書かれたような文章は記憶にない。得体の知れなさに一人、部屋の真ん中で固まって動けない。あれはいったいなんだった?

 だが驚いたのは次の瞬間だ。

「君の体、食べていい?」
「────!?」

 突然聞こえた声に僕は吐き気を催すほど驚いた。思わず体を地面に打ちつけそうになる。ついに怪奇現象を経験してしまった。

「ねぇ聞いてる? 君の体、食べたいんだけど」
「え、え」

 聞き間違いではない。今すぐに体を地面に打ちつけ、なんなら指をただちに叩きつけ、鈍器で叩き潰さなければならない。あの青白い光はまさに僕ではない。体を乗っ取ろうとしている、じゃなければ僕は今この瞬間に乗っ取られ、命を失い、人生を失い、魂ごと未来永劫、乗っ取られ続けるのだ──そんな恐怖感が巡る。

「あー、そうか、君、まだ知らないのか」

 身体を含め、部屋の至る所へ視線を投げるも、その声の主は視認できない。感覚的には胸の辺りから響いてくる。先ほどの現象を鑑みれば、指先から宇宙人にでも入られて、体の中枢機関に居座られたのだろうか。だとしたらやはり直ちに排除の鉄槌を下さねば──

「ちょっと君、落ち着いて。落ち着いて」
「お、落ち着けるか!!俺は、まだ死んでないぞ!!」
「あはは、君。面白い冗談を言えるんだね。うん、君は死んでないよ」

 やはり声は右胸あたりから響いてくる。声は中性的でどちらの性別かは判別できない。だが大人ほど落ち着いた口調でもなく、子供というほど際立った口調でもない。やはり得体の知れない、があっているのだろう、とにかく得体の知れない声が僕へ語りかけてくるのだった。

「な、何が起きたんだ」
「説明が必要だね」
 うんうん、と頷くのがわかった。
「おめでとう、君は一定量の悲しみを感じたから、次のステップへ進む準備が整ったんだよ」
「次のステップの準備……?」
「そう、だからってこの路線を行く人は珍しんだけどね。でも、きっと人に馴染めなかったんでしょう。そういう人はぼくみたいなのと出会うことになる」
「確かに人に馴染めないけど……それで、僕は食べられるのか?食べられると、どうなる?」

 気のせいか、胸の奥でソイツは笑った気がした。

「死ぬよ。死んでこの世からいなくなる」

 僕は死ぬのか?
 次の瞬間、僕は胸に強い振動を受け、その箇所を中心に、体の痙攣?振動?が広がっていくのを感じた。

「大丈夫、君は絶えられる。この世界の本当の姿に。だから自信を持って、生きるんだ」
 その言葉を最後に、僕は意識を失った。
 なぜかその声は、僕の心を優しく包んで温かくしてくれた気がした。喪失していく体の感覚。そして僕は信じられない体験をすることになる。


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